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ジャスティン・シューマッハの話

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ああ。

永遠にこうしていたい。


一日中絵筆を握っていたジャスティンの手は、疲れきっていて微かに震えている。


だが、彼の口元には柔らかい笑みが浮かんでいた。


両親に別れを告げ侯爵家を出てから、ジャスティンは思うがままに絵を描き続けた。


最初は、川岸や公園の片隅でスケッチブックに目にする風景をただただ描いて。


やがて手持ちのスケッチブックが尽き、何に描こうかと思案した時、広場の壁が目に入った。


公共のものだと思いつつ、何をしようとも罰しないという王の宣言を思い出し、吸い寄せられるように壁の前に立った。


そうだ。もうすぐ世界は終わる。

最後にこの世界を好きな色で彩ろう。

美しく飾って最期の時を惜しもう。


ジャスティンはパレットに絵の具を乗せた。


・・・ただ心のままに。


腹が減れば、無償で取っていいとされる店の食べ物や飲み物を口に入れ、そしてまた描き続ける。


そうして創り出したジャスティンの世界は美しかった。



「・・・きれいな絵ですね」


背後からかけられた声に振り向くと、人の好さそうな笑みを浮かべた親子が立っていた。

父親らしき男性は、女の子を腕に抱えている。

抱っこするには少し大きいのでは、と思うくらいの腕の中の娘は、10歳かそこらだろうか。大人しく父親の腕の中に収まっていた。


母親は手に袋を持って、すぐ隣に立っている。


3人とも、もうすぐ世界が終わるという焦りなど何も感じさせないような穏やかな笑顔でそこにいた。


「本当にすてきな絵ですね、ねぇ、あなた」

「そうだな。色が優しくて、見ているだけで心が癒される。お前もそう思わないか? ユミル」


頭を撫でられながらそう尋ねられたユミルという娘は、こくりと頷いた。


「ありがとうございます」


これまで、妹のレイラからしか褒められたことがなかったジャスティンは、はにかみながら礼を言う。

父も母も、ジャスティンが絵を描いているところを見つければ、いつだって罵られ、くだらないと罵倒されてきたのだ。


「あの、これをどうぞ」


母親は、手に持っていた袋をジャスティンに差し出した。


何だろうと思いつつも黙って受け取ると、中からふわりといい匂いがした。


「実は昼前にも貴方を見かけたんです。そして今もまだここにいらした様なので、差し出がましいとは思ったのですが、食事を取られているかどうか心配で」


食べ物と飲み物が入っていると言われ、ジャスティンは驚いた。


「・・・本当にありがとうございます。実は今朝少し食べたきりだったのでお腹が空いてきたところでした。助かります」

「いえいえ、こちらこそ。目を楽しませてもらいまして」


医者だというその男性は、昼前は往診の帰りでジャスティンを見かけたとか。

その絵がとても印象的だったので、娘にも見せたいと思って連れてきたそうだ。


「・・・まだ療養中で上手く歩けないので、こうして抱っこして連れて来たのですよ」


穏やかな笑顔で笑いあう3人の姿を、ジャスティンは眩しそうに見た。


「・・・仲が良くて羨ましい。私は両親からは怒られてばかりでした。絵など何の役にも立たないと怒られ、絵も見つかるたびに破り捨てられまして」


つい零れてしまった愚痴に、その父親は悲しそうに眉を下げた。


「そうですか。こんな素晴らしい絵をお描きになるのに残念な事です」

「ああでも妹が救いでした。いつも私の絵を褒めてくれたんです」


ジャスティンの口元が僅かに緩む。


レイラ。

いつもジャスティンの絵を喜んでくれた優しい妹。

最後くらい好きな事をさせてやってほしいと、ジャスティンの背中を押してくれた。


「そうですか・・・優しい妹さんですね」

「ええ」

「両親とは、家族なのに最後まで分かり合う事が出来なくて残念です。私が絵を諦める事で上手くいっていたのですが、もう世界が終わると知って、最後にまた描きたくなってしまって・・・喧嘩して出て来てしまったんですよ」


深刻な空気になるのは嫌で、笑いながら言ったのだが。



「お兄ちゃん」


父親の腕の中で抱っこされていた娘が口を開いた。


「私、昨日、ここにいる父さんと母さんの娘になったんです」


ジャスティンは目を見開く。


「孤児の私に、本当の家族になろうって言ってくれたんですよ」

「・・・昨日? 孤児?」


どう見ても仲睦まじげな親子にしか見えない人物からの言葉に、ジャスティンはぱちぱちと目を瞬かせる。


「はい。具合が悪くて、テオ先生・・・父さんに治療してもらってたんです。でも、最後に家族になろうって・・・最期の時を精一杯、家族団欒して楽しもうって」

「・・・」

「お兄ちゃん」


言葉に詰まるジャスティンに、ユミルが更に話しかける。


「だから、血が繋がってるから家族だっていう訳じゃないと思います」

「え」


この少女ユミルは、見た目よりも年齢が上なのかもしれない。

そうジャスティンは思った。


10歳くらいかと思ったが、思考が大人びている。

或いは、それだけ苦労したという事か。


「お兄ちゃんは、お兄ちゃんの絵を破った人のために悲しまなくてもいいと思うんです」

「・・・っ」

「お兄ちゃんの絵、見てるとホッとします。描いてくれてありがとう」


涙が、出そうだった。


思わず手で顔を覆ったジャスティンに向かって、テオとレベッカは気遣わしげに頭を下げた。


「すみません。娘が失礼な事を」

「あ・・・いえ。すてきな娘さんですね」

「・・・ありがとうございます。3日間だけですけど、この子と家族になれて良かったと、そう思っています」

「ええ。そう・・・本当にそうですね」


手を振りながら立ち去る親子を、ジャスティンはずっと見送っていた。


--- 血が繋がっているから家族だっていう訳じゃない


お兄ちゃんの絵を破った人のために悲しまなくてもいいと思うんです ---



「はは・・・っ、そうか。悲しまなくてもいいのか・・・」


ずっと申し訳ないと思っていた。

両親の期待通りに出来なくて、でもどうしても絵を諦められなくて、それでもなんとかして認められたくて。


家族だから。
血の繋がった家族だから。


なんだ。そういう事か。




「・・・お兄さま・・・」


佇むジャスティンの耳に、聞きなれた涼やかな声が響いた。


振り向けば、そこにはここにいない筈の。


「・・・レイラ? どうしてここに」

「あまりにお父さまとお母さまの頭が固いものですから、わたくしも家を出て来てしまいましたわ」

「・・・」

「あちこち探しましたのよ? でも中央広場の壁に素敵な絵を描いている人がいるって噂を聞いて・・・」

「まったく。お前は相変わらずだな」

「仕方ないですわ。わたくしにとっては、話の通じる家族はお兄さまだけでしたもの」


レイラは戯けてふふっと笑う。


「・・・そうだな。私にとってもそうだった。あの家で・・・お前だけが私の家族でいてくれた」


ジャスティンは、スッキリした表情で妹に笑顔を向ける。


そしてレイラは、壁に描かれた絵を見上げると、「やっぱりお兄さまの絵は素敵」と呟いた。


 

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