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1章 王弟殿下の婚約者
32. 旅立ち
しおりを挟む「ご無事でしたか」
ホッとした顔のジョレットに笑みを返した後、マリュアンゼは顔を強張らせた。
そのすぐ近くにフォリムが待っていたからだ。
……物凄い顔で。
「お待たせして申し訳ありません」
礼を取って頭を下げる。
「いえ、それで……」
言い掛けるジョレットを遮るようにフォリムが、はっと笑いを零す。
「何故勝手に着いて行った?」
「……はい?」
怒りを抑えるように告げるフォリムにマリュアンゼは首を傾げる。意味が分からない。敢えて言うなら必要な行動だったとしか言えない、が……
「私の婚約者なら勝手な行動を取らないで欲しい」
フォリムの発言にマリュアンゼのこめかみに力が籠った。
「勝手に婚約者にしたのはフォリム殿下です!」
自分で口にした言葉にマリュアンゼは、はっと息を飲んだ。でも、
間違って、いない。
あの混乱した場で、どうみてもセルル国の過失が占めるあの場面で、ロアンを、ノウル国を優遇する事はおかしく無かった筈だ。
(間違ってないもの……)
マリュアンゼは別にフォリムの特別では無い。
なのにあの緊張した局面を乗り切って、ロアンとの話し合いをやり過ごしてきたのに、どうして詰られなければならないのか。
自分はフォリムの何なのだろう。仮初とは言え婚約者なのでは無いのか? だから、本当はもっと───それなのに……
ぎゅっと掌を握りしめ拳をつくる。
(どうしてそんな顔するのよ)
怒りに満ちた顔は歪み、何故か泣き顔に見える。
「褒めてくださいよ」
自分でも意外な科白が零れ落ち、マリュアンゼは顔を伏せた。なのに言葉は止まらない。
「私だって頑張っているでしょう。仮初の婚約者なのに。立ち位置を間違えず……王族の、公爵様の婚約者らしく振る舞う努力、しましたよ?」
落とした視線を彷徨わせ、マリュアンゼは口にした。
ぎゅっと奥歯を噛み締める。
(なのに、酷いと思うわ。まるで私が不貞でも働いているような物言いじゃないの。自分の事は棚に上げて)
思いを乗せ、ばっと顔を上げたマリュアンゼは、その勢いのままぴたりと止まった。
そこには真っ赤に染まったフォリムの顔があり……
「はい……?」
思わず間抜けな声が出る。
真向かうフォリムは赤い顔を大きな手で隠しつつ、視線を逸らし口を開く。
「その、自覚があるのか?」
……どれに対する自覚なのだろう……とは思うが、顔を赤らめるフォリムに釣られ、こちらも照れが出てしまう。
「な、何がですか」
視線を逸らしつつ口にすれば一歩、フォリムが近づき思わず怯む。
「あなたが私の婚約者だと言う自覚だ」
「ですから、私は仮初の……」
それ以上は喉の奥が詰まって出て来ない。
仮初の婚約者だと知っていて、毎日必死に婚約破棄を望んできた。
それなのに……一緒にいるのが楽しいとか、リランダと二人でいるのが気に入らないとか。
顔が歪む。
きっと酷い顔をしているから腕を使って隠そうとすると、その腕を取られるものだから思わず顔を上げてしまった。
「公爵様!」
「あなたもそんな顔をするんだな」
驚いたような嬉しそうな顔で告げるフォリムに抗議をしたい気と、それがどんな顔なのか気になっては、ひょっこり出るのはやはり負けず嫌いの自分のようで。
「こ、公爵様に言われたくありません。真っ赤な顔をして、そんな、そんな顔なんて……狡いでしょう」
何を言っているのか分からなくなるマリュアンゼに、腕を掴むフォリムの力が僅かに緩む。
しかし思い出したようにキツく掴み直し、ずいっと近づく顔にしどろもどろになる。
二人赤い顔で見つめ合い、息を飲むマリュアンゼにフォリムは口を開いた。
「その、あなたは私の事を……」
「こんなところにいるとは……ちょうど良かったなフォリム殿下」
「……」
「……」
……何が丁度良いのだろう。
二人同時に向けた顔のその先にはドアを半分開けた先で腕組みしたロアン。
そういえば、まだロアンの客間の前にいたんだった。
そっと目を逸らせば居た堪れない様子で立ち尽くすジョレットもいる。
人前で何をやっているのか。
マリュアンゼは赤い顔を益々赤らめた。
と、同時にがくんと身体が傾ぎ、フォリムの胸にぶつかった。
痛いとか何するんですとかと言う言葉が出るより先に、ぎうっと腕の中で締められて声が出せない。
これはもしかしてフォール技だろうか?
