182年の人生

山碕田鶴

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1878ー1913 吉澤識

10-(2)

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 骨董商には、数日待合で遊んだ後に江西までの道中を遊び尽くして帰ってもらうことになっている。それでも礼には足りないほどだが、商売取引を融通することはない。
   私と彼は、あくまで道楽友達だ。いつ縁が切れても互いに困らない。だから、いつ会っても最後と思い、別れを惜しみ礼を尽くす。
 誰に対しても、別れを惜しまずとも常に最後のつもりでいる。
 だが、宮田にはどうであったか。
 別れの挨拶を失念していたな。失態だ。



 夜も更けてひとり待合を出ると、何やら店先がうるさかった。声を荒らげる現地人の横に本国人の警察官や軍人らしき者がいる。事態は収拾したのか、引き揚げて行くようだ。
 馬車の扉を開けて待つ加藤の頰と左腕に目が行った。

「……何があった?」
「何も」

 私が睨むのをちらりと見て、加藤は不機嫌そうに答えた。

「馬が盗まれそうになりました」

 ああ、それで警察か。それでお前は左腕を汚し、頰まで傷つけたか。
 薄い切り傷に、血を拭った跡が残る。

「それだけか?」
「それだけです」

 お前がわずかとはいえ傷を負い、「それだけ」か。
 馬車自体に損傷はない。馬も穏やかだ。過去には、馬車に細工をして走行中の事故を装うものと、馬車に潜み私が乗り込んできたところを襲撃するものがあったが、今回は後者でも狙ったか。
 何者かが骨董商のあとをつけてきた可能性は十分に考えられた。骨董商は誰にも味方せず、対価を出した分の情報をいつでも提供する。私に警告を発したのは、破格の大盤振る舞いといえた。

「お疲れ様でございました」

 加藤は、何事もなかったように言った。宴席が終わったことへの挨拶か。
 何がお疲れ様だ。これは完全に私的な遊びの宴だ。私が宮田のことを探っているのをお前はどうせ知っている。私が宮田にいつまでもこだわるから、こんな事態まで招いたと思っているのだろう。
   ああ、お前は宮田が死んだことを既に知っていたのだな。今日こうして私が骨董商から事実を聞かされることもわかっていた。それでお疲れ様か。
 加藤のいちいちが気に障った。
 加藤を無視して馬車に乗り込む。

「深入りなどするから、心を残すのです」

 捨てゼリフのような一言とともに扉が閉まった。
 加藤!  お前はどこまで人の気を逆なでたら気が済むのだ?
 加藤に殴りかかりたい衝動を馬車に押し込められたまま、苛立ちが溢れた。
 心を残す?  私が?  誰に?
   もはやこの世にいない者に心を残してどうなる……。
 ふと窓の外を見れば、闇夜に明るい星が見えた。
 異国に倒れても、宮田の魂は故郷に帰れたであろうか。確か、信州の山奥の出だと言っていたな。
 自然に湧き立つ思いに、自分も本国人であることを強く意識した。
 私は怪談の類に興味はない。信心深いということもなく、死者の霊魂など見たことがない。人情噺のように来世に望みを繋げるなど、くだらないとさえ考える。
 死後にあの世へ旅立つのも盆に帰って来るのも、遺された者の慰めだ。
 宮田はもういない。
 私は、なぜいないのかが知りたい。
 ただ、それだけだ。
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