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第四章 選ぶ未来
第95話 失恋
しおりを挟むどうして彼女はこう無防備なのか。
舞踏会の賑わいを遠く聴きながら、アーサーはずんずんと薄暗い回廊を進んだ。
女性が一人で人気のないところをふらふらと歩き、くだらない輩に目をつけられでもしたらどうするつもりか。
初めて会ったあの晩もそうだった。彼女は一人で────
そこまで考えてアーサーはふと何かに気づく。
「……」
頭を過ったものが形を成しかけたその時、リヴィアが視界に飛び込んできた。
皇城の小さな庭の中に彼女はぽつんと立っている。自分だけの絵画のような静かな様相にアーサーはひたと足を止めた。
月を見上げる彼女はとても嬉しそうで、それでいて楽しそうで。何を考えているのか。馳せた思いはリヴィアが空に向かって手を伸ばす様を見て立ち消えた。彼女がどこかへ行ってしまうようで。
「そこで何をしている」
口から飛び出した言葉はあの時と同じものだった。
◇ ◇ ◇
自分から婚約破棄をするつもりだった。
けれど、彼女からそれを言葉にされ、そして自分の目の前からいなくなると話を聞き、涙が溢れた。
大事な人に幸せになって欲しいと思う事は分かる。自分にとって家族や幼なじみのライラがそうだった。
けれど恋に落ち、愛してしまった人のそれは望めないと知った。自分はずっとリヴィアに恋をしていて、それがもうそんな可愛らしい言葉で片付けられ無い形になった事も。
欲────
あの日見つけた、抱いた思い。欲しいと強く望んだ。
一目見たあの時から、ずっとずっと彼女ばかりを追いかけて、手に入れようとしていた。欲に塗れた手で掴み離さないとしがみついてきた。
なんて愚かな。
皇族の義務や自己犠牲で自身を戒め、益々己を律し生きねばならない立場になったというのに。
それなのに、彼女がいてもいなくても、自分が自分でなくなると────気づいてしまった。
自分に対する失望の烙印が心に刻まれる。
何故記憶を失ったのが自分では無かったのか。そうすれば……
自分はまたリヴィアに一目惚れしてしまうのだろうか。
ああ、それはとても不毛だ。
「アーサー殿下」
気づけば途方に暮れた顔をしたリヴィアが近くにいた。ゆっくりと伸びてきた手が自分の濡れた頬を包む。外気に触れ、すっかり冷えた指先に身体がぴくりと反応した。
慌てて引っ込めようとする白い手を、アーサーの両手が捕らえた。
先程月に手を伸ばしていた時とは全く違い、瞳は頼りなく揺れている。けれどその瞳に映った自分を見るのはとても心地よい。アーサーはうっそりと微笑んだ。
「リヴィア……私は君と婚約破棄しない」
その言葉にリヴィアは瞳を見開いた。
「覚えていないだろうが、君は私を好きだと言った。私も君を手放せないと気づいた。だからこのまま君と結婚する」
今度は目を丸くしている。その様が可愛いと思ってしまうのだから、自分はすっかり恋に溺れた愚かな男なのだろう。
エルトナ伯爵の話を聞いて葛藤があった。
けれどこの手に────彼女に触れてしまっては、忘れようと、塞ごうとした気持ちがざわめき膨れ上がり、放たれた。
そしてもうこの気持ちから目を背けるのは無理だと諦めた。
「隣国でも北国でも好きに旅する事を許そう。だがその旅の本分は魔術の研究であり、君はあくまでも皇子妃の公務という制限の中でのみ自由に過ごせる」
ぱちぱちと瞬かせる眦にそっと唇を落とした。
飛び上がらんばかりの反応だったが、アーサーが両手でがっしりとリヴィアを掴んでいるので、距離は全くとれていない。
「すまない……」
申し訳なさそうに微笑むアーサーをリヴィアが困惑しながら凝視している。
「君に幸せになって欲しいと思い、手放す事を考えていた。けれど、君が不幸でも、苦しくても、私は君がいなければ駄目なんだ。だから諦めて欲しい」
片手をリヴィアの頬から離し、髪を掬い取って今度はそちらに唇を落とす。
「諦めて一生私に囚われて生きてくれ」
リヴィアがぎょっと身じろいだ。本音をストレートに言い過ぎたかとアーサーは失言に目をすがめた。
「アーサー殿下……」
直視が耐えられないと言わんばかりに、リヴィアが目を逸らした。こういう反応をされると、まあまあ面白くないと思う。こちらを向いて欲しくて今度は首筋に唇を落とそうかと思案していると、リヴィアが困ったように顔を赤らめこちらを見つめた。
「わたくし、一度失恋しているのですね」
リヴィアの言葉にアーサーは首を傾げる。
「あなたの事を好きだったのに、その気持ちをを忘れてしまったのですから」
「……」
「思い……出したい……です……」
視線を泳がせリヴィアは何か言おうと口を開きかけている。アーサーはその顔をじっと覗きこむ。
リヴィアもまた、アーサーの目を見つめ返した。
「わたくし、あなたの事をもっとちゃんと知りたいです」
「いいよ」
アーサーはリヴィアの両頬に手を添え、その唇に自らのものを重ねた。
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