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第66話 家出
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その後二日が経ち、琥珀は努めて明るく振舞っていた。
重い空気にならないように、誠司にちらちらと話を振っていたが、誠司は以前にも増して口数が減った。
まるで琥珀が来たばかりの頃、いやそれよりも意図して距離を置かれている気がする。
少しずつ誠司を知って、ようやく二人で一緒に過ごすことが、異常ではなく通常になってきたのだ。壊したくない、誠司に嫌われるのは、琥珀にとっても避けたいことである。
けれど、問題を問題のまま放置はしておけない。琥珀は、どきどきを不安に駆られながらも、誠司への説得を諦めなかった。
「な、なぁ誠司。俺も一緒に行く。ずっと隣にいるからさ、やっぱり誠司の地元に行ってみねぇ? ほら、一人だったら行き難いかもしれねぇけどさ。俺、絶対隣にいるよ。あっ、お姉さんも一緒に来てくれるかも」
田淵にあれほどの怒りをぶつけていた華だ。きっと力になってくれると、琥珀は誠司に伝えるが、誠司は大きなため息をついた。
「いいって。まじでしつこいぞお前」
琥珀が口を出すたびに、誠司の壁が頑強になっていくのを感じる。このまま、姿が見えなくなるぐらい、高くなってはしまわないだろうか。
腹が立って仕方がない。琥珀は人間界に来て、自分の無力さに何度嫌気がさしたことだろう。口だけは達者で、実際にはなんの力にもなれない。
誠司以外の人間とは、まともに話すことも出来ない琥珀はただ、誠司のそばにいることしか出来ない。誰より味方をしているのに、それを示す力を持っていなかった。
誠司が本当に過去を乗り越えているなら、または忘れられていたのなら、田淵たちを野放しにしたままでいるのは悔しいが、それでも良かった。
無理に掘り起こそうとは思わなかったが、誠司は重たい荷を背負わされたままなのだ。このまま時が流れるのを待って、軽くなるものではない。仮に、時間が解決するにしてもだ。
高校一年生だった少年が、三十歳になった今もこうなのだ。風化するまでに、一体どれほどの時間を要するのだろう。
数千年と生きる琥珀たちとは異なり、人間は瞬く間に老いて寿命も短く、儚いものだというのに。
「誠司の……誠司のわからず屋っ!!!」
どうか、裏切られた過去に囚われず、堂々と胸を張って歩いて欲しい。その手伝いが出来ないことが、歯痒くてたまらなくて、琥珀は神社を飛び出した。
***
「あーさみぃ」
黒のダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、誠司は人もまばらな商店街を歩いていた。吐いた息はすぐに白くなり、身に染みる寒さを物語っている。
ランチタイムもとっくに過ぎて、通学通勤者はまだ帰宅しない午後四時、最も人通りが少ない時間だ。
誠司の視線は、路地裏や店の物陰など、何かを探すように注意深く見回していた。
今日で琥珀が神社を出て行ってから、三日目になる。間に一度も帰ってくることはなく、誠司の舌打ちは増えていた。
買い出しに来たまではいい。
だが、先ほどスーパーの前にくくられていた白い犬を見て、琥珀だと勘違いしてしまった。
誰かに捕まっていたのかと駆け寄ったが、ただ白いだけで全く犬種も異なり、琥珀とは似ても似つかない犬であった。
琥珀は鼻が低く、子犬らしい丸みがあるが、スーパーの店先にいた飼い犬は四角い顔をしたシュナウザーと呼ばれる洋犬である。
あんなに洒落た犬と、琥珀を間違うなんてどうかしている。
琥珀は誠司に愛想を尽かして、出て行ったのだろうか。それならばもう二度と、会うことはないのかもしれない。
「……その方が、せいせいする」
ぽつりと落ちた呟きは、白い息になって寒空の下に消える。
ずっと望んでいた展開だった。誰とも関わることなく、ただ終わりが来るのを待っていたい。胸に強い感情を抱くのは、大嫌いなのだ。
「くそ、馬鹿犬。出ていくならいくで、そう言えっての」
ただ、喧嘩別れのような形になっていることが、誠司の中でしこりになっていた。
それに、琥珀のことだ。どこかでドジをして事故に遭っただとか、帰れなくなった可能性も否定できない。
杞憂であればいいが、時間が経つにつれて、琥珀が野垂れ死んでいる光景が頭に浮かぶようになってきた。
もしもまた、自分のせいで誰かが死んでしまったら。そう考えただけで、息苦しさを覚える。まるで自分の周囲だけ酸素が薄くなってしまったようだ。
両親の死を知らされた時の感覚が蘇る。世界が遠くなるような、激しい焦燥感と不安に襲われながらも、なすすべがなく立ち尽くすしかない。誰かが色々と説明をしていたが、それはただの音となり、内容が聞こえなくなるのだ。
酸素を求めて浅くなりそうな呼吸を、ゆっくり大きくするように努める。
ダウンのポケットの中から、ぎゅっと力いっぱい衣服を握りしめていると、ツンと後ろに引っ張られる。
ぱっと勢いよく振り向くが、そこいたのは誠司が探していた人物ではなかった。
「あれぇ、おじさん。今、誰と間違えたの?」
にーっこりと笑顔を見せた愛は、小さく首を傾げる。
真っ白のロングコートは袖と襟部分にファーが付いており、グレーのショートブーツとよく合っている。まるで天使のような風貌で、少女は笑みを浮かべた。
「ね、誰と?」
「……お前にゃ関係ねぇよ」
「お前って言わないで。愛って呼んで」
この少女の笑顔が見た目通りに白く見えないのは、誠司の気のせいではないだろう。
