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エリア092の時計塔 エドガーが生まれ育った街
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俺が生まれ育った町の名所は、遠くからでもよく見えるほどに大きな時計塔だ。この街に初めて来た人間は観光名所として見ているのだろうが、俺にとっては見飽きた古い建物だった。
両親と母方の祖父母に誕生日を祝われた後、俺は誕生日プレゼントの内容を確認した。両親からのプレゼントは現金のみだったが、祖母からのプレゼントには数種類のボールペンが含まれていて、祖父からは現金だけでなく上質な万年筆も渡された。
祖父母からは小説家を目指す事を本気で応援されたが、ネットに投稿している小説の閲覧数が伸び悩んでいるので自信は全く無かった。そんな事を考えながら俺は布団に入って眠ろうとしたが、中々眠れなかった。
8010年5月25日、この日は高校は振替休日で休みになっていた。だからといって無理にアルバイトのシフトを増やしてはおらず、午前中にバイトをこなして午後からは小説の執筆に集中するつもりだった。
俺は小学生の頃からサッカーやドッジボールなどの屋外の遊びが苦手だった。一人でビデオゲームをして遊んでいた俺の友達は少なかった。
屋外の遊びが苦手で避けていた俺が悪いとは思っていない。あんな授業中にバカ騒ぎして、教師に怒鳴られている奴らに関わりたくないと思った俺の方が正解だろう。
中学生になると、本格的に周囲から疎外される様になった。この時の俺は流石にショックを受けていて、将来の事を不安に思い始めていた。
この頃から、俺の学業の成績は落ち始めていった。母親から何度もどうしたんだと聞かれたが、ただ煩わしいと思うだけだった。
両親の事は全くと言っていいほど、尊敬していなかったし好きでも無かった。無責任に俺をこの世に産み落とした、無責任な大人達としか認識する事が出来なかった。
父親はどこにでも居るサラリーマン、母親もどこにでも居そうな専業主婦に過ぎなかった。もう少し尊敬できる大人から産まれる事が出来れば、俺の人生も変わったかも知れないというのは、高望みしすぎだろうか。どちらにしろ親は選べないので、俺は何処にでも居る大人から産まれる事しか出来なかった。
両親は俺が中学生の頃までは成績をやたらと気にしていたが、高校生になると聞かれなくなった。俺には期待しても無駄なのだと、ようやく分かったのだろう。
俺よりも優秀な七つ程上の兄の事は、好きでも嫌いでも無かった。幸い、両親は俺と兄を比べるような真似はしなかった。もっとも、比べるまでも無い、というのもあるのだろうが。
母方の祖父母が暮らす家は、俺が暮らしている家の近所にあった。祖父も小説を読むのが好きで、小説家を目指した事もあったが挫折したらしい。祖母は俺が小説家を目指すと言い出した時に、本気で応援してくれた。祖父母とは、小学生の頃に一緒に旅行に行った思い出もあるので、両親や兄よりも親しみを持てた。
西暦8000年になっても別のエリアでは内戦が発生していたが、そうした事柄への興味も薄れて行った。芸能人の炎上、政治の腐敗、悲惨な災害や衝撃的な事件、そうした出来事が俺とは関係の無い俗世のものとしか考えられなくなっていた。ひょっとしたらこの時の俺は無気力症候群、アパシー・シンドロームというものになっていたのかもしれない。
一方で、俺はこの頃にテレビゲーム以外の趣味を見つけた。純文学、歴史小説、ライトノベルなど様々な小説を読む事だった。
小説を読んでいる間、その作品の世界観に浸っている間は安心していられた。もちろん劇中設定が雑に変わりすぎて、世界観に浸れないような作品に出くわす事もあった。
好きな小説がアニメ化した時は、毎回喜んでいた。制作陣による当たり外れが大きかったが、あるアニメに出演していた幼い女の子のリアリティのある声を出す事ができる声優のモモコ・ヒサカワを好きになって、その人が出演している作品を買っていた時期もある。とは言えその途中で俺は、キャラクターを演じる声優ではなく、作品内のキャラクターの方を好きになっているのだと気づいて、その声優が出ている作品を必ず買うのはやめたのだが。
小説を読み漁るうちに、昔の作品も読むようになっていった。昔と言っても、数年前や数十年前の作品だけじゃない。数百年、数千年前の純文学やライトノベルなども読んで、自分が気にいる作品を探し求めていたのだ。
様々な時代、様々な作家、様々なジャンルの作品を読んだ。西暦2000年ぐらいの、異世界転生ものの作品も読んだ。
多くの小説を読む内に俺は、自分も小説家になりたいと思った、自分の心の中で描いた物語を文にしたいと、形にしたいと思い始めたのだ。
高校生になった俺は文芸部に所属して、本格的に小説を書き始めた。文章こそ拙いものだったが、自身の一作目となる作品を完成させて、一年生の時の文化祭で発表した。短編のファンタジー戦記だった。
結果は、最後まで読む人がほとんどいなかったので、面白かったと評価する感想はおろか、内容の薄さを批判する感想すら届かなかった。しかし、これには俺の作品の出来とは別の、もう一つの原因があった。同じ文芸部所属のダニエル・ナカタニが、美少女ゲームの二次創作の小説を発表したのだ。
