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駆ける
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ノヴァイアスは狂ったように馬を走らせた。
急げ、急げ、急げ。
何の為に殿下を裏切った?
何の為に腹心として、友としての矜持を捨てたのだ?
ここであの方を永遠に失う訳にはいかない。
あの方は、そんな死に方をするべき方ではない。
あの女の最低最悪の計画を少しでも和らげる為に、手先になることを決めたのに。
これでは私は。
何の為に。
唇を強く噛む。
必死で手綱を掴む。
どうか。
どうか屋敷に居てくれ、と。
無駄な足掻きだと心の奥底で知りながら、敢えて気付かない振りでそう願う。
あの女の立てた計画は、どれもこれも悍ましいものばかりだった。
拷問の後、裸で杭に張り付けて衆目に晒す。
娼館に売りとばし、散々客を取らせた後に、行為中に摘発してその様子を殿下に報告させる。
盗賊が横行する通りに置き去りにしてわざと拐わせ、盗賊どもの手で好き勝手に犯させ、最後には殺させる。
男ばかりが収容された獄の中に放り込み、死ぬまで囚人たちの慰み者としての役目を負わせる。
それから・・・。
駄目だ、思い出すだけでも吐き気がする。
「ねぇ、ノヴァイアス。貴方に選ばせてあげる。どれがいい? どれが一番、私のカルセイランさまを奪おうとしたあの女のお仕置きになると思う?」
冷や汗が背中を伝うのを感じた。
見当違いの恋心に暴走する様が。
自然の理に逆らって尚、自身の欲望を成そうとする狂気が。
「協力したくないならそれでもいいわよ? 他を当たるだけだもの。でも勿論、ねぇ? 計画について知ったからにはこのまま黙って帰す訳にはいかないけど」
自分が処理される事自体は構わなかった。
だが。
もしその計画のどれかが実行に移されたら。
美しいユリアティエル。
嫋やかなユリアティエル。
あれは一体、いくつの頃だったか。
カルセイランさまに連れられた先の茶会で初めて会った時から焦がれていた。
才能に溢れ、慎ましく、どこまでも優しい。
カルセイランさまの隣に並び立つお方は、この人しかいないと。
自分は陰ながらその幸せをお守り出来れば、それでいいと。
そう言い聞かせて恋心を秘めていた。
それをあの女は。
言葉の通じない動物のようなあの女は。
「私はね、体が弱いから妃候補になれなかっただけなのよ。カルセイランさまは本当は私を選びたかったけど、仕方なかったの。だって元気じゃないとお世継ぎを産めないでしょう?」
何を言っているのだ。
あのお方はユリアティエルさまを愛しておられるのに。
その愛の対象を娼館や牢獄の男に引き渡そうというのか。
「でもね、もう大丈夫。丈夫な体を手に入れたわ。だから、もう私たちは引き裂かれる必要はないの。邪魔なあの女さえいなくなれば私たちの真実の恋が叶うのよ」
人外の力を預かった愚かで狂った女が、禄でもない計画を立てる。
未来ある二人の約束された将来を奪おうとして。
なのに、只人であるこちらには対抗しうる力が何もなくて。
悩んで悩んで悩んだ挙句、決意した裏切り。
卑怯者になる決意。
カルセイランさまの部下としては、殿下をお守りすることのみを考えるべきだったのだろう。
私が下した決定は、命をもって償うべき完全なる間違いなのだろう。
だが、あの女は。
何があってもユリアティエルさまを諦めない蛇のような執念深い女は。
ユリアティエルさまが無残に殺されるまで、絶対に、執拗に、狙い続けると分かったから。
手を変え、品を変え、借りた力を最大限に行使して。
それこそ彼女の命が尽きるまで。
だから。
カルセイランさまではなく、ユリアティエルさまの命をお守りしようと。
お守りしたいと。
・・・自分の甘さに反吐が出る。
緩い処断であの女の歪んだ執着から逃れようなどと安易に考えた私の手落ちで。
呆れる程の自信過剰。
どうやっても私はカルセイランさまにはなれないのに。
カルセイランさまの妻となり妃となるというあの方の夢を自らの手で奪っておきながら、私は、あの方をこの腕で抱ける喜びに震えていた。
泣かれても、請われても、これが貴女を救う唯一の道だと自分に言い聞かせて、快楽を貪って、夜に昼にあの方を抱いて。
証を差し出すためだと。
証を差し出すまではと。
そう言い聞かせて自分を誤魔化して。
愚かで浅ましい自己満足。
最低だ。
最低の男だ。
あの方に憎まれて当然なのだ。
私には許しを請う資格もない。
馬が限界に来て、宿場で交換してもらい、再び疾駆する。
もうすぐだ。
頼む。どうか、どうか。
屋敷が視界に入る。
だが、その時ノヴァイアスを包んだのは、安堵ではなく予想が現実となって降りかかる恐怖だった。
・・・灯がついていない。
使用人の中に監視が多く混じっていることには気付いていたが。
それ以外の者も誰一人残っていないとすれば、それは。
私に情報を与えないために監視以外の者は皆、処分されたか。
では、ユリアティエルは。
・・・ユリアティエルは。
「ユリアティエルさま!」
乱暴に扉を開け、最奥の部屋へと進んでいく。
閑散とした屋敷内の暗闇を、急ぎ大股で歩を進める。
ユリアティエルの部屋の鍵は開いていた。
震える手で扉を開く。
「・・・ユリアティエル・・・」
恐れていた現実がそこにあった。
中はもぬけの殻。
悲痛な呻き声と共に、ノヴァイアスは頽れた。
急げ、急げ、急げ。
何の為に殿下を裏切った?
