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第九章
魔竜の夜
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23
その日、そのあと――
ニニの様子が、どうにも少し変だった。
なんだかひどく頭痛がする、少し吐き気もする、とニニは言い―― ニ階の寝室で、昼までひとりで休んでいた。昼にいちど起きてきて、ミスローダとふたりで昼食を食べたが、なんだかひどく眠そうで、じっさい食べながら、うとうとして、ニ回も手からスプーンを落とした。
「あなたそれ、ほんとに大丈夫なの? もしほんとに具合が悪いなら、外からヒーラーを呼ぶけど――」
ミスローダは心配そうに、片手をニニのひたいにあてた。熱はとくになさそうだったが――
「ん、たぶん、寝てれば直ると思う」
ニニはとろんとした目で言って、また、スープのスプーンをことりと机に落とした。さすがに不安になったミスローダが、そのあと近所のヒーラーの女性を家に招き、具合をくわしく見てもらった。
「ま、とくに肉体的に、どうこう問題があるわけでもなさそうだァね――」
だいぶ年のいったセルモのヒーラーは、ニニのアタマに手をあて、そのあとニニの耳をつまみ、それから肩をさすり、癒しのスペルを小声でつぶやき―― ニニの体のあちこちに何か緑っぽい光みたいなものを、何度もしずかに注いでいった。
「ま、けれども、じっさいあまり見ない症状なのも。こんだけ体が普通なのに、ここまで意識の混濁がおきとるゆうのは―― あまりよかァないね、これ。ぜんぜんこれっぽっちも良い予感はしないのも」
ひとりでぶつぶつ、つぶやいていた。
「ま、ただの風邪だとか、そういう気楽な気休めを言って帰れるのが、こっちとしちゃあ、いちばん気楽なのも。けれどもこれはちと、どうかって気もするわァね。ま、とはいえ、ひとまず気休めでも、この薬で、なんとかおさえてみるも――」
小柄なヒーラーは、カバンの中からいくつか薬の小瓶をとりだし、それを三つほど、小さな器にそそいで混ぜて、ぽこぽこ泡立つ茶色の液をニニの前に置いた。ニニはなんとかそれを飲み下し―― けほけほ、と小さく咳こんだ。咳をすると、ポワンポワン黄色っぽい煙の輪がニニの口からもれた。
「ま、はなはだ心もとないが、ひとまずこれくらいが、いまあたしにできることだァね。明日んなって具合が変わんなければ、これはもう、王立療養所なり、どこなり、ほんとの目利きのいる場所に、きちんと相談した方がいいかもしれないも」
「なに? そんなに悪いの?」
あちらの壁にもたれたミスローダが、苦い顔をしてきいた。
「悪いか悪くないかで言えば、悪い、だァね。ただ、ま、あたしもしょせんは市井のしがないヒーラーなのよ。何年ここでやってても、わからないことはたくさんある。これはまた、そのひとつ。じっさいあまり知らない症例だァね。じっさいわからないものに、大丈夫のハンコは押せないも。たいしたことはないかもしれんし、たいしたことがあるかもしれん。ま、そんなところ」
よいしょ、と大義そうに椅子から立ちあがると、夏にしては暑そうな、ぶあついフェミム生地の上着に肩をとおした。
「で? 何? あれはあんたの妹さん?」
廊下に出て、肩からさげたカバンに何かモノをつめ直しながら、ヒーラーがなにげなくたずねた。
「ま、そんな感じかしらね。それなりの身内、かな」
「あんたもよくわからんヒトだァね。前までたしかひとり住まいだったろも? 噂じゃ王族の出だって言うし―― なのにこんな場所でなにかの店とか―― それでこんどは居候?」
「ま、いいのよその話は。とりあえず今日はありがとう。急な話なのに、対応して頂けて助かったわ」
「ま、たいした助けにはならんかったァね」
「いえ。ひとまずは充分」
✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾
夕方、ニニはいつもよりずっと早く寝た。
夕食もほとんど手をつけなかった。
「なんだか、白くて――」
ニニが、もぞもぞと寝床にもぐりこみながら、片手でアタマをおさえ、ぼんやりした声で言った。