俺はダニエルの作品を読ませてもらったが、自分が書いた作品とは比べ物にならないほど面白かった。それぞれのキャラクターに個性があって、それが無駄になっていなかった。俺は、元の作品である美少女ゲームについては広告で見たことがある程度の認識だったが、実際に遊んでみたいと思わせるほどにキャラクターに命が吹き込まれていて、この二次創作は面白かったのだ。俺の書いた作品と比べる程に、自分の作品が読むに堪えない乱文を並べたものに見えてしまった。
ダニエルとの差を思い知った俺は、ネット上の小説投稿サイトを利用する事にした。サイトの作りこそ古かったが、その分シンプルで使いやすかった。
そこでは1話ずつ投稿する事が可能で、長編となる作品を少しずつ作って公開する事も可能だった。最初に投稿したのは異世界転移の要素を含む、ファンタジーの冒険ものだった。将来的には長編の作品となるはずの小説だったが、閲覧数が伸びず高評価がつく事は無かった。
何がダメだったのかが最初は分からなかったので、何度も読み返してみた。致命的にダメな部分は無かったが読み返す内に、ある点に気づいた。オリジナリティが薄いせいで、作家としての個性が伝わらないのだ。
俺の作品には良いと言える部分も、個性的と言える部分も無かったのだ。俺の作品の中で一番閲覧数が多く高評価がついたのは、別のサイトに投稿していた思いつく限りの要素を詰め込んだ男性向けの官能小説だった。
精々三万程度の閲覧数の官能小説だったが、それでも楽しめる「誰か」の多い作品だったのだ。勿論俺は見てくれる人がいるならと、その作品の続きを書き続けた。しかしその官能小説は、俺が目指している作風では無かった。
俺が官能小説を書いている内に、文芸部の様子も変化していった。才能が無いと諦めた者たちは、次々とやめていった。本気で新人賞を目指している者は小説の書き方などの参考書を買っていて、部活に顔を出さなくなっていった。俺が2年生になった時には、部員の数は既にギリギリだった。
俺には本気で新人賞を目指して努力をするという事ができなかった。特に経済面などで深刻な問題がある訳ではなく、俺が根本的に怠け者なだけだったのだ。
部員の数が減った文芸部の活動日はどんどん少なくなっていったので、俺はアルバイトを始める事にした。要領が悪いなりに働いて自分の労働で金を得る事が、一応はできるようになった。
俺は2年生の文化祭に向けてダークファンタジーの小説を執筆していたが、ダニエルの筆はイマイチ乗っていないようだった。俺は今回はひょっとしたらダニエルが書く二次創作よりも良い作品を書けるかも知れないと思ったが、結果は一年生の文化の時と大して変わらなかった。
今回はダニエルも俺の作品を読んでいたが、面白いと思っていないのは明らかだった。そして、ダニエルから「エドガーにはこの作品を通じて読者に伝えたいことはあるのか」と聞かれた。俺は答える事が出来なかった。
考えてみれば、俺が書いた「リアリティ」しか無い作品が面白くなる訳が無かった。「現実の悲惨さ」を伝えたい訳では無く、「悲惨な現実を変えるにはどうすればいいか」を訴えかけるものでも無かった。
他人に対して関心が薄すぎる俺は、読者に対して伝えたいメッセージが中々思いつかなかった。今更だったが、もう少し周囲の人間と接する努力をするべきだったのかと後悔した。
俺は高校3年生になっても、進路を決める事が出来ないままだった。「進学して行けばそのうちどこかで会社員やってるだろ」と楽観視していたダニエルが少しだけ羨ましかった。俺には会社員になっている未来を想像する事も出来なかったからだ。
小説を書くのは趣味に留めて、公務員を目指そうかと思ったが、試験の難易度が高いと分かって諦めてしまった。俺の中で、将来について考える事への恐怖はどんどん強くなっていった。
今も世界のあちこちで問題が発生している、いつどんな事故や事件に巻き込まれて死ぬかも分からない。だから、そもそも来ないかも知れない将来について考える必要もない。そんな事を思っていた俺は、大人になった自分について考える事を放棄していった。
そして昨日は俺の誕生日だったが、ついに文芸部が廃部になった。部活が無くなったからといって、流石にずっと怠けるつもりは無かったので、高校を卒業するためにも試験勉強はしていた。
しかし、高校卒業後に何をするかは決める事が出来ないでいた。ずっとアルバイトをしているのか、いつまで官能小説を書いているのか、ネタが尽きたら小説を書く事すらやめるのか…考えようとするだけで怖くなってしまうのだった。
それに大人になったところでいい事が無いと、俺は考え始めていた。働き詰めに働いて、過労死してしまう大人だっている。だから大人になったところで、過労死するまで働かされるだけだと思うと、怖くて仕方がない。
自ら命を絶つというのは、とっくの昔に考えから外していた。そんな事をする勇気があるなら、死に物狂いで小説家になる夢を追いかけているはずだからだ。
必死に努力する事を続ける事ができる人間を嘲笑するつもりは無く、むしろ尊敬に値すると思っていた。しかし、自分にとってはいつ死ぬかも分からないのに、努力をし続ける事すら無駄に思えてならなかった。
…人間はいつか必ず死に至る。だから、何事も無為である。
…何て事を考えていたせいで、今日は全くと言っていい程筆が乗らない。官能小説のネタはたくさんあったので、要素を詰め込んだ文章を書いてみても、とても満足のいく出来には到達しなかったのである。
という訳で一旦、小説を書くのは中断した。こんな状態で文章を作るのを試みてもいい文章が書ける訳が無かった。それに、出来の悪い話を作って官能小説の次の回として投稿するのは、いくら少ないとは言え楽しみにしてくれる人を裏切る事になるので、俺には出来なかった。
