上 下
72 / 99

第72話 和の豪邸

しおりを挟む
 商店街の近くまで戻った時、愛が携帯で迎えを頼んだ。車は十分も待たずに到着する。 
 左ハンドルの外車は、光沢のあるブラックシルバーで、車に詳しくない誠司でもわかる高級車ベンツである。

 乗車をためらうが、愛に気にするなと押し込まれ、道中は車内を汚さないことに全神経を集中させるしかなかった。
 時間にして、六、七分の乗車がずいぶん長く感じられた。

 そうして、誠司がようやく車を降りた時、目の前にある家を見て言葉を失った。

「どうしたの? おじさん、早く入ろう」

「おまっ……これ、まじか」

 石垣で囲まれた和風の平屋は、豪邸と呼ばれるものだ。
 少なくとも、誠司が知る一般家庭に、枯山水庭園などはない。砂紋が描かれているのを見るのは、中学の頃に修学旅行で京都の寺を観光した時以来だ。

「普通の戸建て何軒分あんだよ」

「んー、確か三百坪ちょっとだったかな? それより入らないの?」

 瓦屋根が付いた門から中を覗いた誠司は、そのまま動こうとはしない。

 小粒の砂利が敷地内に敷き詰められており、将軍でも住んでいそうな屋敷と合わさって、敷居をこれ以上なく高くしている。
 右側には枯山水、門の正面は石畳の小道が建物までの案内をしていて、左側には竹が植えられ、池とししおどしまで設置されている。
 池では悠然と錦鯉が泳いでいて、間違いなく誠司よりも優雅な暮らしを送っているだろう。

「馬鹿言うな。こんななりの俺が入ったら、狙撃されんじゃねぇか」

 場違いどころの話ではない。優樹がこんな家に住んでいる由緒正しい少年だったとは、知らなかった。
 ホームレスが迷い込んでいるなんて知られれば、逮捕一択ではないか。

「されるわけないでしょ。大丈夫だってば、ほら行くよ」

「お、おい。押すな。わかった、わかったから」

 愛に背中を押されて、誠司は勢いで敷地内に入る。
 落ち着きなく辺りを見渡してみるが、池の周りに咲く水仙や、家の土壁に施された扇形の模様など、非常に精巧な作りだ。匠の技に感嘆するばかりである。

「どこ見てもすげぇな。これ観光地で金取れるだろ」

「あー確かに優樹くんの家、和風でかっこいいよねぇ。うちは洋風だから羨ましいな」

「迎えの車見てから思ってたが……まさか、お前んとこの家もこんなに馬鹿でかいのか?」

「うーん、広さで言ったら私の方が広いんじゃないかな。二階建てだし、部屋は多いよね」

「……まじかよ、お前ら人生勝ち過ぎるだろ」

 秀でた容姿を持っているだけでも相当だというのに、豪邸の生まれときた。
 さらに現時点で、愛と優樹は共に過ごす相棒として互いを選んでいるのだ。齢十歳にして、全てを兼ね備えているといっても過言ではない。

「へへ、私たちは神様に愛されてるから」

「愛され過ぎだろ。よくこんな好条件のお前らが出会ったな」

「私と優樹くんが一緒にいるのは必然だから。もともと優樹くんの家と私の家は仲良いし、ずっと一緒にいるんだよ。これからもね」

 鼻歌を歌いながら石畳を歩く愛は、狙撃に怯える誠司と違って、慣れ親しんでいる。
 まるで自分の家を案内しているようだ。きっともう数えきれないぐらい、この道を歩いてきたのだろう。

「優樹くんたちがいるのは向こうだよ」

 建物をぐるりと右に回り込むと、すぐに二人の姿が見つかった。
 枯山水庭園の中に、不自然に出現した砂地の中央には、正方形の壁がある。背丈ほどの壁は、どうやら野球ボールの壁当て用に作られたらしい。

