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第2部
2038年5月10日(月) 2
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濃紺の絨毯が敷かれた部屋には、額に入れられた日の丸の旗が壁に飾られ、その前に重厚な書斎机と革張りの黒い椅子が置かれている。椅子には恰幅が良い背広姿の初老の男が座っていた。国防大臣の奥野恵次郎である。隣には赤いネクタイをした背広姿の男が立っている。国防省情報局長の増田基和だった。二人は鼎談用の立体電話機で司時空庁長官の津田幹雄とホログラフィー通話をしていた。
奥野恵次郎は椅子に深く座ったまま、机の向こうに投影されて浮かんでいる津田幹雄のホログラフィー映像を指差し、低く太い声で言った。
「それで、襲撃してきた連中の正体は判ったのか」
ホログラフィーの津田幹雄は言った。
『いいえ。現在、我々のラボで連中が所持していた武器の残骸を調べていますが、解析には時間が掛かりそうです。なにせ、ほとんど全て溶かされていますから』
奥野恵次郎は横を向いて言う。
「敵兵の身元も判明しないのか」
増田基和が答えた。
「はい。極微量の骨の一部しか残っていませんでしたので」
奥野恵次郎は鼻から強く息を吐くと、眉間に皺を寄せた顔を前に向けた。
「津田君。物理科学の専門家に任せるより、軍事の専門家である我々の方で分析した方が早いのではないか」
ホログラフィーの津田幹雄が頷いた。
『ごもっとも。ですが、襲撃されたのは司時空庁の施設ですので、まずは我々で進めさせていただきたい。現場から回収した残骸等は、こちらの分析が済み次第、その結果資料と共に、早々に国防省の方に回すように指示は出しております』
奥野恵次郎は顔を曇らせた。
「ううん。――増田君、現時点での情報局の分析は」
「はい。敵は訓練された傭兵集団。人数は十二名。屋外の足跡を分析しましたところ、建物に侵入しなかった支援要員が他に十二名いたと推測されます。したがって、合計二十四人で構成された部隊だったかと」
奥野恵次郎は肘掛を叩いた。
「つまり、一個小隊だけで攻撃してきた訳か。なめられたものだな。それで、武器は」
「警備カメラの動画の解析では、奴らが使用した銃火器・爆発物はいずれもプロトタイプの最新式であり、まだ、どの国の軍隊でも正式には実戦配備されていないモノばかりですので、詳細は不明です。ただ、熱溶解爆弾については、英国陸軍が来期に納入する予定のモノと同タイプだという情報を得ています」
「製造元は」
「クンタム社です」
「なるほどな」
奥野恵次郎は厳しい顔のまま頷く。
ホログラフィーの津田幹雄が言った。
『クンタム社は、保有していた特許のほとんどを奴らに握られているはずでは。だとすると……』
奥野恵次郎は椅子の背もたれから背中を離し、机の上に両肘をつくと、組んだ指の上に顎を乗せて言った。
「ま、軽々に答えは出せん。それに、この件には警察庁の子越も首を突っ込みたがっているようだ。今回の襲撃を刑事事件として立件するつもりだろう。そうなると、部外者が絡むことになり、いろいろと厄介だ。まずは目先のことから早めに手を打つ必要がある」
増田基和は言う。
「ですが、こちら側の被害を考えますと、手続上、警察の関与は避けられないのでは」
「どの程度の被害なんだ」
「司時空庁STSの隊員四名が死亡。五名が負傷、内三名は重症です」
ホログラフィーの津田幹雄は、増田の方を指差して声を荒げた。
『そんなことはどうでもいい。ウチの施設が滅茶苦茶に破壊されたんだぞ。あのシャンデリアがいくらすると思っているんだ!』
「津田君」
奥野恵次郎は津田の発言を制止すると、すぐに増田の方に顔を向けた。
「増田君、君のところの部隊からは、何人の犠牲者が出た」
「いえ、一人も」