何の為に腹心として、友としての矜持を捨てたのだ?
ここであの方を永遠に失う訳にはいかない。
あの方は、そんな死に方をするべき方ではない。
あの女の最低最悪の計画を少しでも和らげる為に、手先になることを決めたのに。
これでは私は。
何の為に。
唇を強く噛む。
必死で手綱を掴む。
どうか。
どうか屋敷に居てくれ、と。
無駄な足掻きだと心の奥底で知りながら、敢えて気付かない振りでそう願う。
あの女の立てた計画は、どれもこれも悍ましいものばかりだった。
拷問の後、裸で杭に張り付けて衆目に晒す。
娼館に売りとばし、散々客を取らせた後に、行為中に摘発してその様子を殿下に報告させる。
盗賊が横行する通りに置き去りにしてわざと拐わせ、盗賊どもの手で好き勝手に犯させ、最後には殺させる。
男ばかりが収容された獄の中に放り込み、死ぬまで囚人たちの慰み者としての役目を負わせる。
それから・・・。
駄目だ、思い出すだけでも吐き気がする。
「ねぇ、ノヴァイアス。貴方に選ばせてあげる。どれがいい? どれが一番、私のカルセイランさまを奪おうとしたあの女のお仕置きになると思う?」
冷や汗が背中を伝うのを感じた。
見当違いの恋心に暴走する様が。
自然の理に逆らって尚、自身の欲望を成そうとする狂気が。
「協力したくないならそれでもいいわよ? 他を当たるだけだもの。でも勿論、ねぇ? 計画について知ったからにはこのまま黙って帰す訳にはいかないけど」
自分が処理される事自体は構わなかった。
だが。
もしその計画のどれかが実行に移されたら。
美しいユリアティエル。
嫋やかなユリアティエル。
あれは一体、いくつの頃だったか。
カルセイランさまに連れられた先の茶会で初めて会った時から焦がれていた。
才能に溢れ、慎ましく、どこまでも優しい。
カルセイランさまの隣に並び立つお方は、この人しかいないと。
自分は陰ながらその幸せをお守り出来れば、それでいいと。
そう言い聞かせて恋心を秘めていた。
それをあの女は。
言葉の通じない動物のようなあの女は。
「私はね、体が弱いから妃候補になれなかっただけなのよ。カルセイランさまは本当は私を選びたかったけど、仕方なかったの。だって元気じゃないとお世継ぎを産めないでしょう?」
何を言っているのだ。
あのお方はユリアティエルさまを愛しておられるのに。
その愛の対象を娼館や牢獄の男に引き渡そうというのか。
「でもね、もう大丈夫。丈夫な体を手に入れたわ。だから、もう私たちは引き裂かれる必要はないの。邪魔なあの女さえいなくなれば私たちの真実の恋が叶うのよ」
人外の力を預かった愚かで狂った女が、禄でもない計画を立てる。
未来ある二人の約束された将来を奪おうとして。
なのに、只人であるこちらには対抗しうる力が何もなくて。
悩んで悩んで悩んだ挙句、決意した裏切り。
卑怯者になる決意。
カルセイランさまの部下としては、殿下をお守りすることのみを考えるべきだったのだろう。
私が下した決定は、命をもって償うべき完全なる間違いなのだろう。
だが、あの女は。
何があってもユリアティエルさまを諦めない蛇のような執念深い女は。
ユリアティエルさまが無残に殺されるまで、絶対に、執拗に、狙い続けると分かったから。
手を変え、品を変え、借りた力を最大限に行使して。
それこそ彼女の命が尽きるまで。
だから。
カルセイランさまではなく、ユリアティエルさまの命をお守りしようと。
お守りしたいと。
・・・自分の甘さに反吐が出る。
緩い処断であの女の歪んだ執着から逃れようなどと安易に考えた私の手落ちで。
呆れる程の自信過剰。
どうやっても私はカルセイランさまにはなれないのに。
カルセイランさまの妻となり妃となるというあの方の夢を自らの手で奪っておきながら、私は、あの方をこの腕で抱ける喜びに震えていた。
泣かれても、請われても、これが貴女を救う唯一の道だと自分に言い聞かせて、快楽を貪って、夜に昼にあの方を抱いて。
証を差し出すためだと。
証を差し出すまではと。
そう言い聞かせて自分を誤魔化して。
愚かで浅ましい自己満足。
最低だ。
最低の男だ。
あの方に憎まれて当然なのだ。
私には許しを請う資格もない。
馬が限界に来て、宿場で交換してもらい、再び疾駆する。
もうすぐだ。
頼む。どうか、どうか。
屋敷が視界に入る。
だが、その時ノヴァイアスを包んだのは、安堵ではなく予想が現実となって降りかかる恐怖だった。
・・・灯がついていない。
使用人の中に監視が多く混じっていることには気付いていたが。
それ以外の者も誰一人残っていないとすれば、それは。
私に情報を与えないために監視以外の者は皆、処分されたか。
では、ユリアティエルは。
・・・ユリアティエルは。
「ユリアティエルさま!」
乱暴に扉を開け、最奥の部屋へと進んでいく。
閑散とした屋敷内の暗闇を、急ぎ大股で歩を進める。
ユリアティエルの部屋の鍵は開いていた。
震える手で扉を開く。
「・・・ユリアティエル・・・」
恐れていた現実がそこにあった。
中はもぬけの殻。
悲痛な呻き声と共に、ノヴァイアスは頽れた。
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