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14話 進めない二人
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「何、お前……父親殺したの?」
権左衛門がぱっちりと開いた目で、白乃姫を見上げる。嫌に生暖かい風が、白乃姫の頬をなでた。腹の奥が鉛でも飲んだように重くて、込み上げてきた嘔吐感に堪える。
「……ええ。そうよ」
「本当に?」
父の最期は、酷く悲しい顔だった。
冷徹な種族だといわれる爬虫類に珍しく父は白乃姫、娘を愛した妖だった。愛娘に殺されるとき、父は何を思っていたのだろうか。
「本当に。私の妖力は、父を殺して奪ったものよ」
「お父様を殺し、奪った力で強者のような顔をして、全くどんな気持ちで生きているのかしら。汚らわしく浅ましい姫様」
「やめろよ雪女。なんでそんな言い方すんの?」
「坊やは、親殺しの姫様とずいぶん仲が良いみたいですね。でも坊や、懐く相手を間違えると大変ですよ」
権左衛門の仲裁は、雪女を逆撫でしたようだ。おそらく敵意の範囲外にいた権左衛門に、冷たい視線が落とされる。微笑を崩さない雪女の目は、少しも笑ってなどいない。
そんな空気を知ってか知らずか、権左衛門はむっと拗ねたように反論する。
「別に、蛇女の味方するわけじゃねぇけど。俺、雪女のこと好きだよ。妖になったばっかで何も分からなかった時、親切にしてくれたしさ。でも、蛇女も性格は悪いけど嫌いじゃない。好きな奴らがいがみ合ってんのは見たくねぇよ」
雪女は何度か瞬きをしたあと、ふっと眉を下げて困ったような笑みを見せた。
今日初めて見る笑顔。本来は、優しい表情をする妖らしい。
「可愛い坊や。失礼、坊やの前でするお話ではありませんでしたね」
権左衛門にかける声に温かみが戻る。子供の前でする親子喧嘩は、子の心に良くない。そんな良識は持っているようだ。
これ以上ここで争うつもりはないらしく、雪女はそっと権左衛門のそばにしゃがみ込む。
「駅から北に一キロ進んだところに、坊やが苦手にしている大型犬がいるでしょう。その三軒右のお家。暮椿はそこにいます。それから、最近新しく出来た文具店の向かい。そこに住む男をいたく気に入っている様子でしたよ。会うのなら、後の家が良いかもしれませんね。彼女は私と違って、同じところには留まらないから」
雪女は権左衛門の頭をなでると、白乃姫には一度も目を向けることなく去っていった。
暮椿の情報を残していったのは、無垢な権左衛門の前で、無情な争いをしたことへの詫びだろう。
最後の言葉は、白乃姫の中にしこりを作った。雪女もまた、囚われているのかもしれない。父が死んで十四年経った今でも、過去の思い出には出来ないのだ。
春の雪は、白乃姫の心から容赦なく温度を奪った。いつの間にか握りしめていた拳を開くと、手のひらには爪痕が残っていた。
「白乃姫、お前大丈夫か?」
「何が?」
「何がって、あんな風に言われてさ」
この化け猫はどこまでお人好しなのだろうか。父を殺した白乃姫を、責めるでも厭うでもなく、心配するなんて。白乃姫もこんな風に、真っ直ぐな心で歩めたら良かった。
「全然平気。そもそもあの妖は、父を好いていたんでしょ。なら、憎くて当然じゃない。むしろぬるいぐらいよ。もし誰かが凪を殺したりすれば、私はあんなものじゃ済まないわよ」
「うん、間違いなくお前は済まさねぇだろうな」
「当たり前でしょ。この世に生まれてきたことを後悔させるまで、苦痛を与え続けてやるわ。そして、それだけのことを……私もしてるのよ」
雪女のことを白乃姫は憎むなんて出来ない。彼女は奪われた側で、白乃姫は奪った側の妖なのだから。敵意も憎悪も向けられて当然の報いだ。
「母親は? どうしてんの?」
「母様の記憶はないわ。物心ついた頃には、病気でいなかったから。父様は詳しく話してくれなかったし、よく知らないの」
何故か、白乃姫は父から「命が惜しければ母のことは口にするな」と、教え込まれていた。
母のことを聞けばいつだって、父は少し怯えたように声を潜める。毅然としていた父には珍しく、白乃姫もいつしか母のことを訪ねるのはやめた。
「ああ、でも。すごく温かかったのは覚えてる。眠る時はいつも、誰かに抱きしめられてた。きっと母様よ」
父は、その方が楽だからと言って就寝時は蛇の姿になることが多かった。
あの温もりは、おそらく母のものだ。姿は覚えていなくとも、愛されていた記憶は残っている。
「そっか。寂しいな」
「寂しい? どうして」
「だって、小さい頃に両親亡くしてんだろ?」
「……でも、私には凪がいたから」
強がりではなく、本心だ。後から生まれてきた尊い命と、その成長を見ていたら、母がいないことを寂しいと思う暇はなかった。
父がいなくなっても、白乃姫には当たり前のように凪がいて。凪は白乃姫を一人にしなかった。
「ああ、なんか……お前が神主のこと病的に大事にすんのも分かった気する」
小さく独りごちた権左衛門に真意を訪ねても「別にー」と流されて、答えは得られなかった。
「大体、父は私が原因なのよ。寂しいなんて言うのは筋違いでしょ」
「んー、また別だと思うけどな。それに、お前はあいつみたいに、快楽目的で殺したりしないんじゃねぇの。ま、何があったか知らねぇけどさ。寂しいって思うぐらいはいいだろ」
(やだ……っ、もうっ! この馬鹿猫!)
