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エンリケ公爵家の話

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「・・・兄上っ」


慌ただしい足音と共に、勢いよく扉が開いた。

だが、室内にいた兄上と呼ばれた人物に驚いた様子はない。

男はゆっくりと目を向け、弟の姿を認めると静かに口を開いた。


「エーリクか。領地から出て来たのか?」

「はい。王の発表を聞いて、矢も盾もたまらず馬に飛び乗りました」

「そうか」

「兄上」


エーリクは息を整える間も惜しいと言葉を継いだ。


「ソルネアを・・・どうかソルネアを俺に返してください」


その言葉に、エーリクの兄、マルケルムは驚いた様子も見せず、こう続けた。


「・・・返すも何も、元よりソルネアは私の妻だ。家同士の合意に基づく政略結婚だったとはいえ、恋人だったお前には悪いと思っているが」

「・・・っ!」


マルケルムの言葉に、エーリクは俯く。

だが、絞り出すような低い声がエーリクから出た。


「この世界も残すところあと三日。陛下は思い残す事がないように行動せよと仰られた。俺が唯一思い残す事があるとすれば、それはソルネアです」

「・・・」

「あの時は家のためだと領地に閉じ込められ、結局そのまま俺は何も出来なかった。一度は貴族令息の務めだと諦めようともしました。でも出来なかった。俺はソルネアを愛しているんです」

「・・・そうか」

「最後だけでも、俺に幸せな夢を見させてください・・・」


エーリクは兄マルケルムに深く頭を下げた。


「・・・『思い残すことがないように』それは他ならぬ陛下のお言葉だ。ならば従わねばなるまい」


そんな言葉が、頭を垂れたエーリクの頭上から降ってくる。


「・・・二階の当主夫人の部屋だ。この時間、ソルネアはいつもそこにいる」


エーリクはハッと顔を上げた。


「・・・兄上、ありがとうございます・・・っ!」


早足で階段へ向かう弟の背中を見送りながら、マルケルムは自嘲の笑みを浮かべた。


・・・私に礼など不要だ。

弟の恋人を奪って妻とした男に、感謝の言葉など。


マルケルムは立ち上がり、執務室へと向かう。


思いの外、彼の足取りはしっかりしていた。


エーリクは知らないのだろう。

あれは確かに親同士が決めた政略結婚で。

自分とソルネアの間にあったのは義務感の上に形成された信頼と敬意でしかなくて。


エーリクはソルネアを見ていて、ソルネアはエーリクを、エーリクだけを見つめて。


・・・だけど私はソルネアを見て、求めて、求め続けて。

弟の恋人だと知りつつ、政略結婚の相手にソルネアを選んだ。


「・・・はっ」


掠れた笑い声が漏れる。


何のことはない、横恋慕したのは私だ。

私がたまたま公爵家の嫡男だったから。

そしてエーリクが次男だったから。


だから、私の想いは簡単に叶えられただけ。


他の令嬢を選んでも良かった。
実際、そうする事も出来た。

両想いの二人を思えば、本当はそうすべきだった。


道を踏み外すまいと必死でエーリクへの想いに蓋をするソルネアと、貴族の子としての矜持と恋慕に挟まれ苦しんだ弟と。


「・・・私ひとりが本懐を遂げたと、そう思い勝ち誇っていたが・・・」


そんな考えは、今朝、脆くも崩れ去った。


運命は残酷だ。

世界が終わるという今になって、真実の恋人たちを結び合わせる。

まるで、私の卑怯な策を嘲笑うかのように。


マルケルムは執務室の扉を開けた。
そして使い慣れた机に足を向ける。


ソルネアとエーリクは、残された三日を共に過ごすのだろう。

ようやく手に入れた真実の愛を、最後の瞬間まで守り、確かめ合うために。


マルケルムは机の引き出しを開けた。
そして、護身用の銃に手を置く。


やっと成就する想いに、二人は歓喜するのだろう。
彼らを結びつける機会を与えた、この世界を滅ぼす巨大な星に心から感謝しながら。


・・・邪魔者は一足先に去るよ。


ああ、ここではマズいね。

やっとで叶ったお前たちの逢瀬を邪魔してしまう。


マルケルムは銃を手に、ふらりと外に出た。


人気のない公園を抜け、木々がうっそうと生い茂る森に足を踏み入れる。


ここなら大丈夫かな。


マルケルムは目を閉じ、静かに銃口をこめかみに当てた。



・・・信じてもらえないかもしれないけど。


ソルネア。
心から愛していた。

初めて君の姿を目にした時から。
君を、君だけをずっと。


そしてエーリク。
諦めが悪い兄を持った不運な弟よ。

不幸のどん底に落とした私が言っていいことではないけれど。
お前の様な弟を持てた私は幸せ者だった。


ああ、どうか。

この三日間がお前たちの救いとなる事を、私は願おう。


苦痛の根源であった私が言うことではないが。

今まで苦しめて済まなかった。


涙がひとすじ、マルケルムの頬を伝う。


・・・愛していたよ。


マルケルムはゆっくりと引き金を引いた。


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