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第72話 和の豪邸
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商店街の近くまで戻った時、愛が携帯で迎えを頼んだ。車は十分も待たずに到着する。
左ハンドルの外車は、光沢のあるブラックシルバーで、車に詳しくない誠司でもわかる高級車ベンツである。
乗車をためらうが、愛に気にするなと押し込まれ、道中は車内を汚さないことに全神経を集中させるしかなかった。
時間にして、六、七分の乗車がずいぶん長く感じられた。
そうして、誠司がようやく車を降りた時、目の前にある家を見て言葉を失った。
「どうしたの? おじさん、早く入ろう」
「おまっ……これ、まじか」
石垣で囲まれた和風の平屋は、豪邸と呼ばれるものだ。
少なくとも、誠司が知る一般家庭に、枯山水庭園などはない。砂紋が描かれているのを見るのは、中学の頃に修学旅行で京都の寺を観光した時以来だ。
「普通の戸建て何軒分あんだよ」
「んー、確か三百坪ちょっとだったかな? それより入らないの?」
瓦屋根が付いた門から中を覗いた誠司は、そのまま動こうとはしない。
小粒の砂利が敷地内に敷き詰められており、将軍でも住んでいそうな屋敷と合わさって、敷居をこれ以上なく高くしている。
右側には枯山水、門の正面は石畳の小道が建物までの案内をしていて、左側には竹が植えられ、池とししおどしまで設置されている。
池では悠然と錦鯉が泳いでいて、間違いなく誠司よりも優雅な暮らしを送っているだろう。
「馬鹿言うな。こんななりの俺が入ったら、狙撃されんじゃねぇか」
場違いどころの話ではない。優樹がこんな家に住んでいる由緒正しい少年だったとは、知らなかった。
ホームレスが迷い込んでいるなんて知られれば、逮捕一択ではないか。
「されるわけないでしょ。大丈夫だってば、ほら行くよ」
「お、おい。押すな。わかった、わかったから」
愛に背中を押されて、誠司は勢いで敷地内に入る。
落ち着きなく辺りを見渡してみるが、池の周りに咲く水仙や、家の土壁に施された扇形の模様など、非常に精巧な作りだ。匠の技に感嘆するばかりである。
「どこ見てもすげぇな。これ観光地で金取れるだろ」
「あー確かに優樹くんの家、和風でかっこいいよねぇ。うちは洋風だから羨ましいな」
「迎えの車見てから思ってたが……まさか、お前んとこの家もこんなに馬鹿でかいのか?」
「うーん、広さで言ったら私の方が広いんじゃないかな。二階建てだし、部屋は多いよね」
「……まじかよ、お前ら人生勝ち過ぎるだろ」
秀でた容姿を持っているだけでも相当だというのに、豪邸の生まれときた。
さらに現時点で、愛と優樹は共に過ごす相棒として互いを選んでいるのだ。齢十歳にして、全てを兼ね備えているといっても過言ではない。
「へへ、私たちは神様に愛されてるから」
「愛され過ぎだろ。よくこんな好条件のお前らが出会ったな」
「私と優樹くんが一緒にいるのは必然だから。もともと優樹くんの家と私の家は仲良いし、ずっと一緒にいるんだよ。これからもね」
鼻歌を歌いながら石畳を歩く愛は、狙撃に怯える誠司と違って、慣れ親しんでいる。
まるで自分の家を案内しているようだ。きっともう数えきれないぐらい、この道を歩いてきたのだろう。
「優樹くんたちがいるのは向こうだよ」
建物をぐるりと右に回り込むと、すぐに二人の姿が見つかった。
枯山水庭園の中に、不自然に出現した砂地の中央には、正方形の壁がある。背丈ほどの壁は、どうやら野球ボールの壁当て用に作られたらしい。
今は優樹たちがこちらに背を向けた状態で、壁に向かってボールを投げている。
「いたいた。優樹くーん、琥珀ー」
愛の呼びかけで振り向いた二人は、誠司の姿に各々反応を見せる。
優樹は、我が家に訪れた意外な人物に目を丸くさせた。歓喜する犬が尻尾をぶんぶん振るように、大きく誠司に手を振っている。
一方、琥珀の尻尾は膨らみを見せ、ピンと一直線に上向きだ。あんぐりと口を開けたことで、咥えていたボールはぽとりと落下して、足元に転がった。
