30 / 49
29. 四ノ宮 水葉①
しおりを挟む翌日、史織は三芳に呼ばれた。
「警察で事情聴取というのも、あなたには辛いでしょう」
それに旅館としては、被害者がお客様では無いのなら、可能な限り穏便に済ませたい筈だ。
──と、史織は考えていたが、研修を利用している会社の責任者は警察に呼び出され、その他の社員も今朝慌ただしくチェックアウトして行った。
旅館の対応に不満を口にする者もいたが、自社社員の不祥事だ。怒りは事故を起こした社員に対するものだと、仕方なしと応じる者が殆どだったようだ。
いずれにしても旅館側がお客様でなく、被害者とはいえ従業員を守った事が意外だった。
「あ、あの……」
それにずっと気になっていた事がある。
「私、その……」
名前だ。
昨日朔埜が自分の名前を呼んでから、それが頭に響いてのぼせあがっていたら、はたと気付いた。
西野 佳寿那と名乗っている筈なのに……
バレて一番困るのは麻弥子だ。お見合い相手の動向を探るなんて品が無いし、当然千田の家に迷惑が掛かる。
果たしてどう切り出すべきかと口をもごもご動かしていると、目を眇めた三芳が淡々と告げた。
「私は何も知りませんよ、全て若旦那にお任せしていますから」
「……」
ふいと逃げた三芳の視線に置いてきぼりをくらったような気分になる。
……つまり、朔埜の管轄という事なのだろう。
「あなたも昨日の件は他言しないように。誰が関わっているか、旅館で共有する事はありません」
口が堅く、旅館内での情報は漏洩させない。
老舗旅館という言葉が頭を駆ける。
接客業である限り、お客様第一である事に変わりは無いが、線引きはする。従業員の立場としては保護され心強く思うのだから不思議なものだ。
「ありがとうございます……」
そう頭を下げると三芳は、はあと溜息を吐いた。
「あなたも覚悟を決めておきなさい。今よりもっと仕事に精を出し、よく働くように」
話は以上と眼鏡を掛け、書類を手に取る三芳に再び頭を下げ、史織は三芳の仕事部屋を退出した。
音を立てないように、するすると廊下を歩いて行く。
「覚悟、か」
朔埜の立場では文句を言うのも当然の話だ。
見合い相手の家の者が、探りを入れに家に入り込んだのだから。
……庇って貰ったと、嬉しく思っていた気持ちが消沈していく。
朔埜が知っているなら、自分から謝りに行くべきだろう。昨夜確認しておいた朔埜のスケジュールを思い出し、史織は四ノ宮のパーティーが開かれる会場へと足を向けた。
◇
忙しい中申し訳ないと思いながらも、歩は進む。
何だかんだで自分は朔埜に会いたいのだ、なんて思いつつ史織は道を急いだ。
「お待ちなさい」
そこへ低い声に呼び止められ、後ろを振り返る。
(お客様かしら)
けれどそこには四ノ宮 水葉──朔埜の祖父が立っていた。
「大旦那様」
慌てて頭を下げる。
以前来たばかりの時に、三芳と共に遠目に目礼しただけだ。その際見透かすような目が印象的だった。
「すまんな急に。少し話せるかい?」
穏やかな眼差し。
優しい口調。
けれどこの態度がそれだけじゃない事を、史織は知っている。祖父、千田 柳樹も持つ、明確な線引きを示す態度──
「……はい、勿論です」
史織は頷き、水葉に従った。
「すまんかったの、怖い目に合わせてしまって」
開口第一声が謝罪の言葉で驚いて、史織は慌てて手を振り否定した。
「いえ! 旅館のシステムのお陰で助かりました。ご配慮ありがとうございます」
再び頭を下げるも、水葉は苦笑を返すのみだ。
まあ確かに怖かったけれど……
ホールへ向かう道を散歩道代わりに。
少しばかり回り道を選び、水葉と二人そぞろ歩く。
「史織さん」
ぴくりと身体が反応する。
史織の名前。やはり気付いていたのだ。
「名前を偽り、申し訳ありません……」
「良い事では無いが、悪くも無かった。実はあなたが来てくれるのではないかと、儂も少し期待していたから」
その言葉に顔を上げれば、水葉はどこか遠くを眺めているようだ。
「私がですか?」
その言葉に水葉は微かに頷く。
「儂が思っていたのとは少し違ったけれど……あなたが朔埜に好意を抱いているのなら、あやつの心も少しは動いてくれると思ったんじゃ」
「若旦那様が……?」
首を傾げる史織に水葉は曖昧に笑ってみせる。
「儂が詳しく言えばあやつに怒られるだろうから、その辺は朔埜に聞くといい……とにかく、あなたの事は知っていた。ここに来てくれてありがとう」
