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第二章 貴族は皆、息吐くように嘘をつく
第47話 自覚
しおりを挟む気絶したまましばらく眠っていた為、夜の寝つきが悪かった。
呆れ顔のシェリルに食事を取りに行ってもらい、セドにはゲラゲラ笑われた後によによ笑いで揶揄われた。色々と居た堪れない。
お風呂も済ませて二人を下がらせれば、眠く無い上やる事も無くて困る。来る前にゼフラーダの陣について調べられるだけ調べてきたが、本や文献は禁帯出だったので、必要な分だけ写しを取り、後は頭に詰め込んだ。
いずれにしてもこれ以上は現地で確認しないと動きようが無いのだが、準導士がいるのならリヴィアには出る幕はないかもしれない。けれどこっそり紛れて研究が出来たら嬉しいな、なんて思いをつい抱いてしまう。
月明かりに誘われるようにベランダに出れば、程よい夜風が身体を撫でた。
「あらリヴィア様。ご機嫌よう」
隣から軽やかな声が聞こえ、リヴィアははっと振り返る。
「いい月夜ね」
そう言ってにっこり笑うライラは相変わらず妖精のように愛らしかった。
◇ ◇ ◇
「ご機嫌ようライラ様」
リヴィアは既に夜着ではあったが礼を取った。あまり格好はつかないが、しないよりましだろう。
隣り合う部屋のベランダで、仕切りに挟まれ対照的な二人が向かい合う。
「ねえ、アーサーと何を話していたの?」
「……」
「焦らさなくていいわ。さっきあなたの部屋に一緒にいたのでしょう?訪ねていったらいなかったもの」
ライラはまだアーサーを呼び捨てにしているのか……リヴィアは思わず眉を寄せた。それに部屋を訪ねるのは当然なのだろうか……ライラはイスタヴェン子爵と結婚した既婚者なのに……
「そんな顔しないで。アーサーはわたくしのものなの」
リヴィアは身体を強張らせた。
「何を言ってるんです」
声が震える。
ライラはふっと目を細めて笑った。
「アーサーは昔からずっとわたくしを大事にしてくれているの。アーサーの愛し方なら知っているもの。あなたへの振る舞は珍獣を可愛がる飼い主みたいだわ」
……もっと他に言い方は無いのだろうか。それでも言い得て妙だと思ってしまう。アーサーは楽しそうに笑うけれど、確かによく悪戯好きの子どものそれを見せる。
リヴィアの中で何かが、もやりと蠢く。
ライラの前でもアーサーの婚約者の振りをする……それは、本当に必要なのだろうか。
フェリクスには他の余計な人間に喋る必要は無いと、暗にライラに言うなと釘を刺された。
けれど嬉々としてそれが出来るかと言えば心は重い。
どう返していいのか分からず、当たり障りのない言葉を選ぶ。
「……ライラ様はアーサー様の事を大事に思っていらっしゃるのですね」
ライラは僅かに見開いた目を、猫のように細めた。
「いいえ愛してるのよ。アーサーがわたくしを、今でもね」
リヴィアは困惑する。
アーサーの話と食い違う。
けれど、急にアーサーの夜会での台詞が思い出されて、リヴィアは更に胸が重くなるのを感じた。否定する声と肯定する声。どちらもアーサーの声で頭に響く。
「それよりあなたはいつまでこんな茶番をするつもりなのかしら」
「……茶番とは……?」
「しらばっくれないて、アーサーがあなたと婚約したという話よ。おかしいでしょう。そんな事」
「……わたくしもライラ様がイスタヴェン子爵夫人となられた時、おかしいと思いましたが」
「────っ!話を混ぜっ返さないで!アーサーがあなたを婚約者に選ぶなんてありえないのよ!あなたなんかを!」
「……」
ああやはりという思いと、何故というものが胸を襲う。
「やはりライラ様がゼフラーダ卿へ伝えたのですね……」
ライラははっと飲んだ息が不味いものであったように顔を顰め、視線を逸らす。
「何の事を言っているのかしら……」
リヴィアはそっと息を吐いた。薄々考えていた事ではあったが、こんなところで確信に変わるとは……昔から嫌われているとは思ったが、まさか婚約破棄の後押しまでされているとは思わなかった。
しかしそれとこれでは話は別で、今はアーサーの婚約者を演じなければならない。
「確かにアーサー様も旧友であるライラ様を大事に思ってらっしゃるのでしょうが、あなたは既にイスタヴェン子爵夫人となられた身。今の言葉は不適切でしょう。……自覚がおありなのですか?」
「あなたに何がわかるの?」