「そうか、良かったな」
剣幕を変えて何度も増田を指差しながら、ホログラフィー映像の津田幹雄が口を挿む。
『良くはない。おたくから借りた兵士が、あの高級シャンデリアを半壊させたのかもしれないのだぞ。狙撃手を配置していたそうじゃないか。あんな所に。いったい何を考えているんだ!』
増田基和は淡々とした口調で津田に言った。
「腕は確かな者ですので、あの程度の装飾品なら、避けて撃つくらいは確実にできるはずです」
津田のホログラフィー映像は増田を指差すことをやめない。
『現に半壊したんだぞ。あんな高価なシャンデリアが。いくらの品か分かっているのか』
増田基和はホログラフィーの津田の顔を見て答えた。
「兵士一人の命に比べれば、そう高くはないかと」
津田幹雄は鼻で笑った。
『フン。国防軍の兵士はスーパー・ジャンボ・ジェット数機分の稼ぎがあるとでも言うのかね。ふざけるな。何のために、あんたが指揮する部隊からうちのSTSに兵士たちを出向させたと思っているんだ。最高の兵士を揃えていると聞いたからじゃないか。これだけの被害を出しておいて、どこが最高の兵士なんだ』
奥野恵次郎が眉間をつまみながら、津田を宥めた。
「分かった、分かった。もういい。――では、増田君の部隊の兵士はSTSから軍に戻そう。その代わりに陸軍から中隊二個をSTSに送る。それで発射施設の警備を強化すればいい。どうだね」
津田幹雄は割れた顎を触りながら言う。
『ほう。それは有難いですな』
奥野恵次郎は津田のホログラフィー映像を指差して言った。
「どちらにしても改装工事中だったんだろ。この際だから、思い切りリフォームすればいいではないか。外部には工事中の爆発事故だと言えばいいし、その際に兵士が巻き込まれたという話であれば、国から遺族への補償金も十分に出るはずだ。問題なかろう。それでいいね、増田君」
奥野恵次郎が横を向くと、増田基和は姿勢を正して答えた。
「は。私の指揮下の人員につきましては、早急に撤収させます」
『ああ、そうしてくれたまえ』
津田幹雄も不機嫌そうに言う。
増田基和は奥野に言った。
「それから……」
「なんだね」
「調達局の津留局長から、熱溶解爆弾の残骸を引き渡すように要請が出ています。いかがいたしましょう」
奥野恵次郎は再度鼻から強く息を吐いた。
「国防装備品の調達に、外国装備の分析は不可欠か……」
口を引き垂れて暫く思案していた彼は、机の向こうのホログラフィーに指先を向けた。
「津田君、わかったな。そういうことだから、熱溶解爆弾の残骸は直ちにウチの調達局に回したまえ。どうせ、君らの所で分析できる品ではない」
『分かりました……』
津田幹雄は不請不請と返事をした。
奥野恵次郎は不満そうな顔をしている津田のホログラフィー映像に人差し指を振りながら言った。
「とにかく、国防省と司時空庁は表裏一体だ。そのことを忘れないでくれ。余計なトラブルは避けたい。いいな」
『承知しております。大臣』
「うむ。君も分かっているだろうが、今は大事な時だ。国内治安と人命救助は警察と防災隊に任せておけばいい。だが、彼らでは国の舵取りは出来んよ。我々の発言権を確固たるものにするためには、もう少し司時空庁に頑張ってもらわんとな。修繕を急いで、次の乗客をしっかりともてなしてくれたまえよ。大事なのは、おもてなしの心だからねえ」
津田のホログラフィーは奥野の顔を見据えて言う。
『はい。しかし、問題が一つ』
「問題? なんだ」
『マスコミに一部、感づかれたかもしれません』
「マスコミに? どこの」
『新日ネット新聞社です』
奥野恵次郎は大きく溜め息を吐いた。
「また厄介な所に。あの新聞は中道を謳ってはいるが、ただの捻くれ新聞だ。まあ、大規模なゴロツキ新聞だと言っても過言ではない。役所が発表する事実について、いちいち調べ直して、ああだこうだと言い出す。国の言うことを信用しない馬鹿共だ。けしからん。――で、どこから漏れたんだ」
