妖派遣はじめました

もじねこ。

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29話 女郎蜘蛛の住処

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* * *

 凪と別れたあと、白乃姫は蒼葉のもとに向かった。
 蒼葉は気分で住処を移すが、春以外であれば比較的簡単に見つかる。
 社殿から林を見渡すと、一本だけ桜満開の木がある。そこに蒼葉が寝泊まりしているのだ。桜の季節に探すのは不可能に近いが、幸いにも今は初夏である。
 白乃姫が訪れると、蒼葉は暮椿と木の下で季節外れの花見を楽しんでいた。驚いたのは、暮椿が彼氏の翔太を連れていたことだ。

「暮椿の友達を紹介してもらえて嬉しい」と、ナチュラルに妖に混じる翔太の姿は少し異様だった。柔軟と言えば聞こえはいいが、盲目という方が近そうだ。彼は本当に暮椿がいればなんでもいいらしい。
 姿を見つけて近付くまでに翔太が暮椿に「結婚してくれ」と言うのが五回は聞こえた。
 蒼葉も隔てない妖なので「あらあらまあまあ。仲がよろしいのですね」と、にこにこしながら翔太が持参した高級洋菓子を頬張っていた。世の中、こういった性質の者ばかりであれば、戦争などなくなるのだろう。
 不思議な光景だったが、思わぬ収穫があった。暮椿が人さらいの妖と面識があったのである。

「ああ、女郎蜘蛛じょろうぐもかな。縄張りに厳しいから、この辺りには一人しかいないはずだよ」

 女郎蜘蛛は蜘蛛の妖の上位互換である。化け猫が数百年の時を経て、猫又になるようなものだ。はるか昔、暮椿の屋敷に家蜘蛛として、少し滞在していたことがあるらしい。
 今はちょうど、桜ノ神社の裏から続く山にいると聞き、白乃姫は早速向かうことにする。なんせ今回は赤ん坊の生死が問われる緊急を要した依頼だ。手遅れの可能性もあるが、急ぐに越したことはない。

「えっ、あっ」

 小走りで社殿に戻った際、参道を横切ろうとしていた珠に遭遇する。気付かぬフリをするには、ばっちり目が合い過ぎているし、間抜けな声も出てしまった。
 白乃姫が急ブレーキをかけると、珠も立ち止った。

(やだ! どうしよう! 私⁉ これは、私から声をかけるべきよね⁉)
「あ、あの」

 沈黙に耐えられる気がしなくて、急いで口を開いたものの言葉に詰まる。珠も、どうしたとは聞いてくれない。

「あ、妖派遣の依頼で、その。女郎蜘蛛のところに行くんだけど。廃墟になった山小屋に住んでるらしくて。あの、何か知ってる?」

 ひねり出した言葉だったが、投げた疑問符に返答はない。ただじっと、白乃姫を見据えているだけだ。
 以前の続きを話すべきだったのだろうか。怒るのならいっそ怒ってくれと思った。恨み言も辛いが、無言は無言でメンタルが削られる。しんとした空気に冷や汗が出てきた。

(ひぃぃ、もうやだ! 話題を間違えた? お願い珠、何か言ってよ!)
「少しでも、あった方がいいから。情報は。知らない妖だから、初めて会うし。あ、でも知ってたからって、絶対教えろってわけじゃなくて。言いたくないなら、言わなくて当然というか」

 もう滅茶苦茶な自覚はある。しかしだ。「妖派遣で急ぐから」と立ち去るのも、珠をないがしろにしているようで角が立つ気がする。珠からの返事以外に打開策がないのだ。
 いつまでこの時間は続くのだろうか、誰か助けて欲しい。

「今おぬしに付き合う気はない」
「そ、そうよね。ごめんなさい。どうぞ、珠は、珠の好きに」

 願いが届いたのか。それとも、珠がしどろもどろな白乃姫を見兼ねたのか。どちらにせよ、珠がすっぱりと一言そう告げたことで、状況は変化してくれた。
 珠が進もうとしていた方向に、そちらへどうぞと言わんばかりに手の平で示すと、珠はそれ以上何も言わず歩き去った。
 林の中へと完全に姿を消すまで見届けて、白乃姫はぺたりと地面に座り込んだ。

「はぁぁぁぁぁぁー、良かっ、良かったぁぁぁ」

 あれ以上、時間を繋げと言われれば、どうなっていただろう。ほんの数分の出来事だったが、気力が根こそぎ持っていかれた。
 どっと疲労感が押し寄せてくる。よほど緊張したのか、脇汗でびっしょりである。
 今から、女郎蜘蛛のところに乗り込むというのに、まさか出発前に瀕死状態になるとは思ってもいなかった。

「駄目、駄目よ。依頼を受けたんだから、今は! ちゃんとしないと!」

 個体差はあれども、妖は生きた時間が長いほどに強さを増す。蜘蛛から女郎になるには、四百年の時が必要なのだ。油断して会っていい妖ではない。
 へたり込んだ両膝を強く叩いて、白乃姫は立ち上がる。幸い、女郎蜘蛛がいる山小屋はそう遠くはない。
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