何をしようか迷ったが、取り敢えず昔読んでいた小説をまた読んでみる事にした。最近は新刊を買っていなかったが、元々俺は小説を読むことが好きだった。
また「三国志演義」を読んでみようとしたが、喉をつっかえるような感じがして、読み続ける事が出来なかった。他の歴史小説や純文学も読む気分になれなかった。
なので、手軽に読めるライトノベルを手に取った。西暦2000年くらいに出版された小説で、当時一部で話題になっていた異世界転生ものの作品だ。
この手の作品は、異世界に転生した主人公が何らかの異能力を得て活躍するものが多い。挫折する展開がある作品は少なく、作者が狙った層の読者にストレスを与えないような作りになるように心掛けているのだ。
正直に言うと、主人公が異世界に転生してチート能力を得て無双する、と言う作風は俺の好みでは無い。しかし今の俺の心境は、異世界に転生できるのなら、転生したいというものになっていた。
だが、そこまで好きな作品では無かったので今回は途中で読むのをやめてしまった。俺はライトノベルではなく旅行記としての要素を含む小説や、単なる旅行ガイドの本を本棚から引っ張り出して、読み始めた。
エリア092の事も詳しく載っていたので読んでみると、2000年前から現存している神社についての情報も載っていた。俺や恐らく両親も知らなかったであろう情報も載っていたので、この目で見てみたいと思い始めていた。
さらに俺は、別のエリアの様々な情報を読んでみた。どの写真も綺麗でエリア別に情報が細かく載っていて、実際に行ってみたいと思わせた。
さらに俺は、別のエリアの様々な情報を読んでみた。どの写真も綺麗でエリア別に情報が細かく載っていて、実際に行ってみたいと思わせた。
最初に興味を惹かれたのは、エリア004についての情報だった。このエリアについての情報が一番多く、詳細なものだった。
地下遺跡や荒野といった複数の廃棄された区画に、空高くに建てられた古代の建造物の数々。エリア092では見られない近代的な街並みにも、興味をそそられた。
エリア017の2本ある軌道エレベーターも魅力的だった。治安が良い街も多いらしく、安全に旅行したいならこのエリアだった。
エリア013やエリア006にも軌道エレベーターがあったが、どちらのエリアも老朽化が激しかった。013はギャングが牛耳っている地域があり治安が悪く、006はどの場所も廃棄された区画と見間違うほど荒涼としていた。
エリア202は新造の軌道エレベーターがあるエリアで、エリア006とは逆に綺麗な街並みだった。警備システムも最新鋭で、安心して暮らせる街というイメージだった。
俺が一番気に入ったエリアは004だった。そこに旅行へ行く想像をする内に、ある考えが浮かんだ。
もうエリア092を離れて、エリア004に住みたいと思ったのだ。しかし、それは不可能だとすぐに気づいた。
俺はアルバイトをして金を稼いでいたとはいえ、別のエリアに移住できるほどの貯金は無かったのだ。俺は移住の夢をひとまず諦めて、もう一度エリア092について載っているページを開いてみた。
先程は見落としていたのだが、そこには青い空と荘厳かつ巨大な時計塔の写真が載っていた。それを見て、この街の時計塔は観光名所なのだと改めて理解した。
俺はすぐにこの写真の撮影場所を確認した。ちゃんとアクセスマップも乗っていて、この街のどの辺りがすぐに分かった。
写真の撮影場所は広大な敷地の公園だった。公園内に小さな動物園やレストランもあるほどの、大きな公園だ。
俺は行ったことのない場所だった。或いは記憶に無い場所だが、すぐに行ってみたくなった。
この家から徒歩で行く分にはかなり時間がかかる上に間違いなく疲れるが、路面電車を使えば時間の短縮になり、何より疲れない事は間違いなかった。俺はすぐに外出する準備を整えて、財布や携帯電話など忘れ物が無いかをチェックした。
今は5月、暑すぎない気候は外出するのに丁度良かった。親には散歩に行くと言って家を出て、路面電車の乗り場へと向かった。
路面電車の乗り心地はいつも通りで、スピードは遅いが揺れはほとんど無かった。俺以外の乗客は少なかったが、老人数名とか親子連れが乗車していた。
数十分後にガイドブックに載っていた写真の撮影場所がある公園に到着した。観光客の姿はあったが、行楽シーズンでは無いので少なかった。
俺は噴水やベンチを目印にして、撮影場所に到着した。人が少なかったおかげで、案外すぐにたどり着く事ができた。
そこには、青空と荘厳な時計塔による美しい景色が確かにあった。写真を撮った年と比べれば多少変わっている箇所はあるかも知れないが、景色の美しさに変わりは無かった。
何で今までこの場所に気づけなかったのだろうと思っていると、近くに女子高生と思われる銀色の髪の少女がやって来た。彼女も時計塔を見に来た様で、ベンチに座って休憩していた。
「あの…こんにちは」
「…こんにちは」
俺は何故か、その少女に挨拶をした。俺も人との繋がりを無意識のうちに求めていたのかも知れない。幸い、彼女は俺の事を不審に思う事なく、挨拶を返してくれた。
「あなたはこの街の人?」
「うん…ここで生まれ育って…あ、俺の名前はエドガー・メイソンって言うんだ…」
俺は他者との会話が物凄く苦手だった。この街の出身かどうかを聞かれただけなのに、名前まで名乗ってしまった。
「私はカエデ・ツキシマ、エリア013の出身だよ」
「013…俺の父さんと同じですね」
カエデと言う少女は、俺に対して出身エリアまで伝えた。彼女の住んでいる所は、俺の父親の実家と近いのだろうか。しかし、カエデ・ツキシマ、どこかで名前を聞いたことがあるような…
「013はどんな所ですか?」
