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第54話 キャッチボール①
しおりを挟む危惧していた集会は結果的に、行って良かったと言える時間になった。
むしろ、容姿というコンプレックスを克服した琥珀の視界は、以前よりも明るい。
琥珀は澄んだ青空を見上げながら、ご機嫌に商店街からの帰路を歩いている。
もうすぐ年の瀬ということで「年越し蕎麦が食べたい」と、何気なくした琥珀の申請が通ったのだ。
「俺、年越し蕎麦初めて」
ひと玉20円の蕎麦をみっつと、ボトルに入った薄めずに使えるストレートタイプのつゆだけ購入して、誠司と帰宅しているところだ。
かけ蕎麦だが、今は節約生活中だ。鍋で熱々になった蕎麦は、十分美味しいだろう。
「あっ」
帰り道の途中で、知った顔を見かけて、琥珀が立ち止まる。
琥珀の視線を辿った誠司もまた、その人物達に気が付いたらしい。
「愛ちゃんだ! 優樹くんもいる」
商店街通りのすぐそばに公園がある。遊具は、錆びれたブランコと滑り台だけ。
他には、鬼ごっこは難しいが、縄跳び等の道具遊びなら、なんとか出来そうな広場がある。
そこに愛達の姿があったのだ。
二人は一緒にいるが、同じことをしているわけではない。
優樹は古過ぎて誰も寄り付かないトイレを壁にして、野球のボールを投げていた。それを愛が、タピオカを片手に眺めている。
「わーなんか……」
めちゃくちゃなフォームで力一杯に投げつける優樹のボールは、至る方向へ跳ね返り、優樹のもとへは戻ってこない。
「一生懸命、だよな!!」
「ああ、下手くそだな」
「おい、誠司!」
あまりにも必死な表情で優樹が投げているから、琥珀もオブラートに包んだというのに。誠司には優しさというものが足りない。
「いや、でもまあ……」
確かに、誰がどう見ても下手だ。
本人は真剣なのだろうが、毎回投げる位置が違う。だから、高さも左右にもばらつきしかない。
きっとこのまま、何時間投げ続けようとも、それほど上達はしないだろう。
「そういや誠司、昔野球やってたんだろ?」
二ヶ月ほど前に、商店街で誠司の同級生に出会った時。確か、俊とかいう失礼な男は、そう言っていた。
誠司の実力は知らないが、野球の強豪校にいたというのなら、それなりに出来ると考えていいのだろう。
「……だからなんだ」
「教えてやったら?」
「断る」
少しも悩む素ぶりがないほど、即答だった。
「なんでだよ」
「嫌だからだ」
「だってさ、あれ見て何も思わねぇの?」
本人は至って真面目なのだろう。大真面目に、へなちょこのボールを投げている。
それほど離れた距離から投げていないのに、どうしてそうも方向が定まらないのか。
「おじさーん、琥珀ー」
向こうも、琥珀たちの存在に気が付いたようだ。愛は名前を呼んで、手を振っている。
おいでおいでと、手招きされたそれに誘われて、琥珀は愛のもとへ向かう。誠司も渋い顔をしながらも、ついて来た。
「あ、こんにちは。お久しぶりです」
「優樹くん久しぶりだなー!」
琥珀が駆け寄れば、優樹は壁当てを中断し、居住まいを正して頭を下げる。
なんだろう、やはり彼の所作には少年感がまるでない。愛とはまた違った雰囲気で、大人びた少年である。
「今ね、野球の練習してるのよ」
「野球は体育の時間でもなかったから、初めてなんですけど……難しいです」
この真冬に大粒の汗をかきながら、優樹くんは苦笑する。
仲の良い友達が辞めて寂しいから来て欲しいと、友人に頼まれて、優樹は少年野球チームに入ったらしい。
だが、チームはすでに出来上がっていて、それなりに強いチームだった。メンバーは、小学校入学と共に、野球を始めた子ばかりだったそうだ。
「みんな、僕に優しくしてくれるけど申し訳なくって」
そんな中で、小学五年生で急に野球を始めた優樹がついていけるはずもなく。
こうして、一人で練習に励んでいるわけだ。
「ねぇおじさん、野球してたんでしょ? 教えてくれない?」
誠司が野球をしていたという発言は、なかなか強烈に愛の記憶に残っている。
今では無気力極まりないおっさんが、過去とはいえ、スポーツに勤しんでいる姿が想像出来ないのだ。
「無理だ」
先ほど交わしたやり取りをもう一度するのかと、誠司はしかめっ面を見せるが、少年少女の引きは思ったよりも早かった。
「そっかー、残念」
「いえ、そんな! 大丈夫です、出来ない僕が悪いので」
あっさりと手助けを諦めた二人に、少々拍子抜けする。琥珀だけが、まだ少し納得しかねているようだ。
練習を再開した優樹に、琥珀はもどかしそうにその場をうろついていた。
「俺が手伝う!」
三球分のストックを持っている優樹のボールは、三回投げたらなくなり、すぐに拾いに行かなくてはならない。
見ていられなくて、琥珀は散らばっているボールを拾いに行く。
「はい、ボール」
「えっ……ありがとう」
優樹のもとへボールを運んでやれば、照れの混じった笑顔を向けられる。
愛の容姿があまりに天使的な愛らしさだったため、影に埋もれていたが。
優樹も優樹で、相当整った顔立ちをしていた。少しタレ目なところが、彼の優しい雰囲気を引き出している。将来きっと男前になるだろう。
「……おい」
「なぁにおじさん」
「あいつは、いつからああしてんだ」
「優樹くん? もう五時間ぐらいかな」
愛の隣に腰を下ろしていた誠司だが、表情は見る度に険しくなっていく。
あさっての方向にボールを投げる優樹と、甲斐甲斐しくボールを拾いに行く琥珀。
十分ほどこの光景を眺めていたが、まるで上手くなる兆しがない。再現を見ているようだ。
「……お前が、相手してやればいいんじゃないか。壁じゃ的がでか過ぎる。キャッチボールの方がいい」
「うーん、私もそう思ったんだけど」
見てて、と立ち上がった愛は、琥珀を呼び寄せてボールを受け取った。
「おじさん、行くよ」
「は? おい」
少し離れてから、振りかぶった愛は、誠司に向かってボールを投げる。
そう。投げた、はずだった。
誠司に飛んで行くはずのボールは、愛の目の前で地面に叩きつけられて、ほぼ真上にバウンドする。
「とった!」
「ナイスキャッチ」
ぱくりと、高く上がったボールをジャンピングキャッチした琥珀に、愛が拍手を送る。
そして、愛の視線は誠司へと向けられた。
「どう?」
「天才か。何をどうやったらそうなんだよ」
「優樹くんとキャッチボール、出来なかったの」
「だろうな」
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