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第55話 キャッチボール②
しおりを挟むその間も、ひたすら優樹はボールを投げ続けて、べちべちとボールが壁にぶつかる鈍い音がする。
「あー……くそ」
がりがりと頭を掻いて、誠司は、一生懸命不細工な野球をする少年に目を向けた。
「力任せに投げるな」
「え?」
「腕をしならせるように投げるんだよ。もっと自然に振りぬけ」
「は、はい!」
「こっちに投げてみろ」
大きく右へ逸れたボールを、誠司は大股で踏み込むと同時に身体を反転させて、地面すれすれの所でキャッチする。
「おお」
「おじさん凄ーい」
ふわりと投げ返してやると、ボールを捕った優樹は、キャッチボールが出来た事が嬉しいのか顔を綻ばせていた。
「右手で捕るな。左で取れ」
「はい!」
「おじさんもさっき右に飛んで来たのに、左で捕ってたね」
「右利きならグローブは左だ。軟式の内はまだしも、硬式になったら素手なんかじゃ取れねぇよ」
どちらにしろ、練習中や試合の際に、素手でボールを捕るのは軟式でも危険だ。素人のうちは、利き手ではない方でキャッチをするのは大変かもしれないが、回数を重ねれば出来るようになる。
「相手の胸めがけて投げろ。力まずに、軽くでいい」
「はい!」
今度は、しっかりと誠司のもとへと届く。
しかし誠司の指示通り、優樹は投げ返されたボールを左手でキャッチしようとして、失敗に終わっていた。
「ご、ごめんなさい。こんなに綺麗に投げてくれてるのに」
慌ててボールを拾い上げる優樹に、誠司は手本をするように両手を胸の前に出した。
左手でボールを掴む動作をした後に、それを包むように右手を添える。
「基本は左手で捕って、慣れないうちは右でフォローしてもいい」
すぐに右手は必要なくなると言った誠司に、優樹は何度も何度も頷いて、返事をしていた。
それから小一時間ほど経過して、優樹は問題なくキャッチボールが出来るようになった。
途中から距離を伸ばし、投げる力も強めてみたが、そのほとんどは誠司のもとへしっかり届いていた。どうやら、優樹は肩が強いらしい。野球では、かなりの強みになるだろう。
「悪くねぇよ」
「ありがとうございました。本当に、本当にありがとうございます!」
「捕る方はまだまだだけどな。その分じゃすぐ慣れるだろ」
「はい! 頑張ります」
実際にやってみてわかったが、もともと運動神経は良いらしい。ただ、やり方を知らな過ぎたのと、練習方法に問題があっただけだ。
「凄いね。優樹くん、試合出れる?」
「え? えっと、それはまだまだ全然」
「捕る動作に慣れてないだけで、身体はしっかり動いてたからな。チームのレベルは知らねぇが、練習試合くらいなら卒業するまでに出して貰えるだろ」
「本当ですか?」
優樹の表情がパッと明るくなる。後から始めて、実力不足といえども、やるからにはいつか試合で活躍したいものだ。
「どれだけ打てるかは知らねぇけどな」
「優樹くん、打つのは出来るよね」
「うーん、そうだね。バッティングの方が得意かな」
「前の練習、ピッチャーの子泣きそうだったじゃん」
「へぇ、大したもんだな」
入ったばかりの素人に、ばかすかと打たれたらしいピッチャーは気の毒だが。
バッティングセンスがあるというなら、なおさら優樹の試合に出る日は近くなるだろう。
「あの、また練習、見てもらえます……か?」
一人で練習していた時と、誠司の指導のもと練習していた時では、上達速度に天と地の差があった。
それを体感した優樹は、言い難そうに申し出る。
「本当に、少しだけでも、たまにでも良いんです」
「あーいや。俺はもう野球をする気は……」
誠司は言葉を詰まらせる。
指導者と教え子として、誠司と優樹の相性は悪くない。見る間に成長していく優樹のこれからを、見守りたいと思わなくもないが。
断ろうとする誠司に、愛が歩み寄る。
「おじさん、これ。良かったら」
「お前……それ」
すっと黒猫型の鞄から取り出したのは、ギフト券。某高級焼肉店のものだ。
「校長先生がくれたんだけど、貰って?」
券があれば、タダで霜降り肉が食べ放題。それが、たっぷり五枚もある。
時間を持て余している誠司がほんの少し、優樹に野球を教えてやるのと。五枚の紙。
どちらに価値があるなんて、考えなくてもわかる。
「交渉成立だ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「優樹くん、良かったね」
毎週土曜日、練習に付き合う事を約束する。時間は向こうに合わせて、準備が出来たら神社へ迎えに来る手筈になった。
解散した一同は、それぞれの家へと帰って行く。
誠司の手には、しっかりと高級焼肉店のギフト券が握られていた。
「あー、肩が痛ぇ」
誠司は右肩を押さえながら、ぐるぐると腕を回す。準備運動もなく、始めたのがいけなかった。
優樹があれほど投げれるとは思わず、途中からそこそこ激しいキャッチボールになった事も原因にある。
「ははっ、誠司って野球上手いんだな」
見直したような眼差しで、琥珀は隣を歩く誠司を見上げる。
優樹がどこへ投げても、誠司が後ろに逸らした事はただの一度もなかったのだ。
「……昔は、強豪校にスカウトされて入ったからな」
「え、すげぇじゃん!」
「昔の話だ」
「でも、今も野球好きなんだろ?」
「あ?」
「誠司、楽しそうだったぞ」
何故か琥珀が嬉しそうに、目を細めて告げる。
そんな意識がまるで無かったのか、誠司は確かめるように、まだボールの感覚が残る右手を見つめる。
「最後にボール触ったのは、いつだったかな……」
もう十年以上前になるのに。懐かしい〈野球〉は、誠司の身体に、驚くほどよく馴染んでいた。
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