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 陽が落ちていた。
 辺りは薄暗く、家を出るのが少し遅かったとヘンリーは空を見上げてため息をつく。

 ヘンリーは助けてもらった礼を言うため、街外れにある渡船場を訪れていた。
 市場で買った新鮮なフルーツと酒を携え、扉の前で一晩掛けて考えたお礼の言葉を反芻する。

「よし……」

 ノックをしようとした瞬間、中から話し声が聞こえてきた。
 先客かと思い、窓から中を覗くと、若い夫婦と向かい合って座る黒い長髪の男が目に入る。

 ヘンリーは、それが以前見た大聖堂の祭司だと気付いた。

「なぜ祭司様がこのような場所に……」

 盗み聞きをするつもりはなかったのだが、自然と窓際に近づき耳をそばだてていた。

『……これ以上は……』
『何も……』

 良く聞こえない。
 だが、何か交渉をしているようだった。

 その時、ふとテーブルの上に置かれたハーブや薬の瓶に目が留まる。

 ――あれはシチリの⁉

 黒髪の男がそれらを自分の鞄にしまい、鍔の広い黒い帽子を被った。

 ヘンリーは慌てて建物の影に身を隠した。
 自分でもなぜ隠れたのかわからない。

 だが、何か本能的に危険を感じたのだ。

『うわああああーーーーーーっ!!』
『きゃああーーーーーっ!!』

 突然、家の中から悲鳴が上がった。

「ひぃっ!」

 思わず荷物を地面に落とし、尻餅をついた。

 ――扉の開く音。
 とっさに壁に背を付け、息を潜める。

 バタンッと扉が閉まる。
 砂を踏みしめる足音が聞こえる。

 ゆっくりと遠ざかっていく足音に、少しホッとしたヘンリーは恐る恐る影から様子を伺った。
 誰もいない……。

「うぅっ……」

 立ち上がろうとすると足首が痛んだ。
 どうやら挫いてしまったらしい。

 痛みをこらえながら、壁に手をつきながら窓まで行き中を覗いた。

「た、大変だ……あ、あぁ……」

 またその場に尻餅をつく。
 四つん這いになりながら、ヘンリーはその場を離れようとした。

 が、その時――。

「おや、もうお帰りですか?」

 磨かれた黒い革靴が視界に入る。
 ゆっくりと目線をあげると、黒髪の祭司が張り付いた笑みを浮かべていた。


    *


 モーレスが店の外で薬草の仕分けをしていると、顔なじみの客が話しかけてきた。

「よぉ、儲かってるかい?」
「そんなわけねぇだろ? 見ての通りさ」

 咥え煙草でしゃがみ込んだモーレスが顔だけ振り返って答える。

「ははは。おっと、そうだ。聞いたか? マーカスが行方不明だとよ」
「……マーカスが?」

 煙草を捨て、モーレスが立ち上がる。

「ああ、何でも三日ほどステラママの店に来てないそうだ。ついに我らがマーカスもヤキが回ったのかねぇ、へへへ」
「……」

「じゃ、またな」
「ああ、次は何か買っていけよ」

「ははは、気が向いたらな」

 モーレスは客を見送ると、仕分け作業に戻った。
 だが、マーカスのことが気に掛かって仕事が手に付かない。

「チッ……」
 作業の手を止め、店の中に、
「ちょっと出る!」と声を掛けてから街中に向かった。


 ステラママの店に来たモーレスは、奥のテーブル席を覗いてみた。
 たしかにマーカスの姿がない。

「あら、珍しい。いらっしゃい、モーくん」
「ステラママ、いい加減モーくんはよしてくれよ……」
「いやぁん、だってぇ~モーくんはモーくんでしょ? もぅっ、何が不満なんだか」

 マーカスは眉を下げ、頭を掻いた。

「そ、それよりママ、マーカスは来てないのか?」
「そうなのよ、私も心配でねぇ……こんなに間を開けることなんてなかったから……」

「……何か変わった様子は?」
「いいえ、特に変わりはなかったわよ」

「そうか、ありがとうママ。また寄るよ」
「ちょっと、たまには何か食べて行きなさいよ」

「悪い、またちゃんと来るから」
「約束よ~」

 モーレスは言いようのない胸騒ぎを覚えていた。
 何かトラブルに巻き込まれた可能性もあるが、この町じゃマーカスは巻き込む方だ。

 あの男に喧嘩を売るような奴も思い当たらない。
 考えすぎか……。

「モーレス! 何しけた面してんだい!」
「ん? あぁ、ミレイか……どうだ調子は?」

 ミレイは腰に手を当て、
「ああ、絶好調さ。あの坊やがたくさん買っていってくれたからねぇ」と豪快に笑う。

「ったく、あんまりシチリをいじめるなよ?」
「フンッ、人聞きの悪いこと言わないどくれよ。ちゃーんと真っ当な商売してんだ」

「わかった、わかったよ」
 モーレスはまるで猛牛を宥めるように両手を向けた。

「しかし珍しいね、あんたがうろついてるなんてさ」
「ちょっと気になることがあってな……そうだ、マーカスを見なかったか?」

「いや、最近は見てないね……何かあったのかい?」
 ミレイが声のトーンを落とした。

「俺の取り越し苦労かも知れねぇが……マーカスが消えた」
「……それ、本当だろうね?」

「ああ、ステラママにも聞いたが、店にも顔を出してないそうだ」
「そいつは妙だねぇ……」

 ミレイは腕組みをして、眉間に皺を寄せた。

「ああ、ミレイの方でも、何か聞いたら教えてくれるか」
「わかった、調べとくよ……あんたも何かあったら言いな。なぁに、まだ腕は鈍っちゃいないからね」
 そう笑って、男顔負けの逞しい腕を叩く。

「おぅ、頼りにしてるぜ」

 モーレスは片手を上げ、自分の店に戻った。
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