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信憑性の話
しおりを挟む「・・・へえ」
話の後、レンブラントが発した一言は、それだけだった。
嘘だろ、とか、あり得ない、とか、頭おかしいんじゃないの、とか。
ベアトリーチェが予想していたそれらの言葉は、ひとつも彼の口から出て来なかった。
それきり黙りこくってしまった兄に、ベアトリーチェはおずおずと話しかける。
「お兄さまは、あの、私の話を信じて下さるの・・・?」
「ん? ああ、まあ丸っきり嘘だとは思ってないが」
「え、どうして? お兄さま、頭は大丈夫ですか?」
「・・・お前が言うか?」
「え、いえ、だって・・・」
ベアトリーチェはもごもごと口籠もる。
兄に言われるのではないかと恐れた台詞を、なぜか自身が口にしてしまったベアトリーチェは、兄があまりにすんなりと話を受け入れた事に驚きを隠せなかった。
だって、自分は今から五年後に友だちに刺し殺されて、気がつけば七年前に人生が巻き戻っていて、その友だちはどうも怪しい人物に目をつけられている様で、その怪しい人が今回の沈没事故を引き起こしたかもしれない、とか。
自分で言っておきながら、何を馬鹿なことを、としか思えない話なのに。
「・・・まあ、荒唐無稽としか言いようがないと笑い飛ばしたい所だが・・・お前の話には、妙に信憑性のある部分もあってな」
「え? そうなのですか?」
どの辺りがと尋ねるベアトリーチェを、その話はまた後で、と躱される。
「とにかく、だ。今、話を聞いた時点でもいろいろと言いたい事はあるっちゃあるが、取り敢えずこの話は預らせてくれ。ちょっとは俺にも考える時間くらいくれるんだろ?」
「あ、はい。それは勿論です。話を聞いて下さってありがとうございます、お兄さま。でも、あの」
嘘だと決めつけずに最後まで聴いてくれただけでも有り難かった。でも気が焦っているベアトリーチェは、つい縋るように言葉を続ける。
するとレンブラントは、妹が何を思っているのかを直ぐに察したらしい。
にやりと笑うと、分かってるよとベアトリーチェの頭を撫でた。
「まあ、巻き戻りの話はともかくとして。アレハンドロ、だっけ? そいつが裏で絡んでるかどうかってのは調べてみるよ。お前の話じゃ、今回の沈没事故も、トラッド子爵のとこが没落寸前になったのも、そいつが何かしたかもしれないって事なんだろ?」
「は、はい。そうなんです」
「確かに、どっちも急だったし、怪しい話ではあるな」
レンブラントは、顎に手を当て独り言ちる。
「現行のものなら、調べるのはそう難しくない。別件もあるなら尚更だ・・・まあ、だから後は」
レンブラントは顔を上げると、もう一度、今度はぐりぐりと力強くベアトリーチェの髪をかきまぜた。
「えっ、ちょっとお兄さま?」
ベアトリーチェの柔らかい猫っ毛の髪が、あっという間に絡まって鳥の巣の様になる。
「もう。お兄さまったら」
「暫くはゆっくり休んでろ。あいつが来る頃までには、俺の考えもまとめておくから」
「あ、ありがとうございます」
みっともない髪型のまま呆然と兄に感謝の言葉を口にするベアトリーチェを見て、ふ、と笑みを溢してから、レンブラントは思い出した様に口を開く。
「それからこの話、あいつにも聞かせておきたいんだけど」
「え?」
「あいつも聞く必要があると思うんだ」
「必要・・・エドガーさまに?」
「そう。いいか?」
「えと、お兄さまがそう言うなら」
「分かった。じゃあな」
そう言い残して部屋を出て行ったレンブラントは、今度は父の執務室へと足を向ける。
突然現れた息子を訝しげに見上げるノイス・ストライダムに、レンブラントはこう切り出した。
「急ぎで調べたい事が出来まして。影を五名ほどお貸し願いたいと」
ノイスは微かに目を瞠る。
