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目覚め

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「おはようございます、お嬢さま。今朝のご気分はいかがですか?」


・・・え?


「ベアトリーチェお嬢さま?」


心配そうな顔でこちらを覗き込んでいるのは、メイドのマーサ。


幼い頃から私に仕えてくれていて、レオポルドさまのもとに嫁ぐときにも、付いてきてくれた私の専属メイドだ。


眼をぱちぱちと瞬かせる。


どことなく違和感があるのは何故かしら。


「お嬢さま?」


そういえば、呼び方もおかしいわ。

だって嫁いでからは、マーサは私のことを「奥さま」って呼んでいたのに。


「・・・っ」


そういえば私、刺された筈よ。

それに確か、あの時、扉の近くにいたマーサもナイフでナタリアに・・・


がばっと起き上がる私の肩を、マーサが慌てて支える。


「お嬢さま? そんな急に起き上がられて・・・どうかなさいましたか?」

「マーサ、あなた怪我は?」

「は?」

「あなた、怪我をしたのではなくて?」

「怪我、ですか? いえ、どこも」


そう言って、腕を軽く振り回して見せる様子にホッと安堵の息を吐く。

それと同時に、たくさんの疑問が押し寄せてきた。


マーサに怪我はない。

そして私の体にも。

それにこの部屋は、さっきまで私がいた部屋ではないわ。


だってここは。

私が生まれ育った懐かしい場所。


でも、どうしてなのかしら。

私はナイフでナタリアに刺されて死んだのに。


夢?

私は夢を見ていたの?

あの全身を襲った鋭い痛みは、今も鮮明に思い出せるくらいなのに。


ナタリアの涙に濡れた顔も、こと切れた私を抱いて泣き叫ぶ声も、今もなお鮮明に覚えているのに。


「・・・」


目を瞑り、軽く頭を左右に振る。


落ち着いて、よく考えて。

ライナルファ侯爵家ではなく、生まれ育った屋敷にいるのは。

『奥さま』ではなく『お嬢さま』と呼ばれているのは。

刺された傷が何ひとつ残っていないのは。


全部を夢だと、気のせいだと片付けていいものなのか。


だったら、あれは?
あの記憶もすべて夢なの?



学園で愛おしげに見つめ合う二人。

不穏な噂と、焦燥した顔のあなた。

交わした約束と代償に得た関係。

誠実であろうと努力するあなたと一緒に時を数えて。

ナタリアに、もう少しだけ待っていてねと、そう告げた。


そう。

そしてあの日。


突然に部屋に飛び込んで来たナタリアが、扉近くにいたマーサを刺して、それから。


それから。


「・・・っ」

「お嬢さま? お顔の色が良くありません。どうぞ横になってください」

「マーサ」


私を横にして上掛けをかけるマーサに、震える声で呼びかける。


「今は・・・いつ?」

「今日でございますか? 三の月の十二日でございますよ」


・・・年を聞くのはさすがに変に思われるかしら。


「確か、王国歴1215年よね?」


記憶にある時より少し遡った年を口にしてみる。

私がレオポルドさまと結婚する前の年だ。


「まあお嬢さまったら」


呆れたような、慈しむような、そんな口調と共にマーサの口に笑みが浮かんだ。


「そんなに早くご成人なさりたいのですか? 今はまだ1212年でございますよ」

「・・・っ?」

思っていたよりも時が遡っていたことに驚いた。

学園に入学する年だ。

倒れて本格的に体調を崩した年。

そしてエドガーさまが留学なさった年だ。


ーーー エドガーさま。


ふと頭に浮かんだ名前に、胸がちりりと痛む。


実の妹のように私を可愛がってくれた方。

突然、医者になって功績をあげるのだと医療水準の高い隣国への留学を決めた方。


親同士の仲が良く、幼い頃から顔を合わせることが多かったエドガーさまとレオポルドさまと私だったが、エドガーさまの留学をきっかけに距離が出来た。


エドガーさまが留学した後、もし私とレオポルドさまが二人きりで会い続ければ、いくら親同士が仲が良いといっても変な噂が立ってしまう。

レオポルドさまが私に何の気持ちもない以上、距離が広がるのは必然だった。


だけど、それまでは何やかやと会う機会があったのに急に距離が出来てしまった事に酷く寂しく思ったのだ・・・それは私だけだったけれど。


・・・でも、エドガーさまからは時々手紙を頂いていたのよね。


手紙と言っても、医学研究の報告書みたいな内容だったけれど。


よほどあちらの国の水があったのか、エドガーさまは留学したきり一度も戻っては来なかった。


そう、私たちの結婚式の時でさえも。


「・・・あれは少しショックだったわ・・・」

「? お嬢さま? 何か仰いましたか?」

「う、ううん。何でもないの」


怪訝な表情のマーサに、慌てて首を横に振る。


・・・とにかく、時間が巻き戻った理由は分からないけれど、ハッキリしている事が一つだけあるわ。


今から三年後、二人にあの約束をしてはいけない、ということ。


そう、前と同じ状況に陥っても、私は絶対に手を差し伸べてはいけない。


それは、二人にとって何の助けにもならないから。


だって、きっとあの後。

そう、私が死んだあの後。


残された二人に、どんな将来が待っていたのかは想像に難くない。

結婚前に私があの二人に語った幸せな結末は、決して訪れなかっただろうから。


ふと、扉の閉まる音がしたことに気づく。
私が眠ったと思ったマーサが、部屋を出て行った様だ。


「・・・あの時、もうあと少しナタリアが私を信じて待っていてくれたら・・・」


そんな言葉を口にして、詮ないことだと首を振る。


「起こらなかったことを口にしても何も変わらないわ。私ではあの二人を幸せに出来なかった、それだけよ」


今も記憶に生々しく残るナタリアの叫び声と、レオポルドさまの驚愕の声。

他にもたくさんの人の声が混じり合って届いていた。

それはそうよね、とんでもない醜聞だもの。


その発端となったのは私。


そう。きっと、私が悪いの。


余計なことを申し出た私が。


「そう・・・あの方を愛してしまった私が悪いのよ」


そんな言葉と共に、ぽろりと涙が溢れた。


だから、もう間違えない。

今度は絶対に、あなたを愛したりはしない。


また、あなたもナタリアも不幸にする訳にはいかないから。

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