『それが、現在我々の内部で情報をリークした者を探していますが、見つかりません。もしウチの内部に居ないとすると……』
津田のホログラフィー映像は増田に目を向けた。それを見た奥野恵次郎が逆に津田のホログラフィーをにらみ付けて声を低めた。
「つまり、国防から情報が漏れたというのかね」
津田のホログラフィーは慌てて首を横に振る。
『いいえ。――ただ、可能性は否定できないと申し上げているのです』
すると、増田基和が横を向いて言った。
「大臣、確かに長官の仰るとおり、可能性は否定できないと思われます。金曜日の襲撃では、敵兵団は直接あの階層に攻撃してきました。敵がその前に施設内を探索した痕跡はありません。つまり、敵は事前に田爪瑠香の所在を部屋の位置まで特定して把握していたものと思われます。しかも、攻撃の時間帯も、通常は隊員の交代の時間です。シフト上、どうしても隙が生じる時間帯を狙われました。STS部隊の配備計画が漏れていた可能性も懸念されます」
奥野恵次郎は眉間に深く皺を寄せた。
「誰かが裏切っているということか」
「作戦を把握していた人物は少数ですので、的は絞られてくるかと。ですが、外部から情報を探られたおそれも考えられます。その両方を視野に入れた調査が必要かと存じます」
『外部から……まさか、新日新聞社も奴らと繋がっているのか?』
奥野恵次郎は椅子の背もたれに身を倒しながら呟いた。
「それは別口かもしれんが……」
そして、津田のホログラフィーを見据えた。
「まあ、漏れるとすれば司時空庁からだと思うがね。軍属も軍人も口は硬い。それに、田爪夫人が居住している部屋の番号は、我々にも知らされていないではないか。どうやってウチから情報が漏れると言うんだ」
津田幹雄は片笑みながら言った。
『それは奇異な。では何故、あの階に居た兵士たちは、通常の勤務シフトより三十分もずらして交代シフトを組み直していたのですかな。しかも、重火器や狙撃兵まで準備して。情報局としては、彼女の位置を把握されていたのでは』
ホログラフィーの津田に指差された増田基和は、再び淡々とした口調で言う。
「我々は常に最悪を想定して計画を立てます。あの交代シフトなら、我々なら、あの時間帯を狙います。故に、相応の対処をしていたに過ぎません。逆に、我々に田爪瑠香のことを知らせてくれていれば、もっと効率よく警備し、前線で敵を食い止める手立てを講じられたはずです。犠牲者も出さずに済んだかもしれない。実に残念です」
津田幹雄は鼻で笑った。
『ふん。相当な自信だな』
津田と増田は歳が近い。津田幹雄は、この増田基和という男を警戒していた。
増田基和は謎の多い人物だった。彼は奥野や津田のように文民ではない。軍部の現場を上り詰め、政府とのパイプ役として働くまでになった男である。現場指揮権までを有する彼は、本来ならば「制服組」と呼ばれる上級軍人であるはずだが、いつも背広姿で国防省官僚の中に混じって活動し、時には政策会議にも国防大臣の補佐役として参加していた。「増田学校」と呼ばれる独自の派閥組織を軍内に形成しているとの噂もある。官僚同士の出世競争を勝ち抜き、司時空庁長官として行政権力の中で大きな発言権を握った津田幹雄にとって、自分の大きな後ろ盾となっている奥野恵次郎の側近として働く増田基和は、注意すべき利き駒の一つだった。
険悪な雰囲気の中で、奥野恵次郎が呟く。
「ストンスロプ社しかないな……」
『ストンスロプ社?』
聞き返した津田に、奥野恵次郎が指を振りながら言った。
「そうだ。あそこに頼んで、大至急、接近戦用の小型防衛ロボットを揃えてもらおう。先月、海軍の掃海艇に配備したばかりだから、余っているのが数体はあるはずだ。自律式の二足歩行型なら『IMUTA』を使って統合管理できるし、不眠不休のロボットなら、人員シフトの問題を考える必要も無い。これを待機施設の警備に配置しては。どうだろうか、津田君」
