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Ep.3 約束を還す者

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「北街区、中央行政区、東街区、南街区、北商人居住区、南商人居住区、西街区……貴族居住区を除く全ての地区において、貴族を含む帝都の民の半数以上が私の提案した動きに賛同している……明日の夜、その全てが中央行政区の広場と宮殿へ集結し、皇帝の退位と帝国の解体、新しい政治体制への移行を訴えるだろう……私が求める前に扇動の為と動いてくれた者達に多大なる感謝を、今ここで述べておこう」

 演説の最後、彼はその美しいかんばせに、壮絶な微笑みを浮かべた。

 北街区の第二城壁内部には階段が存在する。その場にはかなりの数の人が集まっており、下級貴族も下層市民も、上層市民も関係なく、皆が一様に黒のマントを着用していた。中には杖貴族本人や、上級貴族の派遣した者も混じっている。その胸に家の紋章を着けているので、何処から来た誰であるのかがわかるのだ。それが見えなくても、家の頭となる者が逆さ竜を所持していれば、何とでも言える。その中にはランケイアの紋章を着けたエレミアもいて、ティルクの傍で腕を組んでいた。

「帝都には今、近衛と、宰相軍しか残っていない……玉座を破壊する、場所は知っているから、ついてきてくれればそれだけで十分だ」

 アーフェルズの拳は、突き出ている骨が真っ白になるほど、固く握られている。

「ラナ」

 そうして彼は彼女を呼ぶのだ。

 ラナは高揚していた。隣にはティルクがいて、見上げればその精悍な横顔が住宅と尖塔の影の間から差し込んでくる西日に照らされ、美しく赤みを帯びている。蒼い瞳が不思議な色に輝いていた。彼女の視線に気付いて、その口元がにっこりと笑む。

「行ってこい」

 それを見ていると不思議と安心するのだ。彼女は頷き、振り返って、自分を呼んだアルジョスタ・プレナの指導者の下へ数歩だけ進む。アーフェルズは寝不足の固い頬に勇ましい笑みを浮かべ、口を開く。

「城門は六箇所ある、脚部装甲付きの君ならすぐに開けられるだろう……これを、門の柱にある認証溝に通すだけで構わないよ、土魔石動力回路が埋め込まれている方が表で、上だ」

 ラナは腰のベルトについている衣嚢に手を伸ばし、三枚の薄い板を探し当て、その中から魔石認証鍵だけを取り出す。それを裏返すと、成程、地面の色がきらりと光る魔石動力回路が埋め込まれているのが確認できた。

「君が宮殿の城門を解錠してくれれば、中央行政区の広場に集結した人々が場内に入ることが出来る……私は先頭に立って、立ち向かってくる者をひたすら無力化しながら玉座を目指す」

「指導者がそんなことして大丈夫なの、アーフェルズ?」

 ラナが問えば、彼は暫し目を伏せ、次いで此方を真っ直ぐに見つめ返してきた。

「私は一人しかいないけれど、私の意志を継いでくれる人は沢山いるよ、君もそうだ、ラナ」

 耳を貸して、とアーフェルズは言った。そして告げられた言葉に、彼女は頷くのだ。

「アーフェルズという人物に弟がいることは知っているね?」

「うん」

「君に全て託そう、ラナ……その後は「竜の角」で待ち合わせだ、ナグラスとオルフェが美味しいものを作って待っているよ」



 お逃げ下さい、という声が聞こえる。

 豪奢な椅子の上には、勅令を書きつけた植物紙が光魔石と化して、鎮座している。反乱を起こしたスピトレミア特別行政地区、バルタール領、ウイブラ領、ライマーニ領に対する軍事制圧を行うという旨が記されているそれは、美しく輝いていた。

「光の精霊王ステーリアの思し召しの下に、御力を与えたまえ!」

 彼は聖句を唱え、玉座の後ろを蹴り上げた。

 第一城壁は既に囲まれているとの情報が入ってきており、囲む人々の声が、遠くからではあるがはっきりと聞こえてくる。どうしてこうなったのだろう、とは思わない。自ら進んで招いた結果であるからだ。