ライラは怒りを乗せた眼差しでリヴィアをきっと睨みつけた。
「お二人は既に道を違えていると申し上げております」
ライラは一瞬目を見開き、何か言おうと唇を震わしたが、目と一緒に一旦硬く閉ざした。
「……弁えなさい。あなたには関係のない事よ」
「そうおっしゃるのなら、わたくしに下らない言いがかりをつけるのもこれきりになさって下さい」
「……っ」
ライラはギロリとリヴィアをひと睨みした後、ふっと口元に笑みを浮かべた。器用だな。
「わたくしはアーサーが心配なのよ。毛色の違う妙な女に好奇心で近づいて、長い人生を棒に振るなんて見ていられないもの。あなたはアーサーの為に何が出来るの?研究?実験?インク塗れの手で書類に埋もれ、身嗜みに気を使わないような女性が皇子妃?ありえないわ」
リヴィアは僅かに目を眇め、ライラを見つめ返した。
「わたくしたちが流行のドレスを纏い、センスの良い宝飾品を選び、話術を学び社交に身を投じているのは、決して娯楽を求めているからではないのよ。そこで戦い、家に利を持ち帰る。そうした貴族女性の考えを否定してきたあなたなど、今更受け入れられる程貴族社会は甘く無いわ。アーサーの負担になるだけよ」
ライラは少しずつ感情が昂っているように、声を張ってくる。
リヴィアは確かに社交を放棄してきた。父の命令があったからだが、これ幸いとその提案を飲み、己の求める事を優先したきたのは他ならぬ自分だ。
翡翠の塔のローブを纏い、書類を抱えて仕事に明け暮れていたリヴィアは、ライラだけでなく貴族女性にはよく言えば稀有。悪く言えば異端と映る事だろう。
ただ服装を変え化粧を施しただけでは受け入れられまい。
でも自分で選び目指した場所だ。胸を張り誇りたい。例え社交で自分を取り巻く環境が冷ややかなものであったとしても。そして短い期間の契約婚約だとしても、アーサーに恥を欠かせる事もしたく無い。
「努力しますわ」
ライラは一瞬目を見開き、ふっと息を漏らした。
「努力……ね」
その目は今ここでは無い何かを写して空を彷徨い、すっと逸らされた。
リヴィアは、はっと息を呑んだ。
ごめん、とアーサーが呟いた一言が頭を過ぎる。
そして時々何か、躊躇うような海色の瞳。
耳の奥がどくどくと脈打つのを感じる。
「あなたってつくづく邪魔者よね……目障りだわ」
暗い声で一言呟き、ライラは室内へと消えていった。
不穏な言葉ではあるものの、正直今更なところもある。心に何かを残すようなものではなかった。
閉まるドアを見つめ、リヴィアはアーサーを思い浮かべた。顔を上向ければ月が静かに見つめかえしてくる。
月明かりの元で微かな音楽を頼りに踊ったずっと前から、リヴィアはアーサーが嫌いだった。何より父と同じように初恋を引きずっているところが。
彼の子どもはいつか知る事になるだろう。自分の父にはかつて母より愛した人がいた事を。
母を気の毒に思うだろうか。自分のように。父を嫌悪するだろうか。自分がそうしてきたように……
なのにどうして自分の心は振り回されてはアーサーに戻ってくるのか。ダンスを踊っては揶揄われ、婚約者の真似事では珍獣扱い────でも……孤児院で、リヴィアが大事にしていたものを、同じ目線で見てくれた。
魔術院に通う変わり者の令嬢であっても、淑女のように接してくれた。
自分を……認めてくれた────大切なひと。
「わたくしもあなたの役に立ちたいのです」
リヴィアはポツリと呟いた。
ああ、そうか。
リヴィアはやっと気付く。
こうやって人は恋を知るのだ。
いつの間にかアーサーの事ばかり考えている。
婚約者扱いを受けて困っているのは恥ずかしいからで、ライラに会ってアーサーの話を聞くのが辛いのは。
アーサーがライラを受け入れるのが怖いと思っているから。
もし本当に二人が復縁するならば……。
きっとリヴィアが立ち回り、肯定しなければ成り立たないだろう。
……アーサーは凄い。大事な人の幸せを願い、その背を見送ったのだから。
……苦しくなかったのだろうか。辛くは……けれど……
「それがわたくしの役どころ」
どこかで分かっていた。
同じじゃないか、父と。
流石親子だ。
頭が納得し、心が砕けそうになる。リヴィアは今にも泣き出しそうな顔を両手で覆い、自嘲するように笑った。
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