見事に静と動に分かれた二人。優樹はパッと表情を明るくさせて、駆け寄ってくる。
「誠司さん!」
まるで遠距離恋愛をしている恋人に会ったかのように、優樹は誠司に勢いよく抱き着いた。誠司を見上げる瞳は、輝きに満ちている。
「お前またフォーム綺麗になったな」
「本当ですか⁉ 誠司さんにコツ教えてもらってから、投げやすくなったんです」
毎週土曜日に、誠司が野球を教えていた甲斐があり、優樹の技術はすくすくと成長していた。もともとセンスが良かったのもあるが、何より集中力が高く、吸収率が非常に良いのだ。
目に見えて上達していくのが嬉しかったのか、いつしか優樹は誠司のことを名前で呼ぶようになり、この通りよく懐いている。
初めは友人に誘われたから、という理由だったが、優樹も今では身も心も正式に少年野球チームの一員である。完全に野球に目覚めたのだ。
「わっ、愛ちゃん」
「優樹くん、私にはしてくれないの?」
誠司に抱き着いている優樹の背中を、愛が抱きしめる。愛は優樹が自分への挨拶もすっ飛ばして、誠司に駆け寄ったことが不満らしい。
誠司は自分に張り付いている小学生二人を引き剥がす。いちゃつくのは勝手だが、二人でやってもらいたい。
誠司が本来の目的に視線を向けると、琥珀はハッとして、わかりやすく狼狽えていた。
丸見えの状態で、左右を行ったり来たりしたあと、壁の後ろに身を隠す。
優樹への、なぜ誠司がここにいるのかの説明役は拗ねモードの愛に任せることにする。
誠司も壁の裏に回ると、琥珀がぴったりと壁に向かってお座りをしているのが見えた。
「な、なんで誠司がここにいるんだよ」
「なんでって……お前を」
迎えに来たと、言う前にふと考えがよぎる。豪邸暮らしで将来も有望な優樹と、ホームレスの三十超えたおっさん。琥珀がどこにいた方が幸せになれるのか、考えるまでもない。
「……お前はここにいたいか。まあ神社に戻るより、ここにいる方がよっぽどいい暮らし出来るよな」
愛想を尽かされても仕方がない。
寄り添おうとした琥珀に、何度も距離を置いたのは他でもない誠司自身なのだから。
琥珀は依然として、こちらを振り向くことはなく、耳を伏せて沈黙している。
「いや、ちげぇ。そうじゃない。……悪かった」
左ハンドルの外車は、光沢のあるブラックシルバーで、車に詳しくない誠司でもわかる高級車ベンツである。
乗車をためらうが、愛に気にするなと押し込まれ、道中は車内を汚さないことに全神経を集中させるしかなかった。
時間にして、六、七分の乗車がずいぶん長く感じられた。
そうして、誠司がようやく車を降りた時、目の前にある家を見て言葉を失った。
「どうしたの? おじさん、早く入ろう」
「おまっ……これ、まじか」
石垣で囲まれた和風の平屋は、豪邸と呼ばれるものだ。
少なくとも、誠司が知る一般家庭に、枯山水庭園などはない。砂紋が描かれているのを見るのは、中学の頃に修学旅行で京都の寺を観光した時以来だ。
「普通の戸建て何軒分あんだよ」
「んー、確か三百坪ちょっとだったかな? それより入らないの?」
瓦屋根が付いた門から中を覗いた誠司は、そのまま動こうとはしない。
小粒の砂利が敷地内に敷き詰められており、将軍でも住んでいそうな屋敷と合わさって、敷居をこれ以上なく高くしている。
右側には枯山水、門の正面は石畳の小道が建物までの案内をしていて、左側には竹が植えられ、池とししおどしまで設置されている。
池では悠然と錦鯉が泳いでいて、間違いなく誠司よりも優雅な暮らしを送っているだろう。
「馬鹿言うな。こんななりの俺が入ったら、狙撃されんじゃねぇか」
場違いどころの話ではない。優樹がこんな家に住んでいる由緒正しい少年だったとは、知らなかった。
ホームレスが迷い込んでいるなんて知られれば、逮捕一択ではないか。
「されるわけないでしょ。大丈夫だってば、ほら行くよ」
「お、おい。押すな。わかった、わかったから」
愛に背中を押されて、誠司は勢いで敷地内に入る。
落ち着きなく辺りを見渡してみるが、池の周りに咲く水仙や、家の土壁に施された扇形の模様など、非常に精巧な作りだ。匠の技に感嘆するばかりである。
「どこ見てもすげぇな。これ観光地で金取れるだろ」