「あんまり好きじゃ無かった。だから今は一人でエリア017に住んでるけど、ここも悪くないかも」
カエデが既に生まれたエリアを離れて生活している事を知って、純粋にすごいと思った。俺とは違って、一人で生きていく術を身につけているのだ。
「でもどうやって生活費を稼いで…」
「作った曲を提供して金を稼いでいる」
「じゃあカエデ・ツキシマって…」
「私は作曲家。割と色んな所から曲作りを頼まれてるよ」
カエデ・ツキシマは2年前に活動を開始した、作曲家だ。メジャーデビューの前から制作した曲をネットに投稿していて、密かに人気があったようだ。
「俺…"ガリレオガリレイの旅"のオープニングもエンディングも好きですよ」
「あの二曲は私としても名作だと思ってる」
アニメ版ガリレオガリレイの旅の、オープニングとエンディングの曲はカエデ・ツキシマが制作して別のアーティストが歌ったものだった。特にオープニングは、軽く透き通った男性ボーカルの声とややポップな曲調がマッチする名曲だった。
「本当にすごいですよ…クリエイターとして成功して独り立ちしていて…」
「そんな立派じゃない…作曲家は無限に曲を生み出せる訳じゃない」
彼女の様子を見て、俺はクリエイターは大変なのだと改めて理解した。自分なりに作品を生み出し続けるのは、苦悩も伴うだろう。
(俺はまだ…小説家としてスタートすらできていない)
俺と彼女にはクリエイターとしての才能に大きな差があるのだろう。俺が小説を書き続けたとしても、作家として大成できないまま終わる可能性の方が高いだろう。
「その…邪魔してすみません…俺、小説書いてるんです…良い文が思いついたので帰ります」
「そう…小説ね…」
「あの、この街に住むのも良いと思いますよ」
「考えとく」
俺はカエデと別れると、すぐに家に路面電車に乗って家に帰った。そして俺は、あの景色を見て思ったこと、カエデとの出会いについて書き綴り始めた。
(時を刻む遺物…銀色の少女…)
俺は様々なワードを思い浮かべながら、下書きを進めていく。そんな作業を繰り返しながら、俺は小説の完成を目指す。
時を刻み続ける遺物 銀色の少女は何を見るか
作者:エドガー
メアリーは古く巨大な時計塔を、静かに見つめていた。その街に昔からあるその遺物には、謎があまりにも多かった。
「あの時計塔に興味があるんですか」
時計塔を見つめていたメアリーに声をかけたのは、この街で暮らしている少年だった。メアリーは毎日のように時計塔を見つめていたので、不思議に思う街の人間も多かった。
「うん。ずっと昔から…」
「ずっと昔って…どのくらい前から?」
「ずーっと昔」
「そうなんだ…」
少年にはメアリーの言う、ずっと昔が分からなかった。メアリーは少年と比べたら歳上だが、まだ女学生といった見た目だからだ。
「私はメアリー。あなたは…」
「…シオンだよ。よろしくね」
シオンもこの街に昔からある時計塔には、ずっと興味があった。だから、興味の対象が同じであるメアリーには親近感を感じていた。
「あの時計塔の中、一部しか見学させてくれないんだよね」
「でも一部分だけでも、歯車群を見れて嬉しいよ」
メアリーは機械工学の分野にも、造詣が深かった。シオンにはよく分からない多くのオーパーツの研究もしてみたいと言っていた。
「時計塔の制作者は…」
「不詳。どこにも載っていないし、今は誰も知らない。分かるのは、とても独創的で、とても頭が良かったという事」
時計塔は第九次世界大戦以前からあるものなので、記録が残っていなくても仕方がない。歴史学者は懸命に調べ続けているが、メアリーとしては興味の対象外なようだ。
「もう居なくなってしまった人を想っても、意味がない」
そう言うメアリーの視線はどこか遠くへと向いていた。もう戻って来れないほど遠くへと行ってしまった人を見ているようだった。
「まだ…もう少しだけ、ここにいるよ」
「うん…それじゃあね」
メアリーの言うずっと昔はいつなのかを考えても、シオンには答えを出せなかった。それでも、シオンはメアリーにこの街にいて欲しいと思っていた。
もっと、彼女の事を知りたかった。
俺は短編小説である「時を刻み続ける遺物 銀色の少女は何を見るか」を書き上げた。文章を何度か見直した後、ネット上のサイトに投稿した。
ひょっとしたら今回の小説も読まれる事なく、評価も批評もされずに埋もれていくのかも知れない。少なくとも俺には、王道の冒険ファンタジーもので面白い作品を書くのは無理だった。
もちろん読まれない原因が、作品のタイトルやあらすじがあまりにも抽象的である事もある。俺の場合は、自分が書いた官能小説があまりにも読まれない時に、タイトルやあらすじを手直しすれば閲覧数が伸びていったこともある。
俺には作品のタイトルを短くしようとする癖があった。作品のタイトルが長いと見映えが悪くなると感じているのだが、必要以上に短くすると内容が伝わらない事もあるので、悪い癖だと言える。
今日の執筆は終わりにして、俺はまた旅行ガイドを読み始めた。実際に行く事は簡単では無いが、こうして写真を見るだけでも気晴らしになるのだ。
また、エリア004の記事を読もうとしたら、読み飛ばしているページがある事に気づいた。エリア003の観光ガイドが載っているページだった。
そのページには003の中心に存在する、美しい花を思わせる形のソーラーパネルの写真が載っていた。ソーラーパネルは超巨大で、エリア003ならほとんどの場所から目視できる様だ。
俺はエリア003について詳しく調べてみると「冬の桜」という言葉がある事を知った。超巨大ソーラーパネルの根本は気温が高くなるので、003では正月の時期に桜が見れるというのだ。
