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1913ー1940 小林建夫
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佐藤たちが帰った後で、私は思い立って村はずれの小屋に向かった。ヤイの住まいだ。
盆暮のつけ届けは密かに続けていたが、長らく気に留めることもなく義理を欠いた非礼を詫びに行こうと思ったのだ。
理由はもうひとつある。正二だ。佐藤が連れ歩く無口な少年が私はどうにも気にかかっていた。既に何度も村に来ているから、ヤイも知っているだろう。ヤイには彼がどう見えるのか聞いておきたかった。
小屋はまだこの林の先だというのに、ヤイは道の端に立っていた。
私が来るのを察したのか。
ともかく挨拶と非礼の詫びをすると、そのまま立ち話になってしまった。
「小林様、お気になさらず。小屋に近づいてはなりません」
「なぜだ? 使いの者は行くだろう?」
「いつもこのように手前でお待ち申し上げております。私は異界の者と話せますゆえ、寂しく漂う彼らが寄ってまいります。小屋にお近づきになると障りがあります」
彼ら、とは幽霊だ。
「ヤイの家はにぎやかだな」
「はい。ですが……先ほどまでいた者たちは皆消え去りました。地に縛られ続け、もはやあの世への道を失ったように見えた者まで彼岸へ渡ったのです。とは申しましても、私にこの世の先は見えませぬ。その先が極楽浄土なのか地獄なのか、はたまた露と消えるのかは存じませぬが。ともかく今は何もおりませぬ。ただ、すぐに新たな客人が集まりますから、小林様はどうかお近づきにならぬよう」
「皆消えたのか。……何があった?」
ぞくりと背筋に冷たいものが走った。
「さて。時折村に来る少年が小屋を遠くから眺めておりました。それだけです」
正二か。村はずれのヤイの小屋まで見て回っていたのか。
「ヤイ、少年は人間か?」
「もちろんこの世の人間にございます。ただ、非常に不釣合いな魂のように感じます。私には姿が視えないのです。例えるならば、光が強過ぎるのです。人ならざる何か大きな存在と申しましょうか」
「ヤイのように特別な能力があるということか?」
「特別は貴方様ですよ。さまよう幽霊が生きる者に憑くことはございますが、魂の入れ替わりなど、私は存じませぬ。そうではなく、あの少年の魂はそもそも人とは違った別のもののように感じました。きっと少年が、私の客人たちをあの世へと送り出したのでしょう」
ヤイの周りの幽霊が消えたことは以前にも何度かあったという。どれもちょうど佐藤が正二を伴って村を訪れた時期だ。
私は正二の人ならざる力が気になっていたのだろうか。
まあ、あれが周囲の幽霊を成仏させて回ったとて何ら問題はなかろう。善行ではないか。この世に生きる者には関わりのない話だ。
そう考えたところで、正二の強い視線を思い出してゾッとした。
正二には私も幽霊に見えていたのではあるまいか。死者であった私が小林と成り替わり、未だ生き続ける亡霊のごとき存在であると気づいているのではあるまいか。
正二が幽霊をあの世へ送れるのならば、私もあれに近づいた途端にこの世から引き剥がされてしまうかもしれない。
何もかもが薄く、ぼんやりと心もとない孤独の感触に血の気が引いた。
これは恐怖だ。単に命を狙われるのではない。存在を許されないという、根源的な恐怖だ。
だが、正二とは既に何度も目を合わせて至近距離で接している。私は今も生きている。
……思い過ごしであろうか。
私を監視する視線も相変わらず感じ続けているのだ。危難の疑いがわずかにもあるならば避けるに限る。
私は正二と極力関わらないことを決めた。
盆暮のつけ届けは密かに続けていたが、長らく気に留めることもなく義理を欠いた非礼を詫びに行こうと思ったのだ。
理由はもうひとつある。正二だ。佐藤が連れ歩く無口な少年が私はどうにも気にかかっていた。既に何度も村に来ているから、ヤイも知っているだろう。ヤイには彼がどう見えるのか聞いておきたかった。
小屋はまだこの林の先だというのに、ヤイは道の端に立っていた。
私が来るのを察したのか。
ともかく挨拶と非礼の詫びをすると、そのまま立ち話になってしまった。
「小林様、お気になさらず。小屋に近づいてはなりません」
「なぜだ? 使いの者は行くだろう?」
「いつもこのように手前でお待ち申し上げております。私は異界の者と話せますゆえ、寂しく漂う彼らが寄ってまいります。小屋にお近づきになると障りがあります」
彼ら、とは幽霊だ。
「ヤイの家はにぎやかだな」
「はい。ですが……先ほどまでいた者たちは皆消え去りました。地に縛られ続け、もはやあの世への道を失ったように見えた者まで彼岸へ渡ったのです。とは申しましても、私にこの世の先は見えませぬ。その先が極楽浄土なのか地獄なのか、はたまた露と消えるのかは存じませぬが。ともかく今は何もおりませぬ。ただ、すぐに新たな客人が集まりますから、小林様はどうかお近づきにならぬよう」
「皆消えたのか。……何があった?」
ぞくりと背筋に冷たいものが走った。
「さて。時折村に来る少年が小屋を遠くから眺めておりました。それだけです」
正二か。村はずれのヤイの小屋まで見て回っていたのか。
「ヤイ、少年は人間か?」
「もちろんこの世の人間にございます。ただ、非常に不釣合いな魂のように感じます。私には姿が視えないのです。例えるならば、光が強過ぎるのです。人ならざる何か大きな存在と申しましょうか」
「ヤイのように特別な能力があるということか?」
「特別は貴方様ですよ。さまよう幽霊が生きる者に憑くことはございますが、魂の入れ替わりなど、私は存じませぬ。そうではなく、あの少年の魂はそもそも人とは違った別のもののように感じました。きっと少年が、私の客人たちをあの世へと送り出したのでしょう」
ヤイの周りの幽霊が消えたことは以前にも何度かあったという。どれもちょうど佐藤が正二を伴って村を訪れた時期だ。
私は正二の人ならざる力が気になっていたのだろうか。
まあ、あれが周囲の幽霊を成仏させて回ったとて何ら問題はなかろう。善行ではないか。この世に生きる者には関わりのない話だ。
そう考えたところで、正二の強い視線を思い出してゾッとした。
正二には私も幽霊に見えていたのではあるまいか。死者であった私が小林と成り替わり、未だ生き続ける亡霊のごとき存在であると気づいているのではあるまいか。
正二が幽霊をあの世へ送れるのならば、私もあれに近づいた途端にこの世から引き剥がされてしまうかもしれない。
何もかもが薄く、ぼんやりと心もとない孤独の感触に血の気が引いた。
これは恐怖だ。単に命を狙われるのではない。存在を許されないという、根源的な恐怖だ。
だが、正二とは既に何度も目を合わせて至近距離で接している。私は今も生きている。
……思い過ごしであろうか。
私を監視する視線も相変わらず感じ続けているのだ。危難の疑いがわずかにもあるならば避けるに限る。
私は正二と極力関わらないことを決めた。
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