『ええ。そうしていただけると助かります。ストンスロプ社とは国防省の方が、何かとパイプが太いでしょうから』
増田基和が険しい顔つきで言った。
「しかし大臣、『IMUTA』を組み込んでいる『SAI五KTシステム』は信頼性が担保されておりません。しかも、システムを構成しているもう一機のコンピューター『AB〇一八』はNNC社製です。NNC社は外国企業。現在、『AB〇一八』の保守管理を行っているのは、その子会社の日本法人NNJ社ということになっていますが、それはあくまで形式上の話です。事実上、あれは外国の管理下にあるとお考えになられた方がよいでしょう。サイバー空間の仮想防衛ならともかく、実弾を発射する武器を備えた戦闘用ロボットをシステムとリンクさせるのは、いかがなものかと」
奥野恵次郎は憮然とした顔で言った。
「だが、システムのもう片方のコンピューター『IMUTA』はGIESCOが開発したものではないか。GIESCOはストンスロプ社の研究機関だろ。軍用ロボットの設計と製造も、GIESCOやストンスロプ社系列の子会社が請負っている。純正のロボットを接続して、問題もへったくれも無いだろう」
「しかし……」
増田の発言を遮って、奥野恵次郎は言った。
「とにかく、これでシフトの問題も解決だな。後は裏切り者のあぶり出しだ。増田君、軍内部の方は任せたよ」
「――了解しました」
増田基和は少し間を空けてから、そう答えた。
奥野恵次郎は増田を指差しながら言う。
「見つかり次第、軍規監視局に逮捕させたまえ。所属の監察官とは、君の部署の方でも情報の遣り取りをしているのだろ」
「はい。必要があれば」
「よかろう。司時空庁の漏洩者の方は、津田長官が抜かりなく調べ、抜かりなく対処するだろうからね。そうだな、津田長官」
奥野恵次郎は鋭い眼を津田に向ける。
津田のホログラフィーは頭を下げた。
『はい。お任せ下さい』
国務大臣の奥野恵次郎は、官僚たちに諭すように言った。
「問題はね、未来なのだよ。これからどうするかだ。物事は大局的に捉え、将来の危険に備えて動かねばならん。そうでなければ、国の舵取りなど出来はせんよ。じゃあ、そういうことで頼んだよ、津田長官」
『分かりました。それでは、失礼します』
津田幹雄のホログラフィーは頭を下げたまま停止し、消えた。
奥野恵次郎は、再び鼻から大きく息を吐いて言う。
「今ので分かっただろう。津田幹雄と言う男は、あの程度の男だ。体はデカイが、中身は小物だ。いざという時には、おそらく使い物にはならん」
「……」
奥野恵次郎は増田に顔を向けた。
「STSからの君の部下の撤収を一日遅らせろ。そして、新日の記者の情報源を探すんだ。小手先の対処では意味がない。元を片付けねば。君、掃除の方は頼むぞ」
増田基和は眉間に皺を寄せて尋ねた。
「消せと」
「君の部下たちを使えば簡単だろう。中心人物を一人始末すればいい。残りは津田にやらせる」
立ち上がった奥野恵次郎は、キャビネットの方に歩きながら言った。
「それから、軍内部の調査は適当でいい。今は南米に派兵している実戦の最中だ。軍内に余計なわだかまりを作るべき時期ではない」
「は。承知しました」
奥野恵次郎はガラス戸の向こうに並べられた酒瓶を見回しながら尋ねた。
「ところで、増田君。総理への報告は」
「は。適宜、了しております」
「総理からの連絡は」
「いえ。特に何も。次回の閣議の際に直接、大臣にお話があるとは仰っておられました」
キャビネットのガラス戸を開けながら、奥野恵次郎は頷いた。
「よろしい。国防軍の最高司令官は内閣総理大臣だが、辛島に何が分かる。今は戦時だ。総理大臣は黙って机の上で書類にサインをしていればいい」
ガラス戸に手を添えたまま振り向いた奥野恵次郎は、机の傍に立っている増田に顔を向け、言った。
