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ナトルシュカのコロッシアム最後の試合は、ものの数分で終わった。
あっという間の出来事に、この場にいる誰もがしばしの間、呆気を取られた。
なにせ、ナトルシュカが“なにもせずとも”相手が倒れていたのだから。
ナトルシュカが最後に戦った相手は、仮面をつけた男だった。
ナトルシュカと同じくらいの体躯の男で、仮面はこの国で忌み嫌われている〝マファト〟という地獄の化身の面をつけていた。
コロッシアムでは、獰猛な獣以外の他に、人間同士で戦うこともある。
人間同士で戦った場合、相手が動けなくなるまで戦う決まりがあった。
そこに生死はとわれることはなく、コロッシアムのリングの上で闘う罪人はどれだけ人を殺したところで、それが罪になることはなかった。コロッシアムに法など存在しない。
実際、独房に入れられた根っからの悪人はコロッシアムでも人殺しを楽しんでいるものもおり、人間同士の戦いで、沢山の血が流れ命を落としている。
戦場では、国を守る責任があるため情けなどかけぬナトルシュカであるが、コロッシアムではできるだけ相手を気絶させる程度に留めていた。最後の仮面の男もいつも通り気絶させるつもりで戦っていたのだが、ナトルシュカが気絶させる前に、仮面の男は地面に崩れ落ちてしまった。
倒れるほどに斬りつけた覚えはない。致命傷だって与えていない。
しかし、司祭が男に近寄ったときには、既に絶命してしまったようで、その身体はピクリとも動くことはなかった。
手応えのない男との勝負の勝利。
第1王子が最後の闘いで何かしてくると身構えていたのに、拍子抜けするほどあっさりと終わりに、釈然としないものを感じる。司祭は高らかと、ナトルシュカの勝利と自由を観客に告げたが、ナトルシュカ本人は呆気ない幕引きに、より疑惑を深めることになった。
コロッシアムの閉会のホルンが鳴り響いた後、ナトルシュカは兵士に連れられ、王宮の王の間へと案内された。
王座には王が腰深く腰掛けており、ザウスやサティウィン、大臣や宰相まで側に控えていた。
錚々たる面々に、普段は冷静なナトルシュカとて、緊張が走った。
「ナトルシュカ。久しぶりであるな」
王の前にひざまづくと、王はナトルシュカの姿に懐かし気に目を細めた。
「王様」
「お前の噂は、私まで届いておる。コロッシアムでの戦い、実に見事なものであったと。今や、コロッシアムの英雄になっているそうではないか。お前のようにコロッシアムでの闘いたいと志願する者も多いと聞くぞ。今やわしの人気よりも上なのではないか?」
「そんな…私は…」
久し振りに間近で見る王は、ナトルシュカの記憶より老け込んでいた。
威厳と風格のあった顔は、深い皺が増え疲労の色を濃く残していた。
疲れているのだろう。
精悍を欠いた王の瞳の色は、独房に入る前にあった時よりもぼんやりとした青色になっていた。
それに、王が心から信頼していた神官の姿もなかった。
「ナトルシュカ。まずは、お前に祝いの言葉を送ろう。
よくぞ今までコロッシアムで生き抜いたものだ。褒めてつかわそう」
「ありがたきお言葉です…」
ナトルシュカは王の言葉に深々と頭を垂れた。
王はそれから、二言三言、ナトルシュカへの賛辞を送る。
恐縮に思いながらも、ナトルシュカはいつ、王から“自由”の言葉がでてくるのか気が気でなかった。
「王よ、長話もなんです。そろそろ本題に入られては…?」
王の長話にしびれを切らした司祭が口を挟むと、王はそうだな…と苦笑する。
「かねてからの約束通り、お前には自由をやろう。
そして…お前のコロッシアムでの功績をたたえ、褒美として“素晴らしいもの”も授けよう」
「…素晴らしい…ものですか…?」
「ああ、きっとお前も気にいると思うぞ」
「…はぁ」
「良かったな、ナトルシュカ。
きっと女だぞ…。お前もいい年だからな」
ナトルシュカの横に控えていた司祭が、茶化すように小声で呟いた。
「例のものはあるか?」
「隣の部屋にございます。
昨日、賊が入ったため、見守らせております。こちらへ持ってくるには少しかかるのと人目がありますゆえ…、ナトルシュカ様が直接お伺いしたほうがいいかと」
「さようか。では、ゾルフ、ナトルシュカを〝アレ〟がある部屋へ」
「はい、ナトルシュカさま、こちらへどうぞ」
王が呼びつけに反応したのは、第1王子の側近の男だった。あの不気味な笑みをする男である。
名はララール曰く、ゾルフという。
(この男、第一王子の側近では…?側近がわざわざ案内役を?)
「ナトルシュカ、私も一緒に…」
ナトルシュカの後を追うサティウィンを王が止めた。
「駄目だ。サティウィン。付き添いはゾルフのみ。
お前とて、付き添うことは許さぬ」
「ですが…!王よ、なんなのです?例のものとは…」
「なに。悪いようにはせぬ。ただ褒美を取らせるだけだ」
「その褒美とは?女なのですか?それとも…」
サティウィンの問いかけに、王は「お前が知る必要はない素晴らしいものだ」とだけ返した。
ゾルフはナトルシュカの隣にたつと
「ついてきてくださいますか…ナトルシュカさま?」
ニタリと、またあの不気味な笑みで笑った。
ナトルシュカが、ゾルフに連れられたのは、王城の地下の一室であった。
元々、この王城の地下には罪人を閉じ込めておく牢屋があったのだが、今はコロッシアム近くに移されたため、使われていないはずであった。
当然、人通りも少なく、地下への階段を降りる間、ナトルシュカは誰ともすれ違うことはなかった。
たどり着いたのは小さな部屋で、部屋の真ん中に仰々しい台座がある他はなにもない、殺風景で薄暗い部屋であった。
台座には、布が被さっている。
窓もなく陽の光もささない地下室は、薄暗くて灯りといえば、ゾルフが手に持っている松明だけだった。
ゾルフは部屋の燭台に火を灯しながら、「ナトルシュカさま、あなた様は実に運がいいお方だ。」とナトルシュカに話しかける。
「運がいい?自由になれたから…か」
そもそも、運がいいのならば罪人になっていないと思うのだが…。
皮肉に口がつきそうになるのを留めていると、
「いいえ。違いますよ。そうですね…あなた様の力は確かに凄いものだとは思います。
羨ましいくらいにね…。
そして、これから与えられる力を手にすれば、より、この世界はあなたの思うがままとなる」と、ゾルフからは予期せぬ言葉が返った。
「…与えられる力?」
「ええ。こちらをご覧ください…」
ゾルフは、勢いよく台座に乗っていた布を取り去った。
布の下から現れたのは、子供の背丈ほどもある、大きな黒い華をつけた植物だった。
とても奇妙な形の植物で、ナトルシュカが初めて見る種類の華だった。
南の温厚な気候であるこの国では植物もよく育つ。
しかし、ここまで大きく成長して生き生きと花をつけているのは稀だった。
その植物は、黒い小さな華を、沢山つけている。
その1つ1つの華を守るように、コウモリが羽を広げた形をした苞葉が広がっていた。
華の周りには、細い蔓が数本絡み合っており、風もないのにゆらゆらと蠢いていた。
頭が痛くなるほどの、クラクラする強い香りも華から漂っている。
「…華?」
不気味な花の出現に、ナトルシュカは数歩、後ずさる。
「これは、一体…」
「この華は…、魅惑の花ですよ。
この華に気に入られさえすれば世界が手に入る…。
望みが全て叶う。素晴らしい華なのですよ」
「全てが叶う…?」
「そうです。
この華に選ばれたものは、とてつもない力が手に入るのです。
強靭な肉体、力、速さ。
華が貴方のちからを引き出して、超人にするのです。
願った望みを全て叶えてくれる。
コロッシアムの英雄である貴方に、この華はふさわしい。
貴方に、是非この華をと思いまして」
ゾルフの黒い笑みに、ナトルシュカは動けなくなったように視線を外せなくなった。
「華…。」
(素晴らしい華…。まさか、これは…)
この不気味な華が昨夜の男が話した華なのではないだろうか。
国ひとつを滅ぼしたらしい、不気味な華。
まさか…という思いと、でも…がせめぎ合う。
ナトルシュカが、なんとか呟いた言葉は「そんなものはいらぬ」だった。
「いらぬ…ですか…。なぜ、です?」
「何故?こんな不気味な華に頼るほど落ちぶれてはいない」
「本当に、そうですか?」
緊張に身体を硬ばらせるナトルシュカに、ゾルフが1歩近づく。
近づいてきたゾルフに、ナトルシュカは、腰に携えていた剣を構えた。
「誰かに何かを吹き込まれましたか?怯えが見えますよ。
…おかわいそうに。なにかを吹き込まれましたかな?
恐ろしい華とでも言われましたか?」
何も答えないでいるナトルシュカに、ゾルフは「賊の戯言を信じてしまったのですね…」と嘆いた。
「賊…?」
「昨夜、この華を狙い、賊が入ったんですよ。
この華の力を狙って…。
まぁ、無事に捕まえることができたので華は無事でしたけどね。
あんな賊にやるくらいなら…と、この国の英雄である貴方に渡すことにしたのです。
この華はこの国の宝ですから。
この華さえあれば、今後この国は大きく繁栄するでしょう。この華とともに、この国は大陸を統べるのです。」
ゾルフはそういい、愛おしむように華をなでた。
「賊とは…」
「この華を狙う賊ですよ。
この華の噂を聞きつけやってきたのです。この華が持つ力を自分のものにするために」
「今、その男は…」
「ああ、ご心配なさらずに。その男ならもう死にましたから」
「死んだ?」
「ええ。といっても、殺したのは貴方ですけどね。貴方が先程戦った相手、あれが昨日この華を奪おうとした輩です」
「さっき戦った相手…」
手応えのなかった、仮面の男。
ものの数刻で倒れ、息絶えてしまった男の正体は…。
「あの男がこの華を狙った賊ならば…。俺が、その男を殺してしまったのか…」
「あの男は、華の秘密を知りすぎてしまった…。華の逆鱗に触れた。
ただそれだけのことです。ただ、貴方は殺してしまっただけ。
それだけのことです」
「それだけのこと…だと」
「ええ、人が生きようが死のうが関係ない。一体、人の生き死にで、何が変わるのです?
歴史上では、たくさんの人間が死ぬました。ですが、本当に歴史を変えられた人間は、ごく僅か。
その他、沢山の人間の死なんて、なんの意味もない。実に虚しいものなのです。
人が死のうが、生きようが。
はたして、それに、どれほどの意味があるのでしょう…?」
「話にならないな…。人の命よりも、華か?馬鹿馬鹿しい」
ナトルシュカはゾルフに背を向けると、足早に部屋の出口へと向かう。
だが…
「華を受け取らぬおつもりですか?」
「ああ。そんなものに、興味はない」
「なら、それでもいいでしょう。
貴方の愛しい王子様がどうなってもよろしいのなら」
ゾルフの言葉に、ナトルシュカの足がピタリと止まる。
「…貴様…」
「よほど、大事なのですね。あの美しい方が。
あなた方の視線でわかりましたよ。まぁ、あなた達は秘密にしていたようですがね…。わかるものにはわかるのですよ。
私のような卑劣な人間にはね。
貴方がウンと言ってくれればそれでいいのですよ。
なにを戸惑っているのです?なにを躊躇う必要があるのですか?
華に身をゆだねれば、望む力が手に入ると言うのに。
愛しの王子すら、自分のものにできるのかもしれないのですよ。
この華の力が嘘だとお思いですか?
