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極上の商品
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これから世話をする商品を汚しては駄目だと、ハイデは血を拭くための布を少女に渡した。
身体中に滲んだ血を黙ったまま拭く少女に向かって、ハイデはいつもの如くあれやこれやと文句を言い続けるが、少女はそれを聞き流す。
・・・どうせ何をやったって怒るくせに。
どこで生きてたって苦しいだけだ。
誰に媚びようと、愛想を振り撒こうと、そんなのは腹の足しにもなりはしない。
大体、ハイデの言う通りに笑顔を見せて大人しくしたところで、さっさと売られておしまいだ。
ここを出られる代わりに、また違う牢獄に繋がれるだけ。
いや、違う。
その時に繋がれる牢獄は永遠のものだ。
自分はもう、自分を金で買い取った正式なご主人の物になるのだから。
意思も、希望も、生きる場所も着るものも選べない、ただ命令を聞くためだけに存在する物に。
少女は、痛む傷跡を掌でそっと撫でた。
・・・だったらまだ、どれだけ酷い目に遭わされても、このまま人間でいたい。
今はまだ、この痛みも傷も、誇りも意地も、人間である私のもの。
・・・奴隷になる時、それは私の死ぬ時だ。
鉄格子が開き、重い音が廊下に響く。
ハイデが振り返って少女に「入りな」と声をかけた。
「・・・」
シェケムたちの後について、檻の中に足を踏み入れる。
鉄格子で囲まれているのは同じだが、広さは自分の檻よりもこちらの方がずっと大きい。
ふと、奥の人影が目に入った。
「・・・」
思わず、息を呑む。
自分の中には、碌な感情が残っていないと思っていた。
もう、憎いとか、苦しいとか、辛いとか、そんなものばかりだと。
そう思ってた。
「待たせたね。これがあんたの世話をする子だよ。風呂とか食事とかの世話はこれに頼むといい」
鉄格子で囲まれた檻の中、まるで花開いた百合のように佇む女性を見るまでは。
・・・なんて、綺麗な人。
「必要な物はこの子に言いな。ああ、服とかはこっちで用意するから」
「・・・はい、ありがとうございます」
「とにかく、並ぶ時はいつも身繕いを綺麗にしておくんだぞ。あんたには結構な額の金を払ったんだ。最高値で競ってもらわなきゃこっちが困る」
シェケムたちの声がどこか遠くから聞こえる、そんな気がするくらい、何もかもがどうでもよくて、自分の目はただ静かに座る美しい人に釘付けで。
そんな感情が、自分から湧き出たことに驚いた。
・・・まだ、綺麗だって感動出来るんだ、私。
ここに売られて何年も経って。
毎日が嫌なことばかりで。
痛くて、辛くて、苦しくて。
死にたくて堪らなくて。
でもこのまま死ぬのは悔しくて。
自分の中には、もう醜い感情しか残ってない。
そう思ってたのに。
「こんにちは」
挨拶の声に、はっと我に返る。
いつの間にか、シェケムたちは檻から出て、居なくなっていた。
目の前にいる信じられないくらい綺麗な人が、私に笑顔を向けている。
慌てて頭をぺこりと下げた。
「・・・」
口がきけないと思ったのだろうか。
その人は、私が無言でいても怒鳴ったりはしなかった。
ここでこういう反応をした人は初めてだ。
「ええと、貴女のことは・・・何て呼べばいいのかしら」
「・・・」
「困ったわ、さっきの人に聞いておけば良かった」
何故だかとても困っている様子を見て、少女は慌てて口を開いた。
「12・・・です」
「え?」
私が返事をしたのが予想外だったらしく、大きな紫の眼を、さらに大きくした。
「12、と呼んでください」
もう一度繰り返すと、その人は戸惑いがちに口を開いた。
「・・・それは、もしかして数字ではないかしら」
「そうです。ハイデさんがその方が便利だと言って檻の番号で呼ばれるようになりました」
「・・・では、本当の名前の方を教えてくれる?」
私は目を見開いた。
そんな事を言う人は、今までいなかったから。
自分は人間だと言い聞かせてはいたけど、人間らしく扱ってくれる人なんて、ここには誰一人いなかったから。
「・・・エイダ・・・エイダです」
声が少し上擦った。
「そう、エイダというの。可愛い名前ね」
その人はふわりと笑って。
「ふふ、エイダの髪は、綺麗な青なのね。太陽の光が当たると、まるで海が煌めいてるようだわ。・・・触ってもいいかしら?」
そう言って私の頭をそっと撫でた。
・・・どうして、この人がこんな場所にいるの。
きっと、ここが何処かを知らないわけじゃないだろう。
私の身体中にある無数の傷跡にも、勿論気付いているんだろう。
それでもこうして静かに、穏やかに、諦めたように微笑んでる。
それがはっきりと分かるから、だから。
胸が掴まれたみたいに、苦しい。
「私の名前は少し長いの。ユリアティエルって言うんだけれど、良かったらユリアって呼んでね」
・・・天使、みたいだ。
極上の商品だからって、優しく扱われるわけじゃない。
ここはそんな優しい場所じゃない。
だけど。
だけど、出来る事なら。
この人が幸せになれますように。
人のままでいられますように。
きっと叶うことなんてない、そんな願いを、心の中で呟いた。
