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出立
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人気のない屋敷の中。
その最奥の部屋で跪く男は、己の無力さに肩を震わせて泣いていた。
だが、すぐに男は立ち上がる。
そして厩舎へ行き、元気な馬を外へと連れ出し跨った。
手がかりはない。
片っ端から当たっていくしかないだろう。
酷く非効率的で、恐ろしく時間がかかる方法。
あの方の身に降りかかるであろう事を思えば、一分一秒でも惜しいというのに。
だが、自己憐憫に打ち震え、泣いている場合ではないのだ。
「・・・申し訳ありません、ユリアティエルさま」
自己満足に過ぎない謝罪の言葉が口を吐く。
無力で愚かな私を恨んでください。
傷つけるだけ傷つけて、禄に償いも出来ぬまま、まんまとサルトゥリアヌスに拐われてしまった。
必ず・・・必ず貴女を見つけます。
だからどうか、どうか自ら命を絶つことだけはしないでください。
辛いことを耐え抜いた先に、何かがあると信じてください。
あの女の借り受けた力が尽きるまで、あと一年。
課された条件を満たせぬならば、それであの女は終わりを迎える。
カルセイランさまならば。
カルセイランさまならば、きっと。
己の愛した女性を見誤らない筈。
たとえ『傀儡』と『魅了』を重ねられても。
そうだ、あの方ならば、きっと。
私のような愚かな間違いはしない。
ノヴァイアスは掛け声と共に馬を走らせ、闇の中へと消えていく。
そうして全ては漆黒の闇へと溶けていった。
以降、暫くの間、彼の行方は要として知れないままとなる。
それはあの女、ヴァルハリラにさえも。
カルセイランは、ひとり執務室に残り、夜遅くまで公務に追われていた。
堆く積まれた書類。
指示や決定を仰ぐ報告書。
最終認定を待つ決定事項。
・・・時間がいくらあっても足りない。
なのに、追い討ちをかけるかのように連日の如く婚約者が押しかけて来て執務の邪魔をする。
一緒にいたがるくせに、実は私に何の関心もない女性。
私の時間を拘束しながら、自分のしたいことだけをする女性。
国にも民にも何の配慮も愛情も持つことなく、ただ自分の欲を満たすことのみに重きを置く女性。
何故、王はあの令嬢を私の婚約者と定めたのだろうか。
そして、何故、私は。
何故それに異を唱えないのか。
いや、唱えられないのか、
彼女の前では思考が止まる。
意識が二転三転することや、霞がかかったかのように何も考えられなくなることなど日常茶飯事だ。
厭いながらも同席を許し、誘いを断ろうと思う度に承諾の意を告げる。
これほどまでの嫌悪を持ちながら、時折、自分の内奥から引力のような圧を感じて彼女に引き寄せられる。
思うことと行うことが乖離し過ぎて、不気味さを感じると同時に、自分で自分が分からなくなる。
気がつけば、カルセイランの口からは深い溜息が漏れていた。
数年前に、突如彼女の父が宰相の地位に就いた頃からだろうか。
この国は、どこか、何かがおかしくなっている。
国王に何度問うても、この婚約は王命だという一言しか返ってこない。
まるでそれ以外の言葉が言えないかのように。
彼女に対する民からの評判も芳しくはない。
陰ながらではあるが、家臣の中には彼女の行動に眉をひそめる者も多い。
なのに誰も口に出してそれを言うことが出来ないのだ。
それをしようとすると空気が変わる。
何かが場を支配する。
まるで何かに縛られているようだ。
「・・・」
ペンを持つ手に力が籠る。
時折、頭の中に朧げな光景が浮かぶことがある。
それは優しい微笑み。
明るく上品な笑い声。
刺激的で建設的な対話。
信頼に溢れた眼差し。
・・・だが、あれは誰なのか。
ただの夢なのか、現実から逃避しようと自ら作り出した幻なのか。
だが、その幻の女性は美しかった。
民から慕われていた。
皆から愛されていた。
彼女のような女性が、私の婚約者であったなら。
未来は明るいだろうに。
この国も安泰だろうに。
私も喜びに溢れるだろうに。
そうだ、彼女は。
彼女は私の---。
その時、カルセイランの頭に鋭い痛みが走る。
軽い呻き声と共に頭を押さえ、暫しの間、黙り込む。
「・・・」
やがて痛みは過ぎ去り、カルセイランは再び顔を上げた。
「・・・何か大切な事を考えていた筈だが・・・」
手元の書類に目を落としながら、カルセイランは呟いた。
何も思い出せない。
残るのは、何か大事なものを失ったような、そんな喪失感だけだ。
カルセイランは大きく息を吐くと再びペンを取り、執務を開始する。
あと半年。
