上 下
19 / 99

第18話 愛ちゃんが見たもの①

しおりを挟む

 向こうも子犬の事を覚えていたのだろう。少女らしく可愛らしい声というよりは、清流のように心地良い声が耳に届いた。

「元気そう。良かった」

 階段を上りきった愛は、子犬の前でしゃがみ込むと、ふわふわと頭をなでた。
 その優しい手つきが、天界の頃を思い出させて、子犬の心がほどけたのがわかる。天界では、よくこうして頭をなでてくれた神が居たのだ。
 もうその神も、十年ほど前に天界から居なくなってしまったから、誰かに頭をなでられるなんて久しぶりの感覚だった。

「はっ、気持ち良くなってる場合じゃねぇ。愛ちゃん、なんでこんな所に居んの?」
「綺麗な毛並み」

 子犬が話しかけたところで、契約者以外の人間には声が聞こえるはずもなく、問いかけの返事はもちろん来ない。
 愛は白くて柔らかな子犬の身体をなで続け、子犬もその心地良さに身を任せる。

「……人間って〈立ち入り禁止〉とか、気にしないんだな」

 危険があったり、私有地であるなど、それなりの理由があるから、立ち入り禁止の看板があるのだ。そんな場所に、わざわざ入らなくてもいいだろうに。人間とはわからないものである。

「ここに来て十日程度で、二人目じゃん」

 なかなかのハイペースで人間を見かけている。天界でこの神社聖域は、人間が寄り付きにくいようになっていると教わっていたが、それもいよいよ信用出来ないものだ。

「あのおじさんは? 死んだの?」
「死んでない! 仕事! 今仕事行ってんの!! 生きてるよ!!」

 冗談ではなく、ただの確認として聞いていそうな愛が恐ろしい。

「まあ、あの日の後にもおじさん見かけたから、死ぬのやめたんだと思ったけど」
「え、おっさんを? いつ?」
「ペットショップで、子犬用のドックフード買ってた。あれ、君のでしょ」

 子犬から手を離した愛は、階段の一番上に腰を下ろすと、おいでと手招きする。
 それに従って、子犬は愛のすぐ隣に座ってみると、にこりと笑顔を向けられた。

「私もそこに居たけど、可愛いペットショップで、なんだかおじさんだけ果てしなく浮いてて笑っちゃった」
「うわー……すげぇ想像つくな」

 不審者のような風貌で現れたおっさんに、客と店員は引き気味だったそうだ。コロコロと笑いながら話す愛は、ちらりと子犬を横目で見る。

「でも、おじさんはいい飼い主ね」
「は? なんで!? しかもおっさんは飼い主じゃねぇから! ……いや、一応主従関係が結ばれたんだから、主人ってことになる……のか? いや、でも」

 本来、人間と契約しても神にそこまでの規制はない。暗黙の了解として、行わないものだが、理由があればその契約者から離れる事も可能だ。
 ただ今回のような子犬とおっさんの異端契約だと、話も違ってくる。契約中に子犬に触れたおっさんは、あるじとみなされ、おっさんの方が〈上〉であるのだ。
 それほど不便はないのだが、おっさんの強い拒絶や制止された時には、子犬は立ち止まってしまう事が多い。

「あのおっさんが主とか、全然そんな感じしねぇけど。実際そうなのか」

 納得したくない気持ちでいっぱいな子犬を他所に、愛は当時のおっさんの様子を話してくれた。

「おじさんドックフードの前から、全然動かなくって。店員さんが警戒して見てたら、話しかけたの。『どれがいいのか』って」
「え?」
「『犬に食わせるには、どれがいいんだ。種類が多くてわからねぇ』って、なんかわからないけど怒り気味で」
「……あのおっさんが??」
「その後も成分がどうとか店員さんの話しっかり聞いて、結局ね? 高い高い言いながら、子犬の成長のためにはコレっていう店員さんの一番のオススメ買っていったの」


 愛は、おじさんは顔に似合わず良い人だと、可笑しそうに笑うが、子犬はぽかんとしてその話を聞いていた。

 おっさんが言った『犬に食わせるには』その犬というのは、明らかに子犬の事を指している。

「あのおっさんが、俺のために……」

 神にドッグフードを食べさせるなんて、どういう事だと怒りを覚えたものだが、あれは子犬の為に、おっさんが悩んだ上で購入して来たものらしい。

「へ、へぇ。そう。そうなんだ」

 職場でも誰とも話さず、人と関わる事を嫌がってるおっさんが、わざわざ店員に聞いて。
 一体どんな顔をして、その可愛いペットショップに入っていったのだろうと思えば、子犬の胸の奥が温かくなるのを感じる。

「嬉しい?」
「いやっ俺は全然! 別に? あんなホームレスで、挨拶も返さねぇおっさんに、そんなわけねぇじゃん」

 パタパタと左右に揺れる子犬の尻尾を見て、愛は目を細めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

後宮の記録女官は真実を記す

悠井すみれ
キャラ文芸
【第7回キャラ文大賞参加作品です。お楽しみいただけましたら投票お願いいたします。】 中華後宮を舞台にしたライトな謎解きものです。全16話。 「──嫌、でございます」  男装の女官・碧燿《へきよう》は、皇帝・藍熾《らんし》の命令を即座に断った。  彼女は後宮の記録を司る彤史《とうし》。何ものにも屈さず真実を記すのが務めだというのに、藍熾はこともあろうに彼女に妃の夜伽の記録を偽れと命じたのだ。職務に忠実に真実を求め、かつ権力者を嫌う碧燿。どこまでも傲慢に強引に我が意を通そうとする藍熾。相性最悪のふたりは反発し合うが──

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

処理中です...