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7章
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一週間後…、といったけれど、別れを告げた翌日、僕は仁さんが会社にいったのを見計らって家を出た。
すぐに家を出てしまったので、荷物をロクにまとめられなかったけれど、あれ以上家にいることはできなかった。
仁さんから逃げるように家を出て行ったと言っても、まだ未練がましく思う気持ちも消えていない。
そんな中で仁さんの顔を見れば…、折角決意した思いもあっけなく散ってしまいそうで、顔を見ない為にもと、家から出た。
宣言通り一週間後には、ちゃんと荷物を纏めて仁さんの家から何の跡形もなく消えるつもりだった。
僕のことなんか思い出すことのないよう、僕がいた形跡をけして。まりんが一緒にいても、もう僕の事なんて思い出さないように。
仁さんの思い出からも消えて、僕は一人で生きていく。
あまり交友範囲が広くない僕は、唯一親しくしてくれる紫水さんの家に御厄介になることになった。
紫水さんは泊まりたいと言った僕に対し、予めこうなると予想していたのか、何も聞かずに快く返事をしてくれた。
仁さんは紫水さんの存在は僕の話で知っているし、僕が何かあった時にとメールアドレスまで知っている。
でも、家までは知らないようで、僕が仁さんには居場所を秘密にしてほしいといえば黙ってくれた。
紫水さんは溺愛といっていいほどの恋人がいる。
紫水さんは恋人と二人暮らしだったので、家に押しかけたことにより紫水さんの恋人の憲介さんにはスッゴイ邪見にされてしまった。
紫水さんの恋人の憲介さんは強面の美丈夫で、人を黙らせるほどの鋭い目をしている。
顔は整っているものの、その眼光は鋭すぎて…。
僕なんかは最初憲介さんを見た時はその眼が怖くて固まることしかできなかった。
しかし、紫水さんは初対面の時から憲介さんの強面に臆することもなく対応していたらしい。
そんな凛とした紫水さんに憲介さんが惚れるのも出会ってすぐだったようで。
狂犬のような憲介さんが紫水さんに惚れに惚れて…今に至るようだ。
付き合うまで、憲介さんは何度も紫水さんに告白してきたし、時には力でねじ伏せて紫水さんを傷つけもしたらしい。嫌がる紫水さんを無理やり抱いたり、時には脅迫めいたこともしたらしい。
色々あって今は纏まっている…、と紫水さんは笑って話してくれたけど。纏まるまでにはきっと紆余曲折あったのだなと思う。憲介さんの溺愛加減がいい証拠だった。
憲介さんの一方通行というわけでもなく、普段はクールで飄々としている紫水さんだったが、憲介さんのことになるとその顔は崩れ、感情が豊かになる。
今も憲介さんはとにかく紫水さんに溺愛と言っていいほどほれており、余裕がないようで、いらぬ焼きもちをやくことも多いんだそうだ。紫水さんみたいな綺麗な人だと、やきもちやいちゃうのはわかる。
しかし、僕みたいな人間が紫水さんとどうこうなることはないというのに…。
憲介さんは、僕が紫水さんと一緒にいるときは必ず僕を睨みつけまるで監視するように僕を見ていた。
僕が紫水さんの家におしかけて3日たった今も、食卓で僕が作った料理を食べながら、じとりとした視線で紫水さんの隣に座る僕を睨んでいた。
紫水さんが僕の隣に腰かけているのも、憲介さんとしては気に食わないのだろう。
かといってテーブルの向かい側、憲介さんの隣に座れば僕と見つめ合っている…、と怒るし…。そもそも憲介さんの隣で食事をするというのも、緊張してしまって難しい。
「憲介、そんなにお客様をじろじろと見るものではないよ…」
紫水さんに叱られて、憲介さんがむすりと不機嫌そうに膨れる。
「だって、紫水。
こんなんがいたんじゃ、俺達の時間が減る…」
大の大人が…、しかも憲介さんみたいないかにも男らしい男がむっすりと頬を膨れさせているのはどこかアンバランスで可愛らしい。
しかし、言った言葉は聞き捨てならない。
この紫水さん大好き人間は、昨日散々僕の前で紫水さんにキスしたり、不埒なことをやっていたのをすっかり忘れているようだ。
普段クールな紫水さんが昨日、声を潜めながらも甘い吐息を零し憲介さんに抱かれていたのを目撃した僕としては、充分やることやっているじゃんと主張したいところだ。
恥ずかしがり嫌がる紫水さんをノリノリで虐めていたのは、どこのどいつだといいたい。
ブースカ文句を口にしている憲介さんを、子供を嗜めるように紫水さんは甘い口調で嗜めていた。
憲介さんもぐちぐちと文句を言いながらも、紫水さんの傍を離れようとしない。
僕が同居することにふて腐れていたものの、紫水さんを怒らせるような事は言わなかったようだ。
どうやら力関係は紫水さんの方が上のようで、憲介さんは最初はぐちぐち愚痴っていたものの、いつの間にかデレデレと自分の目の前に座る紫水さんの顔に口づけを降らせていた。
「おあついことで…」
二人のいちゃいちゃっぷりに、失恋したばかりの僕としては凄く辟易してしまう。
いちゃいちゃなのはいいけど、少しは傷心のもののことも考えてほしい気もする。
居場所がない。
そりゃ、ラブラブ家庭に勝手に住み着いた僕が全面的に悪いけれども。
もう少し、一人身の傷心な僕にも労わってほしい訳で。
ちょっと寂しくなるわけで…。
「けんすけ…」
「見させておけばいいだろ」
「でも…、」
「いいよ、紫水さん。僕、部屋戻ってるね…。一人身にはこれ、毒だしね…」
ちょっと嫌味を交えつつ席を立てば、「待て」と憲介さんに呼び止められた。
なんだろう…、と再び腰を下ろし憲介さんの顔を窺えば、眉を吊り上げて不機嫌そうに僕を睨んでいた。
「なにか…?」
「今日は一言言おうと思ってたんだ。
俺の紫水の前で辛気臭え顔しやがって…、お前が暗い顔してるとな、紫水は優しいから気に病むんだよ。
あっちの方もお前気にして乗ってこないし…キスも恥ずかしいからって拒んでくるし。俺たち二人の愛の巣に転がり込みやがって…」
「憲介」
「お前の話、紫水から聞いたけどな、俺からしたらただ悲劇のヒロインごっこに見えて仕方ねぇな。
なんだ、好きな男に尽くしてその男の元カノができたら身を引くだったか?そんなさっむい真似、よくできるな…。男の癖に…。アホらしい」
馬鹿にしたような口調で憲介さんは吐き捨てた。
そこまで、紫水さんは話していたのか…と紫水さんをみやれば紫水は罰が悪そうな顔をして、もう一度憲介、と憲介さんを咎めた。
「お前も…言っていいことと悪い事が…」
「お前は相手の為だって尽くしていた男の…そいつの元を離れたようだけどよ…、
お前は別れるとき聞いたのか?
