槇村焔

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9章

42ー仁side

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(仁side)



 どんなに嘆いても、進んでしまった事柄はもう元には戻せない。

どんなに愛していても、傍にいるときに伝えないと意味がない。

どんなに愛していても、離れてしまったあとに気づいては、どれだけ後悔を言い募っても意味がない。



どれだけ後悔しても、進んでしまった時計の針はもう元には戻せない。

どんな人間も、過去にいけるすべなんて持ち合わせていない。

 時とは人の想いに関係なく、常に規則正しく進み、やり直しなど許してはくれないのだ。



大切なのに言葉を与えなかった嘘つきな狼の様に、いくら後悔しても、離れてしまったら愛の言葉は届かない。

どれだけ相手を想っても。

どれだけ相手が大切でも。



だから、隣にいるうちに気づかなくてはいけなかったのに。ちゃんと、伝えなくてはいけなかったのに。



俺も、嘘つきの狼と一緒で、変わってしまうのが怖かった。

今、与えられる温もりにだけ、身を委ねていたんだ。

変わってしまうことが怖くて、変わらない優しさに甘えていた。







まりんとの思い出を捨てきれず、それなのに駿がなにもいわないのをいいことに寂しさを紛らわせるようにその身体を抱いていた。

まりんの代わりに抱いてよ、と言われたときは、冗談だろ、と詰りもした癖に。

気付けばごく自然に唇を合わせ、夜寝る前は肌を重ねる間柄になっていた。





『じんさん!』



俺の名前を呼んで、俺に笑いかける駿。

俺にだけに見せる、綺麗なその笑顔。

なんの打算もなく笑いかけるその笑顔をみると、やさぐれていたときだって、心が癒された。

意地を張っているのが馬鹿みたいに思え、ほだされた。

いつしか、それを愛だと思い、気づけば弟のようにしか思っていなかった駿を、それ以上で見るようになっていた。



『ほら、ちゃんとしてよ…』

ただ、優しいだけじゃなくて、時に厳しくだらしない俺に、これじゃあだめだ、と叱りつけた。

俺の為にと叱ってくれているのに、反発し傷つけた時も、けして駿は俺から逃げずに俺の傍にいた。

俺は卑怯でずるくて、逃げてばかりだったのに。

それでも、傍にいてくれた。

利益とか、損得とか、そんなものはなくてただお互いに自然体で隣にいることができた。

不器用で、口下手で面白い話一つ言えないつまらない男の傍にいてくれた。

愛してるや好き、ありがとうの言葉もまともに言わない男に飽きもせず傍にいてくれた。





「お願い…置いて行かないで…」



本当は、置いて行かれることを怖がっていたのに。今までふたなりということで疎外され、誰よりも孤独が嫌いなのに。

駿は、何か悩んでいることも俺に告げず、約束を破ったからと家から出て行った。



どうして早く言わなかったんだろう。

お前が俺の唯一で、番のように思っていると。

どうして、もっと話し合わなかったんだろう。



どうして、後悔するくらいなら、もっと早く駿と向き合わなかったのだろう…。

ただの〝好き〟ではなく、唯一といっていいほど〝愛している〟と…。

お前だけを愛していると。

お前を誰より愛している、と。

だから、なにか悩んでいるなら、その悩み事一緒に抱えてやりたいと。



去られて後悔するくらいだったのなら、言ってしまえばよかったんだ。この想いの胸のうちを。

もし、断られても、何度だって気持ちが伝わるまで伝えればよかったんだ。

駿が隣にいてくれる間に。

時間は永遠に続かないのだから。





「許せないな…」

「仁さん、別れよう」

「だって、代用品でしょ。僕ら。恋人でもなんでもないじゃない。

仁さんだって、僕のことをまりんの身代わりに思っていたんでしょう」



別れを告げられた時、駿は初めて俺に対し、突き放したような視線を向けた。

俺を見ていないような、赤の他人をみるような空々しい瞳に、見放されたような気になり、息がつまった。

