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第十七章

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 日直と掃除当番、ついでにクラス委員の仕事が重なって、小鳩の帰宅は遅くなった。
 早く家に帰って、夕食の支度をしなくては。最近の小鳩はすっかり光熱費や水道代を節約する調理の技術に長けていて、それを少し自慢に思っている。家に帰れば母親が夕食の準備をしてくれていて、するのは食後の皿洗いくらいの同級生とは違うのだ。
 もっとも、たとえば調理実習のとき。そのようなことを少しでもにおわせでもすれば、くすくすと笑いながら貧乏だ一文なしだと口汚く罵る同級生もいて、だから悟られないように努力するのだが、手際のよさはどうあっても隠せない。
 今夜は、どんなメニューにしようか。そう考えながら、長屋の錆びに軋む階段をあがって鍵を出す。家のドアを開けたのと同時に、小鳩はその場に立ち尽くした。
「あぁ……、あ、ん、……っ……」
 女の声。奇妙に歪んで響くそれは、懸命に堪えられてはいたが、あからさまに艶めかしく洩れる、女の喘ぎ声だ。
「や、……だ、め……、小鳩ちゃん、帰って来ちゃう」
 自分の名が出て、どきりとした。そしてそれが、美咲の声であることに気がついたのだ。
「帰ってきても、構わねぇよ」
 乱れた荒い息とともに吐かれるのは、昂志の声だ。いつになく、乱暴で蓮っ葉な言葉遣いだ。
「小鳩に、見せてやればいい。大人は、こういうことするんだってな」
「ばか……、なに、言って……、やぁ、ああ、ああんっ!」
 美咲の声が、甲高くなった。同時にぐちゅ、ぐちゅ、と濡れた音がして、その音はだんだん激しくなる。
「やめて……、だめ、昂志、ぃ……」
 だめ、と言いながら、美咲は行為にすっかり溺れてしまっているようだ。声はどんどんと艶を増して、聞いている小鳩の胸が、どきどきと鳴ってしまうくらいだ。
 ちらり、と台所のほうを見る。昂志が、畳のうえに横になっていた。その下半身に美咲がまたがっていて、しきりに腰を上下させている。
 ふたりとも制服はまとったままで、ただ美咲のセーラー服のスカートだけが大きく引きあげられていて、ショーツをつけていない彼女の陰毛が、見えた。
 昂志の腰が激しく上に下にと動き、そのたびにずく、ずく、と音がする。昂志は、自分の上に乗っている美咲を突き上げているようだ。
 騎上位、という恰好でするセックスがあることを、小鳩は知っていた。もちろん保健の授業で学んだわけではない。淫猥な雑誌記事から得た知識を目の当たりに、小鳩は動けないでいる。
「ふ、っ……、ぅ……っ……」
 昂志の声が、美咲の喘ぎに混じって聞こえる。今まで一度も聞いたことのない、艶っぽく色めいた昂志の声――小鳩の背に、ぞくぞくっと腰の砕けてしまいそうな悪寒が走った。
「昂志、昂志……ぃ……」
 しかしその感覚は、重なる美咲の嬌声にかき消されてしまう。美咲はしきりに昂志を呼び、今まで起こしていた体を、前に倒す。
「昂志……」
「美咲」
 そして、ぬちゃぬちゃという音が聞こえてきそうな、キス。ふたりとも互いを貪るかのようで、昂志は腕を伸ばし、美咲を抱きしめた。美咲も昂志の肩に手をまわし、抱きあう。
 ――お兄ちゃん……!
 兄とその恋人のセックスに見入っていた小鳩は、彼らの抱擁にはっとした。下半身は繋がり音の立つキスを交してはいるが、そんな中互いを愛おしむように抱きあう姿は彼らが愛しあっているのだということを如実に現わしていて、小鳩を我に返らせたのだ。
 ――お兄、ちゃん……!
