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15. 意外な邂逅②

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「ここで何してんねん」 
 見上げればそこには、竹箒を手にした青年──
「あ……」
 
 四ノ宮 朔埜がいた。

「……っ」
 挨拶をしようとした言葉を、慌てて飲み込んだ。
 自分は朔埜と初対面だ。余計な事を言わないように気を付けたい。しらばっくれて、いらっしゃいませとか言うべきだろうか。
 ……いやいや、竹箒持ったお客様なんている訳がない。加えて着物に羽織を重ねた着こなしは、旅館の関係者を思わせる。強いて言うなら朔埜はこの凛嶺旅館で若旦那の立場なのだけれど、こんなところで掃除なんてするんだな、なんて疑問に思ったくらいだろうか。

 ともあれ色々と駆け巡る思考をまるっと放り、史織は一つ深呼吸をして顔に笑顔を貼り付けた。
「初めまして、今日からお世話になっております、西野 佳寿那です。よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げる。
「……」
「……」
 あれ、返事がないなと思いつつ、史織はゆっくりと頭を持ち上げた。

 見ると朔埜は目を見開いてこちらを凝視していた。
(何か、ついてる……?)

 髪の毛に手をやり払う仕草をしてから、改めて朔埜に目を向けた。
(それにしても)
 こうして間近で見ると、整った顔をしている人だ。写真よりずっと格好いい。

 多少威圧感はあるが、それも気難しそうな表情が緩めば、ずっと印象が変わりそうだ。
 背も高くスタイルも良いし、仕立ての良い着物を違和感なく着こなしており、品位と権威を思わせる。

 麻弥子がお見合いに応じたのも頷ける。
 なんて史織が見惚れているのと同じ間、朔埜も史織を観察するように目を細めていた。
「……」
 
(何だろう……?)
 見過ぎておいて何だが、朔埜の視線に段々と居た堪れなくなってくる。沈黙に耐えきれず、声を出そうと口を開いた瞬間、低い声が落ちてきた。

「今なんて言った?」
「──え?」

 見上げると朔埜は先程よりも眉間に皺を溜め、何かを耐えるように口元をぎゅっと引き結んでいる。
 ……理由は分からないけれど、怒っているようだ。
 一拍気まずい間を置いて、史織は改めて居住まいを正した。

「葦野様のご紹介で行儀見習いに参りました、西野 佳寿那と申します。どうぞよろしくお願いします」
 けれど朔埜は怪訝な顔でこちらを見つめてくる。
「違う」
「えっ?」
「……さっきの台詞と違う。何て言った?」
「え……」

 まさかそんな叱責が飛んでくるとは思わなかった。そんなに酷い挨拶だったろうか……
「さ、先程は『初めまして、今日からお世話になります西野 佳寿那です』と、申し上げました。……おかしかったでしょうか? 申し訳ありません……」
「初め、まして……?」

 史織はあわあわと謝罪を口にするが、朔埜は何故か視線を逸らし肩を震わせている。……こちらの言葉は聞こえていないようだ。
「お前は……俺に……」
「……?」
 考え込むような朔埜に首を傾げていると、妙に低い声が聞こえてきた。

「──挨拶一つまともに出来へんのか」
「……はい?」
 じろっと睨みつける昏い瞳に、史織の肩がびくりと跳ねた。

 ◇

 ──四年前、
 朔埜はあの時逃げた女が気になった。
 鈍臭い上に泣きべそをかいて、挙句にどうやったら旅先で靴が壊れる? どんな確率で起きる? 普通、靴は壊れる前に汚れて捨てるだろう?
 それなのに。そんな常識を覆し、あんなところで途方に暮れた眼差しで佇んで、泣きべそを掻いていた女……

 いらいらと腕組みをしながら窓の外を見れば行き交う人の中にあの女がいないか探してしまう。
 履き物を返しに来るかもしれないと、朔埜はその日、凛嶺旅館と懇意にしているホテルに泊まっていた。
 支配人が困り顔で気を利かせてくるのは分かったが、正直そんな余裕は無かった。

 それから昼過ぎに彼女が宿泊していたホテルの従業員が履き物の礼をしにきた。
「……本人は?」
「それが、恥ずかしいと言わはりまして」
 苦笑する従業員に憮然とした顔を向けると、そこに動揺が滲む。
「あの、何か問題がありましたか?」
 朔埜が凛嶺旅館の──四ノ宮家の者だという事は、旅館業をしている者は大抵知っている。四ノ宮の名は強い。例え朔埜が婚外子であっても、後ろ盾が当主である以上変わらないのだ。

「……別に」
 だがその質問に返す言葉はこれしかない。あの女は何も問題なんて起こしてない……朔埜が気に入らないだけで。

「何て、名前なん?」
 気付けば口にしていた。
 履き物の礼が述べられたメモには名前が書かれていなかった。あの時お互い名乗ってないのだから、確認のしようは無いのだけれど……

「──それは、個人情報に当たりますさかいに、いくら四ノ宮様でも言えませんわ。……今日帰るとは言うてましたけど」
 気の毒なくらい恐縮したホテルマンの、その台詞に胸が軋んだ。もう帰ってしまうのか……最後に自分に会いたいとは思わなかったのだろうか。

(もしかしたら、中途半端に終わった高台寺の観光をしているかもしれん)
「あの、朔埜はん?」
 戸惑うコンシェルジュを残し、朔埜はふらりとホテルを後にした。

 観光客でごった返す中、きょろきょろと昨日の女を探す。けれど溢れる人混みに、それは手に負えないと今更ながら気付いて、今度は駅に向かった。
(──どこから来たんや?)

 訛りはないようだったから、関東方面だろうか。
 東京行きの新幹線乗り場をうろうろと歩く。
 けれど、こんなところで鉢合わせたら、驚きを通り越して不審者扱いでもされるかもしれない。
 どんな言い訳をしようか、顔を顰めてはにやけるを繰り返していると、気付けば日暮れの時間になっていた。
 
 いい加減にしろと空腹を訴える腹を摩り、自分がどれだけここにいたのか改めて気付く。
 朝ホテルで目が覚めてから高台寺に向かい、それからずっと駅にいる。
 昨日一度会っただけの女を当てもなく探して歩いていた。どこかで会えると確信めいた感情に流されて、不思議なほど舞い上がって……

 暮なずむ空に郷愁と、そんな奇跡起こるわけないという自嘲めいた笑みが零れた。
(馬鹿馬鹿しい。一方的で、気持ちの悪い思いや)

 勝手に期待して、失望する。
 母親みたいに。
 ふと母の顔が頭を過ぎった。
 あの人が朔埜を見る目はいつも、「過ち」だった。
 哀愁でも、悔恨でもない、ただの過失。

 あの目で見られるのが嫌いだった。
 自分の全てを否定されるような目。
 それが幼い異父妹に向けられるものと違う事が、耐えがたかった。

 母と同じになりたくない。
 だから朔埜は誰かに依存したり期待したりしない。けれど祖父に引き取られ、多くの物を与えられるようになったから。

 うっかり手を伸ばし、情けない顔をした女に心を開き掛け、放っておけないと思ってしまった。いつか自分にとって厭わしいものになるかもしれないのに……

 けれど、と訴える自分もいる。
 戸惑いながら握り返してくれた手や、はにかんだ表情。あの時間を彼女が何の名残りも無く去った事に、朔埜は酷く苛立った。
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