「五名とは随分と欲張るじゃないか。何か面倒事か?」
「残念ながら、今は詳しい事情は話せません。ちょっと、影をあちこちに張り付かせたい、とだけ申し上げておきましょう」
そう言ってにこりと微笑めば、ノイスは呆れ顔で大仰に溜息を吐く。
「・・・後できちんと報告するんだろうな」
「それは勿論。父上の優秀な部下をお借りする訳ですからね」
「・・・」
明らかに胡散臭い、そんな眼差しを父親から向けられるも、レンブラントはどこ吹く風だ。
笑みを貼り付けたまま、父親をじっと見返した。
先に根負けしたノイスが「もういい、許可してやるから行け」と手を振るのを見届けてから、レンブラントは執務室を辞した。
ちょっと様子を、などと軽い気持ちで仕事を抜け出しただけなのに、まさかあんなとんでもない話を聞かされる事になるとはつゆ知らず。
王宮へと戻る馬車の中、レンブラントは先ほど聞いたばかりの話を再考した。
「卒業後に一年の婚約期間を置いてレオポルドと契約結婚、その見返りにうちからライナルファ家に資金援助って・・・まあレオポルド馬鹿だった時のあいつなら、如何にもやりそうな事だけど」
ナタリアとか言うベアトリーチェの親友が実はレオポルドの恋人だとか、その女にちらつくイカれた奴とか、そいつに嵌められてライナルファ家が資金難に陥るとか。
そんなのは全部、レンブラントには正直どうでもいい。挙句ベアトリーチェがレオポルドの恋人に殺されるなんて、妄想も甚だしいと普段なら切り捨てるところだ。
だが。
「ベアトリーチェの病の特効薬が完成するのが、今から五年後・・・ね」
現在進行中の隣国の新薬開発の話を、ベアトリーチェは知らない。
「エドガーの最初の見立てでは、十年はかかると言っていた。それが現在はペースが早まり七、八年だろう、と」
ふむ、とレンブラントは考え込む。
「つまり、今すでにそのペースになってるって事だ。だが、それでもトリーチェは間に合わないんだったな」
馬車の振動で身を揺れるにまかせ、レンブラントは目を瞑る。
「エドガーの行動も違ってるってトリーチェは言ってた。前は行ったきり七年間会えなかったって」
思案するように、レンブラントの右手が顎をさする。
「帰国する度にトリーチェの病状を観察し、試せるものは全て試しながら研究を進めてるせいか、予想よりも進みが早いんだって言ってたっけ。つまり、今回は前よりも早く薬が完成する可能性があるって事か・・・?」
ここで彼の唇が緩やかに弧を描く。
「だとしたら・・・トリーチェ、お前は助かるかもしれないんだな」
正直、ベアトリーチェから最初に話を聞かされた時は、何を言ってんだコイツ、と思った。
寝言は寝ている時に言え、夢は眠っている時に見ろ、と。
だが、話の最後。
最後の最後で、ベアトリーチェはドリエステで作られた薬の話を口にする。
レンブラントは、その一言で妹の話に乗ることに決めた。
レンブラントは知っているのだ。
ベアトリーチェは、幼い頃から自分の死を受け入れている。
たとえ妄想でも、薬の開発などと口にする筈がないのだ。
しかもその薬は隣国ドリエステで開発されたとベアトリーチェは言った。
それは、今現在エドガーも、レンブラントも、そしてベアトリーチェの父も母も、一縷の望みを抱いて待ち焦がれているもの。
間に合わなかった時のことを考え、当人には秘しているが、もうずっと、その知らせが届くのを待ちわびているもの。
それをベアトリーチェが知っていた。
「・・・面白い、信じてやろうじゃないか」
王宮へと向かう馬車の中、レンブラントは心を決める。
夜には父ノイスに要請した影も揃うだろう。
ドリエステが開発した新薬。
その言葉ひとつで、乗るか反るかを決めるには十分だった。
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