「白い? それは何?」
「ん―― よくわかんない。なにかモヤッと、アタマの中が白いの。でね、なにか声がね、耳の奥でね、ずっとさっきから鳴ってるの――」
「声?」
「うん。誰かがわたしの名前を呼んでる。ニニ、ニニって。すっごく遠い所から。でね、その声が言うの。思い出せ、思い出せ、思い出せ、って」
「思い出せ?」
「うん。たぶんそう言ってる。なにかそれ、すごく怒ってる感じで。すごくいらいらした感じ――」
ニニは半分眠ったように、とろんとした焦点のない目でつぶやいた。
「ニニ、それね、明日ほんとに、専門の先生に診てもらうほうがいいかもしれない」
ミスローダが少し真面目な声で言う。
「…かな? ミスローダはそう思う?」
「ええ。あまり良くない感じはする。とりあえず今夜はここで寝て、明日、朝のうちに、腕の立つ医師がいる本格的な治療院に、ほんとに行く方がいいかも。ここからちょっと遠いけれど――」
「ごめんね、ミスローダ。めいわく、かけちゃって」
「迷惑だなんて。そんな気をつかわなくていいの。あなたは今からしっかり寝て、自分の体をなおしなさい。それだけ気にしてればいい」
「うん。ありがと…」
「さ、もういいから、寝てなさい。あとでまた、ここに見にくるわ。何か飲みたいとか食べたいとかあれば、いつでも声を出してよんで。それが何時でも、気にせずこっちに言ってくれればいい」
「ごめんね、ミスローダ。ごめんね――」
まもなくニニは、そのまま無邪気な顔で眠りこんでしまった。
ミスローダはしばらくそこに座り、ニニの寝顔を見ていた。でもやがてしずかに立ちあがると、小さくため息をつき、壁際の明かりをそっと消し、それから自分の部屋に戻っていった。
24
そのあとミスローダは少し眠った。夜中に自室で目を覚ましたミスローダ。肩から薄手のショールをかけ、ニニの具合を見るため、あくびをしながら廊下に出た―― 出たとたん、彼女は絶句した。
――なにこれは??
光がそこにあふれている。白い光。まぶしい光。
光はどうやら、ニニの部屋から流れ出てくる――
「ニニ! あなたそれ、大丈夫??」
ミスローダが部屋にかけこむ。
あまりの眩しさに目がくらむ。それでもなんとか目をあけて――
部屋の奥の寝台で、ニニはひとりで眠っていた。光がニニの体を包みこみ、いつもの緑の髪が、なぜか今は、雪のような白に変わっている。
「ニニ!」
ミスローダはかけより、ニニの体をゆすった。
「ん――」
ニニが小さくうめいて、それから右手で目をこすり――
ゆっくりと目を―― まぶたをひらいた――
ミスローダは一瞬、恐怖にとらわれた。
ニニの瞳が――
まっすぐそこからミスローダを見上げるその目――
その目はいつものニニとは、明らかにもう、違っていたから。
「――なに? また、おまえなの?」
そのニニが言って、むくりと寝台から体をおこした。
「あなた―― ニニではないわね!」
ミスローダが後ろに跳びさがる。
部屋の壁を背にして、さぐるようにその誰かをにらむ。
「ううん。ニニだよ。わたしがほんとのニニ」
全身から白の光を強く発して、そのニニが、いま、床に両足をつけた。
「ん―― でもだめね。まだ、こんな姿のままか。あんがいあの銃は、けっこう、たち悪いね、あは。でもきっと、時間の問題かな。たぶんもうすぐ封印は――」
そのニニは、はだしの足でぺたぺたと、まっすぐ部屋をよこぎって――
「ま、待ちなさい! あんたどこ行くつもり?」
「どこ? そんなのきまってる。まずはあいつを殺しに行かなきゃ」
「な?? あなたそれ、なに言って――」
ミスローダがニニに―― 白髪のニニにとびついて、腕を強引に――
引こうとして、逆にうしろにふきとばされた。すさまじい魔力がニニの全身から吹き出ている。魔力の風は暴風のようにあらゆる家具やドアや窓を、ガタガタと大きく震わせて――
そしてニニはもう、店の外に出ていた。
「待つのよニニ! そこで止まりなさい!」
ようやくミスローダも外まで追ってきた。路地のむこうに遠ざかるニニに、うしろから追いすがる。
「おまえ、まだいるの?」
ニニが足を止め、くるりとふりむいた。魔力の風が正面から叩きつける。ミスローダは両手で顔をおおって、なんとかそこに踏みとどまった。しかしジリジリと、うしろに押される――
「殺しに行くってあんた! いったい誰のこと言ってんのよそれ!」
ミスローダが叫んだ。
「きまってるよ。あの、ちびっこい虫だよ」
「虫? あなたそれ、なに――」
「わかるのよ、この近くにいる。あれの臭い、ここまでプンプンするから。あいつらゴミムシは、わたしたちに、いろいろ、ひどいことしたから。だからまず、あいつらから全部、殺すことにしたの。でもちょっぴりあのとき、殺しそこねた。そいつがいま、この町にいる。わざわざあいつの方から、会いに来たの。だからいま、こっちから行って、そいつを終わらしてあげようかな、って。ね?」
「意味がわからないわ! あんたアタマどうかしたの!」
「おまえも、だけど、ばかね」
憐れむように、そのニニが、かすかに笑った。
「わたし、見てたの。こっそり見てた。おまえ、表のニニに、いろいろ、いいことしてくれたでしょう。この弱いカラダ、つまらないカラダ、壊れないように、いろいろ、おまえがたすけたの、裏からこっそり、わたし、見てたから。だからおまえも、つまらないゴミの仲間だけど、いまだけは、まだ、殺さずにおいておく。そう思ったのに。でももし、邪魔するなら――」
また一段と強い魔力の風がミスローダを襲う。ミスローダは歯をくいしばって、それに耐える――
「でも、だいじょうぶだよ。さいごにみんな、壊してあげる。最初にまず、あの、ちびの汚いゴミムシ。それがおわったら、そうね、まずはこの町、ぜんぶ、なくしてしまおうか。そのあとおまえら、ぜんぶ、一匹一匹、踏みつけて噛み砕いて、ぜんぶ壊して終わらせるの。ね? だからおまえ、もし逃げたいなら、いまのうち、なるだけ遠くに逃げるほうがいいよ」
「あんた狂ってるわそれ! どうかしてるわ!」
「じゃ、もう、話はおわりだから。わたしは行くね。さよなら。もう名前もわすれたけど、ちょっとはよくしてくれた、ゴミムシの仲間――」
それだけ言うと、白髪のニニは――
白い光を夜の通りいっぱいに放出しながら、ゆらりとミスローダに背をむけ、ひたひたと、闇の先へ遠ざかる――
「待て!」
いきなりうしろからミスローダがとびついたのと――
逆に喉をつかまれて引き上げられたのと――
とびついたつもりが、ミスローダは、もう次の瞬間、片手でのどをしめあげられ、通りの上に高くつるされて――
ドサッ。
そのまま地面の上に投げ落とされた。
のどを押さえ、地面にはいつくばって激しく咳きこむミスローダ。
もはや力の差は歴然。勝負にすらならない。
「これが、さいごね。もしつぎやったら、こんどは殺すね」
そのニニが、表情をかえず、ミスローダの方を見ることすらせずに、
小声でひとりで、つぶやいた。
「待ちな――さい」
ミスローダが、それでも立ちあがる。
銀の瞳が、ギラギラと強く激しく燃えたつ。
「あんたなんかに、わたしのニニを連れて行かせないわ!」
「わたしのニニ? 連れて行く? おまえ、それ、まちがってる」
そのニニが、ちらりと半分だけふりかえる。
「わたしがニニ。おまえの世話したニニは、あれは人形だから。あれは表で、わたしが裏になってたの。でも、ほんとはわたしが、ほんとのニニなの。だからわたしがニニ。こっちがほんと。わたしは誰にも連れていかれたりしない」
「おまえはニニじゃないわ!」
ミスローダが通りの真ん中で叫んだ。
「わたしのニニは、おまえではない! わたしのニニはもっと、もっと、もっと――」
「くだらない。もうおまえ、だまればいい。だまらないなら――」
そのニニが、左手をミスローダにむけてつきだす。
ありえない強さの魔力がたちまち結集する。
それは瞬時にふくれあがり―――
「バカな! やめなさいニニ! あんた町ごと吹き飛ばすつもり! やめな――」
そして、
ミスローダが
とびついた、
しっかりと腕を、
わたしは――
ミスローダはニニの、
おまえは、
顏を、
わたしは――
まっすぐに目を見て、
おまえ、
色のない目と、銀の瞳が、
もう、失いたく――
交差し――
おま――
ミスローダはニニの、
失いたくは――
ひたいに、自分の、くちびるを押しつけて――
あ――
あな――
押しつけて――
ないっッ!!!
