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第62話 悔し涙と悲しい涙
しおりを挟む誠司の命令で弾かれたように距離を取った田淵へ、華と琥珀は追撃にいこうとする。
それを必死で止めているのが誠司だ。
華への制止は気遣いながら。琥珀へはあまり手加減をする余裕がないのか、結構な力で琥珀を押さえつけている。
「誠司、苦しい」
「大人しくするなら離してやる」
「大人しくはしませんが、離して下さい」
「今のは高嶺さんに言ったんじゃ……いや、あんたもそろそろ大人しくしてくれ」
今日は特別好戦的な華に、誠司も対応に困っているらしい。
琥珀としては、華を全力で応援しているのだが。あと何発だって、田淵にかましてやって頂きたいところだ。
「やだ、腫れてる……!?」
化粧ポーチから取り出した手鏡で、田淵は自らの頬を確認している。
少し時間が経って、田淵はようやく華にされた事を理解したのだろう。
「ちょっといきなり、何よ!? 酷いじゃない!!」
「やり返していいですよ。私もしますけど」
「高嶺さん、やめろ」
激昂する田淵に、華がまた挑もうとする。
華の口調こそ、田淵のように荒ぶってはいないが、怒り心頭中であるのは察する事が出来た。
「酷いのは、どっちですか」
そう小さく告げた華の声は、田淵には届いていないらしい。
「あなた、こんな事していいと思ってるの? 暴行よ、これは暴行よ!」
何度も角度を変えて、手鏡を覗き込んでは華を睨みつけてと、田淵の視線はせわしなく行き来する。
「警察でもなんでも、好きにして下さい」
眉根を寄せた華が、きつく唇を噛み締める。その声は、少し震えていた。
「ええもちろん! そうさせてもらうわ」
「どうぞ。あなたが藪原さんにしたことも、全て話しますから」
そう返されるとは思っていなかったのだろう。田淵の口からとめどなく溢れていた華への文句が、ぴたりと止んだ。
「あなたが藪原さんにしたこと、本当にわかってますか」
「だから、今謝って」
「わかってません!! あなたは、絶対に」
華の怒鳴るような声を初めて聞く。公園中どころか、商店街を通る人にも聞こえそうな程だ。
続く言葉を吐き出す前に、耐えきれなくなった涙が、華の頬を伝った。
「どうして、そんな事が……」
出来るのかと告げた言葉の最後はもう、ほとんど消えてしまっていた。
華はパッと涙を手で拭うが、次から次へと溢れる涙の前では、それは無意味に終わる。
「お姉さん……」
琥珀には、華の気持ちがよくわかった。悔しさと、悲しみが混じる涙だ。つられるように、琥珀の瞳からも大粒の涙が零れる。
「た、高嶺さん、どうして泣い……は!? お前もかよ!?」
誰が見てもわかるくらいに、狼狽えている誠司は、華から琥珀へ視線を移して驚愕する。
「二人ともなんで泣くんだよ、お、おい。ちょっと待ってくれ」
「藪原さんも、なんでですか」
「な、なにがだ? 高嶺さんどうした? ほら泣き止んでくれ」
手を上げたり下げたりと、無駄な動きを繰り返しながら、誠司は華の顔を覗き込む。
「いくら……いくら好きだからって、どうしてこんな人の為に藪原さんが悪人にならなくちゃ駄目なんですか」
「そうだ誠司、女の趣味悪過ぎるだろ。その辺の虫だって、もう少し可愛げあるぞ」
確かに、田淵は不細工ではない。むしろ綺麗な部類に入るだろう。
媚びるような言動を愛嬌というのなら、そうなのだろうが。
何せ、人格が破綻している。性格ブスなどでは、許容出来ないぐらいの崩壊度合いだ。
高校時代の田淵を知らないが、聞いている限りでは、本質は今とそう変わっていないだろう。
「そ、そうよ。あの時は、誠司くんが私の為にしてくれたことなんだから」
警察に真実を伝えると言った時、田淵は少し戸惑っている様子だった。どうやら、悪い事をしたという意識はあるらしい。
だが、その僅かな罪の意識も消えたのか、田淵は勝ち誇ったような顔をしている。
出会った時と同じ、底意地の悪そうな笑みを浮かべるが、腫れた頬が邪魔をするのか笑顔はより歪に映る。
「ああ、そっか。やだ、嫉妬? 誠司くんが私のこと好きだったからって、手まで出すなんて。醜い女」
「なっ……今は、そんな話じゃなくて、あなたが、藪原さんを」
「あーやだやだ。私、昔から多いのよね。こうやって妬まれたりするの。女の嫉妬って、これかだから嫌なのよ」
「あんたまじで会話出来ねぇな! 少しは話聞けよ! それに、お姉さんはそんな人じゃねぇ!」
有利を悟った田淵が、高飛車に出る。
それに対して、泣きながら話す二人の反応は様々だ。
あまりに意思疎通が不可能な田淵を相手に、華は言葉を飲み込んでしまって。琥珀はそんな華を援護するように、田淵にくってかかっている。
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