上 下
4 / 110
第一章 予想外の婚約破棄

第4話 余計な一言

しおりを挟む


 先程女性が殿下と言っていたのを思い出す。
 淡い金髪に金の刺繍がされた黒のフロックコートがよく似合っている。すらりと高い背に皇族の特徴である整った面差し。思わずじっと観察していると、探るようにリヴィアを見ていた海色の瞳と目が合う。
 なんとなく罪悪感から後ろに下がると、肩が何かとぶつかった。
 そろりと首だけ斜め巡らせると、冷然とした態度の男性が目に入る。燃えるような赤毛に榛色の瞳。……そして感情を表さない白磁の顔は、何とも綺麗に整っていた。
 前門の美丈夫後門の美形……東の国にそんな言葉があったような気がする……。

「申し訳ありません」

 思わず妄想にふけっていると、赤毛の男性が淡々と答える。
 これはリヴィアにではなく、目の前の金髪の青年────アーサーに対しての言葉だ。
 金と赤。黒髪のリヴィアとはなんとも対照的な明るい色の二人だなとどうでもいい事を思いつつ、リヴィアはすっと背筋を伸ばし、淑女の礼をとった。

「わたくしは今日の夜会のホストのフォロール子爵の姪のリヴィア・エルトナと申します。失礼ですが、お二人はこちらで何を?」

 アーサーとは先程挨拶をしたが、自分など覚えてもいないだろう。とりあえず知らない振りで通す事にして、何もやましい事などしていないのだと見えるよう、淑女の微笑みを顔に貼り付ける。

「勿論覚えていますよ、リヴィア嬢。それであなたには何をしていたように見えた?」

 ふ、と鼻で笑うように返されて、そのまま固まる。
 酷い人────。リヴィアは口の端を引き上げた。

「そうですわね。ご令嬢を虐めていたように見えましたわ。紳士が二人で掛かりで、失礼ながら情けないですわね」

 過ぎた物言いにアーサーは目を丸くしている。が、思わずといった風に吹き出して笑い出した。

「流石は婚約破棄されるだけの事はあるご令嬢だ」

 リヴィアは喉の奥がぐうっと唸るのを何とかやりすごす。
 何とも遠慮の無い人だ。
 かと言って売り言葉に買い言葉で、これ以上皇族相手に礼を失すれば、罰を受けるのはリヴィアだけでは済まないだろう。

「おや、言い返さないのか?」

 険のある目を向けていると、アーサーは意地悪な笑みを向けてくる。

「遠慮しなくてもいい。私は忌憚の無い意見が好きだし、飛び入りで参加した夜会でそこまでマナーにうるさくは言わないよ」

 ……言質はとったと思ってもいいだろうか。
 リヴィアはにっこりと微笑んだ。

「ええ、勿論わたくしも気にして気にしておりませんわ。そもそも、わたくしのはただの婚約解消で、殿下の傷心の失恋とは程度が全く違いますし。傷をえぐるようでとても言えませんが、女性にいい寄られて、他の女性の名前を出すなんて恥知らずもいいところですわ。正直先程のご令嬢は男性を見る目は無いかもしれませんが、意気地のない、いつまでも女々しい男に捕まらなくて暁光ですわよね。」

 ここまで一気に話してまた目を丸くしているアーサーに、いくらか溜飲がさがる。ここで辞めておけば良いものを、つい余計な一言が口から続く。

「まあ、殿下もそうやってずっと一人で唯一の女性を愛し続けて、あのご令嬢ももっと素晴らしい男性と巡り会って、お互い幸せになるんですから万々歳ですわよね。あら、傷をえぐるどころか、ただの幸せの掲示でしたわ。」

 うふふとしめくくったら、流石にアーサーはふと表情を無くした。
 しまった。と、思わず口元に手を添えるが、飛び出した言葉はもう戻らない。

「……確かにそうなるのは困るな」

 僅かに下がった溜飲も、ふと細められた不穏な眼差しに思わず怯みかき消される。

 ……やはり言い過ぎただろうか。忌憚の無い意見が好きと言っていたのに。嘘吐きだ。

 後ろに下がろうと身動ぎすると同時に、アーサーの腕がリヴィアに向けて振り下ろされるのが見え、はっと身を竦めた瞬間には、彼の手がリヴィア目の前で差し出されるように止まっていた。
 ぱちくりと目を瞬かせるリヴィアの手をそっと取り、甲に口付けを落とす様を見て、慌てて手を引っこ抜こうとした。が、思いの他強く握られており、自分の腕なのに取り返せない。
 焦るリヴィアにアーサーは余裕の笑みで、目を細めて口を開いた。

「改めましてこんばんは。私はアーサーといいます。リヴィア、もし貴方が誰のものでもないのなら、私に貴方の時間をひと時いただけませんか?」

 低く艶めいた声で囁かれ、思わず固まる。間近でじっと見つめてくるアーサーの海色の瞳に、ジワジワと顔に熱を持つのが自分でも分かった。

 社交をしていないリヴィアは男性に免疫なんてない。

 ダンスだって、父や伯父の知り合いと、若い男性ならせいぜいレストルと踊るくらいの経験しかない。
 それでも、アーサーの瞳の奥にはどこか試すような色が見えた気がして、リヴィアは奥歯をぐっと噛みしめ勤めて冷静さを取り戻す。
 そもそもリヴィアは婚約破棄された令嬢で、アーサーだって知っている筈だ。こんなものは社交のうちにも入らない茶番だと必死に言い聞かせていると、

