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それぞれの朝

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早朝。
ひとり起きだし、屋敷の外のシュロの木の側、小さな池の縁に立っていたカサンドロスは、上空を舞う鳥に気付いた。

灰色の小さな鳥、それはノヴァイアスに付けた鳥だ。

手を差し伸べると、すっと手首に舞い降りる。
その首に就けてある小箱を開けると、小さく折りたたんだ紙が入っていた。

「・・・流石、王太子の元最側近。仕事が早いな」

そう呟きながら紙を広げ、目を落とす。

読み進めるうちに、カサンドロスの表情は渋面になっていく。

最後まで読み終えると、軽く息を吐き、懐から新たな紙を取り出して何事かをさらさらと書きつけた。
それをヴァンの首元の箱に差し入れ、空へと放つ。

鳥は数回、カサンドロスの真上を旋回してから、王都の方角へと飛んで行った。

「・・・それにしても、この謀はあまりに規模が大きすぎる」

小さくなっていく鳥の影を見送りながら、カサンドロスはそう呟いた。




カルセイランは、小鳥の囀りが聞こえる中、目を覚ました。

どうやら、あの後そのまま眠りに落ちてしまったようだ。
気がつけば机に突っ伏したままで眠っていた。

腕につけた傷からの出血は止まり、赤く醜い傷跡が、ひきつれた様に浮かび上がっている。

これでいい。
まずはこれで。

カルセイランは腕の傷に目を落とした。

この痛みを忘れるな。
ユリアティエルを忘れる辛さに比べれば、こんな痛みなど何ほどでもないのだから。

ふ、と小さく息を吐く。

恐らく今日も、あの忌まわしい女はやって来る。
私を惑わそうとやって来る。

誰の痛みも顧みず、ただ己の欲ばかりを満たすことだけを考えて。

この腕の痛みよ、どうか。
私をあの女の術から守ってくれ。

カルセイランは、祈るように目を瞑った。






その頃、ノヴァイアスは王都の外にて自らが張ったテントから起き出していた。

昨夜、計画通りにカルセイランたちと接触出来たのは運が良かったのだろう。
その後の動向と、更なる情報収集と、まだまだここでやるべき事は山積みだ。村はずれの井戸で顔を洗い、洗濯をして木の枝に干す。
そして、再び城に潜入する機会を待つことにする。

久しぶりに会った主君の顔は、心なしかやつれていた。

ノヴァイアスは、カルセイランによってつけられた首元の傷に触れ、そっとなぞる。

カサンドロスには申し訳ないが、本当はあのまま刺し通されても構わないと思っていた。
そんな事を言ったら、きっと約束を違えるなと怒りそうだ、などと思いながら。

カルセイラン殿下は、今日以降、どのようにしてあの女の術を躱すおつもりだろうか。

紙切れ一枚。
たかが一枚きりの薄っぺらい紙だ。

あの屋敷に戻ればまだ何枚か手に入れることも出来ようが、それをカサンドロスに言いつけられた任務よりも優先させる事は出来ない。

暫くは王都付近で寝泊まりすることになるだろう。

ノヴァイアスは、軽く目を瞑って考えを巡らせた。

例えば。
アデルハイデン卿をあそこから逃すとして。
逃すことそのものは容易であろう、隠し通路を使うならば。
だが、安全の確保には、差し当たっての滞在先が必要となる。

であればその場所は、あの女の目に決してつかないところでなければならない。
アデルハイデン卿があの女に忘れ去られたままでいる為に。

二度とあの女の注意を、ユリアティエルさまに向かせないために。

そして、サルトゥリアヌス。
あの男、やはり思っていた通りだった。

あの男は、契約主とあの女とを繋ぐ役でありながら、あの女に最大限の便宜を図ろうとはしない。

ユリアティエルさまを攫った時。
そしてその後、売り払った時。

幾ばくかではあるが、あの方のために動いてくれた。

そしてまた、それはカルセイランさまに対しても。
ユリアティエルさまへの想いが強くなるように、そうしてあの女の術に抵抗出来るようにと、密かに、ささやかに、手助けをする。

その目的は何なのか。
あの男の意思なのか、それとも契約主の何らかの意思なのか。

少なくとも、ヴァルハリラの目的を果たす事を第一にしているようには思えない。

それが、我々にとって何を意味するのか、吉と出るか凶と出るか、注意深く探らねばなるまい。

そう決意した朝だった。
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