蓮華

釜瑪 秋摩

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動きだす刻

第56話 修治 ~修治 6~

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 暗示にかかっているのだとすれば、元を絶ってやればいい。
 そうすれば正気に戻るかもしれない。
 泉翔が大陸へ侵攻を考えているなどと言う馬鹿げた嘘にも気づくだろう。
 左腕に痣があるのなら、それを確認しておこうと向かってくる麻乃の左腕を意識して攻めた。

(まずは袖を落とさなければ)

 そう考えては見たものの、これまでよりも速い動きに斬り合う刃が互いの腕や頬をかすめるだけで、切っ先がうまく定まらない。
 何度目かで左袖口をかすめた。
 裂けたのは濃紺の上着だけで、その下には淡い黄色の袖が覗いている。
 思わず舌打ちした。

「左腕ばかりを……婆さまみたいな真似をして……」

 怒りに任せて闇雲に突きかかってくるだけの麻乃らしくない攻撃に戸惑いを覚える。
 幼い頃からずっとたたき込まれ、嫌でも体に染み付いているはずの基礎がまるでなってない。
 大きな隙がいくつも見え、そこから突き崩していくことにした。
 スピードにも徐々に目が慣れ、動きを追うのもたやすく感じる。

(なんでだ……麻乃の力量は、本当にこんな程度だっていうのか?)

 胸もとあたりから、夜光を突き上げてきた瞬間を狙い、伸びた麻乃の腕に獄を滑らせる。
 確かな手応えに袖だけではなく肌をも裂いたのがわかった。
 浅い傷でも袖口がじわりと赤く染まっている。

 うまく行った、そう思ったわずかな隙をつかれ、鳩尾に思いきり麻乃の肘打ちを喰らった。
 呼吸ができないほどの痛みに打たれた胸を押さえ、麻乃から距離を取った。

(肘打ちでこの痛み……力は上がってるか)

 すぐに次の攻撃を仕かけてくると思ったのに麻乃は動かず、夜光を納めて裂けた袖をまくり上げた。

(痣……あれだ!)

 レイファーの言ったとおり、ちょうど手首と肘の中間に、黒い蓮華の形をした痣がくっきりと見える。

(傷は反れたか……)

 呼吸を整えながらそう思った瞬間、目を見張った。
 たった今つけた傷がない。驚いた修治に麻乃がクスリと笑って言った。

「あたしは傷つかない。死なないと言ったはずだ」

 良く見ると、これまでについた傷も消えている。

(回復術……? 麻乃は術は使えないはずだ)

 戸惑いと焦りを無理やりに押し込めて、周辺の気配を手繰った。

(砦に近い茂みに誰がいる……)

 覚えのない気配にそれが敵兵だろうと予測がつく。
 傷が治っていることを考えると相手が術師であるのもわかる。
 このまま戦い続けても、その都度回復をされては修治にとって不利以外のなにものでもない。

 手をこまねいていても仕方ない。
 まずは麻乃より術師を倒すほうが先だと判断したとき、他にも人の気配があるのを感じた。

 麻乃はまだ気づいていないのか、また夜光で向かってくる。
 獄を構えて夜光を受け、鋼のぶつかる音が響いたのと同時に砦脇の茂みから呻き声がし、聞き慣れない空気音が二回聞こえた。

 ハッと驚いた顔を見せた麻乃が後ろへ飛び、身を屈めると、なにかが目の前の空を切り、少し離れた木の幹が弾けた。
 屈んだままの麻乃の視線が砦の上へ動き、釣られてみると、砦の屋根に茂木の姿がある。

「……そこか!」

 すばやく駆け出した麻乃は砦の傍の木に向かって高くジャンプをし、蹴り付けた勢いで砦の屋根に飛び移った。

「待て! 麻乃!」

「茂木! 早く逃げろ!」

 叫んだ修治の声に被せるように誰かが叫び、声のほうへ視線を移すと、小坂が敵兵にとどめを刺したところだった。
 別れ際、気配が麻乃のものであると小坂も気づいていたのだろう。
 麻酔弾を茂木が岱胡に持たされたことは話してある。
 それが使えると踏んで連れ立ってきたのか。

 麻乃を目の前にした茂木はすっかり気圧されてしまったようで、腰を下ろし、ライフルを握り締めたまま動かない。

「あたしを撃つなんて、いい度胸じゃないか。さすが、岱胡の隊員だな」

 冷たく言い放った直後、ためらうことなく正面から夜光を振り下ろした。
 うっ、声を上げ、茂木が倒れ伏す。

「隊長……あんたなんてことを……」

 刀を握る小坂の手に力がこもった。

「小坂、やめろ。今は退け」

「あたしの邪魔をするのが悪い、さっきもそう言っただろう」

 張り詰めた空気が足を止めさせる。
 最初に動いたのは麻乃だった。
 砦から飛び降りると、小坂の前に立った。

 小坂は表情を強張らせたまま麻乃に切っ先を向けた。
 フッと笑った麻乃の目が寂しげに見える。

「小坂……あんたも修治の味方か」

「誰の味方だとか、そんなことじゃないでしょう? 俺たちはあんたの帰りをずっと待っていたのに、あんたはなんだってこんなことを……!」
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