あなたは――
ねえ、さま?
………
………
………
「あれ? ミスローダ?」
無邪気な声が、ミスローダの名を呼んだ。
ミスローダが目をひらくと、そこにはもう、あの白い光はなかった。
その子の髪は、もう、あの白髪ではなくて、
それはいつもの緑の―― いつものニニの髪の色で――
そこは暗い夜の町で、ふたりは大きな通りの真ん中で――
「ね、どうしたのミスローダ? なんでわたしのおでこに、そんなにキス、してるの?」
ミスローダはようやく体をはなし、
それから、また、ニニの体を強く強く抱きしめた。
「い、いたいよミスローダってば! なんでそ、そんな、きつく――」
「お願いだから、もう、どこにも行かないで」
ミスローダは、ぽろぽろ、泣いていた。
「おねがい。もう、わたしをひとりにしないで」
「え? なに? どうしたのミスローダ? それなに言ってるの?」
「おねがい。もうずっとわたしのそばにいて」
「ね、ミスローダってば――」
「おねがい――」
その日、そのあと――
ニニの様子が、どうにも少し変だった。
なんだかひどく頭痛がする、少し吐き気もする、とニニは言い―― ニ階の寝室で、昼までひとりで休んでいた。昼にいちど起きてきて、ミスローダとふたりで昼食を食べたが、なんだかひどく眠そうで、じっさい食べながら、うとうとして、ニ回も手からスプーンを落とした。
「あなたそれ、ほんとに大丈夫なの? もしほんとに具合が悪いなら、外からヒーラーを呼ぶけど――」
ミスローダは心配そうに、片手をニニのひたいにあてた。熱はとくになさそうだったが――
「ん、たぶん、寝てれば直ると思う」
ニニはとろんとした目で言って、また、スープのスプーンをことりと机に落とした。さすがに不安になったミスローダが、そのあと近所のヒーラーの女性を家に招き、具合をくわしく見てもらった。
「ま、とくに肉体的に、どうこう問題があるわけでもなさそうだァね――」
だいぶ年のいったセルモのヒーラーは、ニニのアタマに手をあて、そのあとニニの耳をつまみ、それから肩をさすり、癒しのスペルを小声でつぶやき―― ニニの体のあちこちに何か緑っぽい光みたいなものを、何度もしずかに注いでいった。
「ま、けれども、じっさいあまり見ない症状なのも。こんだけ体が普通なのに、ここまで意識の混濁がおきとるゆうのは―― あまりよかァないね、これ。ぜんぜんこれっぽっちも良い予感はしないのも」
ひとりでぶつぶつ、つぶやいていた。
「ま、ただの風邪だとか、そういう気楽な気休めを言って帰れるのが、こっちとしちゃあ、いちばん気楽なのも。けれどもこれはちと、どうかって気もするわァね。ま、とはいえ、ひとまず気休めでも、この薬で、なんとかおさえてみるも――」
小柄なヒーラーは、カバンの中からいくつか薬の小瓶をとりだし、それを三つほど、小さな器にそそいで混ぜて、ぽこぽこ泡立つ茶色の液をニニの前に置いた。ニニはなんとかそれを飲み下し―― けほけほ、と小さく咳こんだ。咳をすると、ポワンポワン黄色っぽい煙の輪がニニの口からもれた。
「ま、はなはだ心もとないが、ひとまずこれくらいが、いまあたしにできることだァね。明日んなって具合が変わんなければ、これはもう、王立療養所なり、どこなり、ほんとの目利きのいる場所に、きちんと相談した方がいいかもしれないも」
「なに? そんなに悪いの?」
あちらの壁にもたれたミスローダが、苦い顔をしてきいた。
「悪いか悪くないかで言えば、悪い、だァね。ただ、ま、あたしもしょせんは市井のしがないヒーラーなのよ。何年ここでやってても、わからないことはたくさんある。これはまた、そのひとつ。じっさいあまり知らない症例だァね。じっさいわからないものに、大丈夫のハンコは押せないも。たいしたことはないかもしれんし、たいしたことがあるかもしれん。ま、そんなところ」
よいしょ、と大義そうに椅子から立ちあがると、夏にしては暑そうな、ぶあついフェミム生地の上着に肩をとおした。
「で? 何? あれはあんたの妹さん?」
廊下に出て、肩からさげたカバンに何かモノをつめ直しながら、ヒーラーがなにげなくたずねた。
「ま、そんな感じかしらね。それなりの身内、かな」
「あんたもよくわからんヒトだァね。前までたしかひとり住まいだったろも? 噂じゃ王族の出だって言うし―― なのにこんな場所でなにかの店とか―― それでこんどは居候?」
「ま、いいのよその話は。とりあえず今日はありがとう。急な話なのに、対応して頂けて助かったわ」
「ま、たいした助けにはならんかったァね」
「いえ。ひとまずは充分」
✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾
夕方、ニニはいつもよりずっと早く寝た。
夕食もほとんど手をつけなかった。
「なんだか、白くて――」
ニニが、もぞもぞと寝床にもぐりこみながら、片手でアタマをおさえ、ぼんやりした声で言った。
「白い? それは何?」
「ん―― よくわかんない。なにかモヤッと、アタマの中が白いの。でね、なにか声がね、耳の奥でね、ずっとさっきから鳴ってるの――」
「声?」
「うん。誰かがわたしの名前を呼んでる。ニニ、ニニって。すっごく遠い所から。でね、その声が言うの。思い出せ、思い出せ、思い出せ、って」
「思い出せ?」
「うん。たぶんそう言ってる。なにかそれ、すごく怒ってる感じで。すごくいらいらした感じ――」
ニニは半分眠ったように、とろんとした焦点のない目でつぶやいた。
「ニニ、それね、明日ほんとに、専門の先生に診てもらうほうがいいかもしれない」
ミスローダが少し真面目な声で言う。
「…かな? ミスローダはそう思う?」
「ええ。あまり良くない感じはする。とりあえず今夜はここで寝て、明日、朝のうちに、腕の立つ医師がいる本格的な治療院に、ほんとに行く方がいいかも。ここからちょっと遠いけれど――」
「ごめんね、ミスローダ。めいわく、かけちゃって」
「迷惑だなんて。そんな気をつかわなくていいの。あなたは今からしっかり寝て、自分の体をなおしなさい。それだけ気にしてればいい」
「うん。ありがと…」
「さ、もういいから、寝てなさい。あとでまた、ここに見にくるわ。何か飲みたいとか食べたいとかあれば、いつでも声を出してよんで。それが何時でも、気にせずこっちに言ってくれればいい」
「ごめんね、ミスローダ。ごめんね――」
まもなくニニは、そのまま無邪気な顔で眠りこんでしまった。
ミスローダはしばらくそこに座り、ニニの寝顔を見ていた。でもやがてしずかに立ちあがると、小さくため息をつき、壁際の明かりをそっと消し、それから自分の部屋に戻っていった。
24
そのあとミスローダは少し眠った。夜中に自室で目を覚ましたミスローダ。肩から薄手のショールをかけ、ニニの具合を見るため、あくびをしながら廊下に出た―― 出たとたん、彼女は絶句した。
――なにこれは??
