蓮華

釜瑪 秋摩

文字の大きさ
上 下
717 / 780
外伝:藤川麻乃 ~馴れ初め~

第1話 東区の噂

しおりを挟む
 午前中の演習が終わり、麻乃あさのは森から戻ってきた。
 今日は近隣の道場と合同演習で、ノルマは組紐くみひも十本だ。

 腰にくくり付けた組紐を抜き取り、森の入り口でもう一度、本数を確認する。
 一本でも足りなかったら大変だ。

「……八、九……十っと、ちゃんとある」

 森から出ると、師範の塚本つかもとに駆け寄った。

「塚本先生!」

「おう、戻ってきたか。どれ……」

 麻乃から組紐を受けとると、本数を数えている。

「よし、しっかりあるな。それじゃあ、おまえの組紐をみせてみろ」

 腕に巻かれた紐を外すと、それも塚本に渡す。
 塚本は入念に紐をチェックしてから、ようやく笑顔をみせた。
 ここで、万が一にも紐の一部でも斬られていようものなら、お昼ご飯は抜きになり、ノルマを達成できなかった子たちと一緒に居残りになってしまう。

「こっちもオーケーだな。じゃあ、道場へ戻って、多香たかちゃんの飯の支度を手伝ってやれ」

「はーい」

 聞くまでもなく、一番に戻ってきたのは自分だとわかる。
 修治じゅうじがいなくなった今、この近辺で麻乃に勝てる相手はいないんだから。

 修治とは同じ道場だったから、対戦したこともないし、演習でも敵かたに回ることはなかった。
 本当は、一度、確かめてみたかったと思う。
 勝てる気はしないけれど、負ける気もしなかった。
 その修治も、去年の洗礼で蓮華れんげの印を受け、戦士になってしまった。

「張り合いがないな……」

 これまでずっと一緒にいたのに、急に遠くに行ってしまったようで寂しい。
 それでも麻乃は来年の洗礼で、自分も三日月の印を受けるだろう自信がある。
 そうしたら、きっと修治の部隊に入って、また一緒に過ごせるんだ。

 道場へ戻ると、まだ表では、師範の市原いちはらが年少組の稽古をしている。
 戻ったことだけを伝え、麻乃は裏口へ回った。
 多香子たかこがお昼の準備をしているのを、手伝うためだ。

 手伝う、といっても調理はしない。
 それだけは、どうにもうまくなくて、魚や肉をさばくことはできても、火を通せば生焼けか丸焦げになるし、味付けをすれば濃すぎたり味がなかったり、なにを入れたかわからないような味になる。

 多香子は丁寧に教えてくれるのに、どうしてなのか、同じにならない。
 誰もが「どうしてこうなった?」というけれど、そんなの、麻乃にだってわからない。

「多香子姉さん、なにか手伝うことある?」

「あら? 麻乃ちゃん、もう戻ったの?」

「うん、今日はいつもより楽だったかも」

「そうなの? それじゃあ……先に食堂にテーブルを並べてきて貰えるかしら?」

 台拭きをもって食堂へ入ると、長机を並べて拭きあげた。
 食器の確認をすると、箸やスプーンはたくさんあるけれど、お椀や平皿が少し数が足りていない気がする。
 汁物の大鍋を置く台まで設置して、また台所へと戻る。

「食堂、準備してきたよ。お椀とお皿がちょっと足りないみたいだけど、あたし洗おうか?」

「いいの? それじゃあ、お願いするわね」

 多香子に褒められたり頼られたりするのは、麻乃にとってすごく嬉しいことだった。
 出会ったころは、まだ両親を亡くしたばかりで、うまく話せなかった麻乃に、怒るでもなく苛立つわけでもなく、いつも優しく接してくれた。

 時には怒られることもあるけれど、それはいつでも他人に迷惑をかけたときや、命に係わる危ないことをしたときだけだ。
 多香子が見守っていてくれる、と思うと、強くなれるような気がしたし、なにより麻乃にはない優しさや女性らしさに、とても憧れていたから。

 食器を洗い終え、食堂の棚に並べていると、ちらほらと道場の仲間たちが戻り始めていた。
 年少組の稽古の片づけや、多香子のところからおかずを運んでくれている。

 人手が増えると、準備はあっという間に終わる。
 やがて年少組も稽古を終えて、手洗い場がごった返していた。
 麻乃はすでに台所で手を洗い終えていたから、早々に食堂へいき、みんなのご飯や汁物を給仕した。

 すべての準備が整うと席に着き、師範の高田たかだの号令で一斉に食べ始めた。
 ざわざわと賑やかな声が響く中、麻乃の目の前に座った同じ十五歳組の矢萩《やはぎ》が話しかけてきた。

「藤川、最近さ、東区に強いヤツがいるらしい、って話、聞いたか?」

「東区? あそこは……戦士目指してるヤツ、少ないでしょ? 強いって言っても、たかが知れてるんじゃないの?」

「いやいや、それがな、そうでもないらしい」

 矢萩の従弟が南区に住んでいて、最近、南区と東区は道場同士の交流が増えていると聞いたという。
 そのせいか、どちらの道場でも子供たちの腕が上がっているそうだ。

「へぇ……地区別演習でもないのに、ほかの地区と交流できるのは羨ましいかも……」

「だろ? 従弟もさ、腕が上がった気がするって言ってるんだよな」

 麻乃の周りに座った十五、十六歳組がざわつき始めた。
 そういえば最近は、南区が強くなっていると、誰かが噂をしている。

「東区、まず当たらないもんねぇ……」

「けど、強くなっているせいで中央区じゃあ東区の道場を選ぶ子が増えてるってさ」

「そうなの?」

 中央区にも住人は多いし、子どももそれなりに多いけれど、城や商店、軍部などといった、公的な施設が多いせいで道場はない。
 中央の子どもたちは、みんな東西南北の中から通う道場を選んでいる。
 区の境にも道場があるおかげで、通うのは苦ではないと聞いていた。

「いいな……西区でも、東は真逆だから無理としても、北や南の道場と、交流したいよねぇ」

 羨むようにいう麻乃の言葉に、みんなが同意した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...