 小鳩は、くるりと踵を返した。かばんを放り出し、ドアを開けて家を飛び出す。かんかんと耳障りな音を立てながら階段を降り、走った。
 どこか遠く、できるだけ遠く――兄と、その恋人から、可能な限り距離を取って――彼らの愛しあうところなど、見ないで済むように。彼らのあげる声、立てる音を聞かずに済むように。
 小鳩は、走った。息が切れても、足がうまく動かなくなってもなおも走り、見知らぬ風景の中を、ただひたすらに駆け抜けていった。


 息ができなくなり、膝もがくがくとまともに動かない。
 そこでやっと小鳩は足を止めた。咽喉がいがいがして、血の味がする。足には力が入らなくて、その場に座り込んでしまう。
 ここはどこだろう――ぼうぼうと深く茂る草のうえ、誰もいない静かなところに、小鳩はひとりでいた。
 まわりを見まわすと、塗装が剥げ古びたうさぎ――だと思われる――の像がある。見ればりすや猿もいて、いずれも鼻や腕が欠け、触るのも恐いほどぼろぼろであるところから、かつては子供たちが遊んでいた公園だと思われた。しかし今では見捨てられ、人が近づくこともない寂れた場所なのだ。
 あたりは、もう暗い。いくら学校の用事で遅くなったとはいえ、今はいったい何時だろう。街灯もないから薄ぼんやりとしかあたりは見えず、なおもはぁはぁと激しく息をしながら、小鳩はきょろきょろとまわりを見まわす。
 人に忘れ去られ、埃だらで草ぼうぼうの公園に、ひとり。小鳩には、急に恐怖が湧いてきた。こんなところにいちゃいけない、早く帰らないと。
 ――どこへ?
 家には、帰りたくなかった。たとえ美咲がもういなかったとしても、小鳩の目には、耳には、はっきりとふたりのセックスの様子が焼きついている。こんな状態で、昂志に会えるとは思えなかった。
 会いたくない――あんなに愛おしそうに、美咲を抱く昂志になんて。二度と見たくない。小鳩のことなど頭のどこにもなく、ただただ美咲のことだけしか考えていないような昂志になんて。
 それでいて、どうしようもなく兄が愛おしくて。ああやって呼んでもらえるのが自分だったら――そんな考えを抱いてしまうのだ。
「お兄ちゃん……」
 少し治まった息で、小鳩はつぶやく。「小鳩――」あの艶めかしい声で、自分を呼んでくれる妄想に浸りながら、小鳩は草むらの中に座り込んでいた。
「お兄、ちゃ……」
「おう、なんだ?」
 どきり、とした。心臓が口から出かけた、というのはこういうことをいうのだろう。聞こえたのは、野太い男の声だった。
「お兄ちゃんだよー、どうしたのかな、かわい子ちゃん」
 小鳩は振り向いた。そこには、開襟シャツの前を腹あたりまで開け、ズボンを腰までずらして履いている男が、三人立っていた。にやにやと笑い、ひとりはくわえ煙草で、どう見ても小鳩が普段縁のある種類の人間ではない。
「こんなところにいるなんて、悪い子だなぁ」
 そのうちのひとり、スキンヘッドの男が、言った。
「せっかくこんなところにいるんだから、遊んでよ」
「そうそう、遊ぼう。ここ、公園だしねぇ」
「すべり台もぶらんこも錆びてぼろぼろだけど、俺たちの遊びには関係ないよなぁ」
 もうひとりは、指にやたらに派手派手しい指輪をいくつもつけている。男たちが、一歩一歩近づいてくる。小鳩はひとつ、大きく震えた。
「や、ぁ……」
 逃げようとした。しかし小鳩の息はまだ整わず、膝はがくがくとしていて走るどころか、立ち上がることもできない。小鳩の全身が、震え始める。
「なぁ、遊ぼう?」
「名前、なに? お兄ちゃんがいるんだ? なら、俺たちもお兄ちゃんになってあげるから、一緒に遊ぼうよ」
「いや……、っ……」
 小鳩は草むらの中、掠れた声でそう言った。それは小鳩にできるかぎりの抵抗で、しかし、男たちは、一歩踏み出すことで小鳩の努力を踏みにじった。
「高校生……じゃないよな、中学生?」
 ひゅう、とくわえ煙草の男が言った。
「俺、中学生初めて」
「マジ? 意外。小学生とかも食ってると思ったのに」
「俺、そこまで鬼畜じゃねぇよ」
「けけっ、誰が鬼畜じゃないって?」
 男たちは、好き好きにしゃべっている。彼らの大きな手が伸びてきた。小鳩はいきなり草むらに押し倒されて、悲鳴をあげた。