光がそこにあふれている。白い光。まぶしい光。
光はどうやら、ニニの部屋から流れ出てくる――
「ニニ! あなたそれ、大丈夫??」
ミスローダが部屋にかけこむ。
あまりの眩しさに目がくらむ。それでもなんとか目をあけて――
部屋の奥の寝台で、ニニはひとりで眠っていた。光がニニの体を包みこみ、いつもの緑の髪が、なぜか今は、雪のような白に変わっている。
「ニニ!」
ミスローダはかけより、ニニの体をゆすった。
「ん――」
ニニが小さくうめいて、それから右手で目をこすり――
ゆっくりと目を―― まぶたをひらいた――
ミスローダは一瞬、恐怖にとらわれた。
ニニの瞳が――
まっすぐそこからミスローダを見上げるその目――
その目はいつものニニとは、明らかにもう、違っていたから。
「――なに? また、おまえなの?」
そのニニが言って、むくりと寝台から体をおこした。
「あなた―― ニニではないわね!」
ミスローダが後ろに跳びさがる。
部屋の壁を背にして、さぐるようにその誰かをにらむ。
「ううん。ニニだよ。わたしがほんとのニニ」
全身から白の光を強く発して、そのニニが、いま、床に両足をつけた。
「ん―― でもだめね。まだ、こんな姿のままか。あんがいあの銃は、けっこう、たち悪いね、あは。でもきっと、時間の問題かな。たぶんもうすぐ封印は――」
そのニニは、はだしの足でぺたぺたと、まっすぐ部屋をよこぎって――
「ま、待ちなさい! あんたどこ行くつもり?」
「どこ? そんなのきまってる。まずはあいつを殺しに行かなきゃ」
「な?? あなたそれ、なに言って――」
ミスローダがニニに―― 白髪のニニにとびついて、腕を強引に――
引こうとして、逆にうしろにふきとばされた。すさまじい魔力がニニの全身から吹き出ている。魔力の風は暴風のようにあらゆる家具やドアや窓を、ガタガタと大きく震わせて――
そしてニニはもう、店の外に出ていた。
「待つのよニニ! そこで止まりなさい!」
ようやくミスローダも外まで追ってきた。路地のむこうに遠ざかるニニに、うしろから追いすがる。
「おまえ、まだいるの?」
ニニが足を止め、くるりとふりむいた。魔力の風が正面から叩きつける。ミスローダは両手で顔をおおって、なんとかそこに踏みとどまった。しかしジリジリと、うしろに押される――
「殺しに行くってあんた! いったい誰のこと言ってんのよそれ!」
ミスローダが叫んだ。
「きまってるよ。あの、ちびっこい虫だよ」
「虫? あなたそれ、なに――」
「わかるのよ、この近くにいる。あれの臭い、ここまでプンプンするから。あいつらゴミムシは、わたしたちに、いろいろ、ひどいことしたから。だからまず、あいつらから全部、殺すことにしたの。でもちょっぴりあのとき、殺しそこねた。そいつがいま、この町にいる。わざわざあいつの方から、会いに来たの。だからいま、こっちから行って、そいつを終わらしてあげようかな、って。ね?」
「意味がわからないわ! あんたアタマどうかしたの!」
「おまえも、だけど、ばかね」
憐れむように、そのニニが、かすかに笑った。
「わたし、見てたの。こっそり見てた。おまえ、表のニニに、いろいろ、いいことしてくれたでしょう。この弱いカラダ、つまらないカラダ、壊れないように、いろいろ、おまえがたすけたの、裏からこっそり、わたし、見てたから。だからおまえも、つまらないゴミの仲間だけど、いまだけは、まだ、殺さずにおいておく。そう思ったのに。でももし、邪魔するなら――」
また一段と強い魔力の風がミスローダを襲う。ミスローダは歯をくいしばって、それに耐える――
「でも、だいじょうぶだよ。さいごにみんな、壊してあげる。最初にまず、あの、ちびの汚いゴミムシ。それがおわったら、そうね、まずはこの町、ぜんぶ、なくしてしまおうか。そのあとおまえら、ぜんぶ、一匹一匹、踏みつけて噛み砕いて、ぜんぶ壊して終わらせるの。ね? だからおまえ、もし逃げたいなら、いまのうち、なるだけ遠くに逃げるほうがいいよ」
「あんた狂ってるわそれ! どうかしてるわ!」
「じゃ、もう、話はおわりだから。わたしは行くね。さよなら。もう名前もわすれたけど、ちょっとはよくしてくれた、ゴミムシの仲間――」
それだけ言うと、白髪のニニは――
白い光を夜の通りいっぱいに放出しながら、ゆらりとミスローダに背をむけ、ひたひたと、闇の先へ遠ざかる――
「待て!」
いきなりうしろからミスローダがとびついたのと――