もし、あの時、駿が自室に戻らずにそのまま玄関から家を出ようとしていたなら、俺はみっともなく見捨てないでくれ…と駿に縋っていたかもしれない。



それくらい、駿の見たことのない冷たい視線は俺にとって衝撃的で。



いつも優しい視線を向けていた駿の初めての冷たい視線に、足先が冷えた。

今まで何があっても主人を慕う子犬が、初めて主人に牙を向け敵意を向けたようなそんな感覚だろうか。

その視線は普段の駿から考えられないような、冷ややかな視線だった。





「違わないよ…。仁さんが僕を抱くたびに代わりにされているのかなって思っていたんだよ。

ほんとは凄く嫌だったんだよ」



お前だけを愛していたつもりだった。

いつだって代わりにしたことはなかった。



駿はまりんの代わりじゃない。代わりになんかならない。

どうしようもない俺を支えてくれたのは、お前だけだったから。

身代わりになんかできるはずがない。





 だけど、俺が駿にしたことを考えればそう考えてしまうのも当然かもしれなかった。

同居当初は出ていけと、怒鳴り、まりんがいない苛立ちを駿にぶつけ。

快適な暮らしを俺の為にと、家事を黙々とやっているのに感謝一つしない。



クリスマスイブの時、あれだけ楽しみにしていた駿を置き去りにまりんに似た面影の後を追い…。

まりんの写真たてを捨てられない俺を、駿はどんな気持ちで見ていたんだろう。



グダグダと彼女を思い続けた俺は駿の目にどううつったんだろう。



駿と会わないと約束したのに、あっさり破ってあっていた俺を見て、駿はどんな思いを抱いたんだろう。



 不安そうにしている駿の悩みもちゃんと聞いてやれない。どうしようもない男の傍にいて幸せになれるはずがない。

 ただでさえ、ふたなりという身で愛されるのを怖がっている駿に、どうしてちゃんと向き合ってやれなかったのだろうか…。





考えれば考える程、自分が無神経な嫌な男に見え、ずっと隣で耐えてきた駿はどんな気持ちだったのかと考えると胸が痛んだ。

出ていきたくなるのも当然。

こんな酷い男に逃げ出したくなるのも当然だった。



「一週間後、出て行くよ」

「止めても無駄だから」



駿が立ち去った場面が、ずっと頭から離れない。



背を向けて去る駿。



なにか言わなくては…そう思うのに。

頭の中に湧き出てきたのはみっともない言い訳の言葉ばかりで、言葉にならなかった。



駿が俺の傍から出ていったりしない…出ていくまではそんな驕りもあったのかもしれない。



「駿」



縋って名前を呼ぶ俺に対し、駿は振り返らずに

「約束を守らない人は嫌いだから」

俺の顔もみず、至極淡々と言った。



「どこに行くんだ…?いく家なんてあるのか?」

「あるよ…バイバイ」



バイバイ。

俺の手をすり抜けて、駿は自室のドアを閉めた。

バタン、と音をたててしまったドア。

ドア1枚の壁、この壁のすぐ向こう側に駿がいるのに、距離が凄く遠く感じた。



 すぐにドアから声を押し殺しすすりなく泣き声が聞こえた。

すすりなく声に、ぎゅっと心臓を掴まれるように痛んだ。

すぐにでもドアをぶち破って、駿を抱きしめたかった。

けれど、まりんと会い、約束を破ってしまった俺だから、そんな資格はなくて。

明日、落ち着いたら、また話そう。出ていく前に絶対に二人で話し合おう。そう思い、駿の部屋のドアから離れた。





次の日、駿の部屋を覗くと、駿の姿はそこにはなかった。

タイミングの悪い男。

自分のタイミングの悪さに、反吐が出そうだった。



『狼さん、大好きですよ』

『ねぇ、仁さん。

僕も狐の様に嘘つきだったらどうする?



自分の為だけに仁さんの傍にいるのなら。

そして、狐のように突然いなくなったら。



仁さんは狼の様に、泣いてくれるかな?

それとも、怒っちゃうのかな?』



駿があの狼と狐の話をしたのは…いつかくるこの日を見越してだったのか…。

それは、わからない。

でも、駿が家を出て行ったその日から、俺の頭の中にはあの物語がちらついて離れなかった。



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