上 下
22 / 183

揺れる影

しおりを挟む
「思った通りだ。お前の血は甘い」

唇の端から零れ落ちそうになった一滴を、自らの舌で舐め取りながら、サルトゥリアヌスは囁いた。

「・・・血に甘いも苦いもあるのですか?」

手首に感じる小さな痛みに微かに眉を寄せ、ユリアティエルは問う。

「ああ、至高のワインにも勝る豊潤な香りと味のものもあれば、思わず吐き捨てたくなるほど臭いものもある。同じ人間でも偉い差があるものさ」

恍惚とした表情でユリアティエルの血を堪能するその姿は、一種背徳的ですらある。

少しの目眩を感じて身体がふらつけば、ここで漸くサルトゥリアヌスが突き立てていた牙を離した。

「少し食らいすぎたか」

血の気が失せた青白い顔を見て、サルトゥリアヌスがくつりと笑う。

「あの女からの指示がなければ、このまま永久にお前をここに閉じ込め、日々お前を食らってもいいと思うくらいには美味いな」

それはそれで恐ろしいとユリアティエルは思ったけれど。
起きることのない未来に怯える暇など、今のユリアティエルにはなかった。

彼女には刻一刻と差し迫る確実で残酷な未来があるのだから。

「お前の行き先は早目に決めておけ。そしてゴミのように扱われる未来への覚悟を決めておくことだ」
「・・・わかりました」

ただ猶予されただけの未来ではあるけれど、取り敢えずその中から自分で決められるというのならば。

私はどれを選ぶのだろう。

その後、部屋にひとり残されたユリアティエルはベッドの上に横たわり、目を瞑る。

考えておけ、と言われた。

でも。
でも、もう。

・・・カルセイランさま。

何もかもがどうでもいい。そんな気がしていた。

愛され、慈しまれた日の記憶は、もう遥か遠い昔のようで。
手首から感じる微かな痛みだけが、今のユリアティエルの意識を繋ぎ止めている。

ノヴァイアス。
貴方が私を探しているというのは本当なの?
私がどこにいるかも分からないというのに?

身じろげば、手首がちくりと痛む。

それでも、やがて手首の痛みも治まるにつれ、ユリアティエルは我知らず、深い闇へと落ちていった。






サルトゥリアヌスは鏡を見ていた。

その向こうに映るのは、自身の影とは異なる全く異質の姿。

「・・・馬鹿の戯言に付き合わされているのです。少しくらい遊んでもいいでしょう?」

そんな呟きが彼の口から漏れると、鏡に映る別の影が何かを囁いた。

それに対し、サルトゥリアヌスが、くく、と笑う。

「まあ、あの女はともかく、他は思っていたより面白い動きをしているのは確かですがね」

影がゆらゆらと揺れる。
それはまるで笑っているかのようだ。

「人間など、愚かで弱いばかりの脆い存在だと思っておりましたが、なかなかどうして」

サルトゥリアヌスが目を細める。

「ええ、楽しゅうごさいますよ。捻じ曲げられた運命に抗おうと必死に闘う様は、滑稽ながらも美しいものですからね」

影の囁きに応えて「ああ」と手を上げる。

「ご安心ください。全ては順調です。あの女は何の疑問も抱かずに用意された道を進んでいますよ。ええ、主の掌の上で転がされているとも知らず」

感情の籠もらない綺麗な笑みを浮かべ、サルトゥリアヌスは言葉を継ぐ。

「全ては主のお望みのままに」
しおりを挟む
感想 29

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ

紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか? 何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。 12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

7歳の侯爵夫人

凛江
恋愛
ある日7歳の公爵令嬢コンスタンスが目覚めると、世界は全く変わっていたー。 自分は現在19歳の侯爵夫人で、23歳の夫がいるというのだ。 どうやら彼女は事故に遭って12年分の記憶を失っているらしい。 目覚める前日、たしかに自分は王太子と婚約したはずだった。 王太子妃になるはずだった自分が何故侯爵夫人になっているのかー? 見知らぬ夫に戸惑う妻(中身は幼女)と、突然幼女になってしまった妻に戸惑う夫。 23歳の夫と7歳の妻の奇妙な関係が始まるー。

私も処刑されたことですし、どうか皆さま地獄へ落ちてくださいね。

火野村志紀
恋愛
あなた方が訪れるその時をお待ちしております。 王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。 そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。 エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。 それがこの国の終わりの始まりだった。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

処理中です...