今一人で、愛と渡り合える気がしない。相棒の少年が必要だ。
重い空気にならないように、誠司にちらちらと話を振っていたが、誠司は以前にも増して口数が減った。
まるで琥珀が来たばかりの頃、いやそれよりも意図して距離を置かれている気がする。
少しずつ誠司を知って、ようやく二人で一緒に過ごすことが、異常ではなく通常になってきたのだ。壊したくない、誠司に嫌われるのは、琥珀にとっても避けたいことである。
けれど、問題を問題のまま放置はしておけない。琥珀は、どきどきを不安に駆られながらも、誠司への説得を諦めなかった。
「な、なぁ誠司。俺も一緒に行く。ずっと隣にいるからさ、やっぱり誠司の地元に行ってみねぇ? ほら、一人だったら行き難いかもしれねぇけどさ。俺、絶対隣にいるよ。あっ、お姉さんも一緒に来てくれるかも」
田淵にあれほどの怒りをぶつけていた華だ。きっと力になってくれると、琥珀は誠司に伝えるが、誠司は大きなため息をついた。
「いいって。まじでしつこいぞお前」
琥珀が口を出すたびに、誠司の壁が頑強になっていくのを感じる。このまま、姿が見えなくなるぐらい、高くなってはしまわないだろうか。
腹が立って仕方がない。琥珀は人間界に来て、自分の無力さに何度嫌気がさしたことだろう。口だけは達者で、実際にはなんの力にもなれない。
誠司以外の人間とは、まともに話すことも出来ない琥珀はただ、誠司のそばにいることしか出来ない。誰より味方をしているのに、それを示す力を持っていなかった。
誠司が本当に過去を乗り越えているなら、または忘れられていたのなら、田淵たちを野放しにしたままでいるのは悔しいが、それでも良かった。
無理に掘り起こそうとは思わなかったが、誠司は重たい荷を背負わされたままなのだ。このまま時が流れるのを待って、軽くなるものではない。仮に、時間が解決するにしてもだ。
高校一年生だった少年が、三十歳になった今もこうなのだ。風化するまでに、一体どれほどの時間を要するのだろう。
数千年と生きる琥珀たちとは異なり、人間は瞬く間に老いて寿命も短く、儚いものだというのに。
「誠司の……誠司のわからず屋っ!!!」
どうか、裏切られた過去に囚われず、堂々と胸を張って歩いて欲しい。その手伝いが出来ないことが、歯痒くてたまらなくて、琥珀は神社を飛び出した。
***
「あーさみぃ」
黒のダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、誠司は人もまばらな商店街を歩いていた。吐いた息はすぐに白くなり、身に染みる寒さを物語っている。
ランチタイムもとっくに過ぎて、通学通勤者はまだ帰宅しない午後四時、最も人通りが少ない時間だ。
誠司の視線は、路地裏や店の物陰など、何かを探すように注意深く見回していた。
今日で琥珀が神社を出て行ってから、三日目になる。間に一度も帰ってくることはなく、誠司の舌打ちは増えていた。
買い出しに来たまではいい。
だが、先ほどスーパーの前にくくられていた白い犬を見て、琥珀だと勘違いしてしまった。
誰かに捕まっていたのかと駆け寄ったが、ただ白いだけで全く犬種も異なり、琥珀とは似ても似つかない犬であった。
琥珀は鼻が低く、子犬らしい丸みがあるが、スーパーの店先にいた飼い犬は四角い顔をしたシュナウザーと呼ばれる洋犬である。
あんなに洒落た犬と、琥珀を間違うなんてどうかしている。
琥珀は誠司に愛想を尽かして、出て行ったのだろうか。それならばもう二度と、会うことはないのかもしれない。
「……その方が、せいせいする」
ぽつりと落ちた呟きは、白い息になって寒空の下に消える。
ずっと望んでいた展開だった。誰とも関わることなく、ただ終わりが来るのを待っていたい。胸に強い感情を抱くのは、大嫌いなのだ。
「くそ、馬鹿犬。出ていくならいくで、そう言えっての」
ただ、喧嘩別れのような形になっていることが、誠司の中でしこりになっていた。
それに、琥珀のことだ。どこかでドジをして事故に遭っただとか、帰れなくなった可能性も否定できない。
杞憂であればいいが、時間が経つにつれて、琥珀が野垂れ死んでいる光景が頭に浮かぶようになってきた。
もしもまた、自分のせいで誰かが死んでしまったら。そう考えただけで、息苦しさを覚える。まるで自分の周囲だけ酸素が薄くなってしまったようだ。
両親の死を知らされた時の感覚が蘇る。世界が遠くなるような、激しい焦燥感と不安に襲われながらも、なすすべがなく立ち尽くすしかない。誰かが色々と説明をしていたが、それはただの音となり、内容が聞こえなくなるのだ。
酸素を求めて浅くなりそうな呼吸を、ゆっくり大きくするように努める。
ダウンのポケットの中から、ぎゅっと力いっぱい衣服を握りしめていると、ツンと後ろに引っ張られる。
ぱっと勢いよく振り向くが、そこいたのは誠司が探していた人物ではなかった。
「あれぇ、おじさん。今、誰と間違えたの?」
にーっこりと笑顔を見せた愛は、小さく首を傾げる。
真っ白のロングコートは袖と襟部分にファーが付いており、グレーのショートブーツとよく合っている。まるで天使のような風貌で、少女は笑みを浮かべた。
「ね、誰と?」
「……お前にゃ関係ねぇよ」
「お前って言わないで。愛って呼んで」
この少女の笑顔が見た目通りに白く見えないのは、誠司の気のせいではないだろう。
今一人で、愛と渡り合える気がしない。相棒の少年が必要だ。
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