740 / 780
外伝:藤川麻乃 ~成長~
第5話 中央医療所
しおりを挟む
リュがリハビリを始めてから、麻乃は上層の命で、ほぼ付きっきりになってしまった。
今のところ、大陸のどの国からも侵攻がないからだろう。
さすがに毎日、隊員たちを伴ってくるわけにはいかず、今日は麻乃一人で来た。
医療所の先生の話では、もう一人で歩けるくらいには回復しているという。
隊員たちは持ち回りで、今は西区だ。
本当なら、麻乃も一緒に西区で過ごしていたはずなのに。
万が一、襲撃があっても、すぐに対応できないことに不安を感じる。
動き回れるようになったことで、上層は逃げられる可能性を考えているようだけれど、泉翔を出るには船が必要だ。
そう簡単に、逃げ切れるとも思えないのだけれど。
――退屈で仕方ない。
今も医療所の廊下を、リュと看護師が歩き回っているのを後ろから眺めているだけだ。
リュは時折、窓の外へ目を向けている。
少し寂しげなのは、庸儀へ戻りたいからだろうか。
ひょっとすると、リュも退屈しているのかもしれない。
一カ月以上、室内で過ごしていれば、そうなると思う。
窓枠に寄りかかって足もとに視線を落とし、今度、本でも差し入れてやろうか、などと考えていた。
「退屈そうですね」
不意に声を掛けられて驚いた。
いつの間にか、リュが目の前にきていた。
看護師の姿はみえない。
「すみません、こんなことにまで、つき合わせてしまって」
「いえ、お気遣いなく」
「……きっと、お忙しいんでしょう? 私がいるせいで、手を煩わせてしまっていますよね……」
麻乃の隣で、窓枠に手をつき外を眺め見ているリュは、やけにしおらしいことを言った。
こうも下手に出られると、悪いことをしているような気持になる。
「別に……煩わしいなんてことは……それより、あなたのほうこそ退屈なのでは?」
「私は看護師のかたがたが良くしてくれるので……話を聞いていただいたり、本をお借りしたり……」
「……本を?」
「ええ……いけませんでしたか?」
「いけない、ということはありません。ですが、一応、本のタイトルだけ見せていただけますか?」
本を読むことというよりも、なにを読んでいるのかが問題だ。
看護師たちが渡したなら大丈夫だとは思うけれど、泉翔の内部が知れるようなものだとまずい。
リュに手を貸し、病室まで戻った。
途中、何度も転びそうになるリュを支えてやるたびに「すみません」を繰り返す。
病室に着くころには、麻乃のほうが申し訳ない気持ちになった。
ベットの脇の棚に置かれた本は、植物や動物の写真集に図鑑、それと、泉翔人に良く読まれている、昔ばなしをまとめた本だ。
サッとタイトルをメモ書きしながら、これなら特に問題はないかな、と思った。
「ありがとうございます。ところで今日はもうリハビリは?」
「先ほど、看護師のかたが、今日はもういいだろうと仰っていました」
「そうでしたか。疲れたでしょうから、ゆっくり休んでください」
ベットに腰をおろそうとしたリュは、突然ガクンと麻乃のほうへ倒れ込んできた。
「危ない!」
慌ててその体を支えた。
抱き合うような格好になってしまったことにドキリとした瞬間、ほんのりと、甘い花のような香りがして、耳もとでリュがなにかつぶやいたのを聞いた。
ただ、それは言葉として認識できなかった。
「大丈夫ですか?」
支えた体を起こしてやり、改めてベットに座らせてやると、リュは驚いたような表情だ。
「どうかしましたか?」
「あ……いえ、なんでも……面倒をお掛けしてばかりで、本当にすみません……」
リュの「すみません」は、もう聞き飽きた。
ずっとかしこまってばかりで、疲れないんだろうか?
「こんなところで転んで怪我でもしたら、また動けなくなるかもしれませんよ。無理をせず、しっかり休んでください」
なんとなく、ソワソワするような、急かされるような気がして、麻乃は「また来ます」と断って、病室を出た。
帰る旨を伝えるため、看護師たちの詰所へ立ち寄る。
みんな仕事中だからか、机に向かったままで誰もこちらを見ない。
「すみません、今日はこれで失礼します。また明日、来ますので……」
麻乃の声に誰も反応しない。
そんなに集中しているのか?
もう一度、大きな声で呼びかけてみると、全員がハッと顔を上げて麻乃をみた。
「あ……藤川さん、どうかしましたか?」
「いえ……今日はもう帰るので……あとのこと、よろしくお願いします」
うなずく看護師たちは、急にあくせくと動き出した。
その様子は、いつも医療所で見る光景だ。
さっきはなぜ、みんな黙り込んでいたのか。
なにか、問題でもあったんだろうか?
重い病の患者さんでもいるんだろうか?
なんとなく、妙な気持ちになる。
やっぱり誰かを一緒に連れてくるべきだったんだろうか?
歩きながら疑問ばかりが湧いてくる。
あの甘い香りはなんだったんだろう?
あのとき、リュはなにを言ったんだろう?
どうにも釈然としないまま、麻乃は報告書を作るために軍部へと走った。
今のところ、大陸のどの国からも侵攻がないからだろう。
さすがに毎日、隊員たちを伴ってくるわけにはいかず、今日は麻乃一人で来た。
医療所の先生の話では、もう一人で歩けるくらいには回復しているという。
隊員たちは持ち回りで、今は西区だ。
本当なら、麻乃も一緒に西区で過ごしていたはずなのに。
万が一、襲撃があっても、すぐに対応できないことに不安を感じる。
動き回れるようになったことで、上層は逃げられる可能性を考えているようだけれど、泉翔を出るには船が必要だ。
そう簡単に、逃げ切れるとも思えないのだけれど。
――退屈で仕方ない。
今も医療所の廊下を、リュと看護師が歩き回っているのを後ろから眺めているだけだ。
リュは時折、窓の外へ目を向けている。
少し寂しげなのは、庸儀へ戻りたいからだろうか。
ひょっとすると、リュも退屈しているのかもしれない。
一カ月以上、室内で過ごしていれば、そうなると思う。
窓枠に寄りかかって足もとに視線を落とし、今度、本でも差し入れてやろうか、などと考えていた。
「退屈そうですね」
不意に声を掛けられて驚いた。
いつの間にか、リュが目の前にきていた。
看護師の姿はみえない。
「すみません、こんなことにまで、つき合わせてしまって」
「いえ、お気遣いなく」
「……きっと、お忙しいんでしょう? 私がいるせいで、手を煩わせてしまっていますよね……」
麻乃の隣で、窓枠に手をつき外を眺め見ているリュは、やけにしおらしいことを言った。
こうも下手に出られると、悪いことをしているような気持になる。
「別に……煩わしいなんてことは……それより、あなたのほうこそ退屈なのでは?」
「私は看護師のかたがたが良くしてくれるので……話を聞いていただいたり、本をお借りしたり……」
「……本を?」
「ええ……いけませんでしたか?」
「いけない、ということはありません。ですが、一応、本のタイトルだけ見せていただけますか?」
本を読むことというよりも、なにを読んでいるのかが問題だ。
看護師たちが渡したなら大丈夫だとは思うけれど、泉翔の内部が知れるようなものだとまずい。
リュに手を貸し、病室まで戻った。
途中、何度も転びそうになるリュを支えてやるたびに「すみません」を繰り返す。
病室に着くころには、麻乃のほうが申し訳ない気持ちになった。
ベットの脇の棚に置かれた本は、植物や動物の写真集に図鑑、それと、泉翔人に良く読まれている、昔ばなしをまとめた本だ。
サッとタイトルをメモ書きしながら、これなら特に問題はないかな、と思った。
「ありがとうございます。ところで今日はもうリハビリは?」
「先ほど、看護師のかたが、今日はもういいだろうと仰っていました」
「そうでしたか。疲れたでしょうから、ゆっくり休んでください」
ベットに腰をおろそうとしたリュは、突然ガクンと麻乃のほうへ倒れ込んできた。
「危ない!」
慌ててその体を支えた。
抱き合うような格好になってしまったことにドキリとした瞬間、ほんのりと、甘い花のような香りがして、耳もとでリュがなにかつぶやいたのを聞いた。
ただ、それは言葉として認識できなかった。
「大丈夫ですか?」
支えた体を起こしてやり、改めてベットに座らせてやると、リュは驚いたような表情だ。
「どうかしましたか?」
「あ……いえ、なんでも……面倒をお掛けしてばかりで、本当にすみません……」
リュの「すみません」は、もう聞き飽きた。
ずっとかしこまってばかりで、疲れないんだろうか?
「こんなところで転んで怪我でもしたら、また動けなくなるかもしれませんよ。無理をせず、しっかり休んでください」
なんとなく、ソワソワするような、急かされるような気がして、麻乃は「また来ます」と断って、病室を出た。
帰る旨を伝えるため、看護師たちの詰所へ立ち寄る。
みんな仕事中だからか、机に向かったままで誰もこちらを見ない。
「すみません、今日はこれで失礼します。また明日、来ますので……」
麻乃の声に誰も反応しない。
そんなに集中しているのか?
もう一度、大きな声で呼びかけてみると、全員がハッと顔を上げて麻乃をみた。
「あ……藤川さん、どうかしましたか?」
「いえ……今日はもう帰るので……あとのこと、よろしくお願いします」
うなずく看護師たちは、急にあくせくと動き出した。
その様子は、いつも医療所で見る光景だ。
さっきはなぜ、みんな黙り込んでいたのか。
なにか、問題でもあったんだろうか?
重い病の患者さんでもいるんだろうか?
なんとなく、妙な気持ちになる。
やっぱり誰かを一緒に連れてくるべきだったんだろうか?
歩きながら疑問ばかりが湧いてくる。
あの甘い香りはなんだったんだろう?
あのとき、リュはなにを言ったんだろう?
どうにも釈然としないまま、麻乃は報告書を作るために軍部へと走った。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
〖完結〗私が死ねばいいのですね。
藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。
両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。
それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。
冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。
クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。
そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全21話で完結になります。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後
空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。
魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。
そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。
すると、キースの態度が豹変して……?
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる