上 下
166 / 183

時は満ちた

しおりを挟む


サルトゥリアヌスの態度の変化に、ヴァルハリラは少なからず驚いた。


「た、対価って・・・ああ、前に約束したアレね。国民すべての命で支払うって言った・・・」
「前にも言っただろう。対価はお前に属するものでなければならないと。だが国民はお前に属してはいない」


先ほどまでとはまるで違う。

慇懃無礼と言ってもいい程に丁寧だったサルトゥリアヌスの口調が、ガラリと変わった。


だが思い出してみれば、この男は初めて会った時もこうではなかったか。

いつから、この男は自分に下僕のような謙った態度を示していたのだろう。


そう、確かあれは。

あれは契約を結んだ時からだ。


では、つまりもう自分は。

もう、契約の対象からは外れていると、そういうことか。


「聞こえているのか、ヴァルハリラよ。国民の命を対価として払うことは出来ないと言っている。お前は王族ではない。王太子の妻でもないのだからな」
「・・・え?」


今、この男は何と言った?

私が王族ではない、と?

王太子の妻ではない、と、そう言ったの?


「な、に・・・を言っているの。わたくしは、カルセイランさまの妻よ? 確かに、騙されて閨でカルセイランさまから精を注いでもらう事には失敗したかもしれないけど。でも、わたくしは祭司の前で婚姻の儀を行ったわ。間違いなくわたくしは王太子カルセイランさまの妻よ、王太子妃よ。だから・・・だから、民をわたくしの意のままに使う権利がある筈・・・」
「いや、ないな」
「え?」


ひやりと背中が寒気を覚える程の冷気を感じた。


「お前にはそんな権利も力もない。ただの侯爵令嬢に過ぎないお前が、何を馬鹿な事をほざいている?」
「こ、う爵、令嬢? え、どうして、だってわたくしは・・・」
「お前の婚姻の儀は無効だ。婚姻の宣誓すら成立していないのに」


ぽかんと口を開けたまま、告げられた言葉の意味を理解出来ずにいるヴァルハリラに、サルトゥリアヌスは更に言葉を続けた。


「祭司職にも就いていない偽者の前で行った誓いなど、儀式として成立する筈がないだろう」
「に、せもの?」
「ああ。お前の誓いを見届けた男は祭司ではなく、祭司に化けた術師だ・・・しかも面白い事に」


サルトゥリアヌスが右手の人差し指をくるりと回すと、どこからか一枚の紙が落ちてきた。

それを空中で無造作に掴み取り、ヴァルハリラの眼前に突きつける。


「よく見ろ・・・と言っても、お前は文字も読めないんだったな」


ヴァルハリラの目の前でこれ見よがしにひらひらと揺らされるその紙に見覚えはない。

だが最下段には、自分のサインが確かに記されている。しかもちゃんと自分の筆跡で。


サインなんてあちこちで書いているから、どこで何に書き込んだかなんて覚えている訳がない。


あら、でも待って?


その左隣には、もう一つ何かが書き込まれている。


読めないけれど、対になっているようだから、きっとこれも誰かのサインに違いない。


そこまで考えて、ヴァルハリラは自分のサインに並ぶように記されているその文字が、誰のサインであるかを察した。


「ヴァルハリラ、これが何だか分かるか?」
「多分・・・婚姻の儀の時に渡された紙かしら?」
「はっ・・・! 珍しく頭が回ったな。そうだ、その通りだ。カルセイランとの婚姻の儀式の際に、婚姻誓約書としてお前が署名した書類だ。通常であれば、祭壇の前で誓いの言葉を立て、婚姻の誓約書にサインをする事で婚姻の手続きは完了する」
「だったら・・・」
「だがな」