 今は優樹たちがこちらに背を向けた状態で、壁に向かってボールを投げている。

「いたいた。優樹くーん、琥珀ー」

 愛の呼びかけで振り向いた二人は、誠司の姿に各々反応を見せる。

 優樹は、我が家に訪れた意外な人物に目を丸くさせた。歓喜する犬が尻尾をぶんぶん振るように、大きく誠司に手を振っている。

 一方、琥珀の尻尾は膨らみを見せ、ピンと一直線に上向きだ。あんぐりと口を開けたことで、咥えていたボールはぽとりと落下して、足元に転がった。

 見事に静と動に分かれた二人。優樹はパッと表情を明るくさせて、駆け寄ってくる。

「誠司さん!」

 まるで遠距離恋愛をしている恋人に会ったかのように、優樹は誠司に勢いよく抱き着いた。誠司を見上げる瞳は、輝きに満ちている。

「お前またフォーム綺麗になったな」

「本当ですか⁉ 誠司さんにコツ教えてもらってから、投げやすくなったんです」

 毎週土曜日に、誠司が野球を教えていた甲斐があり、優樹の技術はすくすくと成長していた。もともとセンスが良かったのもあるが、何より集中力が高く、吸収率が非常に良いのだ。

 目に見えて上達していくのが嬉しかったのか、いつしか優樹は誠司のことを名前で呼ぶようになり、この通りよく懐いている。

 初めは友人に誘われたから、という理由だったが、優樹も今では身も心も正式に少年野球チームの一員である。完全に野球に目覚めたのだ。

「わっ、愛ちゃん」

「優樹くん、私にはしてくれないの?」

 誠司に抱き着いている優樹の背中を、愛が抱きしめる。愛は優樹が自分への挨拶もすっ飛ばして、誠司に駆け寄ったことが不満らしい。
 誠司は自分に張り付いている小学生二人を引き剥がす。いちゃつくのは勝手だが、二人でやってもらいたい。


 誠司が本来の目的に視線を向けると、琥珀はハッとして、わかりやすく狼狽えていた。 
 丸見えの状態で、左右を行ったり来たりしたあと、壁の後ろに身を隠す。

 優樹への、なぜ誠司がここにいるのかの説明役は拗ねモードの愛に任せることにする。
 誠司も壁の裏に回ると、琥珀がぴったりと壁に向かってお座りをしているのが見えた。

「な、なんで誠司がここにいるんだよ」

「なんでって……お前を」

 迎えに来たと、言う前にふと考えがよぎる。豪邸暮らしで将来も有望な優樹と、ホームレスの三十超えたおっさん。琥珀がどこにいた方が幸せになれるのか、考えるまでもない。

「……お前はここにいたいか。まあ神社に戻るより、ここにいる方がよっぽどいい暮らし出来るよな」

 愛想を尽かされても仕方がない。
 寄り添おうとした琥珀に、何度も距離を置いたのは他でもない誠司自身なのだから。
 琥珀は依然として、こちらを振り向くことはなく、耳を伏せて沈黙している。

「いや、ちげぇ。そうじゃない。……悪かった」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

未亡人クローディアが夫を亡くした理由

臣桜
キャラ文芸
老齢の辺境伯、バフェット伯が亡くなった。 しかしその若き未亡人クローディアは、夫が亡くなったばかりだというのに、喪服とは色ばかりの艶やかな姿をして、毎晩舞踏会でダンスに興じる。 うら若き未亡人はなぜ老齢の辺境伯に嫁いだのか。なぜ彼女は夫が亡くなったばかりだというのに、楽しげに振る舞っているのか。 クローディアには、夫が亡くなった理由を知らなければならない理由があった――。 ※ 表紙はニジジャーニーで生成しました

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

後宮の記録女官は真実を記す

悠井すみれ
キャラ文芸
【第7回キャラ文大賞参加作品です。お楽しみいただけましたら投票お願いいたします。】 中華後宮を舞台にしたライトな謎解きものです。全16話。 「──嫌、でございます」  男装の女官・碧燿《へきよう》は、皇帝・藍熾《らんし》の命令を即座に断った。  彼女は後宮の記録を司る彤史《とうし》。何ものにも屈さず真実を記すのが務めだというのに、藍熾はこともあろうに彼女に妃の夜伽の記録を偽れと命じたのだ。職務に忠実に真実を求め、かつ権力者を嫌う碧燿。どこまでも傲慢に強引に我が意を通そうとする藍熾。相性最悪のふたりは反発し合うが──

処理中です...