俺は冬の桜を、花を象った巨大なソーラーパネルを見たいと思った。年末はエリア003に行くと、心の中で決めていた。
両親と母方の祖父母に誕生日を祝われた後、俺は誕生日プレゼントの内容を確認した。両親からのプレゼントは現金のみだったが、祖母からのプレゼントには数種類のボールペンが含まれていて、祖父からは現金だけでなく上質な万年筆も渡された。
祖父母からは小説家を目指す事を本気で応援されたが、ネットに投稿している小説の閲覧数が伸び悩んでいるので自信は全く無かった。そんな事を考えながら俺は布団に入って眠ろうとしたが、中々眠れなかった。
8010年5月25日、この日は高校は振替休日で休みになっていた。だからといって無理にアルバイトのシフトを増やしてはおらず、午前中にバイトをこなして午後からは小説の執筆に集中するつもりだった。
俺は小学生の頃からサッカーやドッジボールなどの屋外の遊びが苦手だった。一人でビデオゲームをして遊んでいた俺の友達は少なかった。
屋外の遊びが苦手で避けていた俺が悪いとは思っていない。あんな授業中にバカ騒ぎして、教師に怒鳴られている奴らに関わりたくないと思った俺の方が正解だろう。
中学生になると、本格的に周囲から疎外される様になった。この時の俺は流石にショックを受けていて、将来の事を不安に思い始めていた。
この頃から、俺の学業の成績は落ち始めていった。母親から何度もどうしたんだと聞かれたが、ただ煩わしいと思うだけだった。
両親の事は全くと言っていいほど、尊敬していなかったし好きでも無かった。無責任に俺をこの世に産み落とした、無責任な大人達としか認識する事が出来なかった。
父親はどこにでも居るサラリーマン、母親もどこにでも居そうな専業主婦に過ぎなかった。もう少し尊敬できる大人から産まれる事が出来れば、俺の人生も変わったかも知れないというのは、高望みしすぎだろうか。どちらにしろ親は選べないので、俺は何処にでも居る大人から産まれる事しか出来なかった。
両親は俺が中学生の頃までは成績をやたらと気にしていたが、高校生になると聞かれなくなった。俺には期待しても無駄なのだと、ようやく分かったのだろう。
俺よりも優秀な七つ程上の兄の事は、好きでも嫌いでも無かった。幸い、両親は俺と兄を比べるような真似はしなかった。もっとも、比べるまでも無い、というのもあるのだろうが。
母方の祖父母が暮らす家は、俺が暮らしている家の近所にあった。祖父も小説を読むのが好きで、小説家を目指した事もあったが挫折したらしい。祖母は俺が小説家を目指すと言い出した時に、本気で応援してくれた。祖父母とは、小学生の頃に一緒に旅行に行った思い出もあるので、両親や兄よりも親しみを持てた。
西暦8000年になっても別のエリアでは内戦が発生していたが、そうした事柄への興味も薄れて行った。芸能人の炎上、政治の腐敗、悲惨な災害や衝撃的な事件、そうした出来事が俺とは関係の無い俗世のものとしか考えられなくなっていた。ひょっとしたらこの時の俺は無気力症候群、アパシー・シンドロームというものになっていたのかもしれない。
一方で、俺はこの頃にテレビゲーム以外の趣味を見つけた。純文学、歴史小説、ライトノベルなど様々な小説を読む事だった。
小説を読んでいる間、その作品の世界観に浸っている間は安心していられた。もちろん劇中設定が雑に変わりすぎて、世界観に浸れないような作品に出くわす事もあった。
好きな小説がアニメ化した時は、毎回喜んでいた。制作陣による当たり外れが大きかったが、あるアニメに出演していた幼い女の子のリアリティのある声を出す事ができる声優のモモコ・ヒサカワを好きになって、その人が出演している作品を買っていた時期もある。とは言えその途中で俺は、キャラクターを演じる声優ではなく、作品内のキャラクターの方を好きになっているのだと気づいて、その声優が出ている作品を必ず買うのはやめたのだが。
小説を読み漁るうちに、昔の作品も読むようになっていった。昔と言っても、数年前や数十年前の作品だけじゃない。数百年、数千年前の純文学やライトノベルなども読んで、自分が気にいる作品を探し求めていたのだ。
様々な時代、様々な作家、様々なジャンルの作品を読んだ。西暦2000年ぐらいの、異世界転生ものの作品も読んだ。
多くの小説を読む内に俺は、自分も小説家になりたいと思った、自分の心の中で描いた物語を文にしたいと、形にしたいと思い始めたのだ。
高校生になった俺は文芸部に所属して、本格的に小説を書き始めた。文章こそ拙いものだったが、自身の一作目となる作品を完成させて、一年生の時の文化祭で発表した。短編のファンタジー戦記だった。
結果は、最後まで読む人がほとんどいなかったので、面白かったと評価する感想はおろか、内容の薄さを批判する感想すら届かなかった。しかし、これには俺の作品の出来とは別の、もう一つの原因があった。同じ文芸部所属のダニエル・ナカタニが、美少女ゲームの二次創作の小説を発表したのだ。
俺はダニエルの作品を読ませてもらったが、自分が書いた作品とは比べ物にならないほど面白かった。それぞれのキャラクターに個性があって、それが無駄になっていなかった。俺は、元の作品である美少女ゲームについては広告で見たことがある程度の認識だったが、実際に遊んでみたいと思わせるほどにキャラクターに命が吹き込まれていて、この二次創作は面白かったのだ。俺の書いた作品と比べる程に、自分の作品が読むに堪えない乱文を並べたものに見えてしまった。