あと半年で婚姻の儀が執り行われる。
彼女を妻として迎える日が、やってくる。
その最奥の部屋で跪く男は、己の無力さに肩を震わせて泣いていた。
だが、すぐに男は立ち上がる。
そして厩舎へ行き、元気な馬を外へと連れ出し跨った。
手がかりはない。
片っ端から当たっていくしかないだろう。
酷く非効率的で、恐ろしく時間がかかる方法。
あの方の身に降りかかるであろう事を思えば、一分一秒でも惜しいというのに。
だが、自己憐憫に打ち震え、泣いている場合ではないのだ。
「・・・申し訳ありません、ユリアティエルさま」
自己満足に過ぎない謝罪の言葉が口を吐く。
無力で愚かな私を恨んでください。
傷つけるだけ傷つけて、禄に償いも出来ぬまま、まんまとサルトゥリアヌスに拐われてしまった。
必ず・・・必ず貴女を見つけます。
だからどうか、どうか自ら命を絶つことだけはしないでください。
辛いことを耐え抜いた先に、何かがあると信じてください。
あの女の借り受けた力が尽きるまで、あと一年。
課された条件を満たせぬならば、それであの女は終わりを迎える。
カルセイランさまならば。
カルセイランさまならば、きっと。
己の愛した女性を見誤らない筈。
たとえ『傀儡』と『魅了』を重ねられても。
そうだ、あの方ならば、きっと。
私のような愚かな間違いはしない。
ノヴァイアスは掛け声と共に馬を走らせ、闇の中へと消えていく。
そうして全ては漆黒の闇へと溶けていった。
以降、暫くの間、彼の行方は要として知れないままとなる。
それはあの女、ヴァルハリラにさえも。
カルセイランは、ひとり執務室に残り、夜遅くまで公務に追われていた。
堆く積まれた書類。
指示や決定を仰ぐ報告書。
最終認定を待つ決定事項。
・・・時間がいくらあっても足りない。
なのに、追い討ちをかけるかのように連日の如く婚約者が押しかけて来て執務の邪魔をする。
一緒にいたがるくせに、実は私に何の関心もない女性。
私の時間を拘束しながら、自分のしたいことだけをする女性。
国にも民にも何の配慮も愛情も持つことなく、ただ自分の欲を満たすことのみに重きを置く女性。
何故、王はあの令嬢を私の婚約者と定めたのだろうか。
そして、何故、私は。
何故それに異を唱えないのか。
いや、唱えられないのか、
彼女の前では思考が止まる。
意識が二転三転することや、霞がかかったかのように何も考えられなくなることなど日常茶飯事だ。
厭いながらも同席を許し、誘いを断ろうと思う度に承諾の意を告げる。
これほどまでの嫌悪を持ちながら、時折、自分の内奥から引力のような圧を感じて彼女に引き寄せられる。
思うことと行うことが乖離し過ぎて、不気味さを感じると同時に、自分で自分が分からなくなる。
気がつけば、カルセイランの口からは深い溜息が漏れていた。
数年前に、突如彼女の父が宰相の地位に就いた頃からだろうか。
この国は、どこか、何かがおかしくなっている。
国王に何度問うても、この婚約は王命だという一言しか返ってこない。
まるでそれ以外の言葉が言えないかのように。
彼女に対する民からの評判も芳しくはない。
陰ながらではあるが、家臣の中には彼女の行動に眉をひそめる者も多い。
なのに誰も口に出してそれを言うことが出来ないのだ。
それをしようとすると空気が変わる。
何かが場を支配する。
まるで何かに縛られているようだ。
「・・・」
ペンを持つ手に力が籠る。
時折、頭の中に朧げな光景が浮かぶことがある。
それは優しい微笑み。
明るく上品な笑い声。
刺激的で建設的な対話。
信頼に溢れた眼差し。
・・・だが、あれは誰なのか。
ただの夢なのか、現実から逃避しようと自ら作り出した幻なのか。
だが、その幻の女性は美しかった。
民から慕われていた。
皆から愛されていた。
彼女のような女性が、私の婚約者であったなら。
未来は明るいだろうに。
この国も安泰だろうに。
私も喜びに溢れるだろうに。
そうだ、彼女は。
彼女は私の---。
その時、カルセイランの頭に鋭い痛みが走る。
軽い呻き声と共に頭を押さえ、暫しの間、黙り込む。
「・・・」
やがて痛みは過ぎ去り、カルセイランは再び顔を上げた。
「・・・何か大切な事を考えていた筈だが・・・」
手元の書類に目を落としながら、カルセイランは呟いた。
何も思い出せない。
残るのは、何か大事なものを失ったような、そんな喪失感だけだ。
カルセイランは大きく息を吐くと再びペンを取り、執務を開始する。
あと半年。
あと半年で婚姻の儀が執り行われる。
彼女を妻として迎える日が、やってくる。
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