「今、国家の平安を担っているのは我々なのだよ。そして将来もな。増田君、しっかりとその点を踏まえて働いてくれたまえ。いいな」
「承知しました」
増田基和は素早く一礼した。
奥野恵次郎はキャビネットから高級ウイスキーの瓶を取り出すと、グラスを一つ握り、片笑みながらガラス戸を閉めた。
奥野恵次郎は椅子に深く座ったまま、机の向こうに投影されて浮かんでいる津田幹雄のホログラフィー映像を指差し、低く太い声で言った。
「それで、襲撃してきた連中の正体は判ったのか」
ホログラフィーの津田幹雄は言った。
『いいえ。現在、我々のラボで連中が所持していた武器の残骸を調べていますが、解析には時間が掛かりそうです。なにせ、ほとんど全て溶かされていますから』
奥野恵次郎は横を向いて言う。
「敵兵の身元も判明しないのか」
増田基和が答えた。
「はい。極微量の骨の一部しか残っていませんでしたので」
奥野恵次郎は鼻から強く息を吐くと、眉間に皺を寄せた顔を前に向けた。
「津田君。物理科学の専門家に任せるより、軍事の専門家である我々の方で分析した方が早いのではないか」
ホログラフィーの津田幹雄が頷いた。
『ごもっとも。ですが、襲撃されたのは司時空庁の施設ですので、まずは我々で進めさせていただきたい。現場から回収した残骸等は、こちらの分析が済み次第、その結果資料と共に、早々に国防省の方に回すように指示は出しております』
奥野恵次郎は顔を曇らせた。
「ううん。――増田君、現時点での情報局の分析は」
「はい。敵は訓練された傭兵集団。人数は十二名。屋外の足跡を分析しましたところ、建物に侵入しなかった支援要員が他に十二名いたと推測されます。したがって、合計二十四人で構成された部隊だったかと」
奥野恵次郎は肘掛を叩いた。
「つまり、一個小隊だけで攻撃してきた訳か。なめられたものだな。それで、武器は」
「警備カメラの動画の解析では、奴らが使用した銃火器・爆発物はいずれもプロトタイプの最新式であり、まだ、どの国の軍隊でも正式には実戦配備されていないモノばかりですので、詳細は不明です。ただ、熱溶解爆弾については、英国陸軍が来期に納入する予定のモノと同タイプだという情報を得ています」
「製造元は」
「クンタム社です」
「なるほどな」
奥野恵次郎は厳しい顔のまま頷く。
ホログラフィーの津田幹雄が言った。
『クンタム社は、保有していた特許のほとんどを奴らに握られているはずでは。だとすると……』
奥野恵次郎は椅子の背もたれから背中を離し、机の上に両肘をつくと、組んだ指の上に顎を乗せて言った。
「ま、軽々に答えは出せん。それに、この件には警察庁の子越も首を突っ込みたがっているようだ。今回の襲撃を刑事事件として立件するつもりだろう。そうなると、部外者が絡むことになり、いろいろと厄介だ。まずは目先のことから早めに手を打つ必要がある」
増田基和は言う。
「ですが、こちら側の被害を考えますと、手続上、警察の関与は避けられないのでは」
「どの程度の被害なんだ」
「司時空庁STSの隊員四名が死亡。五名が負傷、内三名は重症です」
ホログラフィーの津田幹雄は、増田の方を指差して声を荒げた。
『そんなことはどうでもいい。ウチの施設が滅茶苦茶に破壊されたんだぞ。あのシャンデリアがいくらすると思っているんだ!』
「津田君」
奥野恵次郎は津田の発言を制止すると、すぐに増田の方に顔を向けた。
「増田君、君のところの部隊からは、何人の犠牲者が出た」
「いえ、一人も」
「そうか、良かったな」
剣幕を変えて何度も増田を指差しながら、ホログラフィー映像の津田幹雄が口を挿む。
『良くはない。おたくから借りた兵士が、あの高級シャンデリアを半壊させたのかもしれないのだぞ。狙撃手を配置していたそうじゃないか。あんな所に。いったい何を考えているんだ!』
増田基和は淡々とした口調で津田に言った。