ダニエルとの差を思い知った俺は、ネット上の小説投稿サイトを利用する事にした。サイトの作りこそ古かったが、その分シンプルで使いやすかった。
そこでは1話ずつ投稿する事が可能で、長編となる作品を少しずつ作って公開する事も可能だった。最初に投稿したのは異世界転移の要素を含む、ファンタジーの冒険ものだった。将来的には長編の作品となるはずの小説だったが、閲覧数が伸びず高評価がつく事は無かった。
何がダメだったのかが最初は分からなかったので、何度も読み返してみた。致命的にダメな部分は無かったが読み返す内に、ある点に気づいた。オリジナリティが薄いせいで、作家としての個性が伝わらないのだ。
俺の作品には良いと言える部分も、個性的と言える部分も無かったのだ。俺の作品の中で一番閲覧数が多く高評価がついたのは、別のサイトに投稿していた思いつく限りの要素を詰め込んだ男性向けの官能小説だった。
精々三万程度の閲覧数の官能小説だったが、それでも楽しめる「誰か」の多い作品だったのだ。勿論俺は見てくれる人がいるならと、その作品の続きを書き続けた。しかしその官能小説は、俺が目指している作風では無かった。
俺が官能小説を書いている内に、文芸部の様子も変化していった。才能が無いと諦めた者たちは、次々とやめていった。本気で新人賞を目指している者は小説の書き方などの参考書を買っていて、部活に顔を出さなくなっていった。俺が2年生になった時には、部員の数は既にギリギリだった。
俺には本気で新人賞を目指して努力をするという事ができなかった。特に経済面などで深刻な問題がある訳ではなく、俺が根本的に怠け者なだけだったのだ。
部員の数が減った文芸部の活動日はどんどん少なくなっていったので、俺はアルバイトを始める事にした。要領が悪いなりに働いて自分の労働で金を得る事が、一応はできるようになった。
俺は2年生の文化祭に向けてダークファンタジーの小説を執筆していたが、ダニエルの筆はイマイチ乗っていないようだった。俺は今回はひょっとしたらダニエルが書く二次創作よりも良い作品を書けるかも知れないと思ったが、結果は一年生の文化の時と大して変わらなかった。
今回はダニエルも俺の作品を読んでいたが、面白いと思っていないのは明らかだった。そして、ダニエルから「エドガーにはこの作品を通じて読者に伝えたいことはあるのか」と聞かれた。俺は答える事が出来なかった。
考えてみれば、俺が書いた「リアリティ」しか無い作品が面白くなる訳が無かった。「現実の悲惨さ」を伝えたい訳では無く、「悲惨な現実を変えるにはどうすればいいか」を訴えかけるものでも無かった。
他人に対して関心が薄すぎる俺は、読者に対して伝えたいメッセージが中々思いつかなかった。今更だったが、もう少し周囲の人間と接する努力をするべきだったのかと後悔した。
俺は高校3年生になっても、進路を決める事が出来ないままだった。「進学して行けばそのうちどこかで会社員やってるだろ」と楽観視していたダニエルが少しだけ羨ましかった。俺には会社員になっている未来を想像する事も出来なかったからだ。
小説を書くのは趣味に留めて、公務員を目指そうかと思ったが、試験の難易度が高いと分かって諦めてしまった。俺の中で、将来について考える事への恐怖はどんどん強くなっていった。
今も世界のあちこちで問題が発生している、いつどんな事故や事件に巻き込まれて死ぬかも分からない。だから、そもそも来ないかも知れない将来について考える必要もない。そんな事を思っていた俺は、大人になった自分について考える事を放棄していった。
そして昨日は俺の誕生日だったが、ついに文芸部が廃部になった。部活が無くなったからといって、流石にずっと怠けるつもりは無かったので、高校を卒業するためにも試験勉強はしていた。
しかし、高校卒業後に何をするかは決める事が出来ないでいた。ずっとアルバイトをしているのか、いつまで官能小説を書いているのか、ネタが尽きたら小説を書く事すらやめるのか…考えようとするだけで怖くなってしまうのだった。
それに大人になったところでいい事が無いと、俺は考え始めていた。働き詰めに働いて、過労死してしまう大人だっている。だから大人になったところで、過労死するまで働かされるだけだと思うと、怖くて仕方がない。
自ら命を絶つというのは、とっくの昔に考えから外していた。そんな事をする勇気があるなら、死に物狂いで小説家になる夢を追いかけているはずだからだ。
必死に努力する事を続ける事ができる人間を嘲笑するつもりは無く、むしろ尊敬に値すると思っていた。しかし、自分にとってはいつ死ぬかも分からないのに、努力をし続ける事すら無駄に思えてならなかった。
…人間はいつか必ず死に至る。だから、何事も無為である。
…何て事を考えていたせいで、今日は全くと言っていい程筆が乗らない。官能小説のネタはたくさんあったので、要素を詰め込んだ文章を書いてみても、とても満足のいく出来には到達しなかったのである。
という訳で一旦、小説を書くのは中断した。こんな状態で文章を作るのを試みてもいい文章が書ける訳が無かった。それに、出来の悪い話を作って官能小説の次の回として投稿するのは、いくら少ないとは言え楽しみにしてくれる人を裏切る事になるので、俺には出来なかった。
何をしようか迷ったが、取り敢えず昔読んでいた小説をまた読んでみる事にした。最近は新刊を買っていなかったが、元々俺は小説を読むことが好きだった。
また「三国志演義」を読んでみようとしたが、喉をつっかえるような感じがして、読み続ける事が出来なかった。他の歴史小説や純文学も読む気分になれなかった。
