私に必要なのは恋の妙薬

冬馬亮

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第八章 こころ揺れる

知識の使い道

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 それから、ゼンは学園内でエティエンヌに再び接触したい衝動を抑え、その後は会いに行かずに過ごした。トーラオにそうするよう言われていたからだ。

 授業を終えて学園から戻ると、トリガー邸内は甘い匂いが漂っていた。

 料理人が新しい菓子作りに挑戦したのだろうか。どこか特徴のある、今まで嗅いだ事のない匂いだ。
 実は甘いものが嫌いではないゼンが夕食のデザートに思考を向けた時、トーラオがパタパタと走って来た。


「お帰り、ゼン。エチと話せた? 手紙はちゃんと渡せたの?」


 ゼンは軽く頷いて口を開いた。


「・・・お前の言う通りにしたら、信じられないくらいすんなり受け取ってもらえた」


 トーラオはほっと息を吐くと、心持ち胸を張る。


「ふふん、やっぱりねぇ。絶対に上手くいくと思ってたんだ。ま、ゼンはボクの作戦を随分と疑ってたけど」

「それは・・・すまない。だが、眼鏡を外したくらいで上手く話せるようになるなんてそんな馬鹿な作戦、普通は信じないだろう?」

「なるほど。そんなバカな作戦も、ゼンは今まで思いつかなかった訳だしね?」

「・・・」


 トーラオの指摘に、ゼンの頬にさっと赤みがさす。

 確かに、眼鏡を外せば会話は何とかなるというトーラオの提案を最初すぐに却下したのはゼンだ。


 くだらない、子ども騙しのような方法でエティエンヌと話せるようになるのなら、この6年間の努力が、それこそ馬鹿みたいではないかと思ったからだ。


 けれど、なら他に有効な方法があるのかと逆に聞かれれば何もなくて。


 ゼンが行き詰まっていたのは本当で、それで結局、不本意ながらもトーラオの作戦に乗っかる事にした。


『視界をぼかして多少話せるようにしたとしても、ゼンだと短文がせいぜいだろうだから、すぐに長年の誤解を解くのは難しいかもね』


 トーラオはそう言って、ゼンにあらかじめ手紙を書いておくよう提案した。

 トーラオ曰く、確実に伝えたい事は文章で示した方がいいとの事だ。その方が何回も読み返せるからと。


 その後、ゼンはトーラオの添削を受けながら便箋に想いを綴る事になり、何度かのダメ出しをくらって、夜半過ぎにようやく完成した手紙に封をした。


『いい? 必ず「エチ」って愛称で呼ぶんだよ。「エティエンヌ第一王女殿下」なんて他人行儀な呼び方したら絶対ダメだからね。
それから、眼鏡を外して見えなくしても、ゼンなら想像力で補完してすぐにボロを出すだろうから、エチの顔をなるべく見ないように、深く頭を下げて用件だけを短く伝えること。欲を出して長々と話そうとしたり、何回も会いに行ったりしないようにね。とにかくまずは、手紙を受け取ってもらうのが一番の目的だよ。分かった?』


 よほど信用がないのか、何度も何度も、子どもに言い含めるようにしつこい程に繰り返し確認されてから送り出された。それが今朝の事だ。


 それなりに高いゼンのプライドは、この日1日でビキビキとひびが入ってしまったが、結果を見ればそんな被害を補って余りあると言えた。


 だって、やっと。

 やっと一歩進んだのだ。

 短い文章だけど会話が成り立った。
 何度も書き直した手紙を受け取ってもらえた。

 それを読んだ後にどうなるかはまだ分からないが、ともかく受け取ってはもらえたのだ。


 ゼンは、人差し指で頬をかきながら口を開いた。


「・・・トーラオの作戦を馬鹿にして悪かったよ。久しぶりにエチと会話が成立した。手紙の事も・・・お前のお陰だ。その、感謝する」


 照れくさくて、小声でしかも早口になってしまったが、トーラオは礼を言われると予想していなかったのか、ぱちくりと目を丸くした。


「どういたしまして。こう見えても、一応主要キャラクターの基本情報はきっちり頭に入ってるからね」


 肩を竦め、明るい口調でそう答えたトーラオは、その後に口元を歪ませた。


「・・・まぁ、元はボクをヒロインに仕立てる為に、あの女が無理やり詰め込んだ情報なんだけどね」


 少し間を置いて続いた言葉は僅かに低く、小さかった。


「呪いか地獄かと思う生活だった。でも、こっちの世界では使い道がある知識だからね。せっかくなら活用しなきゃ」


 え、と目を見開くゼンを前に、トーラオの声はすぐに明るいものに切り替わる。


「明日のエチの反応が楽しみだなぁ。恥ずかしがらずにちゃんと報告してよ?」

「あ、ああ」


 見間違い、そう思うくらい一瞬で、トーラオの仄暗さはかき消えた。
 実母について少しの情報を得ているゼンは、トーラオに合わせ、それ以上深追いしない事にした。それで、先ほどから辺りを漂う甘い匂いに話題を移す。

 すると、トーラオは「そうそう」と言ってぱちんと両手を合わせた。


「そっちの話もあったんだっけ。この匂いね、ボクがクッキーを作ったからなんだ。宰相さんに渡そうと思ってさ」

「え?」


 ーーー父に?


 首を傾げるゼンをよそに、トーラオは後でゼンのところにも持って行くから、と言ってその場を去った。








 ~~~
 長く更新が途絶えてすみませんでした。
 体調はまだ完全に元通りとは言えませんが、それなりに活動できるようになりました。毎日定時更新とはいきませんが、自分のペースで書いていきますので、よろしくお願いします。

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