 何をされる? 小鳩は、震えあがる。
「おおっと、よけいな真似、すんなよ?」
「大声出したら、顔に火傷つけてやる」
 ふぅ、と煙を吐き出しながら、煙草の男が言う。顔の傷なんて――小鳩の額には、すでに大きな傷がある。今さらだ。それでも目の前でひと息大きく煙を吐かれ、それが目に入って涙が滲んだ。
「よしよし、泣かなくっていいんだよ」
 スキンヘッドの男が、なだめるように言った。しかし、灼けた声でのそんな言葉は、小鳩の恐怖を煽る効果しかない。
「おとなしくしてたら、気持ちよくしてやるからさぁ」
 指輪の男が、小鳩の右手を草むらに押さえつける。左手を押さえつけたのは、煙草の男だ。そして、スキンヘッドの男が小鳩の下半身に、手をやった。
「や、ぁ……っ!」
「さぁて、中学生のアソコは、どんなのかなぁ」
 歌うように男は言って、スカートをめくった。小鳩は抵抗しようとし、懸命に足を振り上げる。
「いてっ!」
 小鳩の膝は、うまく男の背に入った。しかしそれは逆効果だったらしく、男はきっと目をつり上げ、小鳩を睨む。ただでさえ人相の悪い男たちだ。睨まれる恐怖は今まで経験したことのないもので、小鳩の体はますます震える。
「俺たちが、遊ぼうって言ってるのに。蹴るなんて、悪い子だな……」
 男の手が、小鳩のセーラー服の胸もとにかかる。びりっ、と音がして、布が破れたのがわかった。夏ものとはいえ、衣服を引きちぎるなんてどれほどの力だろう――そんな男たち三人に、のしかかられて。
「うひゃー、ちっちゃいおっぱい!」
 嬉しそうに言ったのは、指輪の男だった。彼は手を伸ばし、ブラジャー越しの乳房をぐいと掴む。
「や、いや! やめて!」
「ブラジャー、鬱陶しいよ。外しちまえ」
「おう」
 布の裂ける音がして、ブラジャーも破られる。上半身を剥き出しに、小鳩は身悶えするものの男たちは力が強くて、そして押さえつける力は巧みだった。
「かっわいい乳首。な、吸っていい?」
「おまえ、ロリコンかよ。俺は、こんなぺったんこは興味ねぇなぁ」
 指輪の男が、小鳩の胸に吸いつく。誰も触れたことのない胸は、男に掴みあげられ、先端を吸われた。ちゅう、ちゅう、とあがる音はおぞましく、伝わってくる感触はただただ気持ち悪くて、小鳩は目の前が真っ白になるほどの恐怖に震える。
 右も、左も、さんざんに嬲られる。悪寒は小鳩を包み、体中に君の悪い虫が這い回るような感覚に、声をあげる。しかし小鳩の悲鳴に応えるのは男たちばかり、忘れ去られた公園で魔手にかかる少女の声を聞く者は、いない。
 その間にスカートがまくりあげられ、ショーツが引き下ろされた。ショーツを破らなかったのは、たまたまなのか男たちのせめてもの慈悲か。
「うっひょー、中学生のアソコ、ご披露ーっ!」
「かわいいなぁ、男なんか、知らないんだろうなぁ」
「やめて、やめて……、っ……!」
 男たちに腰を押さえられ、大きく足を拡げさせられている。どれほど体をひねっても、身動きすらできない。舌なめずりせんばかりの男たちは、めいめい息を荒くしながら腰で留めてあるベルトをはずし始めた。
「おい、俺が先だぞ」
「おまえ、おっぱい吸ったじゃないか。俺が先だって」
「俺が先だ、退け」
 くわえ煙草の男が、ぺっと煙草を吐き出す。そして小鳩の目の前に――ああ、これが男の欲望の徴だというのだろうか。兄も、恋人にこのようなものを差し入れあのような艶めかしい声をあげさせていたというのか。
 それは、あまりにもグロテスクだった。黒々と光り、血管が浮いて妙な模様を作っている。太さは、小鳩の腕ほどあるかもしれない。ぬめぬめと光るそれは、小鳩に見せつけるように鼻先に押しつけられ、小鳩は声をあげて顔を逸らせた。
「さ、中学生のアソコ……処女だろうな?」
「いいや、わからんぞぉ? 最近の子だからなぁ」
 勝手なことを言い合う男は、そのグロテスクなものを、開いた小鳩の秘所に押し当てる。ぺたり、と先端が触れて、怖気に小鳩は何度も背を震った。
「やだ、やだ、や……、や、め……っ……」
「やめねぇよ」
 言って、男は一気に腰を突き上げる。小鳩は、悲鳴を失った。
 ――痛い、痛い、痛い、痛い!!