なので、手軽に読めるライトノベルを手に取った。西暦2000年くらいに出版された小説で、当時一部で話題になっていた異世界転生ものの作品だ。
この手の作品は、異世界に転生した主人公が何らかの異能力を得て活躍するものが多い。挫折する展開がある作品は少なく、作者が狙った層の読者にストレスを与えないような作りになるように心掛けているのだ。
正直に言うと、主人公が異世界に転生してチート能力を得て無双する、と言う作風は俺の好みでは無い。しかし今の俺の心境は、異世界に転生できるのなら、転生したいというものになっていた。
だが、そこまで好きな作品では無かったので今回は途中で読むのをやめてしまった。俺はライトノベルではなく旅行記としての要素を含む小説や、単なる旅行ガイドの本を本棚から引っ張り出して、読み始めた。
エリア092の事も詳しく載っていたので読んでみると、2000年前から現存している神社についての情報も載っていた。俺や恐らく両親も知らなかったであろう情報も載っていたので、この目で見てみたいと思い始めていた。
さらに俺は、別のエリアの様々な情報を読んでみた。どの写真も綺麗でエリア別に情報が細かく載っていて、実際に行ってみたいと思わせた。
さらに俺は、別のエリアの様々な情報を読んでみた。どの写真も綺麗でエリア別に情報が細かく載っていて、実際に行ってみたいと思わせた。
最初に興味を惹かれたのは、エリア004についての情報だった。このエリアについての情報が一番多く、詳細なものだった。
地下遺跡や荒野といった複数の廃棄された区画に、空高くに建てられた古代の建造物の数々。エリア092では見られない近代的な街並みにも、興味をそそられた。
エリア017の2本ある軌道エレベーターも魅力的だった。治安が良い街も多いらしく、安全に旅行したいならこのエリアだった。
エリア013やエリア006にも軌道エレベーターがあったが、どちらのエリアも老朽化が激しかった。013はギャングが牛耳っている地域があり治安が悪く、006はどの場所も廃棄された区画と見間違うほど荒涼としていた。
エリア202は新造の軌道エレベーターがあるエリアで、エリア006とは逆に綺麗な街並みだった。警備システムも最新鋭で、安心して暮らせる街というイメージだった。
俺が一番気に入ったエリアは004だった。そこに旅行へ行く想像をする内に、ある考えが浮かんだ。
もうエリア092を離れて、エリア004に住みたいと思ったのだ。しかし、それは不可能だとすぐに気づいた。
俺はアルバイトをして金を稼いでいたとはいえ、別のエリアに移住できるほどの貯金は無かったのだ。俺は移住の夢をひとまず諦めて、もう一度エリア092について載っているページを開いてみた。
先程は見落としていたのだが、そこには青い空と荘厳かつ巨大な時計塔の写真が載っていた。それを見て、この街の時計塔は観光名所なのだと改めて理解した。
俺はすぐにこの写真の撮影場所を確認した。ちゃんとアクセスマップも乗っていて、この街のどの辺りがすぐに分かった。
写真の撮影場所は広大な敷地の公園だった。公園内に小さな動物園やレストランもあるほどの、大きな公園だ。
俺は行ったことのない場所だった。或いは記憶に無い場所だが、すぐに行ってみたくなった。
この家から徒歩で行く分にはかなり時間がかかる上に間違いなく疲れるが、路面電車を使えば時間の短縮になり、何より疲れない事は間違いなかった。俺はすぐに外出する準備を整えて、財布や携帯電話など忘れ物が無いかをチェックした。
今は5月、暑すぎない気候は外出するのに丁度良かった。親には散歩に行くと言って家を出て、路面電車の乗り場へと向かった。
路面電車の乗り心地はいつも通りで、スピードは遅いが揺れはほとんど無かった。俺以外の乗客は少なかったが、老人数名とか親子連れが乗車していた。
数十分後にガイドブックに載っていた写真の撮影場所がある公園に到着した。観光客の姿はあったが、行楽シーズンでは無いので少なかった。
俺は噴水やベンチを目印にして、撮影場所に到着した。人が少なかったおかげで、案外すぐにたどり着く事ができた。
そこには、青空と荘厳な時計塔による美しい景色が確かにあった。写真を撮った年と比べれば多少変わっている箇所はあるかも知れないが、景色の美しさに変わりは無かった。
何で今までこの場所に気づけなかったのだろうと思っていると、近くに女子高生と思われる銀色の髪の少女がやって来た。彼女も時計塔を見に来た様で、ベンチに座って休憩していた。
「あの…こんにちは」
「…こんにちは」
俺は何故か、その少女に挨拶をした。俺も人との繋がりを無意識のうちに求めていたのかも知れない。幸い、彼女は俺の事を不審に思う事なく、挨拶を返してくれた。
「あなたはこの街の人?」
「うん…ここで生まれ育って…あ、俺の名前はエドガー・メイソンって言うんだ…」
俺は他者との会話が物凄く苦手だった。この街の出身かどうかを聞かれただけなのに、名前まで名乗ってしまった。
「私はカエデ・ツキシマ、エリア013の出身だよ」
「013…俺の父さんと同じですね」
カエデと言う少女は、俺に対して出身エリアまで伝えた。彼女の住んでいる所は、俺の父親の実家と近いのだろうか。しかし、カエデ・ツキシマ、どこかで名前を聞いたことがあるような…
「013はどんな所ですか?」
「あんまり好きじゃ無かった。だから今は一人でエリア017に住んでるけど、ここも悪くないかも」
カエデが既に生まれたエリアを離れて生活している事を知って、純粋にすごいと思った。俺とは違って、一人で生きていく術を身につけているのだ。
「でもどうやって生活費を稼いで…」