 主の道が開く。レントゥスが傍にいる。サフィルスも傍にいる。宰相を守りながら殿を務めると言い残し、ハルフェイスとキウィリウス、その他の近衛兵は残った。屋外に出れば、白銀に輝く帝国軍のサヴォラが風精霊を撒き散らし、物凄い速度ですぐ上空を通過した。飛燕は何かを追い回しているようだ。

「反乱軍は玉座の間を急襲するつもりのようです」

 サフィルスが言った。

「誰からの情報だ、姉御か」

 問うても、返事はない。

「兎に角今は居室へ、陛下」

 飛燕を纏う白銀のサヴォラが頭上を掠めていく。見れば、すぐそこで闇精霊が散った。

「……ラフィム?」

 闇の大精霊は決して彼には応えない。セレイネには、アルカスから動かぬように、と通達した。他の将軍領主に自領の治安維持を優先するよう言付けたのは、十二の月の一日、今日の夜明けである。知らないところで何かが蠢いているのはわかっていた、だから、彼は自らを身軽にしていった。何処かで宰相と近衛も切り離すつもりであった。己の名で以て戦いをすると決断し、だから彼は、己の名を勅令にしるし、光魔石へと変え、玉座に置いてきた。

 空中庭園を走り抜けていく。エーランザと竜の像は、変わらず微笑みを湛えていた。



 真夜中を過ぎた頃。視界の悪い中で第一城壁をぐるりと回って城門の鍵を解錠することは、なかなかに骨の折れる使命だった。

 ラナが認証溝に魔石認証鍵を通して城壁の門を解錠する音を聞くやいなや、市民はあろうことか莫大な予算が投入されて鋳造されたフェークライト鋼の重い扉をありとあらゆる火器、小さいが威力抜群の火魔石製の爆弾と術士の術で破壊しながら、宮殿の敷地内になだれ込んだ。ひとたび開け放てば、何処の城門からも人の群れが我先にと言わんばかりにどっと溢れだし、アルジョスタの風のいとし子はその波に飲まれそうになりながらも脚部装甲の動力を駆使して、全ての城門を封鎖から解き放った。

 そして、それが終わった今、行くべきは一際高い塔を抱く城の本殿――イークを助けるのだ。

 アーフェルズから彼女に課されたもう一つの使命だ。

 城内になだれ込む市民が皇族シルダ家や帝国上層部の権力者達を傷付けないという保証はない。勢いに呑まれた誰かの手にかかる前に、イークを救い出して欲しい。指導者はそれを彼女に訴えたのだ、視線で。

 アーフェルズの――アルトヴァルト・シルダの、たった一人の家族を。

 ラナは走り、急ぎ黒風の翼フェーレ・ラフィミア・エイルーダの元へ駆けつけ、風魔石がたっぷり入った麻袋――最後の一つだ――それを片手にひらりと飛び乗り魔石動力の上にある魔石供給口の蓋を開け、その中に向かって餌を喰らえと言わんばかりに袋の中身を全てぶちまけた。ザラザラと小気味よい音を立てて石が落ちていくのを聞き終わるやいなや音を立てて蓋を閉め、目を覆うようにラウァを装着した彼女は、魔石動力の溝に免許証を通す。

 サヴォラの魔力噴出孔から勢いよく術式の波が吹き出し、黒風の翼フェーレ・ラフィミア・エイルーダは翠を覆い隠す闇の翼を術式展開の音とともに拡げ、美しい流線型を描く黒い機体が、尖塔建築の間を泳ぐ上昇気流を捉える。

 一気に地上から舞い上がった。

 強風を軽減してくれる筈の宮殿周囲の動力環は、いつなんどきも尖塔の周りをくるくる回りながら点灯していたが、白銀に輝く帝国のサヴォラを飛ばせない為と別動隊が動力機を叩き壊したらしく、全て消えている。

