45 / 75
休憩室
しおりを挟む「ご令嬢にはこちらのお飲み物を」
ダンスを終えたエリーゼとルネスのもとに、飲み物をのせたトレイを持った給仕がやって来た。
深くかぶった真っ白の給仕帽にきっちりと髪をたくし入れ、ぶ厚い眼鏡をかけている彼は、トレイの端にある鮮やかな桃色の液体が入ったグラスをエリーゼに差し出した。
「・・・中身は入れ替えてあります」
給仕は、エリーゼに手渡しながらぽそりと小声で囁いた。
「ありがとう。ちょうど喉が渇いていたの」
「ご令息にはこちらを」
務めて明るい声でエリーゼがグラスを受け取ると、給仕はもう一つのグラスをルネスに差し出し、またも小声で「交換済みです」と囁いた。
ありがとう、と素直に受け取ったルネスは、その場でグラスの中身を飲み干し、空のグラスを給仕の持つトレイに戻した。
「・・・一応言っておくが、給仕帽から君の目立つオレンジ色の髪がひと房はみ出ているぞ」
ルネスがそっと囁きかけると、給仕は眼鏡の奥の鳶色の瞳をぱちぱちと瞬かせた。
「・・・給仕の顔など、いちいち真面目に見る者などいませんから、そんなに神経を尖らせなくても大丈夫ですよ」
囁くように返した給仕は、エリーゼのグラスを回収して去っていった。
「・・・ケヴィンさまに招待状が来なくて、却って都合がよかったわね」
「そうですね。ああして堂々と給仕に扮して紛れ込めますからね」
「ふっ、堂々と紛れ込むって・・・ルネス、言い方がちょっと変よ? まあ、確かに堂々としてたけど」
「いや、それ以外の表現が思いつかなくて」
今回のように大規模な夜会が開かれる場合、宴会場の従業員だけでは数が足りないので一時的に人員を雇い入れることになる。
もちろんその場合に募集対象となるのは、給仕や掃除人、皿洗いなど、専門性が低く、かつ使いまわしがきく者たちだ。
今回、意図的に招待客から外されたケヴィンは、それを逆手に取って、今日の夜会の為に雇われた宴会場の給仕の一人と入れ替わっていた。
その給仕は、エリーゼとルネスに薬入りの飲み物を手渡すよう言われていた。
事が露見した時、貴族令嬢令息に薬を盛った実行犯として―――たとえ本人が知らないうちに実行犯にされていたとしても―――処罰される捨て駒にされたのだ。
もちろん、ケヴィンがグラスをすり替えたので、エリーゼの飲み物にもルネスの飲み物にも薬は入っていない。
そう、入っていないが、今この会場のどこかで、エリーゼとルネスの体調に異変が起きるのを期待して待っている誰かの為に、効いたフリをしなければならない。
エリーゼは頬に手を当て、苦しそうに息を吐いた。
「・・・ルネス、私、何だか暑くて、それにくらくらするの。休憩室に行ってもいいかしら」
「・・・俺も何だか気分が・・・会場の熱気に当てられたのかもしれません」
そう言ってから会場を後にした二人は、廊下をゆっくりと進んで行った。
エリーゼは苦しそうに胸元を押さえ、時々眉根を寄せる。
そんなエリーゼに手を貸すルネスも、何やら足元がおぼつかない様子だった。
何とか女性用休憩室まで辿りつくと、ルネスは扉の前に立っていた女性使用人にエリーゼを託し、彼自身もまた男性用休憩室で少し休むと言って、さらにその先に進んで行った。
女性用休憩室の中は、こうこうと明かりがついていて、手前にテーブルとソファ、奥には大きなベッドが置いてあった。
エリーゼはソファに腰かけると苦しそうに額に手を当て、背もたれに体を預けた。
「冷たい飲み物をいただけないかしら。何だか熱くて苦しいの」
「かしこまりました、今取って参ります。お嬢さまの安全の為に、私が戻るまで部屋の外側から鍵をかけさせていただきます」
「そうね、それがいいわ。知らない人が突然入って来たら困るもの」
ぱたぱたと扇子で顔をあおぎながら答えたエリーゼに、女性従業員は「失礼します」と部屋から出て行った。カチャリと施錠する固い金属音がする。
だが、それからしばらく経っても、その女性従業員は飲み物を持って戻って来なかった。
「遅いわね・・・何をやっているのかしら・・・」
「あの従業員なら待ってても来ないよ」
怠そうに体をソファに寄りかかりながら呟いたエリーゼの耳に、女性用休憩室にいる筈のない低い男の声が聞こえてきた。
ハッと顔を上げ、エリーゼはきょろきょろと周囲を見回す。
「やあ、エリーゼ嬢。オレはここだよ」
そう言うのと同時に、ベッドのある奥の部屋のカーテンの陰から、一人の男が現れた。
「久しぶりだね。オレのこと覚えてるかな。君と会うのはこれで二度目なんだけど」
満面の笑みを浮かべてエリーゼの前に立ったのは、ラウロ・カリスだった。
「おやおや。大丈夫かい、エリーゼ嬢。何だかとっても苦しそうにしているねぇ。そんなに強い媚薬でもなかったと思うんだけど」
「カリスさま、どうしてあなたがここに・・・」
コツコツと、靴音を鳴らして近づいてくるラウロに、エリーゼは警戒心もあらわに睨みつけた。
「どうしてだって?」
ラウロは両手を広げ、嬉しそうに続けた。
「そんなの、君を助ける為に決まってるじゃないか。だって、もうすぐあの窓から、君を襲おうとして元婚約者が忍び込んでくるんだから」
3,281
お気に入りに追加
6,830
あなたにおすすめの小説

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢
alunam
恋愛
婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。
既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……
愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……
そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……
これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。
※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定
それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!

探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。

婚約者が実は私を嫌っていたので、全て忘れる事にしました
Kouei
恋愛
私セイシェル・メルハーフェンは、
あこがれていたルパート・プレトリア伯爵令息と婚約できて幸せだった。
ルパート様も私に歩み寄ろうとして下さっている。
けれど私は聞いてしまった。ルパート様の本音を。
『我慢するしかない』
『彼女といると疲れる』
私はルパート様に嫌われていたの?
本当は厭わしく思っていたの?
だから私は決めました。
あなたを忘れようと…
※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

婚約者は、今月もお茶会に来ないらしい。
白雪なこ
恋愛
婚約時に両家で決めた、毎月1回の婚約者同士の交流を深める為のお茶会。だけど、私の婚約者は「彼が認めるお茶会日和」にしかやってこない。そして、数ヶ月に一度、参加したかと思えば、無言。短時間で帰り、手紙を置いていく。そんな彼を……許せる?
*6/21続編公開。「幼馴染の王女殿下は私の元婚約者に激おこだったらしい。次期女王を舐めんなよ!ですって。」
*外部サイトにも掲載しています。(1日だけですが総合日間1位)

愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる