183 / 256
初めて聞く名
しおりを挟む
聞き覚えのない名前に、ベルフェルトの片眉が少し上がる。
だが、口は固く引き結んだまま、何も言わずにいた。
対してライナスバージは、その名を耳にして一瞬、目を瞠り、それから困ったような顔をして。
一方ルナフレイアは、ただ真っ直ぐにそんなライナスを見つめている。
ライナスは何か言おうと口を開けて、また閉じて。
しばし考え込んでは、また口を開いて。
そしてようやく言葉を発した。
「オレは別にそんなこと・・・」
「思ってらっしゃらないと? そう仰るの?」
「ルナ・・・」
「ライナス兄さま。いい加減、前をお向きなさいませ」
ひゅっという風切音と共に素早い蹴りが繰り出される。
舞い上がるスカートに躊躇する様子も見せないその思い切りの良さに、傍観者であるベルフェルトは思わず感服する。
「ちょっ、ルナ。お前、スカート・・・」
「まだそんなことを仰る余裕がおありですか?」
身を捻って躱すライナスに、軸足でそのまま回転して更にスピードを乗せた蹴りをもう一発送り込む。
躱すだけで防戦一方のライナスは、その後もただじりじりと下がり続け、ついには壁際へと追い詰められた。
「・・・このまま、ただ逃げ続けるおつもり?」
「ルナ、オレは」
「もう一度申し上げます。わたくしはアリスティシア姉さまではありませんよ」
ライナスはぐっと唇を噛み締める。
「どうしました? 五つも年下の従妹にやられっぱなしで終わるのですか? それでも貴方はロッテングルムの人間ですか?」
「・・・これは、いつもの手合わせとは違う」
「そうですね。これは手合わせなどではなく、ただ兄さまの過保護な心配に対するわたくしの抗議ですから」
ルナフレイアの瞳は真っ直ぐにライナスを捉え、ひたりと見据えている。
「・・・わたくしは守られる必要などありません。何故それをお認めにならないのです?」
間合いを詰めながら、ルナフレイアは詰問した。
「わたくしを見なさい、ライナスバージ・ロッテングルム。わたくしはルナフレイア・ロッテングルムです。貴方の目には、わたくしが姉に見えるのですか?」
「・・・いや」
ルナフレイアは、ライナスバージに腕を伸ばせば届く距離にまで詰めていた。
語気は荒いが、その眼に宿る光は果たして怒りなのだろうか、とベルフェルトは訝しむ。
「お前はルナだ」
ライナスがぽつりと呟いた。
その胸元に、ぽすんと軽く拳が入る。
その拳の主は、一度大きく息を吐いてから口を開いた。
「・・・姉さんとの決着は姉さんとつけて頂戴。私みたいにね」
「そうだな。悪かった」
ルナフレイアはくるりと体の向きを変え、壁に寄り掛かっていたベルフェルトの元へと向かう。
そしてベルフェルトにぺこりと頭を下げた。
「今日は非番だったのに、兄妹喧嘩に付き合わせちゃってごめんなさい。それから、ありがとう」
「いや、これを役得というのかな。なかなか良い眺めだったぞ」
「はい?」
ベルフェルトは意地の悪い笑みを浮かべる。
「次回の兄妹喧嘩もスカートで頼むよ」
「なっ! み、見たの?」
一瞬で赤くなったルナフレイアは、目の前でにやにやと笑う男をきっと睨む。
「さてな、どうだったろう。見えそうで見えなかったかな」
「・・・本当?」
「そういう事にしておいたほうが、君の心の平安になるだろう」
くく、と笑いながら扉に手をかけ、鍵を開ける。
そしてライナスの方へと顔を向けた。
「そろそろ半刻が経つぞ。殿下のところに行くのではなかったか?」
「あ、ああ」
ライナスが弾かれたように壁から背を浮かす。
「ベル、すまなかったな。今日は当主としての仕事があって来てたんだろう?」
神妙な顔で謝るライナスに、ベルフェルトは気にするなと手を振った。
「オレがお前の従妹を引き込んだ任務が危険である事には違いない。だが、彼女が強いこともまた事実だ。まぁ、事情は知らんが、たまにはぶつかるのも良いのではないか?」
そう言って、扉を開けた。
「オレには喧嘩できるような相手がいないからな。少し羨ましかったぞ」
「・・・お前と喧嘩する度胸のある奴なんて、そうそういねぇだろ」
呆れたような顔で言葉を返したライナスに、ふ、と笑みで答えると、ベルフェルトは執務室が並ぶ棟へと足を向けてから、立ち止まる。
「ルナフレイア嬢。君は今日は報告書を上げる予定じゃなかったか? もう休憩は十分だろう。さっさと戻って、今日中に全て書き上げてくれたまえよ」
「うぇ・・・」
机の上に残してきた書類の山を思い出してルナフレイアは思わずゲンナリとした表情を浮かべる。
そんなルナフレイアを見て意地悪そうに笑ったベルフェルトは、そのまま二人を残して去っていった。
だが、口は固く引き結んだまま、何も言わずにいた。
対してライナスバージは、その名を耳にして一瞬、目を瞠り、それから困ったような顔をして。
一方ルナフレイアは、ただ真っ直ぐにそんなライナスを見つめている。
ライナスは何か言おうと口を開けて、また閉じて。
しばし考え込んでは、また口を開いて。
そしてようやく言葉を発した。
「オレは別にそんなこと・・・」
「思ってらっしゃらないと? そう仰るの?」
「ルナ・・・」
「ライナス兄さま。いい加減、前をお向きなさいませ」
ひゅっという風切音と共に素早い蹴りが繰り出される。
舞い上がるスカートに躊躇する様子も見せないその思い切りの良さに、傍観者であるベルフェルトは思わず感服する。
「ちょっ、ルナ。お前、スカート・・・」
「まだそんなことを仰る余裕がおありですか?」
身を捻って躱すライナスに、軸足でそのまま回転して更にスピードを乗せた蹴りをもう一発送り込む。