「・・・はい、ユリアさま。どうぞよろしくお願いします」
涙が零れそうで、堪えるのに必死で、声が少しだけ震えた。
身体中に滲んだ血を黙ったまま拭く少女に向かって、ハイデはいつもの如くあれやこれやと文句を言い続けるが、少女はそれを聞き流す。
・・・どうせ何をやったって怒るくせに。
どこで生きてたって苦しいだけだ。
誰に媚びようと、愛想を振り撒こうと、そんなのは腹の足しにもなりはしない。
大体、ハイデの言う通りに笑顔を見せて大人しくしたところで、さっさと売られておしまいだ。
ここを出られる代わりに、また違う牢獄に繋がれるだけ。
いや、違う。
その時に繋がれる牢獄は永遠のものだ。
自分はもう、自分を金で買い取った正式なご主人の物になるのだから。
意思も、希望も、生きる場所も着るものも選べない、ただ命令を聞くためだけに存在する物に。
少女は、痛む傷跡を掌でそっと撫でた。
・・・だったらまだ、どれだけ酷い目に遭わされても、このまま人間でいたい。
今はまだ、この痛みも傷も、誇りも意地も、人間である私のもの。
・・・奴隷になる時、それは私の死ぬ時だ。
鉄格子が開き、重い音が廊下に響く。
ハイデが振り返って少女に「入りな」と声をかけた。
「・・・」
シェケムたちの後について、檻の中に足を踏み入れる。
鉄格子で囲まれているのは同じだが、広さは自分の檻よりもこちらの方がずっと大きい。
ふと、奥の人影が目に入った。
「・・・」
思わず、息を呑む。
自分の中には、碌な感情が残っていないと思っていた。
もう、憎いとか、苦しいとか、辛いとか、そんなものばかりだと。
そう思ってた。
「待たせたね。これがあんたの世話をする子だよ。風呂とか食事とかの世話はこれに頼むといい」
鉄格子で囲まれた檻の中、まるで花開いた百合のように佇む女性を見るまでは。
・・・なんて、綺麗な人。
「必要な物はこの子に言いな。ああ、服とかはこっちで用意するから」
「・・・はい、ありがとうございます」
「とにかく、並ぶ時はいつも身繕いを綺麗にしておくんだぞ。あんたには結構な額の金を払ったんだ。最高値で競ってもらわなきゃこっちが困る」
シェケムたちの声がどこか遠くから聞こえる、そんな気がするくらい、何もかもがどうでもよくて、自分の目はただ静かに座る美しい人に釘付けで。
そんな感情が、自分から湧き出たことに驚いた。
・・・まだ、綺麗だって感動出来るんだ、私。
ここに売られて何年も経って。
毎日が嫌なことばかりで。
痛くて、辛くて、苦しくて。
死にたくて堪らなくて。
でもこのまま死ぬのは悔しくて。
自分の中には、もう醜い感情しか残ってない。
そう思ってたのに。
「こんにちは」
挨拶の声に、はっと我に返る。
いつの間にか、シェケムたちは檻から出て、居なくなっていた。
目の前にいる信じられないくらい綺麗な人が、私に笑顔を向けている。
慌てて頭をぺこりと下げた。
「・・・」
口がきけないと思ったのだろうか。
その人は、私が無言でいても怒鳴ったりはしなかった。
ここでこういう反応をした人は初めてだ。
「ええと、貴女のことは・・・何て呼べばいいのかしら」
「・・・」
「困ったわ、さっきの人に聞いておけば良かった」
何故だかとても困っている様子を見て、少女は慌てて口を開いた。
「12・・・です」
「え?」
私が返事をしたのが予想外だったらしく、大きな紫の眼を、さらに大きくした。
「12、と呼んでください」
もう一度繰り返すと、その人は戸惑いがちに口を開いた。
「・・・それは、もしかして数字ではないかしら」
「そうです。ハイデさんがその方が便利だと言って檻の番号で呼ばれるようになりました」
「・・・では、本当の名前の方を教えてくれる?」
私は目を見開いた。
そんな事を言う人は、今までいなかったから。
自分は人間だと言い聞かせてはいたけど、人間らしく扱ってくれる人なんて、ここには誰一人いなかったから。
「・・・エイダ・・・エイダです」
声が少し上擦った。
「そう、エイダというの。可愛い名前ね」
その人はふわりと笑って。
「ふふ、エイダの髪は、綺麗な青なのね。太陽の光が当たると、まるで海が煌めいてるようだわ。・・・触ってもいいかしら?」
そう言って私の頭をそっと撫でた。
・・・どうして、この人がこんな場所にいるの。
きっと、ここが何処かを知らないわけじゃないだろう。
私の身体中にある無数の傷跡にも、勿論気付いているんだろう。
それでもこうして静かに、穏やかに、諦めたように微笑んでる。
それがはっきりと分かるから、だから。
胸が掴まれたみたいに、苦しい。
「私の名前は少し長いの。ユリアティエルって言うんだけれど、良かったらユリアって呼んでね」
・・・天使、みたいだ。
極上の商品だからって、優しく扱われるわけじゃない。
ここはそんな優しい場所じゃない。
だけど。
だけど、出来る事なら。
この人が幸せになれますように。
人のままでいられますように。
きっと叶うことなんてない、そんな願いを、心の中で呟いた。
「・・・はい、ユリアさま。どうぞよろしくお願いします」
涙が零れそうで、堪えるのに必死で、声が少しだけ震えた。
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