その女と自分どっちが好きだって。
ちゃんと世話したやつには行って逃げてきたのかよ?張り手のひとつ、くれてやったのか?」
喧嘩を吹っ掛けるような口調についつい居候の僕も感情的になる。
「…そんなの…、貴方には関係ない…」
「関係ない…ねぇ…」
「そうだよ、関係ない。言う必要もない…」
聞けるわけ、ないじゃないか。
あんなまりんと仁さんの仲睦まじそうな家族の姿をみて。
いっしょにいて、まりんよりも好きでいて、なんて。言える訳がない。
そんな自惚れできるはずもない。
自分がいなくなれば、仁さんは心置きなくまりんに会えるし、まりんもまた仁さんに会える。
僕が出ていけば全て丸く収まるんだから。
僕一人我慢すれば…。
紫水さんがいて…、愛する人がいて、同じようにあいしてくれる人にはわからないんだ。
愛されない人間のことなんか。
ちゃんとした唯一の番がいる人にはわからないんだ。
恵まれた人間にはわからないんだ。
普通と違う人間のことなんか。
欲しいものも欲しいと言えない、どうしようもない人間のことなんか知る由もないんだ。
「紫水さんに愛されて、幸せいっぱいな貴方には関係…」
「俺はな、お前みたいな人間がいっちゃん、キライなんだよ。
俺がなんだよ?愛されて羨ましいと思ったか?くだらねぇ。うらやんでろよ、勝手に。くだらねぇ。
人の幸せ妬んで何もせずうだうだ言うだけのくっらい奴。女々しすぎんだよ…見ていてうぜぇ。
動かないやつに、幸せなんてくるわけないだろ?卑屈になって理由探して満足してんだよ。
自分ができない理由を探して、安堵してんだ」
僕の反論も、憲介さんは言葉を重ねかき消した。
うざい性格…、といわれむっとするも、憲介さんが言うように、憲介さんを妬んでいたのは図星であり事実だ。暗い性格なのもその通りである。
悔しいが何も言えず、口を噤む。
「けんすけ…お前…。お前は…」
「勝手にいなくなって…お前はそれでいいかもしんないけどよ…、
残されたやつの…、去られたやつの気持ちがわかるのかよ。
何も告げられず、黙って愛しい人に去られて何もなくなったやつの気持ちが…勝手にいなくなられて、何もかも失った人間の気持ちがわかるのかよ…」
紫水さんの憲介さんを制そうとしていた言葉が止まる。
それまでは乱暴な憲介さんの口調に顔を顰めていたものの、なにか思い当たる節があるのか、気まずげに視線を伏せた。
「俺は…、人魚姫のはなしが一番嫌いなんだよ…。あんな自分勝手な悲劇のヒロイン。女々しくて一番嫌いだね。
なんで真実を知らせないままに勝手にいなくなったんだ?
なんで…、勝手に王子に何も告げずに泡になって手が届かない場所にいったんだ…って。
口が利けなくても、傍にいることはできるだろ…。そのうち王子も何が真実かわかるだろ…って。
王子の幸せを本当に考えていたのか…それが本当に幸せなのか…って」
「…幸せ…?」
「俺が王子なら、勝手に自己解決して俺の幸せを願って逃げちまうのが一番辛いね。
勝手に俺の幸せを願い、去ってしまうのが。
俺は、狂いそうになった。その温もりが消えて。
本当に欲しい温もりが傍にいなくて…、
この手からすり抜けたと思ったら…もうこの手にない温もりが欲しくて探して、毎日狂ったように求めて。切望しすぎて、可笑しくなりそうだった。
俺の為にと愛しい人が与えた偽りの幸せは、おれの地獄だった。
どうせだったら、殺してほしかった。
いなくなるくらいなら。
狂おしいほどのぬくもりがこの手からなくなるくらいなら。
何もない、狂うほど欲しがっていた温もりがない、空虚な毎日。
あれは、地獄だった」
そう、何かを思い出すようにいった憲介さんは顔を顰め、
「お前の気持ちなんか知らないし知りたくもない。ただ悲劇のヒロインで終わっても、全て綺麗に終わらない…それをおまえは考えたほうがいい」
いつも気性激しい憲介さんにしては落ち着いたゆっくりとした口調で言うと、憲介さんは僕の隣に座る紫水さんへ視線をやった。
紫水さんは憲介さんの言葉を伏せ目がちに聞いていた。
「ヒロイン気取るのは…、王子の言葉をきいた後にしろ…。ちゃんと話し合えよ…」
ぶっきらぼうに憲介さんは言って、席を立った。
乱暴に僕を責めた口調で罵っていたけど、本当は優しい人なのだろう。
じゃなければ、わざわざ話し合えなんて言葉かけるわけない。