 だが、ラナは強風になど負けない。

 軽い機体を操り、そっと風に寄り添うだけでよかった。

 その翼は数多の闇精霊を呼んでいた。彼らは人間の起こす革命などに興味を抱かず、ただラナの乗ったサヴォラと戯れ、楽しそうな笑い声をあげながら、遊ぶ。重要なのは体勢の整え方でも体重の預け方でも腕の使い方でも術士であることでもない。精霊の声を聞き、あの日取り戻した風を信じてこの身を委ねる、ただそれだけで、彼女は自由自在に飛べた。

 彼女は探した。安全かつ迅速にサヴォラを停められて、イークの部屋に近い場所。本殿の塔の周囲をぐるぐると旋回するうちに見付けたのは、フェーレスが彼女を抱いて出現したらしい出庭の真上にある、サヴォラ一機分しかない平らな隙間だった。しかし、出庭に降りる時は現在装着しているものよりも更に高品質で大きな風魔石を脚部装甲に供給し、空気抵抗を生み出してから着地しないと足を折ってしまう。飛び降りるのは困難だ。

 ラナは先程持ち合わせていた全ての風魔石をサヴォラの発動機に全て食わせてしまっていた。幸い、注視した隙間の奥には人間ひとりなら通れそうな窓があり、彼女は、そこから城内に入れば大丈夫だろう、という結論に至った。

 これから彼を連れて行くのだ、万が一のことがあっては適わない。隙間に滑り込むと同時に彼女は魔石動力を停止させた、起動は一瞬なので問題ない。強度のあるフェークライト鋼の踵を付けた脚部装甲付きのブーツでグランス鋼の窓を数回蹴って綺麗に割り、左腰から短剣を一本抜いて、ラナは足から中に飛び降りる。

 そこは小さな部屋だった。同時に彼女は息をのんだ。

「……覇王の剣?」

 純白の石に彫られた見事な竜の彫刻が部屋の中央に寝そべっており、その身にうっすらと光を帯びる一振りの神々しい剣を腕に抱いていた。

 後ろ脚の隙間には金銀宝石で飾られ、洗練された美しさを抱く技巧の凝らされた鞘が差し込まれている。その彫像からは無数の導線が伸び、何本も束ねられ、純白の床にあけられた幾つもの穴の中へ飲み込まれていた――剣が、宮殿の生活基盤となる動力を担っているのだろう。

 本物が侵入した小部屋に鎮座しているとは、ラナは考えもしなかった。

 息を殺し、彼女は一歩剣に向かって近付く。

 竜の瞳には大陸東部のケールンから取り寄せたのだろうか、多彩色に輝く蛋白石があしらわれており、その荘厳な空気を纏う頭部はしっかりと此方を見据えている。近付けば今にも動き出して襲いかかってくるのではないかと恐ろしく思ったが、彼女が二歩目、三歩目を踏み出しても、竜は微動だにしなかった。されど彫刻、何人をも寄せ付けないものを醸し出している。

 思わず俯いた時、鋭い爪と強靭な腕の下に、至極低い台座が見えた。正面に文言が刻まれている。

 アル・イー・シュリエの末裔が約束を返すその時まで。

 そこではた、とラナは気が付いた。こんな所で立ち止まっている場合ではない。

「――イーク」

 彼女は竜の向こうに扉を確認した。剣を抱く竜の像の脇から正面に回り込み、竜に背を向けて扉に近付き、そうっとそれを押した。どうしてか鍵はかかっておらず、案外簡単に扉が開いたのに安心して廊下に出た所で、彼女はいつの間にか目が飛び出さんばかりに驚いた近衛兵二人と真正面から向き合っていた。

「だ、誰だ――」

 考える暇もなくラナは大声を上げかけた一人の胸を硬いブーツの底で蹴り飛ばし、柄に水の魔石が輝く剣を抜こうとしたもう一人の、兜の隙間からのぞく顔面を短剣の柄で力いっぱい殴り付けて昏倒させた。倒したと思った、それも一瞬のことで、声を聞きつけた他の兵士達が廊下の向こうから十数人駆けつけ彼女を取り囲む。