「あー確かに優樹くんの家、和風でかっこいいよねぇ。うちは洋風だから羨ましいな」
「迎えの車見てから思ってたが……まさか、お前んとこの家もこんなに馬鹿でかいのか?」
「うーん、広さで言ったら私の方が広いんじゃないかな。二階建てだし、部屋は多いよね」
「……まじかよ、お前ら人生勝ち過ぎるだろ」
秀でた容姿を持っているだけでも相当だというのに、豪邸の生まれときた。
さらに現時点で、愛と優樹は共に過ごす相棒として互いを選んでいるのだ。齢十歳にして、全てを兼ね備えているといっても過言ではない。
「へへ、私たちは神様に愛されてるから」
「愛され過ぎだろ。よくこんな好条件のお前らが出会ったな」
「私と優樹くんが一緒にいるのは必然だから。もともと優樹くんの家と私の家は仲良いし、ずっと一緒にいるんだよ。これからもね」
鼻歌を歌いながら石畳を歩く愛は、狙撃に怯える誠司と違って、慣れ親しんでいる。
まるで自分の家を案内しているようだ。きっともう数えきれないぐらい、この道を歩いてきたのだろう。
「優樹くんたちがいるのは向こうだよ」
建物をぐるりと右に回り込むと、すぐに二人の姿が見つかった。
枯山水庭園の中に、不自然に出現した砂地の中央には、正方形の壁がある。背丈ほどの壁は、どうやら野球ボールの壁当て用に作られたらしい。
今は優樹たちがこちらに背を向けた状態で、壁に向かってボールを投げている。
「いたいた。優樹くーん、琥珀ー」
愛の呼びかけで振り向いた二人は、誠司の姿に各々反応を見せる。
優樹は、我が家に訪れた意外な人物に目を丸くさせた。歓喜する犬が尻尾をぶんぶん振るように、大きく誠司に手を振っている。
一方、琥珀の尻尾は膨らみを見せ、ピンと一直線に上向きだ。あんぐりと口を開けたことで、咥えていたボールはぽとりと落下して、足元に転がった。
見事に静と動に分かれた二人。優樹はパッと表情を明るくさせて、駆け寄ってくる。
「誠司さん!」
まるで遠距離恋愛をしている恋人に会ったかのように、優樹は誠司に勢いよく抱き着いた。誠司を見上げる瞳は、輝きに満ちている。
「お前またフォーム綺麗になったな」
「本当ですか⁉ 誠司さんにコツ教えてもらってから、投げやすくなったんです」
毎週土曜日に、誠司が野球を教えていた甲斐があり、優樹の技術はすくすくと成長していた。もともとセンスが良かったのもあるが、何より集中力が高く、吸収率が非常に良いのだ。
目に見えて上達していくのが嬉しかったのか、いつしか優樹は誠司のことを名前で呼ぶようになり、この通りよく懐いている。
初めは友人に誘われたから、という理由だったが、優樹も今では身も心も正式に少年野球チームの一員である。完全に野球に目覚めたのだ。
「わっ、愛ちゃん」
「優樹くん、私にはしてくれないの?」
誠司に抱き着いている優樹の背中を、愛が抱きしめる。愛は優樹が自分への挨拶もすっ飛ばして、誠司に駆け寄ったことが不満らしい。
誠司は自分に張り付いている小学生二人を引き剥がす。いちゃつくのは勝手だが、二人でやってもらいたい。
誠司が本来の目的に視線を向けると、琥珀はハッとして、わかりやすく狼狽えていた。
丸見えの状態で、左右を行ったり来たりしたあと、壁の後ろに身を隠す。
優樹への、なぜ誠司がここにいるのかの説明役は拗ねモードの愛に任せることにする。
誠司も壁の裏に回ると、琥珀がぴったりと壁に向かってお座りをしているのが見えた。
「な、なんで誠司がここにいるんだよ」
「なんでって……お前を」
迎えに来たと、言う前にふと考えがよぎる。豪邸暮らしで将来も有望な優樹と、ホームレスの三十超えたおっさん。琥珀がどこにいた方が幸せになれるのか、考えるまでもない。
「……お前はここにいたいか。まあ神社に戻るより、ここにいる方がよっぽどいい暮らし出来るよな」
愛想を尽かされても仕方がない。
寄り添おうとした琥珀に、何度も距離を置いたのは他でもない誠司自身なのだから。
琥珀は依然として、こちらを振り向くことはなく、耳を伏せて沈黙している。
「いや、ちげぇ。そうじゃない。……悪かった」
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