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第84話 告白の返事
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誠司は二階建てアパートの階段を上り、華の部屋を目指す。
クリーム色の外壁と淡い茶色の屋根で、築年数が浅くまだ新しい。
玄関ドアの上部は丸くカーブがかっていて、お伽話に出てきそうな愛らしさがある。
ひとつ、ふたつとドアを通り過ぎるたび、誠司の心音が大きくなる。こんな緊張感を抱くのは、中学に入って初めての試合で、バッターボックスに立った時以来だ。
「はぁ、くそ。だせぇな」
何度も唾を飲み込み過ぎて、口の中はカラカラになっている。
角部屋である三つ目のドアの前で、誠司は立ち止まった。華の部屋だ。
誠司と華が再開した日。高熱で意識朦朧としていた誠司を、ここまで連れてくるのはきっと大変だっただろう。
優しく接してくれた数少ない人物だった。華を幸せに出来るのかと聞かれれば、やはり「はい」と格好良く断言は出来ない。
呼び鈴に伸ばした手が、止まる。
無実とはいえ、過去の出来事は第三者から見ると誠司が悪者である。唯一味方をしてくれた両親が、心労により亡くなってしまったように、華もまた――。
途端に、呼び鈴が歪んで見えた。
手は力なく下がる。良いことを根こそぎ奪われたような人生を過ごしてきた。
先も明るくないこの道を華に歩かせるつもりなのか、何のために一人で生きてきたのかと、全てを失った高校生の誠司が責め立てる。
数ヶ月かけて固めた決意も、崩れる時は一瞬だった。こんな花束を用意して、スーツを着たって、家無し職無し将来無しは変わらないのだ。
「何やってんだ……俺に付き合わせなけりゃ、高峰さんは普通に生きてけるんだぞ」
帰ろうとして、足を階段の方へと向ける。
その瞬間、ふと「俺、絶対隣にいるよ」と言った琥珀の姿が思い浮かんだ。華との関係を応援し、頑張れと言って送り出してくれた。
「……馬鹿犬、連れてくりゃ良かったな」
琥珀はきっと、撤退なんてさせない。すぐに悪い方向へと向かう誠司の思考を、持ち前の明るさで照らしてくれたはずだ。
過去に囚われていた気持ちが、琥珀に塗り替えられていくのが分かった。
大きく深呼吸をしてから、顔を上げる。ひしゃげて見えた呼び鈴は、なんの変哲もないただの呼び鈴だ。
神社では、あの真っ白で小さな犬の神様が、ーー小さな友人が。誠司を待ってくれている。怖いものは、ないように思えた。
ピンポンと軽快な音が鳴る。すぐに聞こえた声は、愛しい女性のものだった。
「高峰さん。俺だ、藪原。迎えに来た」
「はい! すぐに行きます!」
名前を告げると、声のトーンが嬉しそうに上がって、くすぐったい気持ちになる。これが幸運というものなのかもしれない。
「え?」
ドアが開くと、花束を見た華は素っ頓狂な声をあげる。
「高峰さん、話がある」
言ってから、失態に気付く。花束を渡して告白することばかりに気を取られ、シチュエーションを考えていなかった。こんな玄関先で伝えていいものなのか。
「あー、その、どこか出掛けるか」
やはり女性は、ロマンチックな場所を好むのだろうか。どこへ行くのが正解か、ない知識で絞り出そうと試みるが、答えにたどり着かない。
恋愛初心者の誠司と、琥珀だったから、ここに至るまで気付けなかっただろう。愛がいたら確実に、いや優樹だって何か助言をしてくれたはずだ。
誠司が内心でパニックを起こしていると、玄関のドアが大きく開かれた。
「あの、一緒に食べようと思って、お菓子焼いたんです。良ければ、上がっていただけませんか?」
新たな選択肢に一瞬、思考停止するが、願ってもない。
玄関に入ると、チョコレートの匂いが甘く誠司の鼻を刺激した。
「あっ、えっとそうだ。紅茶、淹れましょうか」
部屋に案内された誠司は、看病された日々を思い出して懐かしい気持ちになった。
一方、華は緊張から逃れるように、落ち着きなく食卓の前を行ったり来たりする。
「高峰さん」
「は、はい」
ギギギッという効果音が聞こえてきそうなほど、不自然に固い動きで、華は振り返る。
誠司は腕を伸ばせば届く距離まで、華に近付くと、花束を差し出した。
「好きだ」
華が身を固めて、息を飲んだのがわかる。すぐに、色白な頬が朱色に染まっていった。
「遅くなって、悪かった。本当に俺なんかでいいのか不安だったんだ」
「わ、私は藪原さんがいいんです。で、でも、私、藪原さんに好きになってもらえたんですか?」
華の声には、不安が混じっていた。きっと誠司が以前、華をそんな風に見ていないと告げたからだ。
「高峰さんに告われる前から、何度も〈もし俺が普通のだったら、こんな未来もあったのか〉そう思ったことがある。
ただ、俺がそんなもん叶うわけねぇって、端から期待なんてしないようにしてた。
根暗なんだよ。先のことに期待が出来ねぇ。それで、高峰さんまで傷付けちまって、本当に悪い」
こんな暗い告白があっていいのか。けれど、華は、誠司の隠すことない本心を溢さないように真っ直ぐな瞳で聞いてくれている。
「高峰さんが好きだ。何も持ってねぇけど、大切にする。それだけしか出来ねぇ駄目なおっさんだが、一緒に生きてくれないか」
「っ……はい。よろしくお願いします」
花束を両手に抱えて、泣きそうな顔で微笑んだ華がどうしようもなく愛おしかった。
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