少なくとも書類上は王族の仲間入りをしたのではないか、と、そう言おうとして遮られる。


「この書類までもが本物でないときた。お前、よほどカルセイランに嫌われているのだな」
「・・・どういう、意味よ?」


私が嫌われてる訳がないじゃない。

カルセイランさまの運命の相手なのに。


くく、とサルトゥリアヌスは笑い出す。

憎らしい事に、今日のこの男は本当によく笑う。しかも恐ろしく楽しそうに。


「字が読めないから、見せても分からないのか。これは婚姻の誓約書でも何でもない。愚かなヴァルハリラよ、お前がサインしたのは全く違う別の書類という事だ」
「え、それは・・・つまり、わたくしは・・・」


口籠るヴァルハリラの代わりにサルトゥリアヌスがその先を続ける。


「王族への仲間入りなどとんでもない。お前はまだ、独身のダスダイダン侯爵令嬢のままだ、という事だ」


呆然とするヴァルハリラに、サルトゥリアヌスはもう一度その手に持つ紙をひらひらと振った。


「この紙はお前が王城で浪費した金の賠償請求書のようだ。補償の相手は、この左側の署名の主、カルセイランとなっているな」
「はあ?」
「まあ無理はなかろう。お前の散財は酷いものだった。民が納めた税金を、下らない見栄と欲の為に浪費したのだ。ダスダイダンの領地、屋敷、全てを売り払ったとて、補填出来るかどうかは怪しいところだが、まあやってみる価値はあるだろうよ」
「そんな事、する筈ないでしょ。領地も屋敷もわたくしのものなのに」
「構う事はない。もはやお前が持っていても、この先使う当てもないのだから」


サルトゥリアヌスの眼が柔らかく細められる。


思わず見惚れてしまうような、そんな極上の微笑みなのに。

どうして、こんなに寒々しいのか。


「ど・・・いう、こと・・・?」


話に全くついていけないヴァルハリラの声は呆然としていた。


「対価を支払う時間が来たという事だ。お前のその、生きても死んでもいない身体を使ってな」


そう言うと、未だ理解が追いつかないヴァルハリラの前で、サルトゥリアヌスは両手を広げ、高く掲げた。


そして、歌を歌うかの如く声を上げる。


「我が主よ、契約の時が満ちました。どうか、貴方の偉大なる力を借り受けたこの女から、然るべき対価をお取りください」



言い終わると同時に、サルトゥリアヌスの背後にあった影が、ぐん、と大きく伸びてヴァルハリラを呑み込む。


そして、そのまま影は王国全土を覆い尽くしていった。

こうしてガゼルハイノン王国は、闇に包まれた。
しおりを挟む
感想 29

あなたにおすすめの小説

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

愚かな貴族を飼う国なら滅びて当然《完結》

アーエル
恋愛
「滅ぼしていい?」 「滅ぼしちゃった方がいい」 そんな言葉で消える国。 自業自得ですよ。 ✰ 一万文字(ちょっと)作品 ‪☆他社でも公開

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

【完結】私を裏切った最愛の婚約者の幸せを願って身を引く事にしました。

Rohdea
恋愛
和平の為に、長年争いを繰り返していた国の王子と愛のない政略結婚する事になった王女シャロン。 休戦中とはいえ、かつて敵国同士だった王子と王女。 てっきり酷い扱いを受けるとばかり思っていたのに婚約者となった王子、エミリオは予想とは違いシャロンを温かく迎えてくれた。 互いを大切に想いどんどん仲を深めていく二人。 仲睦まじい二人の様子に誰もがこのまま、平和が訪れると信じていた。 しかし、そんなシャロンに待っていたのは祖国の裏切りと、愛する婚約者、エミリオの裏切りだった─── ※初投稿作『私を裏切った前世の婚約者と再会しました。』 の、主人公達の前世の物語となります。 こちらの話の中で語られていた二人の前世を掘り下げた話となります。 ❋注意❋ 二人の迎える結末に変更はありません。ご了承ください。

【完結】会いたいあなたはどこにもいない

野村にれ
恋愛
私の家族は反乱で殺され、私も処刑された。 そして私は家族の罪を暴いた貴族の娘として再び生まれた。 これは足りない罪を償えという意味なのか。 私の会いたいあなたはもうどこにもいないのに。 それでも償いのために生きている。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

処理中です...