「え……? いえ、そんな」
どこにも礼を言われるような要素は何もないのに。
どう返して良いのか分からず史織は首を横に振った。
0
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説
ふたりは片想い 〜騎士団長と司書の恋のゆくえ〜
長岡更紗
恋愛
王立図書館の司書として働いているミシェルが好きになったのは、騎士団長のスタンリー。
幼い頃に助けてもらった時から、スタンリーはミシェルのヒーローだった。
そんなずっと憧れていた人と、18歳で再会し、恋心を募らせながらミシェルはスタンリーと仲良くなっていく。
けれどお互いにお互いの気持ちを勘違いしまくりで……?!
元気いっぱいミシェルと、大人な魅力のスタンリー。そんな二人の恋の行方は。
他サイトにも投稿しています。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
舞姫〜花舞〜
友秋
恋愛
一九七二年七月。京都。
悲しくすれ違ってしまったそれぞれの一途な想いの行末に待つものは。
良家の御曹子、美しき芸妓、そして危険な謎の男。
三人の想いは交錯し、すれ違う。
芸妓・姫扇は、自分を捨てた愛する男を選ぶのか、愛してくれる男を選ぶのか。
御幸右京は、失意に沈む愛する姫扇とその中に宿る小さな命を守る為に奔走する。
最悪なお見合いと、執念の再会
当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。
しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。
それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。
相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。
最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。
冷血弁護士と契約結婚したら、極上の溺愛を注がれています
朱音ゆうひ
恋愛
恋人に浮気された果絵は、弁護士・颯斗に契約結婚を持ちかけられる。
颯斗は美男子で超ハイスペックだが、冷血弁護士と呼ばれている。
結婚してみると超一方的な溺愛が始まり……
「俺は君のことを愛すが、愛されなくても構わない」
冷血サイコパス弁護士x健気ワーキング大人女子が契約結婚を元に両片想いになり、最終的に両想いになるストーリーです。
別サイトにも投稿しています(https://www.berrys-cafe.jp/book/n1726839)
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
奴隷だった私が四天王の嫁になるまで
ブッカー
恋愛
人間の国で奴隷をしていた"私"は。ある日、荷物と一緒に馬車から捨てられた。そんな私を拾ったのが魔族の王子であり四天王のピアーズだった。ピアーズは何故か私を見て、面白いと言って屋敷に連れ帰える。そして、私はピアーズのペットとして飼われることになった。大きなお屋敷でペットとして第二の人生を歩むことになった私は、色々な人と出会い沢山の事を知ることになる。
このおはなしは奴隷だった"私"が四天王のペットになり、最後には嫁になるまでの物語。
*この小説は「カクヨム」「小説家になろう」でも投稿しています。
*ご意見ご要望は感想欄にて受け付けております。お気軽にどうぞ。
そんな恋もありかなって。
あさの紅茶
恋愛
◆三浦杏奈 28◆
建築士
×
◆横山広人 35◆
クリエイティブプロデューサー
大失恋をして自分の家が経営する会社に戻った杏奈に待ち受けていたのは、なんとお見合い話だった。
恋っていうのは盲目でそして残酷で。
前の恋で散々意地悪した性格の悪い杏奈のもとに現れたお見合い相手は、超がつくほどの真面目な優男だった。
いや、人はそれをヘタレと呼ぶのかも。
**********
このお話は【小さなパン屋の恋物語】のスピンオフになります。読んでなくても大丈夫ですが、先にそちらを読むとより一層楽しめちゃうかもです♪
このお話は他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる