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42. 告白

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「若旦那様……っ、若旦那様──」

 後ろから掛かる声に振り返る余裕もなく、朔埜は急いだ。

 急いで。
 とにかく急いで。
 早くここを離れたい。

 あの弟は何でも持っている、光だ。
 自分は婚外子で日陰者で、立場の危うい存在。
 いつ四ノ宮の名を取り上げられてここから追われてもおかしくない。

 今迄はそれでも構わなかったのに。
 分不相応だと思っていたのに。
 握りしめた手に力を込める。

「若旦那様!」

 後ろから聞こえた声に意識が戻る。
 
「史織……」

 息を切らしながら必死についてくる史織にふ、と力が抜ける。途端に自己嫌悪が込み上げた。

「……すまん」

 それでも手を離せずに、けれど視線を合わせる事も出来ず。掴んだままの手をじっと見つめる。
 細くて白い手。
 それが強く掴みすぎたせいか、うっすらと赤らんでいる。でも、離したくない。

「いえ……私こそ、あの……大丈夫でしたか?」

 そう言われて朔埜はのろのろと顔を上げる。
「……何が?」
「……若旦那様が困っているようでしたが……お助け出来ませんでした。少し機転を利かせれば良いものを、そのまま出てきてしまい申し訳ありません」
「?」
 そわそわと視線をうろつかせる史織に目を眇める。
「えっと、あの……先程のホールでの事です」

「……」
「居づらそうにしていたので……」

 ああそんな事かと顔を背ける。
「……お前には関係ないやろ」

「そうなんですが、あの。だからこそ私は踏み込めるような気がして……その、いつも助けて貰ってばかりだから……力になりたかったんです」
「……止め」

 力無く笑う史織から目を逸らす。
 史織を見てると上手く笑えなくなる。

「……勘違いする」
「へ……?」
 驚いている姿を、追い詰めたくなる。
「史織」
 じっと見つめれば息を飲む史織に苦笑してしまう。それを線引きしておかないと、無理を通してしまう。その結果困るのは史織だから、自制しないといけない。
 
「……あの、若旦那様は……私の名前を知っていましたよね……」
 けれど史織の反応は別のものだった。思わずその名を口にしてしまう。
「──史織?」
「私は、西野 佳寿那と名乗っていました……」
「……ああ」

 そういえばそうだった。

「知ってた、けど……住み込みで働きたいって人にはそれぞれ事情がある事が多いんや。最低限の身元調査をして犯罪者じゃなければ特に問題はない。じいさんも三芳も知ってる」
「……そうなんですか」

 ぽかんと言うかホッというか。史織のそんな表情も悪くないけれど、もしかしたら罪悪感に苛まされていたのかもしれない。それならもっと早くに告げてやれば良かったと自省する。

 ただ実は、密かに感心して黙っていた──というのもある。実際の人物に成り代わるのは、素人には案外ハードルが高いのだ。
 朔埜は史織を知っていたから初見で看破したけれど、普通はそれを警戒し、架空の人物を用意する。結果墓穴を掘るのだ。まあ、しかし──

「それは別に、どうという事はない」
 どちらかというと朔埜は史織に気付いて貰えない事の方が問題なのだから。
 
 彼女の頭の中を占める、四年前の自分は果たしてどれ程美化されているのやら。
 もしかしたら彼女が好きになったのはただの理想で、自分ではないんじゃないかと胸が軋む。

「昂良が……弟が、あんたに見合いを申し込んだやろ。あれは──」
「お断りしますよ、勿論! 私には今好きな人がいるんですから」
「え……」

 必死に言い募る史織に絶句してしまう。

 ……そんな相手が、いつの間に?