「作った曲を提供して金を稼いでいる」
「じゃあカエデ・ツキシマって…」
「私は作曲家。割と色んな所から曲作りを頼まれてるよ」
カエデ・ツキシマは2年前に活動を開始した、作曲家だ。メジャーデビューの前から制作した曲をネットに投稿していて、密かに人気があったようだ。
「俺…"ガリレオガリレイの旅"のオープニングもエンディングも好きですよ」
「あの二曲は私としても名作だと思ってる」
アニメ版ガリレオガリレイの旅の、オープニングとエンディングの曲はカエデ・ツキシマが制作して別のアーティストが歌ったものだった。特にオープニングは、軽く透き通った男性ボーカルの声とややポップな曲調がマッチする名曲だった。
「本当にすごいですよ…クリエイターとして成功して独り立ちしていて…」
「そんな立派じゃない…作曲家は無限に曲を生み出せる訳じゃない」
彼女の様子を見て、俺はクリエイターは大変なのだと改めて理解した。自分なりに作品を生み出し続けるのは、苦悩も伴うだろう。
(俺はまだ…小説家としてスタートすらできていない)
俺と彼女にはクリエイターとしての才能に大きな差があるのだろう。俺が小説を書き続けたとしても、作家として大成できないまま終わる可能性の方が高いだろう。
「その…邪魔してすみません…俺、小説書いてるんです…良い文が思いついたので帰ります」
「そう…小説ね…」
「あの、この街に住むのも良いと思いますよ」
「考えとく」
俺はカエデと別れると、すぐに家に路面電車に乗って家に帰った。そして俺は、あの景色を見て思ったこと、カエデとの出会いについて書き綴り始めた。
(時を刻む遺物…銀色の少女…)
俺は様々なワードを思い浮かべながら、下書きを進めていく。そんな作業を繰り返しながら、俺は小説の完成を目指す。
時を刻み続ける遺物 銀色の少女は何を見るか
作者:エドガー
メアリーは古く巨大な時計塔を、静かに見つめていた。その街に昔からあるその遺物には、謎があまりにも多かった。
「あの時計塔に興味があるんですか」
時計塔を見つめていたメアリーに声をかけたのは、この街で暮らしている少年だった。メアリーは毎日のように時計塔を見つめていたので、不思議に思う街の人間も多かった。
「うん。ずっと昔から…」
「ずっと昔って…どのくらい前から?」
「ずーっと昔」
「そうなんだ…」
少年にはメアリーの言う、ずっと昔が分からなかった。メアリーは少年と比べたら歳上だが、まだ女学生といった見た目だからだ。
「私はメアリー。あなたは…」
「…シオンだよ。よろしくね」
シオンもこの街に昔からある時計塔には、ずっと興味があった。だから、興味の対象が同じであるメアリーには親近感を感じていた。
「あの時計塔の中、一部しか見学させてくれないんだよね」
「でも一部分だけでも、歯車群を見れて嬉しいよ」
メアリーは機械工学の分野にも、造詣が深かった。シオンにはよく分からない多くのオーパーツの研究もしてみたいと言っていた。
「時計塔の制作者は…」
「不詳。どこにも載っていないし、今は誰も知らない。分かるのは、とても独創的で、とても頭が良かったという事」
時計塔は第九次世界大戦以前からあるものなので、記録が残っていなくても仕方がない。歴史学者は懸命に調べ続けているが、メアリーとしては興味の対象外なようだ。
「もう居なくなってしまった人を想っても、意味がない」
そう言うメアリーの視線はどこか遠くへと向いていた。もう戻って来れないほど遠くへと行ってしまった人を見ているようだった。
「まだ…もう少しだけ、ここにいるよ」
「うん…それじゃあね」
メアリーの言うずっと昔はいつなのかを考えても、シオンには答えを出せなかった。それでも、シオンはメアリーにこの街にいて欲しいと思っていた。
もっと、彼女の事を知りたかった。
俺は短編小説である「時を刻み続ける遺物 銀色の少女は何を見るか」を書き上げた。文章を何度か見直した後、ネット上のサイトに投稿した。
ひょっとしたら今回の小説も読まれる事なく、評価も批評もされずに埋もれていくのかも知れない。少なくとも俺には、王道の冒険ファンタジーもので面白い作品を書くのは無理だった。
もちろん読まれない原因が、作品のタイトルやあらすじがあまりにも抽象的である事もある。俺の場合は、自分が書いた官能小説があまりにも読まれない時に、タイトルやあらすじを手直しすれば閲覧数が伸びていったこともある。
俺には作品のタイトルを短くしようとする癖があった。作品のタイトルが長いと見映えが悪くなると感じているのだが、必要以上に短くすると内容が伝わらない事もあるので、悪い癖だと言える。
今日の執筆は終わりにして、俺はまた旅行ガイドを読み始めた。実際に行く事は簡単では無いが、こうして写真を見るだけでも気晴らしになるのだ。
また、エリア004の記事を読もうとしたら、読み飛ばしているページがある事に気づいた。エリア003の観光ガイドが載っているページだった。
そのページには003の中心に存在する、美しい花を思わせる形のソーラーパネルの写真が載っていた。ソーラーパネルは超巨大で、エリア003ならほとんどの場所から目視できる様だ。
俺はエリア003について詳しく調べてみると「冬の桜」という言葉がある事を知った。超巨大ソーラーパネルの根本は気温が高くなるので、003では正月の時期に桜が見れるというのだ。
俺は冬の桜を、花を象った巨大なソーラーパネルを見たいと思った。年末はエリア003に行くと、心の中で決めていた。
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