「腕は確かな者ですので、あの程度の装飾品なら、避けて撃つくらいは確実にできるはずです」
津田のホログラフィー映像は増田を指差すことをやめない。
『現に半壊したんだぞ。あんな高価なシャンデリアが。いくらの品か分かっているのか』
増田基和はホログラフィーの津田の顔を見て答えた。
「兵士一人の命に比べれば、そう高くはないかと」
津田幹雄は鼻で笑った。
『フン。国防軍の兵士はスーパー・ジャンボ・ジェット数機分の稼ぎがあるとでも言うのかね。ふざけるな。何のために、あんたが指揮する部隊からうちのSTSに兵士たちを出向させたと思っているんだ。最高の兵士を揃えていると聞いたからじゃないか。これだけの被害を出しておいて、どこが最高の兵士なんだ』
奥野恵次郎が眉間をつまみながら、津田を宥めた。
「分かった、分かった。もういい。――では、増田君の部隊の兵士はSTSから軍に戻そう。その代わりに陸軍から中隊二個をSTSに送る。それで発射施設の警備を強化すればいい。どうだね」
津田幹雄は割れた顎を触りながら言う。
『ほう。それは有難いですな』
奥野恵次郎は津田のホログラフィー映像を指差して言った。
「どちらにしても改装工事中だったんだろ。この際だから、思い切りリフォームすればいいではないか。外部には工事中の爆発事故だと言えばいいし、その際に兵士が巻き込まれたという話であれば、国から遺族への補償金も十分に出るはずだ。問題なかろう。それでいいね、増田君」
奥野恵次郎が横を向くと、増田基和は姿勢を正して答えた。
「は。私の指揮下の人員につきましては、早急に撤収させます」
『ああ、そうしてくれたまえ』
津田幹雄も不機嫌そうに言う。
増田基和は奥野に言った。
「それから……」
「なんだね」
「調達局の津留局長から、熱溶解爆弾の残骸を引き渡すように要請が出ています。いかがいたしましょう」
奥野恵次郎は再度鼻から強く息を吐いた。
「国防装備品の調達に、外国装備の分析は不可欠か……」
口を引き垂れて暫く思案していた彼は、机の向こうのホログラフィーに指先を向けた。
「津田君、わかったな。そういうことだから、熱溶解爆弾の残骸は直ちにウチの調達局に回したまえ。どうせ、君らの所で分析できる品ではない」
『分かりました……』
津田幹雄は不請不請と返事をした。
奥野恵次郎は不満そうな顔をしている津田のホログラフィー映像に人差し指を振りながら言った。
「とにかく、国防省と司時空庁は表裏一体だ。そのことを忘れないでくれ。余計なトラブルは避けたい。いいな」
『承知しております。大臣』
「うむ。君も分かっているだろうが、今は大事な時だ。国内治安と人命救助は警察と防災隊に任せておけばいい。だが、彼らでは国の舵取りは出来んよ。我々の発言権を確固たるものにするためには、もう少し司時空庁に頑張ってもらわんとな。修繕を急いで、次の乗客をしっかりともてなしてくれたまえよ。大事なのは、おもてなしの心だからねえ」
津田のホログラフィーは奥野の顔を見据えて言う。
『はい。しかし、問題が一つ』
「問題? なんだ」
『マスコミに一部、感づかれたかもしれません』
「マスコミに? どこの」
『新日ネット新聞社です』
奥野恵次郎は大きく溜め息を吐いた。
「また厄介な所に。あの新聞は中道を謳ってはいるが、ただの捻くれ新聞だ。まあ、大規模なゴロツキ新聞だと言っても過言ではない。役所が発表する事実について、いちいち調べ直して、ああだこうだと言い出す。国の言うことを信用しない馬鹿共だ。けしからん。――で、どこから漏れたんだ」
『それが、現在我々の内部で情報をリークした者を探していますが、見つかりません。もしウチの内部に居ないとすると……』
津田のホログラフィー映像は増田に目を向けた。それを見た奥野恵次郎が逆に津田のホログラフィーをにらみ付けて声を低めた。
「つまり、国防から情報が漏れたというのかね」
津田のホログラフィーは慌てて首を横に振る。