じわりと白乃姫の視界が滲む。
どれだけの罵詈雑言にも、堪えられる自信があった。けれど、不意打ちのような優しい一言が、やけに心に沁みることがある。強がりを溶かす言葉は、何よりも厄介なのだ。
ツンとした喉の痛みを抑え込むように、奥歯を噛みしめた。
「え? おい、本当に大丈夫か? えっと、あっ! 神主、呼んできてやろうか」
「平気よ。それより、あんた私のこと好きだったのね。知らなかったわ」
突然何とち狂ったことを言い出すのだこの女は、とでも言いたげに固まった権左衛門に、白乃姫はにっこりと笑って見せる。
とぼけても遅い。しっかりと聞いたのだ。雪女に「好きな奴らがいがみ合ってんのは見たくねぇ」そう言ったのを。
不覚にもそれを嬉しく思ってしまったのは、絶対に教えてやらないが。
「さっき雪女に言ってたじゃない。猫がツンデレって本当なのね?」
「くっ、なんだよその腹立つ笑い方! くそっ心配して損した! 全然元気じゃねぇか」
怒ってずんずんと先に行く権左衛門に、追いつかないように歩く。赤くなった瞳を見られるわけにはいかない。
「ありがとね」ぼそりと言った礼は、ぶちぶちと文句を言いながら歩く権左衛門には聞こえていなかった。
権左衛門がぱっちりと開いた目で、白乃姫を見上げる。嫌に生暖かい風が、白乃姫の頬をなでた。腹の奥が鉛でも飲んだように重くて、込み上げてきた嘔吐感に堪える。
「……ええ。そうよ」
「本当に?」
父の最期は、酷く悲しい顔だった。
冷徹な種族だといわれる爬虫類に珍しく父は白乃姫、娘を愛した妖だった。愛娘に殺されるとき、父は何を思っていたのだろうか。
「本当に。私の妖力は、父を殺して奪ったものよ」
「お父様を殺し、奪った力で強者のような顔をして、全くどんな気持ちで生きているのかしら。汚らわしく浅ましい姫様」
「やめろよ雪女。なんでそんな言い方すんの?」
「坊やは、親殺しの姫様とずいぶん仲が良いみたいですね。でも坊や、懐く相手を間違えると大変ですよ」
権左衛門の仲裁は、雪女を逆撫でしたようだ。おそらく敵意の範囲外にいた権左衛門に、冷たい視線が落とされる。微笑を崩さない雪女の目は、少しも笑ってなどいない。
そんな空気を知ってか知らずか、権左衛門はむっと拗ねたように反論する。
「別に、蛇女の味方するわけじゃねぇけど。俺、雪女のこと好きだよ。妖になったばっかで何も分からなかった時、親切にしてくれたしさ。でも、蛇女も性格は悪いけど嫌いじゃない。好きな奴らがいがみ合ってんのは見たくねぇよ」
雪女は何度か瞬きをしたあと、ふっと眉を下げて困ったような笑みを見せた。
今日初めて見る笑顔。本来は、優しい表情をする妖らしい。
「可愛い坊や。失礼、坊やの前でするお話ではありませんでしたね」
権左衛門にかける声に温かみが戻る。子供の前でする親子喧嘩は、子の心に良くない。そんな良識は持っているようだ。
これ以上ここで争うつもりはないらしく、雪女はそっと権左衛門のそばにしゃがみ込む。
「駅から北に一キロ進んだところに、坊やが苦手にしている大型犬がいるでしょう。その三軒右のお家。暮椿はそこにいます。それから、最近新しく出来た文具店の向かい。そこに住む男をいたく気に入っている様子でしたよ。会うのなら、後の家が良いかもしれませんね。彼女は私と違って、同じところには留まらないから」
雪女は権左衛門の頭をなでると、白乃姫には一度も目を向けることなく去っていった。
暮椿の情報を残していったのは、無垢な権左衛門の前で、無情な争いをしたことへの詫びだろう。
最後の言葉は、白乃姫の中にしこりを作った。雪女もまた、囚われているのかもしれない。父が死んで十四年経った今でも、過去の思い出には出来ないのだ。
春の雪は、白乃姫の心から容赦なく温度を奪った。いつの間にか握りしめていた拳を開くと、手のひらには爪痕が残っていた。
