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第1部 鬼人の王国《紅蓮》
3 : この変な令嬢は俺の獲物(エンヤルト)
しおりを挟む俺はエンヤルト・グレン。
大陸の覇者《紅蓮》の王太子で、年齢は九歳だ。
今日は婚約者を決める為の茶会の日だ。鍛錬に夢中になっていて気がつけば茶会の開始寸前だった。
迷路のような回廊を走って最短ルートで路地を曲がると、前方に赤いドレスの令嬢がてこてこ歩いていた。真っ黒の髪に真っ赤なドレスが映える。背格好からもしかすると候補者かもしれない。あんまり子供が着ないような原色の赤いドレスは、俺の髪を意識したのかもしれないと思った。グイグイと迫ってくるタイプだな、きっと。
でも、明らかに茶会の場から離れた位置だから迷ったんなら案内ぐらいはしないとならない……王子だからな。
「───おい、そこの赤いの」
名前はわからんから、とりあえずドレスの色で呼んだ。
無視だ。気がつかなかったのか?
「おいっ、赤いおまえっ」
今度は大きな声を出したが、またしても無視。ぶつぶつ何かひとりごとを言っているようだから、本気で気がついてないんだろう。だが、腹が立つ。王太子の俺は無視されることに当然慣れてない。
「おい! 無視するなっ、赤い女!」
怒鳴ったら、
「お黙りなさいっ、考えてるんですのよ!」
振り向きざまに怒鳴り返された。生まれて始めての屈辱だが、驚きのあまり間抜けな反応になった。
「…………へっ?」
「………えっ?」
無礼極まりない令嬢も間抜けな顔をした。間抜け……なのに、綺麗な少女だった。
染みひとつない白皙。サラサラな真っ黒な髪は艶々。キリッと目尻が切れあがる大きな墨色の瞳、右の目尻のホクロは色気がある。薄紅の薄めの唇は口角が少しだけ上向きなためちょっと微笑んで見えた。
「──おっ」
「おっ?」
見惚れていると、妙な声がした。
「お、お、お、王子様!?」
「───そうだ」
ようやく認識したようだと思えば、
「なんで声かけるんですの!? なんでここにいますの!?」
逆ギレし始めた。
「茶会に向かってたら赤いのがうろうろしてたから声をかけた。赤いのこそ、なんでここにいるんだよ。もっと手前だろ!」
唇を尖らしまくし立てる少女にさすがにムッとして指摘するが、
「迷ったんですわよっ! 何か悪くって!?」
ビシッと人差し指まで向けられ、驚愕に目を見開き白い指と赤い令嬢を凝視する。こいつ、わかってるんだよ……な? さっき王子っていったよな、自分で。
「…………俺、王子だぞ?」
「だからなんですの!? 王子様だからって道に迷った小娘を馬鹿になさって良いとでも!?」
「……俺、馬鹿にしたか?」
いつだ? 限りなく紳士だろうがと憮然としてしまった。
「赤いの赤いのっておっしゃったじゃありませんか!」
驚愕を通り越して唖然とした俺の顔は形容しがたかっただろう。
ふつふつと妙な高ぶりが湧いて、俺はこの変な令嬢に興味を覚えた。
「───名前知らん。教えろ」
赤いのと呼ばれたくないなら名乗れと。ところが、またしても予想外の態度をされた。
「赤いので結構ですわ! わたくし、気分が悪いので帰ります!」
「赤……チッ、おまえ!」
舌打ちした隙に、
「貴方様はあちら! ご機嫌よう!」
そいつは逃げた。
「早いな、あいつ……」
ドレスの裾を踏んで何度か転びかけながら全力で逃げていったそいつを、俺は呆然と見送ったのだった。
◇◇
クロエ・ハチス嬢。
あの後、すぐに行動した。茶会の場に行き母上に挨拶すると即座に門まで走り、門兵に赤いドレスの令嬢の名前を尋ねた。インパクトがありすぎて、すぐハチス公爵の娘だと知れた。その後、父上に面会を求め、クロエ捕獲の許可をもらった。
「お前に気に入られるとはさすがクランド・ハチスの娘だな。好きにしろ」と言ってくれたから、そうさせてもらう。
近衛鬼士を連れてハチス公爵家を訪れると、茶会から体調不良で戻って来たきり部屋にこもったと聞いた。体調不良ねぇ~。
問答無用で押し入った部屋は無人。脱ぎ捨てられた真っ赤なドレス。そして、机に置かれた手紙があった。父上宛の手紙を読んで、ふざけんな! と思った。修道院なんか行かせてたまるか!
それにしても、あいつ逃げ足速すぎないか? 令嬢のくせに決断がおそろしく素早いな。おもしろい。
「追うぞ。狩りの時間だ」
「いつまで追ってくるんですのぉぉぉ!」
クロエは逃げている。そう、まるで獲物のように。追うのは《紅蓮》の誇る近衛鬼士たち数名と、俺だ。
「見逃してくださいませぇぇぇ」
ぜぃぜいと荒い息を吐き出しながら小走りにちょこまかと走るクロエをぐるりと囲む近衛鬼士たちは、騎乗だ。簡単に捕らえることが出来る。むしろ、馬を早歩きさせている現状はクロエを踏みつけないように神経を使うのだろう。
ひたすら逃げていたクロエがくたりとしゃがんだ。
「……ひぃ……ふぅ…も……駄目……ですわ……」
涙目で呼吸も荒く息も絶え絶えなクロエは、齢八歳にして色っぽさを漂わせていた。泣きぼくろのせいなのか、まだ精通してない俺なのに、こくりと喉が鳴った。
こいつは俺の獲物だ。
「──捕まえた」
しっとりと汗ばんだ腕を引き寄せ、ニッと笑ってやった。男の鬼人が高揚するときに伸びる八重歯を見て、クロエは気絶した。
俺は近衛鬼士の手を借りてクロエを馬に荷のごとくドサリと載せ、王城へ急いだ。
城の侍女らに風呂に投げ込まれ丸洗いされ、調達させたクリーム色のドレスを着せられ、引き摺られるように連れてこられたクロエは、真っ赤なドレス姿とは違って清楚だが凛とした可憐な美少女に見えた。少なくとも、中身をつぶさに見た俺以外は。
散々に叱られたクロエに、
「それでな、クロエ・ハチス嬢。不敬の償いとして、エンヤルト王子の婚約者となってもらおう。なに、ついでに恋をしても王子だから不足はなかろう」
そう父上がニヤリと俺を横目に捉えなが言い、俺も同じく笑う。
クロエ、残念だな。根回しは済んでるんだ、諦めてもらうぞ?
鬼人の男はしつこい。俺が飽きるまでお前は俺の獲物だ。
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