憲介さんが立ち去った後も、僕は憲介さんがいた空いた椅子をぼんやりと見つめていた。
「人魚姫…か…」
自分が助けた真実をつげず、泡となった人魚姫。
王子の命を助ける為に自分は泡となって消えた人魚の姫。
憲介さんは大嫌いだと言っていたけど…、僕には人魚姫の気持ちが少しわかる気がする。
足を貰っても何も言えない。
好きだという事も言えない。
ただ、傍にいるだけ。
自分は凄い好きなのに、もしかしたら相手にとってはどうでもいい存在なのかもしれない。
そんな不安を抱えたところで、綺麗なお姫様でも現れたら。
自分よりも絶対に王子を幸せにしてくれる相手が現れたら。
消えたくもなるだろう。
自分が好きな人が他の誰かに愛をささやいているところなどいたくない。
海に帰れないならいっそ…。
そんな風に考えて、ひとつため息を零す。
こんな人魚姫のような逃げ思考の僕だから憲介さんは僕が嫌いなんだろう。
《王子様》の気持ちも考えない僕だから…。
自分勝手な、にんぎょひめだから。
「紫水さん…、僕、間違ってますかね…」
「駿…」
「でも…、もう…一緒にはいられない…。僕は…、もう泣きたくないから…。縋るなんて、できない…」
お腹をゆっくりと撫でる。まだぺっしゃんこのお腹。
撫でると少し安心する。泣きたくなる時も、仁さんの別れを告げた後も撫でていた。
「強くなりたいな…一人でも平気なくらい…強くなりたいな…」
強くなれば、仁さんのことを考えることもなくなるのだろうか。
恋することもないのだろうか。
僕が泣きそうな顔をしていたからだろうか。
紫水さんはポンポン、と頭をたたき自分の胸元へ僕の頭を押し付けた。
「無理に強くならなくてもいいんだよ…。俺も、憲介もいる。駿はちょっと無理をため込み過ぎだ…。もっと…よりかかってもいい…」
「紫水さん…」
「なにも、不安がることはない。駿が…駿が思うがままやってみたらいい。結果はおのずとついてくる…」
「…はい…」
紫水さんの言葉を聞きながら、目を閉じる。
いつかいい思い出になるのだろうか。
仁さんとの全てが。笑って話せる日が、くるんだろうか。
紫水さんの胸元によりかかりながら、ぼんやりとそう思った。
一週間後…、といったけれど、別れを告げた翌日、僕は仁さんが会社にいったのを見計らって家を出た。
すぐに家を出てしまったので、荷物をロクにまとめられなかったけれど、あれ以上家にいることはできなかった。
仁さんから逃げるように家を出て行ったと言っても、まだ未練がましく思う気持ちも消えていない。
そんな中で仁さんの顔を見れば…、折角決意した思いもあっけなく散ってしまいそうで、顔を見ない為にもと、家から出た。
宣言通り一週間後には、ちゃんと荷物を纏めて仁さんの家から何の跡形もなく消えるつもりだった。
僕のことなんか思い出すことのないよう、僕がいた形跡をけして。まりんが一緒にいても、もう僕の事なんて思い出さないように。
仁さんの思い出からも消えて、僕は一人で生きていく。
あまり交友範囲が広くない僕は、唯一親しくしてくれる紫水さんの家に御厄介になることになった。
紫水さんは泊まりたいと言った僕に対し、予めこうなると予想していたのか、何も聞かずに快く返事をしてくれた。
仁さんは紫水さんの存在は僕の話で知っているし、僕が何かあった時にとメールアドレスまで知っている。
でも、家までは知らないようで、僕が仁さんには居場所を秘密にしてほしいといえば黙ってくれた。
紫水さんは溺愛といっていいほどの恋人がいる。
紫水さんは恋人と二人暮らしだったので、家に押しかけたことにより紫水さんの恋人の憲介さんにはスッゴイ邪見にされてしまった。
紫水さんの恋人の憲介さんは強面の美丈夫で、人を黙らせるほどの鋭い目をしている。
顔は整っているものの、その眼光は鋭すぎて…。
僕なんかは最初憲介さんを見た時はその眼が怖くて固まることしかできなかった。
しかし、紫水さんは初対面の時から憲介さんの強面に臆することもなく対応していたらしい。
そんな凛とした紫水さんに憲介さんが惚れるのも出会ってすぐだったようで。
狂犬のような憲介さんが紫水さんに惚れに惚れて…今に至るようだ。
付き合うまで、憲介さんは何度も紫水さんに告白してきたし、時には力でねじ伏せて紫水さんを傷つけもしたらしい。嫌がる紫水さんを無理やり抱いたり、時には脅迫めいたこともしたらしい。