『いいえ。――ただ、可能性は否定できないと申し上げているのです』
すると、増田基和が横を向いて言った。
「大臣、確かに長官の仰るとおり、可能性は否定できないと思われます。金曜日の襲撃では、敵兵団は直接あの階層に攻撃してきました。敵がその前に施設内を探索した痕跡はありません。つまり、敵は事前に田爪瑠香の所在を部屋の位置まで特定して把握していたものと思われます。しかも、攻撃の時間帯も、通常は隊員の交代の時間です。シフト上、どうしても隙が生じる時間帯を狙われました。STS部隊の配備計画が漏れていた可能性も懸念されます」
奥野恵次郎は眉間に深く皺を寄せた。
「誰かが裏切っているということか」
「作戦を把握していた人物は少数ですので、的は絞られてくるかと。ですが、外部から情報を探られたおそれも考えられます。その両方を視野に入れた調査が必要かと存じます」
『外部から……まさか、新日新聞社も奴らと繋がっているのか?』
奥野恵次郎は椅子の背もたれに身を倒しながら呟いた。
「それは別口かもしれんが……」
そして、津田のホログラフィーを見据えた。
「まあ、漏れるとすれば司時空庁からだと思うがね。軍属も軍人も口は硬い。それに、田爪夫人が居住している部屋の番号は、我々にも知らされていないではないか。どうやってウチから情報が漏れると言うんだ」
津田幹雄は片笑みながら言った。
『それは奇異な。では何故、あの階に居た兵士たちは、通常の勤務シフトより三十分もずらして交代シフトを組み直していたのですかな。しかも、重火器や狙撃兵まで準備して。情報局としては、彼女の位置を把握されていたのでは』
ホログラフィーの津田に指差された増田基和は、再び淡々とした口調で言う。
「我々は常に最悪を想定して計画を立てます。あの交代シフトなら、我々なら、あの時間帯を狙います。故に、相応の対処をしていたに過ぎません。逆に、我々に田爪瑠香のことを知らせてくれていれば、もっと効率よく警備し、前線で敵を食い止める手立てを講じられたはずです。犠牲者も出さずに済んだかもしれない。実に残念です」
津田幹雄は鼻で笑った。
『ふん。相当な自信だな』
津田と増田は歳が近い。津田幹雄は、この増田基和という男を警戒していた。
増田基和は謎の多い人物だった。彼は奥野や津田のように文民ではない。軍部の現場を上り詰め、政府とのパイプ役として働くまでになった男である。現場指揮権までを有する彼は、本来ならば「制服組」と呼ばれる上級軍人であるはずだが、いつも背広姿で国防省官僚の中に混じって活動し、時には政策会議にも国防大臣の補佐役として参加していた。「増田学校」と呼ばれる独自の派閥組織を軍内に形成しているとの噂もある。官僚同士の出世競争を勝ち抜き、司時空庁長官として行政権力の中で大きな発言権を握った津田幹雄にとって、自分の大きな後ろ盾となっている奥野恵次郎の側近として働く増田基和は、注意すべき利き駒の一つだった。
険悪な雰囲気の中で、奥野恵次郎が呟く。
「ストンスロプ社しかないな……」
『ストンスロプ社?』
聞き返した津田に、奥野恵次郎が指を振りながら言った。
「そうだ。あそこに頼んで、大至急、接近戦用の小型防衛ロボットを揃えてもらおう。先月、海軍の掃海艇に配備したばかりだから、余っているのが数体はあるはずだ。自律式の二足歩行型なら『IMUTA』を使って統合管理できるし、不眠不休のロボットなら、人員シフトの問題を考える必要も無い。これを待機施設の警備に配置しては。どうだろうか、津田君」
『ええ。そうしていただけると助かります。ストンスロプ社とは国防省の方が、何かとパイプが太いでしょうから』
増田基和が険しい顔つきで言った。
