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時間稼ぎ

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「やっと戻ったか。首尾はどうだ、上手くホフマンの奴らは迷子に出来たか?」


ザザッと茂みをかき分ける音と共に現れた上腕のない男に向かって、傭兵ドルトンがいつもの平坦な調子で尋ねる。


「ああ。ちゃんと麓の方に誘導してやったよ。これでもうホフマン軍にはろくな人数が残っていない。合流しようにもあとニ、三日はかかるだろうしな」


すっかり逞しくなった元雇い主の返答に、普段は無愛想なドルトンが珍しく笑顔を見せた。


「なら時間稼ぎは成功って訳だ。なんだっけ? あの野郎の話だと、今日一日保たせればいいんだったよな?」
「ああ。カサンドロスの奴はそう言ってた」


木の陰に座り、ふう、と息を吐くと、男は肘から先がなくなっている短い腕と自身の胴体とに挟むようにして、飲み水を入れていた筒を器用に膝の上に転がした。


歯で筒の蓋を取り外し、そのまま飲み口を噛んで上を向く。

勢いよく喉に水が流れこむが、入りきらずに口から溢れた水が、首すじに流れ落ちる。

シャイラックは空になった筒を地面に転がすと、乱暴に濡れた口元を肩に擦り付け、ぷはっと息を吐いた。


「とにかく、理由はよく分からねぇが、これがあいつらの勝ちに繋がるらしいぜ」
「そうだな。やっとオレらもあのお姫さんの役に立てたって事だ」


ドルトンが珍しく声を上げて笑うと、シャイラックもまたそれに釣られるように笑った。









自らが王太子であると明かしたカルセイランの言葉に、ペイプルの兵士たちは一瞬、息を呑み、その場は静寂に包まれた。


だが、すぐに兵士の一人が気を取り直して口を開く。


「王太子だと? 何を戯けたことを。王太子殿下がここにいる筈がなかろう!」


困惑を振り払うような怒鳴り声。

それに続いて他の兵士たちもまた口々に罵りの言葉を投げ始める。


「我らは敬愛する王太子妃殿下の敵を討つために来たのだ。本物の王太子が妃殿下の敵の側にいる筈がない!」
「偽者め! さっさと失せろ!」
「そうだ! 我らは王太子妃殿下のために戦うのだ!」


それらの怒声と同時に、再び何本もの矢がカルセイランたち目がけて打ち込まれる。


リュクスとノヴァイアスがカルセイランの前に進み出て盾で正面からの矢を躱し、カルセイランは二人の頭上に盾をかざして上からの攻撃を防ぐ。


カルセイランは降り注ぐ矢の雨にも怯む事なく語り続けた。


もとより、いきなり納得してもらえるとも思っていない。

彼らには主君を慕う気持ちがあるからこそ、それをヴァルハリラに利用されているのだ。


「ペイプルより進軍したお前たちを率いたのは誰か! 将軍ガルスか、それとも将軍タイタスか!」


ペイプル領の誉れ高き将軍二人の名を叫んだカルセイランに、兵士たちは一瞬、動きが止まる。


「ガルスならば私の声に聞き覚えがあろう。三年前、お前とお前の息子に陛下が褒賞を授けた時、父に続き私もお前たち親子に労いの言葉をかけた筈。タイタスもそうだ。二年半前には王城での舞踏会で、四年前には領地視察の際に言葉を交わしている。どうだ、この私の声に、覚えがないか!」
「なっ・・・!」
「どういう事だ・・・?」
「まさか、いや、そんな筈は・・・」


カルセイランの呼びかけに動揺を見せる兵たちに、副将の何人かが叱責を浴びせる。


「狼狽えるなっ! 偽者の言葉に惑わされてどうするっ! 進め、進めっ!」
「そうだっ、怯むな。手を休めるなっ!」


声を荒げ、躊躇する兵たちを叱咤する副将たちに向けてカルセイランは叫ぶ。


「確かめもせずに私を偽者呼ばわりとは笑わせる。本当に王太子である事が証明されたならばどうするつもりだ。ペイプル領全体に叛意ありと捉えられても良いと言うのではあるまいな?」
「ぐっ・・・っ!」
「何を・・・」


副将たちは悔しげに唇を噛み、兵たちに止まるように命令した。

だが、依然として彼らの手には矢や剣があり、構えを崩そうとはしない。


ところで、その頃からだろうか。


村の入り口に続く道をぐるりと囲むように立っていた兵士たちの一部から、戸惑いの声が上がり始めていたのは。


どういう事だ、何故こんな、一体俺たちは何を、と困惑と焦りと驚愕の声が上がる。

だが、前にいる将軍や副将たちの耳に、それらの声は届いていない。


それらの呟きはまだ少数。


恐らくは道の端にいて偶然紋様を目にした者たちだろう。

そんな幸運に全てを賭ける訳にはいかない。



夜明けの時間までは、まだもう少しの時がある。

全てが陽の光の元に照らし出されるには、まだ早いのだ。


それでも暗闇の中、カルセイランの合図で灯された松明の明かりに照らされ、朧げに浮かび上がった紋様を目にした者たちがいた。


それはカルセイランにとっての確かな光。


両横にずらりと並んで建てられた木杭、そこに刻んだ解呪の紋様を目にした者たちこそが。
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