先行投資

槇村焔

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先行投資・俺だけの人。

疑う心、離れ行く距離

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カチカチカチ。
時計の秒針。

カチカチカチ…。
アナログ時計の音が耳に響く。
耳障りに聞こえるのは、心に余裕がないからだろうか。


今日も、樹はいない。
家で、一人。
一人きりの部屋。

いつまで、樹は、私の傍にいる?
いつから、この一人が日常になってしまう?
いつまでこの家に一緒にいてくれる?

タイムリミットは、いつ?

いつまで…?
いったいいつまで?
いつまで、私は樹の傍にいる?
そろそろ、考えなくてはいけない。
だって…もうすぐ…。


「久さん…公久さん」
「ん…、」
「公久さんってば」
「んんんん…?」

遠くの方から、樹の私を呼ぶ声。
今日、遅くなるんじゃ…。

「もう、こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ」
「あ…」

意識が覚醒する。
視界には、心配した顔の樹。
帰ってきたばかりなのか、右肩には黒い大きなスポーツバックをかけたままだった。

そうだ、私は…結局、夕食を作ってそのままリビングでぼおっとしていて…。
どうやら、樹を待とうと思い、そのまま机に肘をついて寝ていたらしい。
寝起きだからか、頭がぼーとする。
リビングの壁につけられた時計は、2時を指していた。


「ほら、ここ、涎ついてる」
「ん…」

すっと、私の口端を樹は拭う。

「ぼぉっとして…、眠かったんでしょ」
「ん、」
「待っててくれたの?いいっていったのに、俺…」

苦笑する、樹。

「…すまない…」

私が、待っていたかったんだ。
樹を。

今日、樹以外の人間に触られて感じてしまって、怖かったし。
早く、樹の顔を見たかったんだ。

でも、そんな甘えたこと…言えない
私は、樹の親なんだから。

樹が必要としているのは、親の私だ。
そう…。
親の…。
親の…

「あ…」

一つの考えが過ぎり、身体が震える。
一つの、今まで考えないようにしていた考えが。


「公久さん?何ぼーとして」

ぐっと、顔を近づけてくる樹。
私はなんでもない…、と笑って見せる。
こんなこと、言える訳ないじゃないか。

「あ、ゆ、夕飯、いるか?いつもの癖で作りすぎたんだ」

取りつくようにそういえば、

「大丈夫、食べてきたよ。言ったじゃん。いらないって、もう公久さんったら。聞いてなかったの?」

樹はケロリ、と笑う。
私のざわついた心も知らないで。
樹はたまに鈍感すぎるところがある。
考えているかと思えば、まったく考えなしなところもある。
その調子がいいところが、樹の長所といえば長所なんだけれど。

今はそんな長所が妬ましい。

気付いて欲しい
気づかれたくない

矛盾した思い



「あ、ああ…すまない…そう…だな…。
じゃあ、もう寝るか。おやすみ、樹」

そそくさと席を立つ。

しかし…逃げるように立ち去ろうとすれば、樹に腕を掴まれた。


「何か、あったの?」


どきり、と胸が跳ねる。医者にされたこと…。医者の手で感じてしまったこと。
あまつ、樹の事を信じられない事。
そのほか色々。
言えないことが、頭を駆け巡る。


「公久さん?」
「…なんでも…ない…。もう、寝ろ」
「わかった。おやすみ、公久さん」


私の額にキスをして、自分の部屋に戻っていく樹。
夜遅く帰ってくる日は決まって、樹は私を抱かない。

昨日は抱いた、けど…ここ最近は私を抱かない日が多くなったように思う。
それと比例して、夜遅く帰ってくるようになった。


どこで何をしているのか?
尋ねてもいつも笑って誤魔化された。
樹に笑顔で「内緒」と言われれば、樹にべたぼれな私はそれ以上何も言えなくなってしまう。内緒、なら聞けない。
聞く権利なんて、ない。
ただの親代理の私に、そんな権利なんかない。
樹だってもうすぐ20歳の男だ。色々あるんだろうし。

そういえば、病院で見た新聞に、浮気は旦那が夜遅くに帰るようになってから気にし始めたと書いてあったか…。

浮気…か。

「はは…馬鹿じゃないか…、私は…」

自分の部屋に戻り、ベッドに勢いよく、倒れる。


一人の、ベッド。朝は二人、だったのに。
今はこんなにも…寂しいなんて。
寂しくて、樹が遠い、だなんて。


「樹…」

樹、さっき気づいてしまったんだ。
樹は…私に〝親〟を求めているんじゃないかって。
親の愛を、求めているんじゃないかって。

つまり樹の、愛は親愛で、私の樹への気持ちとは少し違うんじゃないかって。
元々、私と樹は、樹が施設にいきたくないから私が卑怯な取引に合意しただけだ。
つまり、20歳になれば。
樹が成人してしまえば、なんでも一人で出来る。
偽物の保護者がいなくても。

私なんか、いなくても。

そういえば、同じようなことを樹が18歳の時も考えていたような気がする。
あの時は、まだ樹が未成年という事もありそんなに悩みもしなかった。
それに、あの頃の樹は、勉強の度に息抜きと称しては私を抱いて大体家にいた。

今よりももっとがむしゃらに私を抱いていたが…、それでも私は満足していたし樹の腕に安心を感じていた。

今は…。
今は…。

少し、怖いんだ。
終わりへと進んでいるようで。
この関係がそろそろ、終わりそうで。


 私は馬鹿だ。
この関係を私から始めた癖に。
今では、樹よりも私の方が樹を必要としている。
樹がいなくなったらと考えると、こんなにも胸が痛くなるほどに。

けれど、樹は?
樹は、どれほど私を思っている?
樹は私を思っているのか?

本当は、ただ仕方がないから私と一緒にいるんじゃないか?
私なんて、ただの金や生活の為に一緒にいるんじゃないか?


聞けない、そんなこと。怖くて。
ただの、性欲を満たすために抱いているだなんて言われたら。
ただ、義理で抱いているだなんて言われたら。

樹にもう、いらないと、言われたら。
私は一人になってしまう。たった、一人に。

「樹…」

汗ばんだ手をぎゅっと握る。

「樹」
―いつき。

「樹、」

いつき、いつき、いつき。

「私は…怖いよ…お前が…、樹が、怖いよ…」

いつき。
涙の滴がシーツを濡らす。
いくら呼んでも、樹は私の部屋に来ない。


樹が私の異変にすぐに気づき私の部屋に来て泣いている私を抱きしめて、泣いている訳を聞いてくれたなら。


私の不安は、そんなに大きくなることはなかったかもしれない。
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