 想像を絶する痛みに、小鳩は背をわななかせて痙攣する。何も押し通ったことのない清らかな秘所を、異形が貫く。それは容赦なく隘路を引き裂き、引いては突き込み、奥へ奥へと進んでいく。そのたびに強烈な痛みが小鳩を襲い、それは抵抗の身悶えさえも忘れさせるほどの激痛だった。
「マジで、処女……」
「ひっでぇ! 処女、やってみたかったのに!」
 スキンヘッドの男が、悔しそうに言う。
「早く、早くさせろよ。おまえばっかり、味わってんじゃねぇ」
「まぁ、待てよ。お嬢ちゃん、おとなしくなったじゃねぇか」
 おとなしくなったわけではない。あまりの痛みとおぞましさに、反応もできなくなったのだ。何度も何度も荒い息を吐き、しきりに剥き出しの胸を上下させることが小鳩にできるせいぜいのことだった。
 ずくん、と痛くて重い衝撃があって、小鳩は咽喉を嗄らす。そんな小鳩の耳もとに、犯す男は声をかけてきた。
「お兄ちゃんがいるんだろう? いい兄貴っぽいじゃねぇか。仲、いいんだろ?」
 なぜ、この男はこのようなことを知っているのだろう。小鳩は思わず目を見開き、男を見た。いやらしく歪んだまなざし、煙草のヤニで汚い歯。彼は、まるで小鳩の胸の奥を読むように言ったのだ。
「おおっと、目、瞑りな。兄貴だって思えよ。仲いい兄貴だったら、ヤラれるのだってありだろう。おまえ、兄貴にヤラれてんだよ」
「おにい、ちゃ……」
「そう、お兄ちゃん、だ」
 妙に優しい声でそう言って、男はまた腰を突き上げた。衝撃は重く、指の先にまで走る痛みに小鳩は悲鳴をあげ、その悲鳴を押さえつけるように
「名前、なんて言うんだ?」
 昂志とはほど遠い、ひび割れたような声で男は言った。しかし彼の繰り返す、兄との言葉に小鳩の意識は昂志のことしか考えられなくなって、目の前の男ですら昂志と錯覚するほどに、意識は遠のき真っ白に汚れていた。
「こばと……」
「そうか、小鳩。お兄ちゃんだよ。お兄ちゃんが、小鳩をヤってあげるから」
 そう繰り返しながら、男は腰を突く。この痛みは、兄の与えるもの。兄の行為。小鳩の掠れた心はそのように思い込み、お兄ちゃん、お兄ちゃん、とか細い声で繰り返した。
「へへ、この女、兄貴にヤられてよがってんのか?」
「ブラコンってやつ? いや、違うか。兄貴とヤルんだから、キンシンソーカンっていうやつだよ」
「うぇぇ、キモ。ま、この子美人だしな。キモいのもまた、オツってかぁ?」
 男たちは、交互に何度も、小鳩を犯した。煙草の男の次は、スキンヘッドの男。そして指輪の男。彼らは小鳩の、清廉だった秘部を何度も擦り立て、傷をつけて血を流させた。繰り返し、繰り返し、感覚がなくなってしまうほどの衝撃の中、小鳩の意識は徐々に濃く、昂志のことで塗りつぶされていく。
 ――お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃ……!
 お兄ちゃん、お兄ちゃん、と何度も何度も、繰り返しながら小鳩は犯され続け、いつの間にかあたりは、完全な闇に包まれていた。
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