「……リヴィア?」

 海色の瞳に覗きこまれているだけなのに、息が止まりそうになる。

「わ、わたくしは婚約破棄された令嬢なのです!ご存知でしょう!ですが……こんなところでダンスなどいたしません!」

 淑女らしい笑顔もできず、取り乱した話し方しかできない。それでもここでアーサーの要求を飲み踊ってしまえば、取り返しのつかないものに捕まりそうで、リヴィアは必死に抵抗した。
 アーサーはリヴィアの手を握り直して引っ張り、腰をぐいと引き寄せた。

「ではリヴィア。広間までお連れしても?」

 その言葉にリヴィアはひっと息を飲む。今日はレストルにエスコートされただけで一日ご令嬢方からの視線が痛かった。挙句に婚約破棄の話まで出された位だ。人気の高い紳士が近くにいるだけでどうなるか、リヴィアは身をもって知っている。慌ててぷるぷると首を横に振る。

「ではここで一曲踊っていただけますか?」

 しっかりホールドされた状態で、耳元で低く囁かれ、今度は憤死しそうになる。
 世の貴族女性はこんな事に慣れているのか。なんて尊敬に値するのだろう。自分など、あの雑多な研究室で、工具に囲まれ秘書にどやされ、室長から謎の期待を受けながら魔道具を作っているのがお似合いだ。そのまま頭にキノコが生える自分の妄想にふけっていると、アーサーの唇が耳を掠めて身体が跳ねた。

「ねえ、私の腕の中で何を考えているのです?」

 声にならない悲鳴が喉の奥で跳ね、妙な音が出そうになるのを必死に堪え首を横に振る。

「……ちょうど次の音楽が始まりそうです。このまま私に身を任せて」

「あの、お待ち下さ……っ」

 するりと月明かりの下に連れ出され、アーサーに導かれ音楽に合わせて滑るように踊り出した。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完結】婚約者の好みにはなれなかったので身を引きます〜私の周囲がそれを許さないようです〜

葉桜鹿乃
恋愛
第二王子のアンドリュー・メルト殿下の婚約者であるリーン・ネルコム侯爵令嬢は、3年間の期間を己に課して努力した。 しかし、アンドリュー殿下の浮気性は直らない。これは、もうだめだ。結婚してもお互い幸せになれない。 婚約破棄を申し入れたところ、「やっとか」という言葉と共にアンドリュー殿下はニヤリと笑った。私からの婚約破棄の申し入れを待っていたらしい。そうすれば、申し入れた方が慰謝料を支払わなければならないからだ。 この先の人生をこの男に捧げるくらいなら安いものだと思ったが、果たしてそれは、周囲が許すはずもなく……? 調子に乗りすぎた婚約者は、どうやら私の周囲には嫌われていたようです。皆さまお手柔らかにお願いします……ね……? ※幾つか同じ感想を頂いていますが、リーンは『話を聞いてすら貰えないので』努力したのであって、リーンが無理に進言をして彼女に手をあげたら(リーンは自分に自信はなくとも実家に力があるのを知っているので)アンドリュー殿下が一発で廃嫡ルートとなります。リーンはそれは避けるべきだと向き合う為に3年間頑張っています。リーンなりの忠誠心ですので、その点ご理解の程よろしくお願いします。 ※HOT1位ありがとうございます!(01/10 21:00) ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも別名義で掲載予定です。

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と

鳳ナナ
恋愛
伯爵令嬢アムネジアはいじめられていた。 令嬢から。子息から。婚約者の王子から。 それでも彼女はただ微笑を浮かべて、一切の抵抗をしなかった。 そんなある日、三回目の婚約破棄を宣言されたアムネジアは、閉じていた目を見開いて言った。 「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」 その言葉を皮切りに、ついにアムネジアは本性を現し、夜会は女達の修羅場と化した。 「ああ、気持ち悪い」 「お黙りなさい! この泥棒猫が!」 「言いましたよね? 助けてやる代わりに、友達料金を払えって」 飛び交う罵倒に乱れ飛ぶワイングラス。 謀略渦巻く宮廷の中で、咲き誇るは一輪の悪の華。 ――出てくる令嬢、全員悪人。 ※小説家になろう様でも掲載しております。

彼女があなたを思い出したから

MOMO-tank
恋愛
夫である国王エリオット様の元婚約者、フランチェスカ様が馬車の事故に遭った。 フランチェスカ様の夫である侯爵は亡くなり、彼女は記憶を取り戻した。 無くしていたあなたの記憶を・・・・・・。 エリオット様と結婚して三年目の出来事だった。 ※設定はゆるいです。 ※タグ追加しました。[離婚][ある意味ざまぁ] ※胸糞展開有ります。 ご注意下さい。 ※ 作者の想像上のお話となります。

処理中です...