逆に喉をつかまれて引き上げられたのと――
とびついたつもりが、ミスローダは、もう次の瞬間、片手でのどをしめあげられ、通りの上に高くつるされて――
ドサッ。
そのまま地面の上に投げ落とされた。
のどを押さえ、地面にはいつくばって激しく咳きこむミスローダ。
もはや力の差は歴然。勝負にすらならない。
「これが、さいごね。もしつぎやったら、こんどは殺すね」
そのニニが、表情をかえず、ミスローダの方を見ることすらせずに、
小声でひとりで、つぶやいた。
「待ちな――さい」
ミスローダが、それでも立ちあがる。
銀の瞳が、ギラギラと強く激しく燃えたつ。
「あんたなんかに、わたしのニニを連れて行かせないわ!」
「わたしのニニ? 連れて行く? おまえ、それ、まちがってる」
そのニニが、ちらりと半分だけふりかえる。
「わたしがニニ。おまえの世話したニニは、あれは人形だから。あれは表で、わたしが裏になってたの。でも、ほんとはわたしが、ほんとのニニなの。だからわたしがニニ。こっちがほんと。わたしは誰にも連れていかれたりしない」
「おまえはニニじゃないわ!」
ミスローダが通りの真ん中で叫んだ。
「わたしのニニは、おまえではない! わたしのニニはもっと、もっと、もっと――」
「くだらない。もうおまえ、だまればいい。だまらないなら――」
そのニニが、左手をミスローダにむけてつきだす。
ありえない強さの魔力がたちまち結集する。
それは瞬時にふくれあがり―――
「バカな! やめなさいニニ! あんた町ごと吹き飛ばすつもり! やめな――」
そして、
ミスローダが
とびついた、
しっかりと腕を、
わたしは――
ミスローダはニニの、
おまえは、
顏を、
わたしは――
まっすぐに目を見て、
おまえ、
色のない目と、銀の瞳が、
もう、失いたく――
交差し――
おま――
ミスローダはニニの、
失いたくは――
ひたいに、自分の、くちびるを押しつけて――
あ――
あな――
押しつけて――
ないっッ!!!
あなたは――
ねえ、さま?
………
………
………
「あれ? ミスローダ?」
無邪気な声が、ミスローダの名を呼んだ。
ミスローダが目をひらくと、そこにはもう、あの白い光はなかった。
その子の髪は、もう、あの白髪ではなくて、
それはいつもの緑の―― いつものニニの髪の色で――
そこは暗い夜の町で、ふたりは大きな通りの真ん中で――
「ね、どうしたのミスローダ? なんでわたしのおでこに、そんなにキス、してるの?」
ミスローダはようやく体をはなし、
それから、また、ニニの体を強く強く抱きしめた。
「い、いたいよミスローダってば! なんでそ、そんな、きつく――」
「お願いだから、もう、どこにも行かないで」
ミスローダは、ぽろぽろ、泣いていた。
「おねがい。もう、わたしをひとりにしないで」
「え? なに? どうしたのミスローダ? それなに言ってるの?」
「おねがい。もうずっとわたしのそばにいて」
「ね、ミスローダってば――」
「おねがい――」
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校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
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校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
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そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
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「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
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お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
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