182年の人生

山碕田鶴

文字の大きさ
上 下
189 / 199
2043ー2057 高瀬邦彦

89-(2)

しおりを挟む
 繁華街を抜けて脇道にそれると、暗い路地裏の床に座り込む人影が目立ち始める。
 生気もなくぼんやりとたたずむのは、明らかに人間だ。
 無気力な有機体。
 息づかい、体温、それに付随する肉の臭いを遠くからでも感じる。
 路上生活者ではない。
 彼らも夜の街に遊ぶ人々だ。
 リアルアバターやメタバースに依存して虚実が曖昧になり彷徨う人間たちは、いつもと変わらない日常の中で力尽きてゆく。依存と中毒に魂を侵食された者は、自らの精神の荒廃に気づかない。
   なあ、高瀬。日に日に、確実に増えているな。他人を求めて外に出るだけマシなのだろうが。笑顔で歩くリアルアバターの中の人間も、現実での実態はわからない。リアルアバターでなければ外を出歩けない人間もいるというのだろう?  国内仕様の純正リアルアバターでも、結局毒性は強いということか。もちろん、社会荒廃の原因が全てアバターにあるわけではない。ただ、リアルアバターによって必ずしも明るい未来が作られてはいないということだな。

「昔から路地裏にたむろする人間はいた」

 高瀬は私の言葉を受け流した。
   この状況は世の中の自然な流れか?  
   外国からの見えない侵略の結果か?
 国外仕様リアルアバターによる攻防は表に出ることなく、劇的成果があるわけでもない。
 NH社が反転攻勢に出たことで、他国ではこの国以上の依存、中毒が密かに進行している。日進月歩の技術改良で最新バージョンに更新されるたび、国外仕様品の毒性も増していく。
 高瀬は、国内状況を改善できないことで自責の念に駆られている。他国の人間を侵略し続けても終わりが見えないことで焦燥に駆られている。
 だからこうして路地裏に足を運ぶ。道端に転がる人間に何もしてやれない自分に何を思うのか。
   心の内で常に自らを卑下しながら、高瀬は挫折も屈辱もいっさいを表には出さない。冗談にも弱音を吐くことはしない。
   自分が社会に対してやってきたことから目を逸らさず、生き続ける限り自らに後悔を許さない。
 その生真面目さが、私には鬱陶しい。

「なあ、シキ。栄養失調……餓死寸前の利用者が出たそうだ。現実に戻るのを忘れたらしい。ここにいる人間たちもそれに近いな」

 リアルアバターでか?

「いや、外国企業の体感型VRMMOだ。この国で利用者が急拡大している。NH社も最近リアルアバターに味覚を追加搭載したから、他人事ではない。利用者が本来の肉体の食事を忘れることは十分考えられる」

 複合現実のレストランなら、リアルアバターもフルコースが楽しめるのか。

「味も食感も温度も感じられるからな。リアルアバター専用の飲食店の出店申請は増えている」

 確かNH社も、その手の事故が起きたと会議で言っていなかったか?

「……セルフ介護の臨床試験中に餓死未遂が起きた。リアルアバターで自分の食事を用意できれば、現実に戻って自力摂取くらいは可能な被験者だ。用意といっても自ら台所に立つわけではない。弁当を買ったり、注文をしたりするくらいだ。掃除やら洗濯やらも、全て自分でやりたいと言って本人希望でリアルアバターを試用した。この件は、早い話が介護放棄だな。食べなくてもアバターは動く。自由に出かけられる。自分の肉体の世話が嫌になった。自分が二つある状態を正しく認識できなくなった。……もちろん、ヘルパーや臨床試験のスタッフがついているから大事には至らなかったが」

   NH社の訴訟リスクは?

「ない。あくまでセルフ介護の試験だ。運用の問題だ。うちの製品に瑕疵かしがあったわけではない」

   そうかもしれないが、そんな理屈が通るのか?  虚実の混乱だとか依存だとか、いくらでもケチをつけられるだろう?

「ケチはつかない。そもそもセルフ介護は国の方針だ。だからどこのマスコミも事故を報じていない」

 高瀬は断言した。私がそれ以上何か言えるはずもない。
   人間の魂が溶ける。
   生きたまま、肉体を持ったまま、彷徨う死霊のごとく自らの形を忘れて境界が曖昧となり、際限なく拡張して魂が霧散する。
   それはすなわち魂の死、存在そのものの消滅だ。
   奇跡の一滴が失われる瞬間を思い、その虚無に震えた。
   死神が、嘆いている。
   そんな気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

お庭の小人

五厘
ホラー
僕は庭にある小人の置き物を一つ割ってしまった

感染

saijya
ホラー
福岡県北九州市の観光スポットである皿倉山に航空機が墜落した事件から全てが始まった。 生者を狙い動き回る死者、隔離され狭まった脱出ルート、絡みあう人間関係 そして、事件の裏にある悲しき真実とは…… ゾンビものです。

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

手毬哥

猫町氷柱
ホラー
新築アパートの404号室に住み始めた僕。なぜかその日から深夜におかしな訪問者がいることに気づく。そして徐々に巻き込まれる怪奇現象……彼は無事抜け出すことができるだろうか。怪異が起きる原因とは一体……

あなたのサイコパス度が分かる話(短編まとめ)

ミィタソ
ホラー
簡単にサイコパス診断をしてみましょう

【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし

響ぴあの
ホラー
【1分読書】 意味が分かるとこわいおとぎ話。 意外な事実や知らなかった裏話。 浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。 どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。

すべて実話

さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。 友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。 長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*

処理中です...