華の証明して差し上げればいいのでしょうか?」
「華の力を…証明…?」
「ええ。みせてあげましょう。
素晴らしい力を。
怖がる必要はありません。
ただ力が手に入るだけなのですよ…。素晴らしい力をね…」
ゾルフは歌うように言う。
「貴方はただ、受け入れればいいのです。素晴らしい力を…」
あっという間の出来事に、この場にいる誰もがしばしの間、呆気を取られた。
なにせ、ナトルシュカが“なにもせずとも”相手が倒れていたのだから。
ナトルシュカが最後に戦った相手は、仮面をつけた男だった。
ナトルシュカと同じくらいの体躯の男で、仮面はこの国で忌み嫌われている〝マファト〟という地獄の化身の面をつけていた。
コロッシアムでは、獰猛な獣以外の他に、人間同士で戦うこともある。
人間同士で戦った場合、相手が動けなくなるまで戦う決まりがあった。
そこに生死はとわれることはなく、コロッシアムのリングの上で闘う罪人はどれだけ人を殺したところで、それが罪になることはなかった。コロッシアムに法など存在しない。
実際、独房に入れられた根っからの悪人はコロッシアムでも人殺しを楽しんでいるものもおり、人間同士の戦いで、沢山の血が流れ命を落としている。
戦場では、国を守る責任があるため情けなどかけぬナトルシュカであるが、コロッシアムではできるだけ相手を気絶させる程度に留めていた。最後の仮面の男もいつも通り気絶させるつもりで戦っていたのだが、ナトルシュカが気絶させる前に、仮面の男は地面に崩れ落ちてしまった。
倒れるほどに斬りつけた覚えはない。致命傷だって与えていない。
しかし、司祭が男に近寄ったときには、既に絶命してしまったようで、その身体はピクリとも動くことはなかった。
手応えのない男との勝負の勝利。
第1王子が最後の闘いで何かしてくると身構えていたのに、拍子抜けするほどあっさりと終わりに、釈然としないものを感じる。司祭は高らかと、ナトルシュカの勝利と自由を観客に告げたが、ナトルシュカ本人は呆気ない幕引きに、より疑惑を深めることになった。
コロッシアムの閉会のホルンが鳴り響いた後、ナトルシュカは兵士に連れられ、王宮の王の間へと案内された。
王座には王が腰深く腰掛けており、ザウスやサティウィン、大臣や宰相まで側に控えていた。
錚々たる面々に、普段は冷静なナトルシュカとて、緊張が走った。
「ナトルシュカ。久しぶりであるな」
王の前にひざまづくと、王はナトルシュカの姿に懐かし気に目を細めた。
「王様」
「お前の噂は、私まで届いておる。コロッシアムでの戦い、実に見事なものであったと。今や、コロッシアムの英雄になっているそうではないか。お前のようにコロッシアムでの闘いたいと志願する者も多いと聞くぞ。今やわしの人気よりも上なのではないか?」
「そんな…私は…」
久し振りに間近で見る王は、ナトルシュカの記憶より老け込んでいた。
威厳と風格のあった顔は、深い皺が増え疲労の色を濃く残していた。
疲れているのだろう。
精悍を欠いた王の瞳の色は、独房に入る前にあった時よりもぼんやりとした青色になっていた。
それに、王が心から信頼していた神官の姿もなかった。
「ナトルシュカ。まずは、お前に祝いの言葉を送ろう。
よくぞ今までコロッシアムで生き抜いたものだ。褒めてつかわそう」
「ありがたきお言葉です…」
ナトルシュカは王の言葉に深々と頭を垂れた。
王はそれから、二言三言、ナトルシュカへの賛辞を送る。
恐縮に思いながらも、ナトルシュカはいつ、王から“自由”の言葉がでてくるのか気が気でなかった。
「王よ、長話もなんです。そろそろ本題に入られては…?」
王の長話にしびれを切らした司祭が口を挟むと、王はそうだな…と苦笑する。
「かねてからの約束通り、お前には自由をやろう。
そして…お前のコロッシアムでの功績をたたえ、褒美として“素晴らしいもの”も授けよう」
「…素晴らしい…ものですか…?」
「ああ、きっとお前も気にいると思うぞ」
「…はぁ」
「良かったな、ナトルシュカ。
きっと女だぞ…。お前もいい年だからな」
ナトルシュカの横に控えていた司祭が、茶化すように小声で呟いた。
「例のものはあるか?」
「隣の部屋にございます。
昨日、賊が入ったため、見守らせております。こちらへ持ってくるには少しかかるのと人目がありますゆえ…、ナトルシュカ様が直接お伺いしたほうがいいかと」
「さようか。では、ゾルフ、ナトルシュカを〝アレ〟がある部屋へ」
「はい、ナトルシュカさま、こちらへどうぞ」
王が呼びつけに反応したのは、第1王子の側近の男だった。あの不気味な笑みをする男である。
名はララール曰く、ゾルフという。
(この男、第一王子の側近では…?側近がわざわざ案内役を?)