呆れたように目を眇めるロアンの視線が冷たい。
「ロアン殿下、申し訳ないが兄の方針は私には受け入れられない。この件は無かった事にして頂きたい」
細まるロアンの眼差しにマリュアンゼは息を飲む。
そんな事、言ってしまっていいのだろうか。
「……フォリム殿下、この話は国同士の取り決めですよ。そんな子供のような反発で取り消しを迫るつもりですか?」
「あなたの事情も充分子供染みているかと思うが……」
ふっと鼻で笑うフォリムにロアンの表情が少し陰る。
「一体何を吹き込まれたのやら。アルダーノ国王は明君とお聞きしておりますが」
「あなたがそう判断するのは、三年前のあなたの婚姻に際し、我が国が関わらなかった為でしょうか」
その言葉にロアンはぴくりと反応する。
「ロアン殿下、私の方があなたの都合に付き合い易いかと思いますよ」
お互い探るように睨み合う二人に動けずにいると、ロアンはふと肩の力を抜いた。
「……成る程。それでは私とあなたの話がどれ程盛り上がるのか、少し時間を割いてみませんか?」
そう言ってドアを引き、入室を促す。
こくりと頷くフォリムはマリュアンゼを見下ろし、瞳を揺らした。
「ジョレット、マリュアンゼを送り届けてくれ」
指示を出しながらフォリムはマリュアンゼの指先をぎゅと握る。
話途中で行ってしまうフォリムに不満が湧く。
先程はマリュアンゼが勝手にロアンに着いて行ったと文句を言って来たくせに。……そうだ、あの時自分はこう思った。マリュアンゼは意を決してフォリムを振り仰いだ。
「私は公爵様に認めて頂きたいのです!」
口元を引き結ぶマリュアンゼにフォリムは僅かに目を見開いてから……何故か首を傾げてしまった。
マリュアンゼも、あれ? と思う。
合っているんだけれど、そうでいないような……えーと。
フォリムに勝ちたいと思ってるから、その為に騎士になりたいし、どうしてフォリムに勝ちたいかと言うと、認められたいからなのだ。
認められるという事は頼りにもされる事でもあるだろう。仮初の存在にも意義がある。
つまりなんで認められたいかと言うと、それは……えっと───
わたわたと手をバタつかせるマリュアンゼにフォリムは、言い聞かせるように微笑んだ。
「分かったマリュアンゼ、後で話そう」
ごほんという咳払いが聞こえる。
ロアンだ。
そろそろいい加減にして欲しいのだろう。
それでなくとも大事な話をしようと言うのに、これでは乗るのか反るのかも分からない。
「すみませんロアン殿下、伺います」
「どうぞ」
足りない言葉を紡ぐのは今では無いようだが、マリュアンゼはフォリムから目が離せなかった。
ふわりと、フォリムの指先がマリュアンゼの頬を撫でて行った。それだけで、
まだフォリムはマリュアンゼの話を聞いてくれる。
そんな確信めいた気持ちが胸を温めた。けれど閉まるドアの向こうで一瞬だけ眇められたロアンの瞳は、マリュアンゼの心に氷を一つ落とす。
じわりと混ざる熱と冷気とを落ち着かせるように、マリュアンゼは胸の前で両手をきつく組んだ。
(きっと大丈夫)
何がかは分からないけれど。
祈るような気持ちで閉まるドアを見届けた。
けれど翌日。
一週間後デーデ領へと向かう予定だったマリュアンゼは、何故かロアンと連れ立ち、ノウル国へと旅立っていた。
◇
1章終わり このお話は全3章の予定です
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