蓮華

釜瑪 秋摩

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大切なもの

第88話 厭悪 ~鴇汰 1~

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 鴇汰は修治とともに西浜へ続くルートの入り口までやってきた。
 途中まで一緒だった小坂は、今はほかの隊員たちと、ルートを逸れて上がってくる敵兵の対応に向かっている。
 ルートから入って一番手前にある店の陰に身を潜めた。
 日が沈みかけた夕焼け空が、薄紫色に変わって夜を感じさせる。

「このまま暗くなってからだと、対応が危うくなってくるな……」

 修治が心配そうにつぶやいたとき、馬のいななきが小さく聞こえた。
 耳を澄ますと、蹄の音も聞こえてくる。

「――来たな。やっぱり馬だ」

「……ああ」

 同じように通りの脇に潜んでいる、岱胡の隊員の知念《ちねん》が弓を番《つが》った。
 ルートから入ってきたのは、やはり麻乃で、周囲を警戒してか一度、馬の足を止めた。
 あちこちを見渡しているけれど、だいぶ暗くなったせいで表情は見えにくい。
 修治の合図で、知念が馬の尻に弓を放った。

 馬がいななき、前足を大きく掻いて立ち上がる。
 突然のことに麻乃はバランスを崩して手綱を放し、馬から飛び降りた。
 麻乃の隊の山口が、その隙に手綱を掴んで馬に飛び乗ると、そのままその場を離れていく。

 舌打ちをして素早く立ち上がった麻乃は、城のほうへ走り出した。
 その正面に修治と二人で立ちふさがった。

「長田鴇汰……なぜ生きている……!」

 鴇汰をみて驚いた麻乃はそういった。
 けれど、口調が違う。
 中身はマドルのままか。

「おまえこそ、いつまで麻乃の中にいるつもりだ」

 背負った虎吼刀を抜き放ち、マドルへ切っ先を向けた。
 下からねめつけるような仕草は、麻乃のそれじゃあない。
 目の前に立つ姿は間違いなく麻乃なのに、雰囲気や仕草がまるで違って見える。

「……このまま麻乃を城へ連れていくつもりのようだが、そうはさせない」

 修治も麻乃と対の刀を抜いた。
 それをみてマドルの手が腰に下げた刀の柄に触れる。
 夜光は折れた。鴇汰が手にしていた鬼灯もだ。

 誰のものかわからない脇差は、鴇汰が刺されたあの場所へ置き去りになっている。
 残った対の刀は、まだ麻乃には抜けない。
 今、マドルに武器はないけれど、クロムが言うには麻乃の体でも術を使えるらしい。
 迂闊に踏み込めないうえに、うっかり麻乃を傷つけるわけにもいかず、互いに睨み合ったままでいた。

「ここまできて、止めようと足掻いたところで、どうにもしようがないでしょう?」

「だからおまえの好きなようにやらせろとでも?」

「別に……どう受け取っていただいても構いませんが……」

 薄ら笑いを浮かべる姿に嫌悪感が湧く。
 つとその視線が動いた。
 つられてみると、小坂や杉山が鴇汰たちと反対に続く通りをふさぐように立っていた。

「……この体に傷をつけられては困る、そうお思いでしょう?」

「だったらどうした! おまえを追い出して麻乃は返してもらう! 今はただ、それだけだ!」

 フフッと含み笑いを漏らすマドルは、握った柄に指先でリズムを刻んでいる。
 さっきクロムがしていた動きと似ている。きっと術を試しているに違いない。

「返すわけにはいかないんですよ。私の描くヴィジョンには、麻乃を欠かすわけにはいかないのですから」

「一体、麻乃になにをさせる気だ?」

 修治が刀の切っ先をマドルに向けた。
 ここまできて今さら麻乃を傷つけはしないだろうけれど、鴇汰は急に不安に駆られた。
 かさりと枯葉の舞う音が聞こえ、マドルの足もとに目を向けると、小さくつむじ風が巻き上がっている。

『この術は紅き華である麻乃のための術です。干渉が外れるそのときまで、麻乃のそばに控えているでしょう』

 イツキの言葉がよみがえってくる。
 術が通ってマドルが麻乃を離れたとき、あのつむじ風がなんらかの作用をするんだろう。
 修治に伝えるつもりで近づこうとしたとき、首筋を撫でられたような奇妙な感覚に襲われた。
 その直後、耳鳴りがして体が強張る。

(今の感覚は、術が使えるようになったからか……)

 この場にいる全員が、金縛りにかかっているのだろう。
 誰も動かない。
 修治さえも。
 マドルを睨み据えると、あざけるような笑いを浮かべ、走り出そうとした。

「ぐっ――!」

 低くうめいたマドルは膝をついてうずくまっている。
 浅い呼吸を繰り返し、憎々しげな目を鴇汰に向けてきた。

「き……きさま……」

 苦し気にそういうと、フッと麻乃の目が閉じた。
 待っていたかのようにつむじ風が大きくなり、麻乃の体を包む。
 同時に金縛りが解けたのか、全員が動けるようになった。
 風が弱まり、麻乃の体が倒れそうになったのを、駆け寄って抱きとめた。

「麻乃! しっかりしろ!」

 頬を打っても気を失ったままで反応がない。
 小坂や杉山と一緒に駆けつけてきた修治が、麻乃の左腕の袖をまくりあげた。

「――痣が消えている!」

 修治の言葉に、この場にいる全員が喜びの声を上げているなか、鴇汰は一人、麻乃に声をかけ続けた。
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