「ナトルシュカ、私も一緒に…」
ナトルシュカの後を追うサティウィンを王が止めた。
「駄目だ。サティウィン。付き添いはゾルフのみ。
お前とて、付き添うことは許さぬ」
「ですが…!王よ、なんなのです?例のものとは…」
「なに。悪いようにはせぬ。ただ褒美を取らせるだけだ」
「その褒美とは?女なのですか?それとも…」
サティウィンの問いかけに、王は「お前が知る必要はない素晴らしいものだ」とだけ返した。
ゾルフはナトルシュカの隣にたつと
「ついてきてくださいますか…ナトルシュカさま?」
ニタリと、またあの不気味な笑みで笑った。
ナトルシュカが、ゾルフに連れられたのは、王城の地下の一室であった。
元々、この王城の地下には罪人を閉じ込めておく牢屋があったのだが、今はコロッシアム近くに移されたため、使われていないはずであった。
当然、人通りも少なく、地下への階段を降りる間、ナトルシュカは誰ともすれ違うことはなかった。
たどり着いたのは小さな部屋で、部屋の真ん中に仰々しい台座がある他はなにもない、殺風景で薄暗い部屋であった。
台座には、布が被さっている。
窓もなく陽の光もささない地下室は、薄暗くて灯りといえば、ゾルフが手に持っている松明だけだった。
ゾルフは部屋の燭台に火を灯しながら、「ナトルシュカさま、あなた様は実に運がいいお方だ。」とナトルシュカに話しかける。
「運がいい?自由になれたから…か」
そもそも、運がいいのならば罪人になっていないと思うのだが…。
皮肉に口がつきそうになるのを留めていると、
「いいえ。違いますよ。そうですね…あなた様の力は確かに凄いものだとは思います。
羨ましいくらいにね…。
そして、これから与えられる力を手にすれば、より、この世界はあなたの思うがままとなる」と、ゾルフからは予期せぬ言葉が返った。
「…与えられる力?」
「ええ。こちらをご覧ください…」
ゾルフは、勢いよく台座に乗っていた布を取り去った。
布の下から現れたのは、子供の背丈ほどもある、大きな黒い華をつけた植物だった。
とても奇妙な形の植物で、ナトルシュカが初めて見る種類の華だった。
南の温厚な気候であるこの国では植物もよく育つ。
しかし、ここまで大きく成長して生き生きと花をつけているのは稀だった。
その植物は、黒い小さな華を、沢山つけている。
その1つ1つの華を守るように、コウモリが羽を広げた形をした苞葉が広がっていた。
華の周りには、細い蔓が数本絡み合っており、風もないのにゆらゆらと蠢いていた。
頭が痛くなるほどの、クラクラする強い香りも華から漂っている。
「…華?」
不気味な花の出現に、ナトルシュカは数歩、後ずさる。
「これは、一体…」
「この華は…、魅惑の花ですよ。
この華に気に入られさえすれば世界が手に入る…。
望みが全て叶う。素晴らしい華なのですよ」
「全てが叶う…?」
「そうです。
この華に選ばれたものは、とてつもない力が手に入るのです。
強靭な肉体、力、速さ。
華が貴方のちからを引き出して、超人にするのです。
願った望みを全て叶えてくれる。
コロッシアムの英雄である貴方に、この華はふさわしい。
貴方に、是非この華をと思いまして」
ゾルフの黒い笑みに、ナトルシュカは動けなくなったように視線を外せなくなった。
「華…。」
(素晴らしい華…。まさか、これは…)
この不気味な華が昨夜の男が話した華なのではないだろうか。
国ひとつを滅ぼしたらしい、不気味な華。
まさか…という思いと、でも…がせめぎ合う。
ナトルシュカが、なんとか呟いた言葉は「そんなものはいらぬ」だった。
「いらぬ…ですか…。なぜ、です?」
「何故?こんな不気味な華に頼るほど落ちぶれてはいない」
「本当に、そうですか?」
緊張に身体を硬ばらせるナトルシュカに、ゾルフが1歩近づく。
近づいてきたゾルフに、ナトルシュカは、腰に携えていた剣を構えた。
「誰かに何かを吹き込まれましたか?怯えが見えますよ。
…おかわいそうに。なにかを吹き込まれましたかな?
恐ろしい華とでも言われましたか?」
何も答えないでいるナトルシュカに、ゾルフは「賊の戯言を信じてしまったのですね…」と嘆いた。
「賊…?」
「昨夜、この華を狙い、賊が入ったんですよ。
この華の力を狙って…。
まぁ、無事に捕まえることができたので華は無事でしたけどね。
あんな賊にやるくらいなら…と、この国の英雄である貴方に渡すことにしたのです。
この華はこの国の宝ですから。
この華さえあれば、今後この国は大きく繁栄するでしょう。この華とともに、この国は大陸を統べるのです。」
ゾルフはそういい、愛おしむように華をなでた。
「賊とは…」
「この華を狙う賊ですよ。
この華の噂を聞きつけやってきたのです。この華が持つ力を自分のものにするために」
「今、その男は…」
「ああ、ご心配なさらずに。その男ならもう死にましたから」
「死んだ?」
「ええ。といっても、殺したのは貴方ですけどね。貴方が先程戦った相手、あれが昨日この華を奪おうとした輩です」
「さっき戦った相手…」
手応えのなかった、仮面の男。
ものの数刻で倒れ、息絶えてしまった男の正体は…。
「あの男がこの華を狙った賊ならば…。俺が、その男を殺してしまったのか…」
「あの男は、華の秘密を知りすぎてしまった…。華の逆鱗に触れた。
ただそれだけのことです。ただ、貴方は殺してしまっただけ。
それだけのことです」
「それだけのこと…だと」
「ええ、人が生きようが死のうが関係ない。一体、人の生き死にで、何が変わるのです?
歴史上では、たくさんの人間が死ぬました。ですが、本当に歴史を変えられた人間は、ごく僅か。
その他、沢山の人間の死なんて、なんの意味もない。実に虚しいものなのです。
人が死のうが、生きようが。
はたして、それに、どれほどの意味があるのでしょう…?」
「話にならないな…。人の命よりも、華か?馬鹿馬鹿しい」
ナトルシュカはゾルフに背を向けると、足早に部屋の出口へと向かう。
だが…
「華を受け取らぬおつもりですか?」
「ああ。そんなものに、興味はない」
「なら、それでもいいでしょう。
貴方の愛しい王子様がどうなってもよろしいのなら」
ゾルフの言葉に、ナトルシュカの足がピタリと止まる。
「…貴様…」
「よほど、大事なのですね。あの美しい方が。
あなた方の視線でわかりましたよ。まぁ、あなた達は秘密にしていたようですがね…。わかるものにはわかるのですよ。
私のような卑劣な人間にはね。
貴方がウンと言ってくれればそれでいいのですよ。
なにを戸惑っているのです?なにを躊躇う必要があるのですか?
華に身をゆだねれば、望む力が手に入ると言うのに。
愛しの王子すら、自分のものにできるのかもしれないのですよ。
この華の力が嘘だとお思いですか?
華の証明して差し上げればいいのでしょうか?」
「華の力を…証明…?」
「ええ。みせてあげましょう。
素晴らしい力を。
怖がる必要はありません。
ただ力が手に入るだけなのですよ…。素晴らしい力をね…」
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