 あっという間にその場は金属がぶつかる音で満ちた。

 しかし、侵入者は伊達に脚部装甲付きの訓練を繰り返してきたわけではなかった。幾度となく竜人との戦闘を念頭に己を鍛えてきた彼女にとって近衛兵十数人などは楽にかわせる相手でしかなく、わずかな間に覇王の剣の小部屋の前は伸びて転がっている近衛兵で一杯になった。

 ラナは短剣を仕舞い、駆けだした。覇王の剣をどうしようか、あの夢のようにひとたび振ればそれだけで数多の命が奪われるそれは、市民が下手に触っていいものではない――きっとアーフェルズがどうにかしてくれるだろう、そうだといい、そう思いながら皇帝の部屋を探して廊下を走る。アルジョスタ・プレナの指導者はシルダ家の人間でもある、剣について知らない筈がない。

 誰もいない階段を下の階へ何度も駆け下り、彼女は素早くあたりを見回した。影は見当たらない、やはり近衛兵でさえも大半が市民との戦闘に駆り出されているのか、侵入した小部屋の周辺以外に目立った帝国軍兵士の集団はいなかった。いるとすればやはり皇帝の側だが、引っ込んでおいて貰わねば此方の使命が遂行出来ない。

 真っ直ぐ続く廊下に行き当たった。飛び出そうとして、左の曲がり角から聞こえてきた声に、ラナは踏み止まった。

「――侵入者は何処から?」

「それが、覇王の剣の間からかと存じます、陛下――」

「何だと?」

 何故そこから侵入を、と捲し立てるのはイーク、そして相対するのは誰かの声だった。そのまま会話は右の曲がり角へと早足で通り過ぎて行く、きっと彼の部屋へ行くのだろう――時間がない。

 その時、左の曲がり角にもう一回視線をやった彼女は気が付いた。近衛兵の小さな集団が此方へ向かってくる。上手くいけば皇帝を独りだけで部屋へ帰すきっかけとなるかもしれない――ラナは短剣をもう一度抜き、先頭の一人に向かって力一杯投擲した。

 悲鳴が響き、近衛兵が咄嗟に威嚇の声を上げて魔石付きの長剣を抜いた。血がどくどくと流れ出る片腕から短剣を引き抜いた一人と、彼女の目が合った。

「――あいつだ!」

「どうしたのだ、何があった?」

「陛下、覇王の剣を!」

「追え、逃がすな!」

「侵入者だ!」

 呼応し、飛び交う怒号にイークの声、ラナは全てを背中で受けて走り出した。



 帝国のサヴォラが飛び回る事態になることを避けようと、宮殿の秘された場所にある機械を強制停止させた結果、尖塔の間を吹き抜ける強風の威力を抑える為の動力環が消えて、二刻。

 混沌の合間に、彼は宮殿の方角を振り仰いだ。幾つもの尖塔が立ち並ぶ、その中で彼女は今、どのような状態で何を想いながらいるのだろう……無事だろうか、生きているだろうか。門の解錠は成功した、後は皇帝を救い出すだけだ――

 彼の弟を。

 と、突如ブツンと何かが切れるような音が木霊し、宮殿や城壁の上、市内のあちこちに灯っていた魔石動力伝送施設の明かりが一斉に落ちた。周囲の人々が慌てて周囲の様子を窺う中、彼は息を呑む。

 覇王の剣の動力は導線を通して、この宮殿の生活基盤を支える為に、隅々まで送られている。その供給が断たれたということだ。動力自体は帝都の各地の魔石動力転送施設のすぐ隣に設置された魔力供給施設を再稼働させれば宮殿の復旧など造作もないが、何らかの理由で覇王の剣が抜かれたか、或いは破壊されたに違いなかった……だが、剣は何人にも破壊出来ないものとして扱われている。

 アリスィア・レフィエールの持つ鎚を振り上げない限りは。

 覇王の剣が抜かれたということは始祖竜の力を宮殿の中で解き放つに等しく。

「――ラナ、イーク」

 アーフェルズ、否、アルトヴァルト・シルダは、構えた剣の向こうにいるふたりの名を呟いた。もしも帰って来ないならば自分が乗り込むまでだ、と心に決めて。

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