躱すだけで防戦一方のライナスは、その後もただじりじりと下がり続け、ついには壁際へと追い詰められた。
「・・・このまま、ただ逃げ続けるおつもり?」
「ルナ、オレは」
「もう一度申し上げます。わたくしはアリスティシア姉さまではありませんよ」
ライナスはぐっと唇を噛み締める。
「どうしました? 五つも年下の従妹にやられっぱなしで終わるのですか? それでも貴方はロッテングルムの人間ですか?」
「・・・これは、いつもの手合わせとは違う」
「そうですね。これは手合わせなどではなく、ただ兄さまの過保護な心配に対するわたくしの抗議ですから」
ルナフレイアの瞳は真っ直ぐにライナスを捉え、ひたりと見据えている。
「・・・わたくしは守られる必要などありません。何故それをお認めにならないのです?」
間合いを詰めながら、ルナフレイアは詰問した。
「わたくしを見なさい、ライナスバージ・ロッテングルム。わたくしはルナフレイア・ロッテングルムです。貴方の目には、わたくしが姉に見えるのですか?」
「・・・いや」
ルナフレイアは、ライナスバージに腕を伸ばせば届く距離にまで詰めていた。
語気は荒いが、その眼に宿る光は果たして怒りなのだろうか、とベルフェルトは訝しむ。
「お前はルナだ」
ライナスがぽつりと呟いた。
その胸元に、ぽすんと軽く拳が入る。
その拳の主は、一度大きく息を吐いてから口を開いた。
「・・・姉さんとの決着は姉さんとつけて頂戴。私みたいにね」
「そうだな。悪かった」
ルナフレイアはくるりと体の向きを変え、壁に寄り掛かっていたベルフェルトの元へと向かう。
そしてベルフェルトにぺこりと頭を下げた。
「今日は非番だったのに、兄妹喧嘩に付き合わせちゃってごめんなさい。それから、ありがとう」
「いや、これを役得というのかな。なかなか良い眺めだったぞ」
「はい?」
ベルフェルトは意地の悪い笑みを浮かべる。
「次回の兄妹喧嘩もスカートで頼むよ」
「なっ! み、見たの?」
一瞬で赤くなったルナフレイアは、目の前でにやにやと笑う男をきっと睨む。
「さてな、どうだったろう。見えそうで見えなかったかな」
「・・・本当?」
「そういう事にしておいたほうが、君の心の平安になるだろう」
くく、と笑いながら扉に手をかけ、鍵を開ける。
そしてライナスの方へと顔を向けた。
「そろそろ半刻が経つぞ。殿下のところに行くのではなかったか?」
「あ、ああ」
ライナスが弾かれたように壁から背を浮かす。
「ベル、すまなかったな。今日は当主としての仕事があって来てたんだろう?」
神妙な顔で謝るライナスに、ベルフェルトは気にするなと手を振った。
「オレがお前の従妹を引き込んだ任務が危険である事には違いない。だが、彼女が強いこともまた事実だ。まぁ、事情は知らんが、たまにはぶつかるのも良いのではないか?」
そう言って、扉を開けた。
「オレには喧嘩できるような相手がいないからな。少し羨ましかったぞ」
「・・・お前と喧嘩する度胸のある奴なんて、そうそういねぇだろ」
呆れたような顔で言葉を返したライナスに、ふ、と笑みで答えると、ベルフェルトは執務室が並ぶ棟へと足を向けてから、立ち止まる。
「ルナフレイア嬢。君は今日は報告書を上げる予定じゃなかったか? もう休憩は十分だろう。さっさと戻って、今日中に全て書き上げてくれたまえよ」
「うぇ・・・」
机の上に残してきた書類の山を思い出してルナフレイアは思わずゲンナリとした表情を浮かべる。
そんなルナフレイアを見て意地悪そうに笑ったベルフェルトは、そのまま二人を残して去っていった。
15
お気に入りに追加
1,353
あなたにおすすめの小説
夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。
スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」
伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。
そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。
──あの、王子様……何故睨むんですか?
人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ!
◇◆◇
無断転載・転用禁止。
Do not repost.
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
求職令嬢は恋愛禁止な竜騎士団に、子竜守メイドとして採用されました。
待鳥園子
恋愛
グレンジャー伯爵令嬢ウェンディは父が友人に裏切られ、社交界デビューを目前にして無一文になってしまった。
父は異国へと一人出稼ぎに行ってしまい、行く宛てのない姉を心配する弟を安心させるために、以前邸で働いていた竜騎士を頼ることに。
彼が働くアレイスター竜騎士団は『恋愛禁止』という厳格な規則があり、そのため若い女性は働いていない。しかし、ウェンディは竜力を持つ貴族の血を引く女性にしかなれないという『子竜守』として特別に採用されることになり……。
子竜守として働くことになった没落貴族令嬢が、不器用だけどとても優しい団長と恋愛禁止な竜騎士団で働くために秘密の契約結婚をすることなってしまう、ほのぼの子竜育てありな可愛い恋物語。
※完結まで毎日更新です。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる