妖派遣はじめました

もじねこ。

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24話 思い出の山沢 

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* * *

 頭の中で糸が複雑に絡んでしまった気がした。こんな時はと、白乃姫は社殿の裏側から、桜の木が群生した林に入る。奥には、悩み事がある時に足を運ぶ場所があるのだ。
 初夏になり、蒼葉のタフネス効果も終わったらしい。満開だった桜は、ほとんど裸の木になっていた。
 目的地に行く前に、少し寄り道をしてみる。桜の絨毯を踏みしめて、しばらく緩やかな傾斜を下ると、ぽっかりとまあるく空いた場所に出る。
 白乃姫が生まれたばかりの二十年ほど前、珠が父と喧嘩をして、瘴気で草花を枯らしたそうだ。その後は、珠がよく日向ぼっこをする場所になっている。日当たりが抜群で、昔ここに洗った毛布を干したら、珠に激怒された思い出がある。
 今回は居ればいいな、くらいの気持ちだったが、運良く目的の人物を見つけた。

「どうした白乃姫、おぬしがここに来るのは珍しいの」

 珠はこちらに顔も向けず、気持ちよさそうに目をつぶったまま尋ねた。

「えっと、その。ちょっと山沢まで散歩よ」

 凪に告白されて、どうすればいいのか分からないので恋愛相談に乗って下さい。なんて、とてもではないが言えなかった。
 すると珠は横目で白乃姫を見ながら、体を起こして大きな伸びをする。

「山沢、ね……どれ、あたしも付き合ってやろうかえ」
「え? ほんと? 誰かに同行するなんて珍しいわね」
「くく、珍しいとはずいぶんじゃな。あたしはほんに慈悲深く面倒見の良い妖だろうよ」

 いつだって我が道を貫く猫又様がよく言う。珠が起源となり、問答無用で周囲を巻き込むことは多々あるが。こちらが同じ対応をしていても、珠はその日その時で返答が違うのが当たり前だ。
 たくさんの日光を浴びて、珠の長毛が普段よりもふっくらしているのに気付く。ふと幼少期、凪と昼寝をした太陽の匂いがする布団を思い出した。

「ふかふかであったかそうね」
「麗しかろう?」

 毛並みを見せつけるように、流し目をよこした。妖として実力があることも一因だろうが、いつも自信満々な珠は羨ましかった。
 白乃姫は自身に誇れるところなど、何一つないのに。珠のように何百年も生きれば、胸を張って歩くことが出来るのだろうか。

「……ねぇ、私のいいところって思いつく?」
「あるじゃろう。誰にも引けを取らんものがひとつ」

 ぽろりと出た問いかけに間髪入れず返事が来て、思わず口角が上がる。

「えっ、嘘! 本当に? どこ?」
「美しい白銀の御髪が。いつ見ても惚れ惚れするの」
「か、髪? ……他には?」
「さあ、思い当たらん」

 がっくりとうなだれる。もし辛口な珠が褒めてくれたなら、少しは自信を持つことが出来たかもしれないのに。淡い期待は早くも砕け散った。

「はぁ。珠って昔からこの髪好きよね」
「おぬし唯一の長所じゃ。誇るがいい」

 誇るどころか、人間界ではあり得ない容姿に引け目があるというのに。せめて、座敷童子の暮椿のような、一見すると人か妖か分からない風貌であれば、まだ悩みは少なかったのかもしれない。

「遅い。ちゃっちゃと進まんか」
「珠、ちょっと待って」

 急斜面が多くなり、上るのに手間取っていると珠からお小言が届いた。
 地表から出た木の根を掴んで、なんとか進む白乃姫をよそ目に、珠は小さな足場を見つけて跳ねるように上がっていく。
 四足歩行の獣と、二足歩行の人型では山道の歩みが違って当たり前だろう。

「仕方ないでしょ。珠みたいにはいかないわよ」
「おぬしも蛇の姿になればよかろう」

 確かに山道を蛇行する方が効率はいい。けれど、それは嫌だと断りを入れる。よっぽどのことがない限り、凪とさらに遠い姿になるつもりはない。
 白乃姫の鈍足をあざ笑いながら、先に行く珠を追いかける。調子に乗って、珠のペースについていった結果、山沢に到着したころには息絶え絶えだった。

「くくく、軟弱じゃな」

 うるさいと返そうとしたが、広がる光景に目を奪われてしまった。
 木々の隙間から漏れる穏やかな木漏れ日。木の幹も、沢を囲む岩も苔むしており、緑が目に美しい。そしてなにより、青白い沢の水がどこまでも神秘的で魅せられる。
 久しぶりに来たが、変わらず感動を与えてくれる光景だ。これを前にしては、悪態もどこかへ消えてしまう。
 悩みがある時に、籠っていてはいけないと教えてくれたのは誰だったか。本当にその通りである。肺いっぱいに空気を吸い込むと、落ち込んでいた気が浄化されていくようだった。

「んー、本当に綺麗」

 これには珠も柔らかに同意し、機嫌良さそうに二又の尻尾を揺らす。じぃっと沢一帯を見渡して、感嘆の吐息をもらしていた。

「して、何があった? あたしに話したいことがあって、探していたんだろう」
「えっ、ど、どうして」
「くく、それで隠したつもりかえ? おぬしは分かりやすい。昔からの」

 何もかもお見通しだと、聡い猫は笑う。
 清らかな山沢の手助けもあり、白乃姫は存外素直に凪との一件を話すことが出来た。
 一方、珠は途中から口を閉ざしていた。ただ山沢を眺め、その無表情な横顔からは感情が読み取れない。

「ほう……つまり坊に迫られたが、おぬしは八方塞がりと」
「あ、あのね! よそから見れば、平和ボケした悩みに見えるかもしれないけど、私本当に」

 また揶揄やゆされてしまいそうで、苦慮しているのだと伝えようとした。凪に、好きな人に、自分のせいで茨の道を進ませる決意なんて、どうして簡単に出来るというのだ。
 そんな想いを告げる前に、珠の淡々とした声が落ちた。

「……ならば、坊を殺してやろうか」
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