色々あって今は纏まっている…、と紫水さんは笑って話してくれたけど。纏まるまでにはきっと紆余曲折あったのだなと思う。憲介さんの溺愛加減がいい証拠だった。
憲介さんの一方通行というわけでもなく、普段はクールで飄々としている紫水さんだったが、憲介さんのことになるとその顔は崩れ、感情が豊かになる。
今も憲介さんはとにかく紫水さんに溺愛と言っていいほどほれており、余裕がないようで、いらぬ焼きもちをやくことも多いんだそうだ。紫水さんみたいな綺麗な人だと、やきもちやいちゃうのはわかる。
しかし、僕みたいな人間が紫水さんとどうこうなることはないというのに…。
憲介さんは、僕が紫水さんと一緒にいるときは必ず僕を睨みつけまるで監視するように僕を見ていた。
僕が紫水さんの家におしかけて3日たった今も、食卓で僕が作った料理を食べながら、じとりとした視線で紫水さんの隣に座る僕を睨んでいた。
紫水さんが僕の隣に腰かけているのも、憲介さんとしては気に食わないのだろう。
かといってテーブルの向かい側、憲介さんの隣に座れば僕と見つめ合っている…、と怒るし…。そもそも憲介さんの隣で食事をするというのも、緊張してしまって難しい。
「憲介、そんなにお客様をじろじろと見るものではないよ…」
紫水さんに叱られて、憲介さんがむすりと不機嫌そうに膨れる。
「だって、紫水。
こんなんがいたんじゃ、俺達の時間が減る…」
大の大人が…、しかも憲介さんみたいないかにも男らしい男がむっすりと頬を膨れさせているのはどこかアンバランスで可愛らしい。
しかし、言った言葉は聞き捨てならない。
この紫水さん大好き人間は、昨日散々僕の前で紫水さんにキスしたり、不埒なことをやっていたのをすっかり忘れているようだ。
普段クールな紫水さんが昨日、声を潜めながらも甘い吐息を零し憲介さんに抱かれていたのを目撃した僕としては、充分やることやっているじゃんと主張したいところだ。
恥ずかしがり嫌がる紫水さんをノリノリで虐めていたのは、どこのどいつだといいたい。
ブースカ文句を口にしている憲介さんを、子供を嗜めるように紫水さんは甘い口調で嗜めていた。
憲介さんもぐちぐちと文句を言いながらも、紫水さんの傍を離れようとしない。
僕が同居することにふて腐れていたものの、紫水さんを怒らせるような事は言わなかったようだ。
どうやら力関係は紫水さんの方が上のようで、憲介さんは最初はぐちぐち愚痴っていたものの、いつの間にかデレデレと自分の目の前に座る紫水さんの顔に口づけを降らせていた。
「おあついことで…」
二人のいちゃいちゃっぷりに、失恋したばかりの僕としては凄く辟易してしまう。
いちゃいちゃなのはいいけど、少しは傷心のもののことも考えてほしい気もする。
居場所がない。
そりゃ、ラブラブ家庭に勝手に住み着いた僕が全面的に悪いけれども。
もう少し、一人身の傷心な僕にも労わってほしい訳で。
ちょっと寂しくなるわけで…。
「けんすけ…」
「見させておけばいいだろ」
「でも…、」
「いいよ、紫水さん。僕、部屋戻ってるね…。一人身にはこれ、毒だしね…」
ちょっと嫌味を交えつつ席を立てば、「待て」と憲介さんに呼び止められた。
なんだろう…、と再び腰を下ろし憲介さんの顔を窺えば、眉を吊り上げて不機嫌そうに僕を睨んでいた。
「なにか…?」
「今日は一言言おうと思ってたんだ。
俺の紫水の前で辛気臭え顔しやがって…、お前が暗い顔してるとな、紫水は優しいから気に病むんだよ。
あっちの方もお前気にして乗ってこないし…キスも恥ずかしいからって拒んでくるし。俺たち二人の愛の巣に転がり込みやがって…」
「憲介」
「お前の話、紫水から聞いたけどな、俺からしたらただ悲劇のヒロインごっこに見えて仕方ねぇな。
なんだ、好きな男に尽くしてその男の元カノができたら身を引くだったか?そんなさっむい真似、よくできるな…。男の癖に…。アホらしい」
馬鹿にしたような口調で憲介さんは吐き捨てた。
そこまで、紫水さんは話していたのか…と紫水さんをみやれば紫水は罰が悪そうな顔をして、もう一度憲介、と憲介さんを咎めた。
「お前も…言っていいことと悪い事が…」
「お前は相手の為だって尽くしていた男の…そいつの元を離れたようだけどよ…、
お前は別れるとき聞いたのか?