「白乃姫、お前大丈夫か?」
「何が?」
「何がって、あんな風に言われてさ」
この化け猫はどこまでお人好しなのだろうか。父を殺した白乃姫を、責めるでも厭うでもなく、心配するなんて。白乃姫もこんな風に、真っ直ぐな心で歩めたら良かった。
「全然平気。そもそもあの妖は、父を好いていたんでしょ。なら、憎くて当然じゃない。むしろぬるいぐらいよ。もし誰かが凪を殺したりすれば、私はあんなものじゃ済まないわよ」
「うん、間違いなくお前は済まさねぇだろうな」
「当たり前でしょ。この世に生まれてきたことを後悔させるまで、苦痛を与え続けてやるわ。そして、それだけのことを……私もしてるのよ」
雪女のことを白乃姫は憎むなんて出来ない。彼女は奪われた側で、白乃姫は奪った側の妖なのだから。敵意も憎悪も向けられて当然の報いだ。
「母親は? どうしてんの?」
「母様の記憶はないわ。物心ついた頃には、病気でいなかったから。父様は詳しく話してくれなかったし、よく知らないの」
何故か、白乃姫は父から「命が惜しければ母のことは口にするな」と、教え込まれていた。
母のことを聞けばいつだって、父は少し怯えたように声を潜める。毅然としていた父には珍しく、白乃姫もいつしか母のことを訪ねるのはやめた。
「ああ、でも。すごく温かかったのは覚えてる。眠る時はいつも、誰かに抱きしめられてた。きっと母様よ」
父は、その方が楽だからと言って就寝時は蛇の姿になることが多かった。
あの温もりは、おそらく母のものだ。姿は覚えていなくとも、愛されていた記憶は残っている。
「そっか。寂しいな」
「寂しい? どうして」
「だって、小さい頃に両親亡くしてんだろ?」
「……でも、私には凪がいたから」
強がりではなく、本心だ。後から生まれてきた尊い命と、その成長を見ていたら、母がいないことを寂しいと思う暇はなかった。
父がいなくなっても、白乃姫には当たり前のように凪がいて。凪は白乃姫を一人にしなかった。
「ああ、なんか……お前が神主のこと病的に大事にすんのも分かった気する」
小さく独りごちた権左衛門に真意を訪ねても「別にー」と流されて、答えは得られなかった。
「大体、父は私が原因なのよ。寂しいなんて言うのは筋違いでしょ」
「んー、また別だと思うけどな。それに、お前はあいつみたいに、快楽目的で殺したりしないんじゃねぇの。ま、何があったか知らねぇけどさ。寂しいって思うぐらいはいいだろ」
(やだ……っ、もうっ! この馬鹿猫!)
じわりと白乃姫の視界が滲む。
どれだけの罵詈雑言にも、堪えられる自信があった。けれど、不意打ちのような優しい一言が、やけに心に沁みることがある。強がりを溶かす言葉は、何よりも厄介なのだ。
ツンとした喉の痛みを抑え込むように、奥歯を噛みしめた。
「え? おい、本当に大丈夫か? えっと、あっ! 神主、呼んできてやろうか」
「平気よ。それより、あんた私のこと好きだったのね。知らなかったわ」
突然何とち狂ったことを言い出すのだこの女は、とでも言いたげに固まった権左衛門に、白乃姫はにっこりと笑って見せる。
とぼけても遅い。しっかりと聞いたのだ。雪女に「好きな奴らがいがみ合ってんのは見たくねぇ」そう言ったのを。
不覚にもそれを嬉しく思ってしまったのは、絶対に教えてやらないが。
「さっき雪女に言ってたじゃない。猫がツンデレって本当なのね?」
「くっ、なんだよその腹立つ笑い方! くそっ心配して損した! 全然元気じゃねぇか」
怒ってずんずんと先に行く権左衛門に、追いつかないように歩く。赤くなった瞳を見られるわけにはいかない。
「ありがとね」ぼそりと言った礼は、ぶちぶちと文句を言いながら歩く権左衛門には聞こえていなかった。
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