蓮華

釜瑪 秋摩

文字の大きさ
上 下
680 / 780
外伝:藤川麻乃 ~生い立ち~

第5話 海

しおりを挟む
 来なくていいといわれても、行かないわけには……。
 心配なのは、隆紀も同じだ。

 家を飛び出して通りにでると、麻美は寛治の家のほうへ走っていく。
 隆紀は麻美とは反対の、詰所のほうへ探しにでた。

 詰所にも医療所にも、周辺の道場にもいない。
 茂みを覗いても、隠れている様子もない。
 隆紀は砦まできた。

 周辺を見て回っても姿はない。
 さっき麻美に言われた言葉が、何度も頭をめぐる。

『たった今! 包丁を握りしめて! 左手を切ろうとしてた!』

『ねえ! そんなに麻乃のことが嫌なの?』

『よくもそれだけ追い詰めてくれたものね! 自分の子だっていうのに!』

 そんなつもりじゃあなかった。
 追い詰めようなんて考えてもいなかったのに。
 刺すように胸が痛むのは、走り回ったせいじゃあない。

「どこにいったんだよ……」

 麻美は見つけたんだろうか?
 日が落ちてあたりが薄暗くなっていく。
 見つからないまま、夜を迎えるわけにはいかない。

 銀杏の木に登り、周辺をぐるりとみる。
 入り江の端に、小さいなにかが動いている。
 隆紀は枝を飛び降り、その勢いのまま岩場も飛び降りた。

 高さがあったせいで、足がじんじんと痛む。
 砂に埋もれて思うように進めないながらも必死に走った。

 海に向かって歩いていく麻乃は、引く波に足を取られたのか、尻もちをついた。
 寄せる波を頭からかぶり、引く波に吸いこまれるように一度姿を消し、大きく寄せる波に今度は吐き出されるようにして砂浜へと転げ出てきた。

「――麻乃!」

 次の波が来る前に、急いで抱き上げて波打ち際を離れる。
 水を飲んだのか大きくむせているけれど、無事であったことにホッとして体じゅうの力が抜けた。
 砂浜に崩れるように腰を落とし、胡坐をかいた足に麻乃を乗せて頭を撫でた。

「なにしてるんだよ……溺れたりしたら……死んじゃうんだぞ」

 口をへの字に曲げた麻乃は消え入りそうな声でつぶやく。

「……ないないするの」

 隆紀はその言葉に愕然とした。
 麻乃はきっとわかっている。
 なぜ、隆紀と麻美が口論ばかりしているのかを。

『これ以上、ここにいたら……麻乃は死んでしまうかもしれないじゃない!』

 麻美のいう通りだ。
 利き手のことも、イツキはゆっくり矯正してやればいいと言っていたじゃあないか。
 自分の中の不安を紛らわせるために、ただ麻乃を追い詰めていただけだった。

「ごめん……ごめんな……」

 謝って許されることじゃあない。
 幼い心にどれだけ傷をのこしてしまったのだろうか。
 それでも隆紀には謝ることしかできない。
 麻乃の小さな手が隆紀の額に触れた。

「ばいばいするの。えーんしないで」

 ハッとして麻乃をみた。
 麻乃がいなければ隆紀は泣かないと思っているのか。
 そんなわけがないのに。
 ギュッと麻乃を抱きしめた。

「ばいばいなんかしない! 麻乃はお父さんとお母さんの子なんだから、ずっと一緒にいてくれないと駄目だ!」

 家族ができたら大切に、幸せにしたいと思っていたのに。
 こんなことを思わせるような父親になるつもりはなかった。

「お父さん、麻乃のこともお母さんのことも大事だから……愛しているから……だから、どこにも行っちゃ駄目だ」

 麻乃は大声をあげて泣き出した。
 麻美は離婚だといった。
 やり直すことはできるだろうか?
 もう一度、ちゃんと夫としても親としても、二人の信頼を取り戻せるだろうか?

 いつの間にか辺りは真っ暗で、波音と麻乃の鳴き声が重なって響いている。
 麻乃を抱きしめたまま、涙も止まらず立ちあがることもできないでいた。

「いつまでも濡れたままで海風にあたってたら、麻乃も隆紀も風邪ひくわよ」

 後ろから麻美に声をかけられ、背中に置かれた手に立つのを促された。
 嗚咽でしゃくりあげている麻乃を抱えたまま立ちあがる。
 堤防には房枝も待っていて、家に戻ると房枝が麻乃を風呂へ入れて着替えをさせ、寝かしつけてくれた。

 隆紀もそのあとに続き着替えを済ませると、麻乃の部屋をのぞく。
 きっと疲れもあったんだろう、ぐっすりと眠っている姿にまた涙がにじんだ。
 居間に入るとテーブルには麻美が待っていて、房枝は温かいお茶を入れてくれている。

「……座ったらどう?」

「あ……うん……」

 麻美の表情はキツイ。
 今後のことはあとで話そうといっていた。
 麻乃も眠った今が、そのときだろうか。

「――で?」

「えっ――?」

「さっき、ちゃんと話す、って言ったわよね? 一体なんだっていうのよ?」

「それは……」

 言いかけたとき、玄関をノックする音が聞こえた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

処理中です...