その女と自分どっちが好きだって。
ちゃんと世話したやつには行って逃げてきたのかよ?張り手のひとつ、くれてやったのか?」
喧嘩を吹っ掛けるような口調についつい居候の僕も感情的になる。
「…そんなの…、貴方には関係ない…」
「関係ない…ねぇ…」
「そうだよ、関係ない。言う必要もない…」
聞けるわけ、ないじゃないか。
あんなまりんと仁さんの仲睦まじそうな家族の姿をみて。
いっしょにいて、まりんよりも好きでいて、なんて。言える訳がない。
そんな自惚れできるはずもない。
自分がいなくなれば、仁さんは心置きなくまりんに会えるし、まりんもまた仁さんに会える。
僕が出ていけば全て丸く収まるんだから。
僕一人我慢すれば…。
紫水さんがいて…、愛する人がいて、同じようにあいしてくれる人にはわからないんだ。
愛されない人間のことなんか。
ちゃんとした唯一の番がいる人にはわからないんだ。
恵まれた人間にはわからないんだ。
普通と違う人間のことなんか。
欲しいものも欲しいと言えない、どうしようもない人間のことなんか知る由もないんだ。
「紫水さんに愛されて、幸せいっぱいな貴方には関係…」
「俺はな、お前みたいな人間がいっちゃん、キライなんだよ。
俺がなんだよ?愛されて羨ましいと思ったか?くだらねぇ。うらやんでろよ、勝手に。くだらねぇ。
人の幸せ妬んで何もせずうだうだ言うだけのくっらい奴。女々しすぎんだよ…見ていてうぜぇ。
動かないやつに、幸せなんてくるわけないだろ?卑屈になって理由探して満足してんだよ。
自分ができない理由を探して、安堵してんだ」
僕の反論も、憲介さんは言葉を重ねかき消した。
うざい性格…、といわれむっとするも、憲介さんが言うように、憲介さんを妬んでいたのは図星であり事実だ。暗い性格なのもその通りである。
悔しいが何も言えず、口を噤む。
「けんすけ…お前…。お前は…」
「勝手にいなくなって…お前はそれでいいかもしんないけどよ…、
残されたやつの…、去られたやつの気持ちがわかるのかよ。
何も告げられず、黙って愛しい人に去られて何もなくなったやつの気持ちが…勝手にいなくなられて、何もかも失った人間の気持ちがわかるのかよ…」
紫水さんの憲介さんを制そうとしていた言葉が止まる。
それまでは乱暴な憲介さんの口調に顔を顰めていたものの、なにか思い当たる節があるのか、気まずげに視線を伏せた。
「俺は…、人魚姫のはなしが一番嫌いなんだよ…。あんな自分勝手な悲劇のヒロイン。女々しくて一番嫌いだね。
なんで真実を知らせないままに勝手にいなくなったんだ?