「その、だから昂良さんにはちゃんとお断りしますし。……その人もですね、」
「駄目や!」

 気付けばもう片方の手首も掴み、史織に詰め寄っていた。
「若旦那様?」
 曇る史織の表情から目を背け、必死で言葉を紡ぐ。
 彼女を繋ぎ留める言葉──

「お前だけやない」
「……え?」
「四年前を忘れられないのは、お前だけやない」

 ◇

 聞こえた言葉の意味が分からなくて。
 眉間に皺を寄せ、目を閉じて、再び開ける。
 目の前には真面目で、けれどどこか泣き出しそうな顔をした朔埜が口元を戦慄かせていた。

「ずっとお前を……その、好きやった……から。でも、そう言ったら嫌かと思って、やな……」

 躊躇いがちに告げる朔埜は何だか歯切れが悪い。
 それでも好きという言葉に反応し、じわじわと掴まれている手首が熱くなっていく。

「え、あのっ……私を? 覚えて……いたんですか?」
 恥ずかしさを誤魔化すように口にすれば、朔埜はもの凄いしかめ面をした後、こくりと頷いた。
 どうしよう、そんな仕草も可愛い。背けた横顔から耳が赤く染まっているのが分かる。

 ……というか、いつから気付いていたのだろう。
 自分なんて今さっきだったのに……まさか最初から……
「史織」
「ひゃいっ?!」
 思わず声が裏返ってしまう。

「……俺は、気持ち悪いか?」
「え? いいえ! 全然……ただその、驚いています。私は、その。あの時若旦那様に助けて貰っただけで、何もしていないので……ただ靴を壊して動けなくなってただけですよ?」
 だから不思議でしかない。

「まあ、そうやけど」
「うっ」
 特に否定せず。
 うっすらと笑みを刷き、朔埜は首を傾げてみせた。その余裕のある仕草に何だか緊張してしまい、悔しく思う。
 さっきまでは可愛かったのに……

「お前は俺がたまたま見かけた場面で泣きそうな顔をしていたな」
 しかも、どうやら朔埜が覚えているのは、自分でもどうしようもないところのようだ。

「それを見て俺は腹が立ったんや……一人で立ってても、泣いてりゃ誰かが助けてくれるお前にな……けど、」
 言いにくそうに口を開けては閉じて。諦めたように一つ息を吐く。

「──それでも俺に気遣うお前を見て、恥ずかしく思ったんや。弱いくせにとも思った。それと同時に何ていうか、心が……自分の心が広くなったように感じた。……俺もこうなりたいと、あの瞬間、俺はお前に憧れを抱いたんや」

 ぽかんと口が開いてしまう。
 思い出す限り自分に尊敬できるような場面はない。あるのは恥を晒した記憶のみだ。
 なのに……
「それはその、何で言うか……とっても恥ずかしいですが……嬉しい、です」
 自分の一面をそんな風に見てくれた事が。

 あの時──
 初めて踏み出した一人旅で失敗して、しょげていた。けどそれだけじゃなかった。……それは朔埜に会えたからだと思っていたけど、そうじゃなくて。朔埜も自分を見てくれていたから、だった。

「嬉しい」
 本心から溢れる言葉に自然と目が潤む。
 泣きたい訳ではないので慌てて涙を払おうとするが、そう言えば腕を掴まれたままだった。

「あの……」
 訴えるように朔埜を窺い見れば、変わらず眉間に皺を寄せたまま両腕から手を離してくれそうにない。
「……トラウマや」
「え……?」
「お前は手を離すと逃げるような気がして、嫌なんや」
「……わ、若旦那様が、私に側にいていいと望んでくれるなら……私は逃げません」

 ぎゅ、と掴まれたままの手を握り込む。
 不意に水葉の言葉が頭を過った。
 朔埜の悩みを憂いているようだった。
 垣間見た父や弟との確執。
 それにもしかして、結婚を……悩んでいるのだろうか。
(乃々夏さん……)

 躊躇っているという事は、大事な相手なのだろう。
 先程の昂良とのやりとり然り、朔埜は不必要だと思えば、切り捨てるような気がするからだ。
(でも……)

 朔埜は、史織に気持ちを告げてくれた。
 大事にしたい。信じたい。
 史織だって朔埜が好きなのだ。
「私は、若旦那様が、好きです」

「史織」
 朔埜は驚いた顔をしたけれど、すぐに蕩けるような笑みを作った。
「うん、俺と一緒になってくれ」
 その為には沢山話をしなければならないけれど、
「はい」
 頷く事に躊躇はない。

「お前は俺が大好きなんやもんな」
「──はい?」
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