【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮

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休憩室

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「ご令嬢にはこちらのお飲み物を」


ダンスを終えたエリーゼとルネスのもとに、飲み物をのせたトレイを持った給仕がやって来た。

深くかぶった真っ白の給仕帽にきっちりと髪をたくし入れ、ぶ厚い眼鏡をかけている彼は、トレイの端にある鮮やかな桃色の液体が入ったグラスをエリーゼに差し出した。


「・・・中身は入れ替えてあります」


給仕は、エリーゼに手渡しながらぽそりと小声で囁いた。


「ありがとう。ちょうど喉が渇いていたの」

「ご令息にはこちらを」


務めて明るい声でエリーゼがグラスを受け取ると、給仕はもう一つのグラスをルネスに差し出し、またも小声で「交換済みです」と囁いた。


ありがとう、と素直に受け取ったルネスは、その場でグラスの中身を飲み干し、空のグラスを給仕の持つトレイに戻した。


「・・・一応言っておくが、給仕帽から君の目立つオレンジ色の髪がひと房はみ出ているぞ」


ルネスがそっと囁きかけると、給仕は眼鏡の奥の鳶色の瞳をぱちぱちと瞬かせた。


「・・・給仕の顔など、いちいち真面目に見る者などいませんから、そんなに神経を尖らせなくても大丈夫ですよ」


囁くように返した給仕は、エリーゼのグラスを回収して去っていった。


「・・・ケヴィンさまに招待状が来なくて、却って都合がよかったわね」

「そうですね。ああして堂々と給仕に扮して紛れ込めますからね」

「ふっ、堂々と紛れ込むって・・・ルネス、言い方がちょっと変よ? まあ、確かに堂々としてたけど」

「いや、それ以外の表現が思いつかなくて」


今回のように大規模な夜会が開かれる場合、宴会場の従業員だけでは数が足りないので一時的に人員を雇い入れることになる。
もちろんその場合に募集対象となるのは、給仕や掃除人、皿洗いなど、専門性が低く、かつ使いまわしがきく者たちだ。

今回、意図的に招待客から外されたケヴィンは、それを逆手に取って、今日の夜会の為に雇われた宴会場の給仕の一人と入れ替わっていた。

その給仕は、エリーゼとルネスに薬入りの飲み物を手渡すよう言われていた。

事が露見した時、貴族令嬢令息に薬を盛った実行犯として―――たとえ本人が知らないうちに実行犯にされていたとしても―――処罰される捨て駒にされたのだ。

もちろん、ケヴィンがグラスをすり替えたので、エリーゼの飲み物にもルネスの飲み物にも薬は入っていない。

そう、入っていないが、今この会場のどこかで、エリーゼとルネスの体調に異変が起きるのを期待して待っている誰かの為に、効いたフリをしなければならない。


エリーゼは頬に手を当て、苦しそうに息を吐いた。


「・・・ルネス、私、何だか暑くて、それにくらくらするの。休憩室に行ってもいいかしら」

「・・・俺も何だか気分が・・・会場の熱気に当てられたのかもしれません」


そう言ってから会場を後にした二人は、廊下をゆっくりと進んで行った。

エリーゼは苦しそうに胸元を押さえ、時々眉根を寄せる。
そんなエリーゼに手を貸すルネスも、何やら足元がおぼつかない様子だった。

何とか女性用休憩室まで辿りつくと、ルネスは扉の前に立っていた女性使用人にエリーゼを託し、彼自身もまた男性用休憩室で少し休むと言って、さらにその先に進んで行った。


女性用休憩室の中は、こうこうと明かりがついていて、手前にテーブルとソファ、奥には大きなベッドが置いてあった。

エリーゼはソファに腰かけると苦しそうに額に手を当て、背もたれに体を預けた。


「冷たい飲み物をいただけないかしら。何だか熱くて苦しいの」

「かしこまりました、今取って参ります。お嬢さまの安全の為に、私が戻るまで部屋の外側から鍵をかけさせていただきます」

「そうね、それがいいわ。知らない人が突然入って来たら困るもの」


ぱたぱたと扇子で顔をあおぎながら答えたエリーゼに、女性従業員は「失礼します」と部屋から出て行った。カチャリと施錠する固い金属音がする。

だが、それからしばらく経っても、その女性従業員は飲み物を持って戻って来なかった。


「遅いわね・・・何をやっているのかしら・・・」

「あの従業員なら待ってても来ないよ」


怠そうに体をソファに寄りかかりながら呟いたエリーゼの耳に、女性用休憩室ここにいる筈のない低い男の声が聞こえてきた。


ハッと顔を上げ、エリーゼはきょろきょろと周囲を見回す。


「やあ、エリーゼ嬢。オレはここだよ」


そう言うのと同時に、ベッドのある奥の部屋のカーテンの陰から、一人の男が現れた。


「久しぶりだね。オレのこと覚えてるかな。君と会うのはこれで二度目なんだけど」


満面の笑みを浮かべてエリーゼの前に立ったのは、ラウロ・カリスだった。


「おやおや。大丈夫かい、エリーゼ嬢。何だかとっても苦しそうにしているねぇ。そんなに強い媚薬でもなかったと思うんだけど」

「カリスさま、どうしてあなたがここに・・・」


コツコツと、靴音を鳴らして近づいてくるラウロに、エリーゼは警戒心もあらわに睨みつけた。


「どうしてだって?」


ラウロは両手を広げ、嬉しそうに続けた。


「そんなの、君を助ける為に決まってるじゃないか。だって、もうすぐあの窓から、君を襲おうとして元婚約者が忍び込んでくるんだから」







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