なんで…、勝手に王子に何も告げずに泡になって手が届かない場所にいったんだ…って。
口が利けなくても、傍にいることはできるだろ…。そのうち王子も何が真実かわかるだろ…って。
王子の幸せを本当に考えていたのか…それが本当に幸せなのか…って」
「…幸せ…?」
「俺が王子なら、勝手に自己解決して俺の幸せを願って逃げちまうのが一番辛いね。
勝手に俺の幸せを願い、去ってしまうのが。
俺は、狂いそうになった。その温もりが消えて。
本当に欲しい温もりが傍にいなくて…、
この手からすり抜けたと思ったら…もうこの手にない温もりが欲しくて探して、毎日狂ったように求めて。切望しすぎて、可笑しくなりそうだった。
俺の為にと愛しい人が与えた偽りの幸せは、おれの地獄だった。
どうせだったら、殺してほしかった。
いなくなるくらいなら。
狂おしいほどのぬくもりがこの手からなくなるくらいなら。
何もない、狂うほど欲しがっていた温もりがない、空虚な毎日。
あれは、地獄だった」
そう、何かを思い出すようにいった憲介さんは顔を顰め、
「お前の気持ちなんか知らないし知りたくもない。ただ悲劇のヒロインで終わっても、全て綺麗に終わらない…それをおまえは考えたほうがいい」
いつも気性激しい憲介さんにしては落ち着いたゆっくりとした口調で言うと、憲介さんは僕の隣に座る紫水さんへ視線をやった。
紫水さんは憲介さんの言葉を伏せ目がちに聞いていた。
「ヒロイン気取るのは…、王子の言葉をきいた後にしろ…。ちゃんと話し合えよ…」
ぶっきらぼうに憲介さんは言って、席を立った。
乱暴に僕を責めた口調で罵っていたけど、本当は優しい人なのだろう。
じゃなければ、わざわざ話し合えなんて言葉かけるわけない。
憲介さんが立ち去った後も、僕は憲介さんがいた空いた椅子をぼんやりと見つめていた。
「人魚姫…か…」
自分が助けた真実をつげず、泡となった人魚姫。
王子の命を助ける為に自分は泡となって消えた人魚の姫。
憲介さんは大嫌いだと言っていたけど…、僕には人魚姫の気持ちが少しわかる気がする。
足を貰っても何も言えない。
好きだという事も言えない。
ただ、傍にいるだけ。
自分は凄い好きなのに、もしかしたら相手にとってはどうでもいい存在なのかもしれない。
そんな不安を抱えたところで、綺麗なお姫様でも現れたら。
自分よりも絶対に王子を幸せにしてくれる相手が現れたら。
消えたくもなるだろう。
自分が好きな人が他の誰かに愛をささやいているところなどいたくない。
海に帰れないならいっそ…。
そんな風に考えて、ひとつため息を零す。
こんな人魚姫のような逃げ思考の僕だから憲介さんは僕が嫌いなんだろう。
《王子様》の気持ちも考えない僕だから…。
自分勝手な、にんぎょひめだから。
「紫水さん…、僕、間違ってますかね…」
「駿…」
「でも…、もう…一緒にはいられない…。僕は…、もう泣きたくないから…。縋るなんて、できない…」
お腹をゆっくりと撫でる。まだぺっしゃんこのお腹。
撫でると少し安心する。泣きたくなる時も、仁さんの別れを告げた後も撫でていた。
「強くなりたいな…一人でも平気なくらい…強くなりたいな…」
強くなれば、仁さんのことを考えることもなくなるのだろうか。
恋することもないのだろうか。
僕が泣きそうな顔をしていたからだろうか。
紫水さんはポンポン、と頭をたたき自分の胸元へ僕の頭を押し付けた。
「無理に強くならなくてもいいんだよ…。俺も、憲介もいる。駿はちょっと無理をため込み過ぎだ…。もっと…よりかかってもいい…」
「紫水さん…」
「なにも、不安がることはない。駿が…駿が思うがままやってみたらいい。結果はおのずとついてくる…」
「…はい…」
紫水さんの言葉を聞きながら、目を閉じる。
いつかいい思い出になるのだろうか。
仁さんとの全てが。笑って話せる日が、くるんだろうか。
紫水さんの胸元によりかかりながら、ぼんやりとそう思った。
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