「しかし大臣、『IMUTA』を組み込んでいる『SAI五KTシステム』は信頼性が担保されておりません。しかも、システムを構成しているもう一機のコンピューター『AB〇一八』はNNC社製です。NNC社は外国企業。現在、『AB〇一八』の保守管理を行っているのは、その子会社の日本法人NNJ社ということになっていますが、それはあくまで形式上の話です。事実上、あれは外国の管理下にあるとお考えになられた方がよいでしょう。サイバー空間の仮想防衛ならともかく、実弾を発射する武器を備えた戦闘用ロボットをシステムとリンクさせるのは、いかがなものかと」
奥野恵次郎は憮然とした顔で言った。
「だが、システムのもう片方のコンピューター『IMUTA』はGIESCOが開発したものではないか。GIESCOはストンスロプ社の研究機関だろ。軍用ロボットの設計と製造も、GIESCOやストンスロプ社系列の子会社が請負っている。純正のロボットを接続して、問題もへったくれも無いだろう」
「しかし……」
増田の発言を遮って、奥野恵次郎は言った。
「とにかく、これでシフトの問題も解決だな。後は裏切り者のあぶり出しだ。増田君、軍内部の方は任せたよ」
「――了解しました」
増田基和は少し間を空けてから、そう答えた。
奥野恵次郎は増田を指差しながら言う。
「見つかり次第、軍規監視局に逮捕させたまえ。所属の監察官とは、君の部署の方でも情報の遣り取りをしているのだろ」
「はい。必要があれば」
「よかろう。司時空庁の漏洩者の方は、津田長官が抜かりなく調べ、抜かりなく対処するだろうからね。そうだな、津田長官」
奥野恵次郎は鋭い眼を津田に向ける。
津田のホログラフィーは頭を下げた。
『はい。お任せ下さい』
国務大臣の奥野恵次郎は、官僚たちに諭すように言った。
「問題はね、未来なのだよ。これからどうするかだ。物事は大局的に捉え、将来の危険に備えて動かねばならん。そうでなければ、国の舵取りなど出来はせんよ。じゃあ、そういうことで頼んだよ、津田長官」
『分かりました。それでは、失礼します』
津田幹雄のホログラフィーは頭を下げたまま停止し、消えた。
奥野恵次郎は、再び鼻から大きく息を吐いて言う。
「今ので分かっただろう。津田幹雄と言う男は、あの程度の男だ。体はデカイが、中身は小物だ。いざという時には、おそらく使い物にはならん」
「……」
奥野恵次郎は増田に顔を向けた。
「STSからの君の部下の撤収を一日遅らせろ。そして、新日の記者の情報源を探すんだ。小手先の対処では意味がない。元を片付けねば。君、掃除の方は頼むぞ」
増田基和は眉間に皺を寄せて尋ねた。
「消せと」
「君の部下たちを使えば簡単だろう。中心人物を一人始末すればいい。残りは津田にやらせる」
立ち上がった奥野恵次郎は、キャビネットの方に歩きながら言った。
「それから、軍内部の調査は適当でいい。今は南米に派兵している実戦の最中だ。軍内に余計なわだかまりを作るべき時期ではない」
「は。承知しました」
奥野恵次郎はガラス戸の向こうに並べられた酒瓶を見回しながら尋ねた。
「ところで、増田君。総理への報告は」
「は。適宜、了しております」
「総理からの連絡は」
「いえ。特に何も。次回の閣議の際に直接、大臣にお話があるとは仰っておられました」
キャビネットのガラス戸を開けながら、奥野恵次郎は頷いた。
「よろしい。国防軍の最高司令官は内閣総理大臣だが、辛島に何が分かる。今は戦時だ。総理大臣は黙って机の上で書類にサインをしていればいい」
ガラス戸に手を添えたまま振り向いた奥野恵次郎は、机の傍に立っている増田に顔を向け、言った。
「今、国家の平安を担っているのは我々なのだよ。そして将来もな。増田君、しっかりとその点を踏まえて働いてくれたまえ。いいな」
「承知しました」
増田基和は素早く一礼した。
奥野恵次郎はキャビネットから高級ウイスキーの瓶を取り出すと、グラスを一つ握り、片笑みながらガラス戸を閉めた。
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